ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

ジワJiwaとスクマSukmaの物語(その1・バパと二代目の認識)

2017-07-09 | 日記
バパは多くのトークでロホRohとナフスNafsuの関係について語りました。
それに対して、探した限りにおいて唯一(8月7日1959 トーク)のみがジワJiwaとスクマSukmaの関係について語られたものであります。
加えてこのトークにおいてバパはナフスNafsuの別名がスクマSukmaである事を表明しているのです。

こうしてバパの中ではイスラム、スーフィー、アラビア語圏に起因する用語を使った説明ではロホRohとナフスNafsuの対応になるものが、インド哲学(六派哲学)、ヒンドゥー、サンスクリット語圏での用語での説明ではジワJiwaとスクマSukmaの関係になっているということが分かります。<--リンク

そうして、このように異なっている二つの文化圏での用語を使った説明を結びつけている、仲立ちをしているものが、ジャワに古くから伝わる「4人兄弟の教え」なのであります。<--リンク
(注:「4人兄弟の教え」は本人を含めると「5人兄弟の教え」になります。)

以下、まずはバパがどのようにジワJiwaそのもの、それからジワJiwaとスクマSukmaについて語ったかを参照し、次に二代目がそれを受けてどのようにストーリーを展開したのかを示します。(注1

そしてこれが今回引用したトークリストです。(引用は年代順)
・8月7日1959 バパ
・9月12日1977 - Bapak
・2月21日1982 - Bapak
・6月1日1982 - Bapak
・12月16日1999 - Ibu
・1月19日2001 - Ibu
・1月20日2001 - Ibu
・1月30日2001 - Ibu
・4月22日2001 Ibu
ーーーーーーーーーーーーーーーー
(8月7日1959 バパ)
・・・・・
バパは、英語で正確に対応する単語があるかどうかを知りませんが、事実はジワJiwaとスクマsukmaを区別し、同じではないということです。
ジワJiwaは個人individual、個人的な自己personal selfに属していませんし、もっとも深い意味でもそうではありません。
:ジバ jiva(jiwaの別スペル)を個々の自己と見なし、その一番そこにあって、それをささえている、すべての生き物に存在する普遍的な不変の自己であるアートマンatmanを想定した場合、そのアートマンには個人individual、個人的な自己personal selfというものは存在しない、持たないと考えられます。
そうであれば、バパがここで言っているジワJiwaというものは、アートマンatman的なものを想定している様に思われます。
それに対して「スクマSukmaは個別的な、自己である」とバパは言っておられるようであります。)

バパが言っていることは、ジワは物理的な形を持っていないということです。
それでは、どのようにして「実体化された形」を持つものがジワへの方向性を与えたり、道を示したりすことができますか?
明らかに、これは不可能です。
なぜなら、それは異なる性質であり、ジワの真の性格に対応していないからです。

ですから、魂(ジワjiwa)はこれ(ファイン・ボディーfine body(微細体))を満たし、目覚めさせ、命を与える生命力です。
それによってそれ(ファイン・ボディー(微細体))はほんとうに動くのです。
そしてスクマ(Sukma)は、この粗い肉体(コォース・ボディーcoarse body(粗体))のファイン・ボディーfine body(微細体)です。
実際には、ファイン・ボディー(微細体)は一つだけでなく五つあります。
ですから(ジャワでは)5人の兄弟について話すのです。
第一は黒、第二は赤、第三は黄、第四は白、第五は褐色です。
・・・・・
これら五人の兄弟は、人間のハート(心:感情)を占拠、あるいは住み家としていると言われ、パッション(ナフスnafsu)を代表しています。
それらは、アルアマaluwamah、第二はアマラamarah、第三はスピアsupiah、第四はムトマイナmutma'inah、そして第五はナフスnafsuではなく清浄さの状態です。
(そして)第五は(前の四つの)集合体、結合体でもあります。
それはユニティ(Unity:一体性)を形つくります。
・・・・・
これら(スクマSukma)はまた神秘家や苦行者によって大いに利用されています。
というのは、5人の兄弟のうちの4人は非常にしばしばあなた方のハート、あなた方の内部感覚を目覚めさせて働いたり、あなた方がしなければならない事を実行する(力を与える)からです。
彼等はあなた方のエネルギーを覚醒させます。
・・・・・
教育のある人々の間ではこうしたことに心霊術、催眠術、マグネティズム、オカルトなどのような名前がつけられています。
そうしてそれを礼拝だと見なす事さえあります。
・・・・・
しかしあなた方がこの地球上での人生の間に、もし本当に自分のパッション(ナフスnafsu:スクマsukma)のみを強く頼りにするならば、後になってあなた方が死ぬ時、死と向かい合う時、真の道、神へ通じ、この地球よりも高い段階へのぼる道はあなた方には閉ざされる事になってしまいます。
なぜかと言えば、一緒になると第5に変わるこれら4つのパッション(ナフスnafsu:スクマsukma)はあなた方がこの世界において自分の自我と共にいきている限りにおいて、その場所に存在するからです。
しかし、完全な人間の高貴な世界(:ロハ二rohani レベル)への扉を通り抜けるにはあなた方はそれら4つを一つに結びつけて、バパが言うように、褐色に(第5の存在に)しなくてはなりません。
そのような状態においてのみ、権威ある生命力からの接触が入手できるのです。

