二代目が黙して語らない事が三つあります。
一つ目は会員数の推移です。<--リンク
二つ目はエンタプライズですね。<--リンク
そして、三つ目がロホRohとナフスNafsuの対応関係、4つの低次の諸力とナフスの対応関係です。(後述)
特にエンタプライズはバパの立てたグランドプランの中核をなすものでありました。
しかしながら、この二つ(=一番目と二番目)に関してはまるでダルマさんの様に二代目は「黙して語りません」。
さて、実はこの二つには共通項があります。
それはいずれの項目も「生の世間と直接的な関係を持たなくてはならない」ということでありますね。
そうして、両方とも「世間に物事(メリット)を提案し、そうしてその見返りを得る」という行為であります。
見返りというのは、一つは時間、もう一つは金銭ではありますが、いずれも提案を受けた側にとってはとても大切なものであります。
しかしながら、このいずれの組織的活動、世間に対する提案行動も協会はあまり得意とは言えない様です。
そうして、それに輪をかけているのが「二代目が語らない」という状況であります。
バパは「世間との関わり合い」を「協会にとってとても大事なもの」と認識しておられた様です。
それゆえに会員数のことも、エンタプライズのことも、そうして協会が行うべき社会的事業のことも熱心に語られました。
しかし今、二代目はそれらの事はほとんど語りません。
語られることは二代目が言う「リアリティー」、そうしてそれは「霊的なリアリティー」であって、残念ながら「現実世界のリアリティー」ではありません。
こうして二代目はある意味、「現実的な問題から目をそむけている」ように見えてしまうのでありました。
二代目は今現在、協会に所属している人たちの霊的な進歩のみを注目しているかの様であります。
言い方を変えますと「とても内向きに」、「協会の内側のみ」が「関心の対象」であるかの様です。
バパが立てたグランドプランでは、二番目の計画(エンタプライズ)が最初の計画(会員数の増加)を推し進めるという構造になっていました。
「宣伝はしない」がその代わりに「エンタプライズをやって目に見える結果を見てもらう」というのがバパのプランでした。
従いまして、二番目がうまくいかないと当初の目的である「会員数の増加」ということが難しくなります。
このことに対して二代目はあまりにも楽観的すぎるように見えるのですね。
そうして、「協会そのものの継続性」については、なぜかほとんど心配されていない様です。<--リンク
さて、「それぞれの国の協会がそれぞれの国の中で継続的な発展をしていく」ということがバパの願いでありましょう。
しかしながら、現実と正面から向き合う事なしにこの課題をクリアする方法はないものと思われます。
そのような観点から見ますと、残念ながら「二代目が黙して語らない事」がそのまま見事に「今の協会のウイークポイント」になっている事に気が付いてしまうのでありました。
加えて、霊的な進歩のみを語る二代目に率いられた協会は、外見上は普通の宗教団体となんの変りも見出せません。
おまけにこの団体は「勧誘のための宣伝をしない」ということにこだわりをお持ちの様です。
そうして、「勧誘をしない」ということは「組織的な新人の育成システムがない」ということでもあります。
ですので新入会員にとっては「あまり親切な組織構成ではない」という事になりますね。
さて、そのような「宣伝をしない団体の未来の姿」が「大いに発展している」とは通常の感覚ではなかなか想像できない事なのであります。
そして、三つ目がロホRohとナフスNafsuの対応関係、4つの低次の諸力とナフスの対応関係です。
これについては決して2代目は語る事はありません。<--リンク
バパがジワJiwaとスクマSukmaの関係について語ったトークは一つだけの様です。<--リンク
それに対してロホRohとナフスNafsuという言葉を使って「生命力とナフスの関係」をより詳細に、そうして数多くのトークで語っています。
ですので、二代目が「生命力とナフスの関係」を語るのであれば、ロホとナフスというコトバを使って語る方がより自然なのであります。
しかしながら事実は「二代目は決してロホとナフスの一対一対応については語らない」のです。
そうして、語ったとしても以下のトークにある様な表現でお終いになります。
12月16日1999 - Ibu
『そして、これらのファイン・ボディー(微細体)は、インドネシアでは「スクマSukma」で呼ばれます。
それらは人間の中に存在する生命力のレベルに対応しています。』
それに対してバパは物質力に対応するナフスは~、植物力に対応するものは~」と明示して語っています。
しかしながら二代目は決してそのようには語らないのであります。
そしてバパが唯一ジワJiwaとスクマSukma、そうしてナフスNafsuについて語ったトークを参照して、ジワJiwaをベースにスクマSukmaとナフスNafsuについて語るのでした。
そのように語るので二代目のトークでは「4つの低次の諸力とそれぞれの生命力に対応するナフスNafsuの名前が明示的に示される」という事は決してないのであります。
PS
バパのトークで気をつけなければいけない点、それはナフスを上げる順序です。
物質力にはアマラー(nafsu amarah:赤)が、そうして植物力にはアルアマー(nafsu aluama:黒)がいつも対応しています。
ですので4つの諸力の順番にならべる場合は1、アマラーamarah>2、アルアマーaluama ・・・となります。
(70・12・5、72・11・3、85・6・25、85・7・2 etc)
しかしながら単にナフスの事を述べる場合(諸力との関係を言わない場合)はインドネシアの伝統にそった順番になります。
つまり1、アルアマーー>2、アマラー ・・・と順序が逆転するのでありました。
(57・9・29、59・8・6、59・8・7、63・9・13、81・6・18 etc)
そうして、二代目の並べ方は常に後者であります。
(99・12・16、01・7・12、02・2・28、02・3・3、03・2・14 etc)
そういえば2代目のトークではスシラ ブディ ダルマであつかわれている物質力から始まる4つの諸力についての言及がほとんど無いようであります。
そうして、この4つの諸力を介して我々は世界と、社会と、文化と、人々と相互作用をするものでありますれば、この4つの諸力に注目しないということと、内向きの態度と言うものの間にはなにやら関係がありそうな気がいたします。(16.10.1)
追伸
・エンタプライズと関連性が高い「物質力の性質と働き」についてはこちらにも記事があります。<--リンク
PS
バパのトークが大事な記録である事は、二代目のコトバ、「バパのコトバを変えてはいけません」という意見表明を待つまでもない事であります。
しかしながら、残念な事にバパのトークの編集が行われている様です。
それはつまりあまたのマスコミがやっている様に、「自分たちに都合の悪い所はカットする」という行為です。
そうして、そのようにカットし編集されたトークをあたかも「これがバパが語ったことの全てです」とでも言うかの様にライブラリーに保管します。
さて、そうなってしまうと後日、ライブラリーに保管されたものしか知らない会員は「これが正真のオリジナルだ」と思ってしまうでしょう。
しかしそこにあるのはまぎれもない「にせもの」であります。
1977年9月12日のトークがそのようにして編集され、ライブラリーに保管された様です。
何故そう言えるのでしょうか?
1978年10月に発行された日本語訳のトークを参照してみてください。
あるいは「アダムとその子供たち」のP65~ P74、それは参考文献の159からの引用部分ですが、それでも確認する事ができます。
その訳よりもライブラリーにあるトークは内容の一部が大幅にカットされている事に気がつく事になります。
さて、そのような行為を二代目は承諾したのでしょうか?
あるいは二代目に内緒でそのような行為を行ったのでしょうか?
いずれにせよ、そこにあるのは「真実のもの」ではありません。(2019年2月 記)
PS
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