9月12日1977 - Bapak
・・・・・
それがラティハンの中で動く事の必要性であり、そのラティハンの中で受ける動きが人間のジワ jiwaと皆さん方全てのジワ jiwaをそれまでいた状況から目覚めさせ立ち上がらせる始まりであり、オープンになるのであります。
こうなる理由は何故ですか?
あなたがまだ開かれていない限り(オープンを受けていない限り)、あなたのジワ jiwaはあたかも暗い場所に閉じ込められ鍵をかけられているかのようだからであります。

毎日あなたの日常生活の中で常に活動するものはナフス nafsuです。
これらのナフス nafsuは意志、あなたの中に存在する低次の諸力の意志を具現化しています。
それらはすなわち、物質的、植物的、動物的および人間的な生命力の意志です。(注2
このようにして、あなたの人生で主導的立場を保つべき真の人間的なジワthe true human jiwaは、逆に、働くことができず、なぜなら、それはナフスnafsuを利用し、あなたの内部感覚を圧迫する低次の諸力によってとても重くなっているからです。

2月21日1982 - Bapak
さて、兄弟姉妹の皆さん、バパはジワjiwaの発展について話します。
ジワjiwaの発展に関して皆さん、バパは常に、「ジワとは行動の中におけるあなた自身の中身である」と言います。
つまり、皆さんの中身は皆同じではありませんし、そこには違いがあります。

ジワjiwaの発展については皆さん、自動的に行われます。
それはあなた方の自己の受容能力に応じて続くでしょう。
これら( jiwa )が依然として汚れていて、(ラティハンで)清掃されるたびにあなたがそれらをまた(日常生活で)汚していたら、そのジワ jiwa の発展はスムーズに進まず、達成しなければならない結果も達成できません。<--リンク

現時点では、例えばもし誰かが自分のジワ、自分自身を発達させることができれば、それはジワから発展しているということです。
もちろんそれは、「この世界の影響が消えていく」ということから始まります。

心の働きを誇張し拡大する、そうして心が感じる喜びも誇張する、そのような世的な影響は少しずつなくなっていきますがすぐに消え去るということはありません。
いいえ。
少しずつなくなっていくと言う事は彼らが訓練されているということであり、その結果たぶんそこには限度が存在するようになります。
これらの人々は何も欲しくないようであり、何にも影響されない様であり、お金持ちと言う事はどういうことかをしっていますがお金持ちになることを望まず、おいしいものを知っていますがそれを食べたいとは思いません。

これは始まりです。
あなたはこの世界の影響を後にします。
現時点では、世界が人間に及ぼす影響はかなり大きいものです。
したがって、あなたはこの世界を後にして、これらの影響を後に残すようになります。
そうして、より高いレベルのジワ jiwaへの人間のジワからの発展のためには、この世界に意味がないことをあなたが本当に知って理解するのです。

人間のジワ human jiwaは通常ジャスマニ レベルjasmani levelにあるので、それはロハニレベルrohani levelに上昇しなければなりません。
ロハニのレベル rohani levelから見ると皆さん、この世界は(リアリティーは)何もないと考えられます。
それは人が舞台上で演じている演劇にすぎないという事を確信をもって述べることができます。
したがって、ロハニレベル rohani levelから見れば、それは最終的に行動を停止する演劇の中の人生のようなものです。
(注:バパはこのように説明してくれますが、ひとつ上のレベルをその下のレベルの存在が理解する事は基本的に不可能です。
それはちょうど動物に人間を、人間の世界や社会を理解せよと言っているのと同じ事になるからです。)

さて、ラティハンは、ロハニレベルrohani levelでの生命、生活がどのようなものであるのかを感じて判断できるようになる為に、本当に貴方がたにとって必要なものなのです。
そのロハ二レベルrohani levelとは人がこの地球を後にすることができる所です。

しかしそれにもかかわらず皆さん、あなた方がこの世界のニーズとこの世の人間生活の必要条件、それらはあなたが望むすべてのものなのですが、それらを放棄することは神の意志ではありません。
はい、あなた方は良い服、おいしい食べ物、この世のすべての良きものを、今日、ヨーロッパでやっているように、人々がそれについて騒がしく言い争うという所まで持ちたいと思っています。
ここでも人々は一般的にこの世界の利益を追求していますが、ロハニレベルrohani levelから見ると、それらには意味がありません。

そういうわけで、大抵の場合、難解で精神的な問題に取り組む傾向のある高齢者は、この世界の人間の人生は一時的な訪問者のものと同じであり、時間が来て家に戻ると、それについては(この世界の人間の人生については)すべて忘れてしまうと言うのです。
我々はただ単に物語を信じてはいけません。
私たちは、私たちが信じていることを確かめるために経験が必要で、そうであれば私たちの信念については本当に確信が持てるのです。
(注:つまりこのことは「信じる必要のある教義」ではなく、「思考でたどり着くべき結論」でもなく、ただ単純に「体験して知るべき事柄である」ということになります。)

人々がこの確実性を持っているなら、彼らが死ぬ時には、もちろん彼らは早く死ぬことは望んではいませんが、彼らは死ぬことを心配せず、死の恐れもありません。
(注:この辺り、親鸞とその弟子の問答に似ています。)
・・・・・
そういう訳で、死は人生の継続です。
死が生命の継続であるなら、それに不満を抱く必要があるのは何故ですか?
もちろん、そのような必要はありません。

人生は旅のようなものです。
物質力のロホ、ロホ ラエワ二the roh raewaniから始まり、ロホ ナバティroh nabati、ロホ へワ二roh hewani、ロホ ジャスマニroh jasmani、ロホ ロハ二 roh rohani(植物、動物、普通の人間、完璧な人間)のレベルからロホ ラフマニroh rahmani、ロホ ラバニroh robaniに至るまでの道のようなものです。
これらの7つのロホRohsは協会のシンボルに含まれています。

ロホ rohは生命、生命力を意味します。
まあ、人間の長い旅のその部分は、この世界にあるロホ ジャスマニ(普通の人間のロホあるいは生命力)です。
ロホ ジャスマニroh jasmaniは4番目のレベルにあります -物質あるいはラエワ二raewani、植物あるいはナバティ nabati、動物あるいはヘワニhewani、ジャスマニjasmaniなどが4つのレベルを作っています。
それらの上にロハニrohani、ラフマニrahmani、ラバニrobbaniのレベルがあります。

6月1日1982 - Bapak
兄弟姉妹のみなさん、ラティハンがあなたの人生とあなたの内部感覚の改善をもたらすことは、明らかです。
それはあなた方の内部感覚が正された後で、皆さん、あなた方のジワ jiwa、あなた方の魂soulは自動的に栄養補給され、ジャスマニ レベルjasmani levelから出発してより高いレベルに登るのは明らかな事です。
(注:「すでにジャスマニ レベルにいる人、そのような人のジワであれば、原則としてそうなるでしょう。」ということでしょうか。
そうして、現代においてジャスマニ レベルにいる人がまれである事はバパも認めています。
それゆえにまずは「あなた方の内部感覚が正された後で・・・」ーー>「ジャスマニ レベルに到達した後で」という条件が付くことになります。)

12月16日1999 - Ibu
まず、「ジワJiwa」という言葉から始めたいと思います。
あなた方はジワjiwaについて聞いたことがあるかもしれません。
そして、あなた方はそれが何であるかを知っているかもしれません。
しかし、私はあなた方の多くが長い間ラティハンをやっているにもかかわらず、本当には「ジワJiwa」の意味を理解していないと思います。

「ジワjiwa」の意味は「神の被造物に現れる生命力」です。
それで人間は神の被造物であり、そして神の被造物には全て神のエッセンスがそこにあり、それゆえ神の全ての被造物にはジワjiwa(生命力を意味する)が含まれています。

そしてあなた方は人間だけが神の被造物ではなく、すべて存在するものは神の被造物であり、従って全ての存在しているものはジワ jiwaを含んでいる事を理解する必要があります。<--リンク
人間の中には、人間の中に存在するものの中で、聖なるもの、あるいは純粋なものという部分は、神のエッセンスだけであり、それは全てのすべての被造物の中にも存在します。
注3:このような主張はある種類の汎神論的な主張に聞こえます。)<--リンク

さてジワjiwaは、すでに多くの事柄の影響を受けているため、純粋であるとは言えません。
だから私は、ジワjiwaがいくつかの影響を受けていると言いますが、私はそれが歴史に、引き継がれたものに、そうしてまた人類が存在してきた環境によっても影響されていることを意味します。
だから、各人の中にあるジワは、純粋に人間のものであるもの、または人間の本質に真に対応しているものであるとはもはや言えないかもしれないと、私は言おうとしています。
(注:ここではバパがカルマKarmaと呼んでいるもののJiwaへの影響を述べていると思われます。)

だから私たちのジワはすでに純粋であるとか完成しているとか言ったり主張したりする事はできません。
それどころか、私たちのジワはまだ進行中です。
もし私たちのジワがすでに純粋で完成しているのであれば、ラティハンのようなものは必要ありません。
真実は、ジワ - 私たちのジワは現在、まだ進行中あるいは建設中です。
それでラティハンを行う必要があるのです。
・・・・・
実際にはこれはバパのトークで説明されていますが、おそらくあなた方の多くはそれを読んでいるでしょうが、問題はまだあなた方が理解していないかもしれないということです。
・・・・・
たとえば、私がちょうど言ったことに関してですが- バパは、物理的な身体を持つ人間を創造することに加えて、神は - 人間を創造する中で - 物理的な身体を持っていることに加えて、「アストラル・ボディ」などと記載されることもある「ファイン・ボディーfine body(微細体)」を持つようにしました。
そして、これらのファイン・ボディー(微細体)は、インドネシアでは「スクマSukma」で呼ばれます。
それらは人間の中に存在する生命力のレベルに対応しています。
だから、実際にバパは、私たちの中にある5つのファイン・ボディー(微細体)について述べました。
黒いものはナフス アルアマNafsu Aluamah、赤いものはナフス アマラNafsu Amarah、黄色いものはナフス スピアNafsu Supiah、そうして白いものはナフス ムトマイナNafsu Mutmainahであり、
次に5つ目はすべての色が混ざり合って褐色になっています。

私がこれを言及している理由は、これを読んだ人がそれについて私に尋ねたのであり、読んだときにはっきりしていたのですが、彼はそれを翻訳しなければならず、しかしながら彼はそれが本当に意味するものを理解していませんでした。
だからこれが本当に意味することは、これらのスクマSukma - これらのファイン・ボディー(微細体)- は実際に人間の心に起因するということです。
そして、彼らはナフスNafsuの源泉なのです。

だから彼らはその名前を持っています。

そして、これらのファイン・ボディー(微細体)の存在が「クバティナン」「催眠術」「心霊主義」などと呼ばれる、スピリチュアルな学校やグループ、教えのみなもとになります。
そして、それは本当です - あなたがこれらのファイン・ボディー(微細体)で作業するならば、あなたがそれらを使うならば、あなたはそれらから力を得ることができます。
そして、あなたは実際に印象的なものを実現し、それらはあたかも神から来ているかのように見えます。
だから、この力を持つ人々は、これが、彼らが神によって力を与えられたことを証明すると主張することがよくあります。

しかし現実には、これらがまだこの世界のレベルにあるということです。
だから、それは奇跡的なものやめずらしいものに見えますが、実際にはこの世界を超えていません。
そして私たちにとっては、私たちがこの世界よりも高いレベルに行きたいなら、私たちがこの世界を越えて行きたいなら、実際にはこれらは障害です - これらはまだ私たちの障害です。
だから、このようないわゆる「スピリチュアルな方法」は、私たちが何かより高いもの、つまりこの世界を超えたものに行くことを望むなら、実際には障害になります。

1月19日2001 - Ibu
実際にラティハンで起きることは、私たちが私たちの内なる中身であるジワ jiwaまたは魂 soulに引き合わされるということです。

ラティハンをやっていない人、協会のメンバーでない人は、一般に自分の魂に気が付いていない、あるいは知らないというのは本当だと思います。
彼らは、魂soulと呼ばれるものがそこにあることだけを知っています。
そして、彼らが死ぬと、その魂soulは去ります。
しかし、彼らは実際にそれを認識していない、またはそれを感じることができません。

ラティハンでは、私たちは実際に私たち自身の魂soulに引き合わされます。
そして、この魂 soulは、あらゆる被造物の中に置かれている一種の生命力です。
そして、この生命力は、神のエッセンス(本質)によって、神の力によって実際に占められています。
何故でしょうか ?
それは神が私たちを創造したからです。
それはあなた方と同じです - あなた方が何かを作るとき、作られたものの中にあなた方の何かが入ります。
同様に、神が創造するすべてには神の何かをその中に持ちます。
そしてそれ(神の何か)はそれ(被造物)に命を与えます。

そして確かに、これが私たちに生命を与えるものです。
私たちが死ぬときに、これは生き続けます。
つまり、魂soulは決して死ぬことはありません。
それは永遠に生き続けます。
・・・・・
また、協会のメンバーが、クジワアンkejiwaanや精神的な生活だけを追求するのは正しいことでもありません。
実際には、ラティハンによって私たちは人生のすべてを、それはこの世界で人々が考えていることや人々がやることのすべてを含みますが、それらを経験していく必要があります。
それらのすべてを私たちのジワ jiwaをもってやっていく必要があります。

だから協会においては、私たちのジワ jiwaは、死んだ時にそれによって次の世界に進むことができる何か乗りものの様なものというだけではなく、それはそれと共に生きるためのものでもあります。
だから私たちは全ての事にジワ jiwaを使いながら生きなければなりません。
私たちの毎日の生活の中で、私たちの仕事で、私たちの思考の中で - 私たちがしているすべてのことの中で。

だから人々が「ああ、後で、あなたのジワ jiwaが、あなたの魂soul が高くなり発達したときには、あなたはもう何も考えることができなくなる。」と言うことは、まったく正しいとは言えません。
それは完全に真実ではありません。
それどころか、ひとたびあなたのジワ jiwaがあなたの脳全体に浸透することができたとしたら?(実際に私は何かを残しました。イブはそれを言った:)

ジワjiwaは私たちの中に特定の場所を持ちません。
それは私たちの中にある全てを貫通します。
そしてあなたのジワ jiwaがあなたの思考に浸透すると、あなたの思考は生きていきます。
つまり、あなたが理解できないことを考えて理解することができるようになるということです。
あるいは、別の言い方をすると、普通の人ができないように考えることができます。
あなたは先験的に知らないことを知ることができるようになりますが、それはあなたのジワjiwaから知ることになります。

それが理由です。
実際、あなたがあなたのジワ jiwaで考えることができれば、ここでは私は既にクリーンなジワ jiwaを意味していますが、それはすでに浄化されており、そうであれば、あなたは人々が通常できることを超えて物事を知ることができ、物事を理解することができます。

あなたが現時点で経験している全てのことは、あなたの身体の様々な構成要素であるあなたの身体のすべての部分にあなたのジワjiwaが徐々に浸透していくという事です。
それら(身体の各部分)があなたの魂soulに触れ、生き返るにつれ、起こっていることは、あなたの魂soulがあなたのあらゆる部分に浸透し、より深く深く、ますます完全になることです。
それがあなた方が通過しているプロセスです。

それが起こると、それが場所を得ると、あなたの人生で経験したことがある様な事を実際に(今度は)魂が担当するようになります。
言い換えれば - あなたがやってきたこと、あなたが働いてきたこと - あなたが勉強してきた事柄 - それらを徐々に魂soulが理解して使い始め、それらを担当し始めます。
・・・・・
スクマSukmaはナフスnafsuから出来ています。
そして彼らは実際にこの世界で私たちを助けるナフスnafsuです。
前に言ったように、もし私たちがナフスを持っていなかったら、我々が低次の諸力を持っていなければ、それらはこの世に生きることができる為に私たちの中にある装備なのですが、私たちはこの世界で生きていないでしょう。
ですから、私たちがこの世に存在するのを助けるために、それらのものがあるのです。
したがって、彼らは一種の「役に立つナフスnafsu」です。

しかし、私たちがそれらに使われるのであれば、それはまた危険にもなりえます。
私たちがあまりにもそれらに頼るようになったり、あまりにも尊敬したりすると、私たちはそれらの世界(ナフスnafsuの世界)に引き込まれます。
それらは私たちを天国に連れて行くことができないので、危険です。
それらは実際にはこの世界の材料で作られているので、この世界を超えて私たちを連れて行くことはできません。
(注:ナフスnafsuあるいはスクマSukmaはファイン・ボディー(微細体)であり、確かにフィジカル・ボディ(物理的身体)よりは繊細なのではありますが、それでもこの世界に属する材料からできているのであって、この3次元世界、地球を超えてその上に行くことはできない、という主張になります。)

1月20日2001 - Ibu
皆さんの中には、人間の自己の中に、私たちの魂soulのほかに他のものがあること、私たちの中に他の力や他の要素があることをまだ理解していない人がいるかもしれません。
私は、私たちは物理的な肉体を持っていること、それはコォース・ボディーcoarse body(粗体)と呼ばれるもので、そして私たちはファイン・ボディーfine body(微細体)を持っていると説明したいと思います。
そして、このファイン・ボディー(微細体)は私たちの中で働き、これが私たちが「スクマSukma」と呼ぶものです。

先日、誰かがそれについて尋ねていましたが、これは新しいものではありません。
これはバパがすでに話していたものです。

したがって、私たちの中には3つの要素があります:
魂Soulがあり、
スクマSukma、ファイン・ボディー(微細体)があり、
そうして物理的な肉体があります。
そのように違うものがあるので(私たちは)混乱します。(注4

それでこのファイン・ボディー(微細体)はバパも話していた様に、いろいろなものから成っています。
これらは、5人の兄弟や5人の姉妹、または5人の兄弟姉妹、あるいはあなたが好きなように呼ぶものですが、それはそれぞれ異なった色を持つものです。
黒いもの、赤いもの、黄色のもの、白いもの、そしてそれらすべての色が混じったもの、そしてそれは褐色です。

また、それぞれに独自の性質があります。
黒いものは私たちにエネルギーを与え、赤いものは私たちに仕事をしたいという願望を与え、あるいは仕事をするという意向を与えます。
3番目のもの、黄色のものは、私たちに物事を理解することの必要性を与えます。
白いものは、私たちに物事を秤量し、物事を考慮する能力を与えます。

そして5番目のもの、それはすべての色が混ざり合っているのですが、私たちが静かな状態にあるときに、物事の意味を見つける能力を与えます。
それは、私たちがそのような状況になると他のすべての意味を理解する事ができるようになるような、そのように静かな状態になる能力を与えます。

それらが私たちの人生の中で私たちと一緒に行かなければならないのは、神のご意志であるため、これらの5つのファイン・ボディー(微細体)、つまりナフスnafsuはすべて神によって私たちに与えられています。
なぜなら、もし私たちがこれらのナフスnafsuを持っていなければ、私たちはこの世界で私たちの人生に直面するにあたって何の強さも持たないからです。

したがって、それらを管理して正しく使用することができれば、そしてそれを何に使うのがふさわしいのであるのか、その限界を知る事ができれば、これらのナフスnafsuの性質は実際に良いものであり、これらのナフスnafsuのもつ意味は大切なものになります。

そしてこれらのすべてのナフスnafsuのほかに、私たちの中には全能の神の本質に伴われている人間の魂 human soulがあります。

ところで、この用語に慣れていないあなた方のために、私は「ナフスnafsu」の意味を説明しませんでした。
ナフスnafsuは、欲望や自己意志、自我を意味する言葉です。
言い換えれば、それはこの世界から来る意志です。

ジワ jiwa、人間のジワ jiwaは、実際には五人兄弟、あるいはこれらのファイン・ボディー(微細体)とは異なる動き方をします。
それは実際に私たちの人間の部分であり、私たちの中にある他のすべてを満たしているからです。
そして、これは私たちの人生がそこから来るものであり、これは生きている私たちの部分であり、私たちの中の他のものすべてを生き生きとさせるものです。

それで私たちの中で働くものはスクマSukmaですが、実際それはジワjiwaによって生命が与えられています。
そしてジワjiwa、つまり人間の魂human soulは、実際に私たちの中のすべてを満たしています。
だから、これらのスクマSukma、またはファイン・ボディー(微細体)は、実際に心の中に住んでおり、あるいは私たちが心と呼んでいるそのものです。

そして私たちの心が止まると、これらのスクマSukmaも止まります。
それらは私たちの体が停止した後に生きて行くことはありません。

そして、人間が自分自身のためにある特定の力を探したいと思えば、人間がより強力になるために使うことができるのは、これらのファイン・ボディー(微細体)です。
彼らが向かうのは人間の魂human soulにではなく、これらのファイン・ボディー(微細体)に、スクマSukmaに向かいます。

このように、催眠術やスピリチュアリズムのような様々な技法は、これらすべてがスクマSukma、あるいはファイン・ボディー(微細体)に関わっています。
しかし、人間がこれらのファイン・ボディー(微細体)を強化することによって獲得できるこれらの力は、人間がこの世を去った後では、そのような力は使う事ができません。
それが使えるのはこの世界に限られています。

1月30日2001 - Ibu
この問題に直面して、我々のジワ jiwaが進歩するにつれて、ナフスnafsuもより進歩することを認識しなければなりません。
言い換えれば、私たちがより賢くなるにつれて、ナフスnafsuも賢くなり、より知的になっていきます。
私たちの知性の向上は、魂soulの知性だけでなく、ナフスnafsuの知性の向上でもあるということを受け入れなければなりません。
そしてこれは、私たちが皆、Ibuが「スクマSukma」と呼ぶものを持っているという事実に関係しています。
これらは私たちに与えられたナフスnafsuです。

そして私たちは、いくつかのナフスnafsuは私たちが必要とするものであり、いくつかのナフスnafsuがそこにいて、私たちにとってやっかいなものになり、言い換えればそれらは私たちにとっては良くないという事を知っています。
しかし、それらはますます賢くなってきており、私たちの知性は私たちの魂soulの知性だけでなく、私たちのナフスnafsuの知性でもあることを認識しなければなりません。

ですから、私たちが非常に賢いとか、私たちが非常にスマートであるとか、本当にたくさんのことを理解しているとか言っている限り、私たちは決して他の人達と団結したり、調和して働くことはできません。(注5
というのも、私たちが自分自身で感じている知性は、実際には私たちのナフスnafsuからであり、まだ私たちの本当の魂 soulからではないからであります。
・・・・・
我々が仕事をする度に、私たちは私たちのナフスnafsuをすべて伴います。
それで、これらの仕事は私たちにとっては、誘惑とテストでいっぱいという訳です。
その中で、私たちがこれらの仕事をするとき、それは本当に私たちの魂soulにとっては試験、またはテストです。
ラティハンの中では、実際には私たちは常に教えられています。
私たちの人間の魂human soulは、識別する事を教えられています。
少しづつ少しづつ、私たちは必要なもの、実行する必要があるもの、実行する必要がないこと、従う必要がない事を学びます。

今度は私は前に「スクマSukma」と呼んでいることについてもう少し説明したいと思います。
スクマSukmaは私が「アスマAsma」と呼ぶ「人間の働き」の代理人です。(注6
だから私たちの人間の性質が働くとき、私たちの中で働くエージェント(代理人)は、私たちがファイン・ボディー(微細体)と呼ぶスクマSukmaです。

それで、もしあなたが私に "スクマSukmaとは何ですか?"と聞くならば私は「それは魂soulではなく、人間の魂 human soulではない、(それでいて)私たちの中にあるものなのです。」と言うでしょう。
だから、ナフスnafsuの性質を持つファイン・ボディー(微細体)です。
しかし、それらは実際に私たちのために働くからだです。
私たちの生活の中で私たちのために働き、私たちがこの世界で必要とする事を実行する代理人です。
それらは私たちのコォース・ボディーcoarse body(粗体)の中に住むファイン・ボディー(微細体)です。

そしてこれらのスクマSukma、またはファイン・ボディー(微細体)ですが 、それらは5つあり、それらはそれぞれ独自の特性を持っています。
彼らはまた、「私たちの中に住む兄弟」とも呼ばれています。

そして黒いものの性質は、それが私たちにエネルギーを与えるということです。
赤いものは、私たちに働きたいという願い、あるいは働くことの必要性を与えてくれます。
黄色いものは私たちに好奇心や知りたいという願いを与えます。
白いものは私たちに人生の意味を秤量する能力を与えます。
それで、白いものは、私たちがしている事について常に注意深くなり、そうして弁別する能力を与えます。

そして、他のすべての色の混合物である褐色のもの、つまり5番目のものは、今までの4つのものを理解する能力を常に与えてくれるものです。
言い換えれば、私たちが一たびそれ(5番目)を所有するならば、あるいはそれを使うことができれば、私たちはすべてのナフスnafsuを知ることができ、私たちのために有益であるものはどれで、そうでないものはどれで、どのようにそれらを使うのか、そうしてどこでそれらを使うのがふさわしいのか知るようになります。
したがって、私たちはもはや私たちのナフスnafsuによって操作されないので、私たちはいつでも五番目の兄弟と共に平和でいることができます。

そして、「スクマSukma」と呼ばれるこれらの5人兄弟は、私たちの魂の中に住んでおらず、人間の心の中に住んでいます。
あなた方がスクマSukmaについて理解する必要がある最も重要なことは、スクマSukmaは本当にナフスの本体なのですが、それらの中の誰もあなたが神を見つけたり、神への道を見つけるのを助けることができないということです。
だから誰かが、これらのナフスの力を使って何かをしようとする時には、言い換えれば、あなたを神に導くことのない「何らかの力を使う事」ですが、それはこの世界でのみ効果があります。

そういうわけで、人々はいろいろな種類のあれやこれやの練習を通して力を開発するのですが、そうしてその力でいろいろな事をするのですが、その力はあなたを神には連れて行かない理由です。
神の力ではない力であなたがすることのすべては、催眠術やあらゆる種類の心霊現象やそのようなものにつながります。
それは神の礼拝とは無関係で、この世界にのみ関係しています。

4月22日2001 Ibu
人間存在には2つのものがあります…2つの内容物があると言うことができます。
私はそれらを記述するためのよりよい方法を知りません。
インドネシア語ではジワJiwa [魂soul]とスクマsukma [微細体fine bodies]と呼んでいます。
スクマsukmaは微細で形がはっきりしない体を持ちます。
(他方で)肉体は私たちのコォース・ボディー(粗体)です。

人間の魂human soul は、それが私たちの生命力であるため、私たち自身に入る最初のものです。
ファイン・ボディー(微細体)は私たちの魂soulの後に入ります。
というのも、ファイン・ボディー(微細体)は私たちの生活の道具なのですから。

それらのファイン・ボディー(微細体)はそれぞれが異なる5人兄弟です。
1つは黒、1つは赤、もう1つは黄色、1つは白、もう1つはこれら4つの色の混合物で褐色です。
そして、それぞれの色はそれぞれの性質を持っています。

最初のもの、黒いものはエネルギーを放出し、あるいはその本質は私たちにエネルギーを与えます。
赤いものは私たちが働きたく、動きたくさせます。
黄色いものは人生について知りたくさせます。
4番目のものは人の人生の中で判断することをしたいので、心の中のすべての考慮事項のために、人生において注意深く行動することを主張します。
そして5番目のものはそれらの色の組み合わせです。
誰かが経験したことの中で意味を見つけることができた後で、彼らは彼らの人生の中で平和を見つけます。

この5人の兄弟姉妹は、それぞれ独自の性質を持ち、人間の心に基づいています。
だから私たちがスクマsukmaと呼んでいる、それぞれが自分の性質を持つものは、全能の神が私たちの中に入れてくれた助力者になります。
そしてそれらは私たちがこの世界で私たちの生活のために必要なものを得るために必要な助力者です。
これらの助力者は人生の助手ですが、それらは私たちの低次の諸力とも呼ぶことができます。注2

私が低次の諸力という言葉で意味するのは、私たちの人間の魂human soulよりも低いものでありながら、もし私たちが自分たちの(人間としての)存在の地位を管理したり維持したりすることができなければ、私たちの存在を(私たちに代わって)引き受ける事が出来るというものです。
(注:人間の魂に代わって低次の諸力が人間を支配することができるということです。)

だから、これら2つの内部にあるものについて、1つは神の意志によって生きるもです。
それは自分の中にある神の本質(エッセンス)によって支配されています。
もう一方の内部にあるものは、私たちがスクマsukmaと呼ぶもの、ファイン・ボディー(微細体)は、人間の心によってかじ取りされ、制御され、操作されます。

この事は、魂soulが神につながる生命力であることを意味しますが、他方で私たちはファイン・ボディー(微細体)を使ってこの世界で物事を達成します。
ファイン・ボディー(微細体)を使うことで、スクマsukmaの力から引き出された力を得ることによって、人は何かを達成することができます。
しかし、神への道を見つけることになると、人間の魂human soulのみが私たちを神に近づけることができます。
それで明らかに、ファイン・ボディー(微細体)自体がこの世界を超えて行くことはできないので、あなた方はスクマsukmaを使う事で、ファイン・ボディー(微細体)の力で、この世界を越えることはできません。

しかしこれらのファイン・ボディー(微細体)は、この世界であるいは仕事や信仰において必要なものを得る時には、人々を助けることができます。
たとえば、催眠術、スピリチュアリズム、およびその他の訓練などによって。
彼らは、私たちが私たちの中にあるものから得た助けに似ているようです。

しかし、2つの異なるソース(源)があります。
異なるソース(源)によって、私は一つの源が神の本質(エッセンス)であることを意味します。
他の源は人間の心(ハート)です。
彼らは似ているようです。
時にはその違いを見つけることができません。

もちろん、これらの力(ファイン・ボディー(微細体)の力)を使う事は間違いではありませんが、これらの力を使う人が自分が何をしているのかを知っている必要があります。

注1
バパがジワJiwaとスクマSukmaの関係について語ったトークは一つだけの様です。
それに対してロホRohとナフスNafsuという言葉を使って「生命力とナフスの関係」をより詳細に、そうして数多くのトークで語っています。
ですので、二代目が「生命力とナフスの関係」を語るのであれば、ロホとナフスというコトバを使って語る方がより自然なのであります。
しかしながら事実は「二代目は決してロホとナフスの一対一対応については語らない」のです。

そうして、語ったとしても以下のトークにある様な表現でお終いになります。
12月16日1999 - Ibu
『そして、これらのファイン・ボディー(微細体)は、インドネシアでは「スクマSukma」で呼ばれます。
それらは人間の中に存在する生命力のレベルに対応しています。』

それに対してバパは「物質力に対応するナフスは~、植物力に対応するものは~」と明示して語っています<--リンク
しかしながら二代目は決してそのようには語らないのであります。
そしてバパが唯一ジワJiwaとスクマSukma、そうしてナフスNafsuについて語ったトークを参照して、ジワJiwaをベースにスクマSukmaとナフスNafsuについて語るのでした。
そのように語るので二代目のトークでは「4つの低次の諸力とそれぞれの生命力に対応するナフスNafsuの名前が明示的に示される」という事は決してないのであります。

注2:低次の諸力
バパは「物質的(Roh raewani)、植物的(Roh nabati)、動物的(Roh hewani)および人間的な生命力(Roh jasmani)」を指して「低次の諸力」と呼びます。
しかし二代目は「5人の兄弟姉妹を助力者と呼び、それはスクマSukma、あるいはナフスNafsuの事なのですが、それらを指して「それらは私たちの低次の諸力とも呼ぶことができます。」と言います。
こうして明らかになる事は、「二代目はバパと異なるものを指して『低次の諸力』と読んでいる」という事実であります。<--リンク

注3:汎神論的な主張
『そしてあなた方は人間だけが神の被造物ではなく、すべて存在するものは神の被造物であり、従って全ての存在しているものはジワ jiwaを含んでいる事を理解する必要があります。<--リンク
人間の中には、人間の中に存在するものの中で、聖なるもの、あるいは純粋なものという部分は、神のエッセンスだけであり、それは全てのすべての被造物の中にも存在します。』

まずはジワJiwaがジバJivaであることから分かる様に、ジャイナ教やヒンドゥー教の教義の中にある汎神論的な考え方と、ここでの二代目のJiwaの定義は非常に親和性が高くなっています。

そうしてもうひとつ、汎神論と言えばイブン・アラビーの存在一性論を忘れてはいけません。
歴史的にはイスラムの伝来と同期して存在一性論ーー>マルタバト・トゥジュのつながりによって発生してきたスーフィーズムの一つの流れ、流派がジャワで受け入れられ、その結果がジャワでの9つのロホRohの世界観へと発展したのであります。

たしかにそれぞれのもつ宗教の表向きのタイトルはかたやヒンドゥー教でもうひとつはイスラム教ではありますが、それぞれの教えの中にある汎神論的な部分を取り出してみればそれほどの違いはない、ということでありましょう。
従ってジワJiwaとロホRohとを「実体は同じものではあるが呼び方のみが異なるもの」としてバパや二代目がそれほどの違和感なしで並列的に扱えたのであろうと思われます。

注4:スクマSukma、ファイン・ボディー(微細体)
インドの哲学と宗教における本質的な教義である三体論は、特にヨガ 、 アドヴァイタヴェーダーンタとタントラで重要です。
そうしてヒンドゥー教の教義の中にある三体論の Sarira Trayaによると、人は
Karana sariraカラナ サリラ - 因果体 causal body
Suksma sariraスクスマ サリラ - 微妙な体 subtle body(サンスクリット語:sūkṣma śarīra)
Sthula sariraストゥーラ サリラ - 肉体 physical body
の3つの体を持つとされています。<--リンク

これがまさに二代目がトークで示している以下の文章に見事に対応しています。
「私たちの中には3つの要素があります:
魂Jiwa(Soul)があり、
スクマSukma、ファイン・ボディー(微細体)があり、
そうして物理的な肉体があります。」

こうしてインドネシア語にSukmaとして吸収されたコトバの語源がSuksma(サンスクリット語:sūkṣma)であるという事が分かるのであります。

注5
『私たちが非常に賢いとか、私たちが非常にスマートであるとか、本当にたくさんのことを理解しているとか言っている限り、私たちは決して他の人達と団結したり、調和して働くことはできません。』
二代目はこのように指摘します。
そうして、それはもっともなことであります。

現状の世界をみますれば、「私が正しい」とか、「私のみが正しい」などというのはほとんど「狂気に近いもの」でありましょう。
それは別のコトバでいうならば「原理主義」というものです。
「原理主義」は現実を無視して、「理想とする方向に現実をねじまげる」かのようであります。

さてそういう訳で「バパのコトバは常に正しい」とか「そこに間違いはない」とかいう主張が「原理主義に陥らないようにする事」は二代目が主張するように、とても重要な事なのであります。

注6:ASMA
さて、バパはよく言われたものです。
「ザット、シファット、アスマ、アファル(DZAT,SIFAT,ASMA、AF’AL)」とね。
直訳では「力、本性、行動、結果」ですか。
従ってASMAは「行動すること」、「実行する事」に相当します。
そして二代目はASMAを「人間が働くこと」の意味で使っています。
加えて、この4つの言葉の組み合わせでは要するに「口ではなんとでも言えるが、結果が全てを物語る。」とでもなりましょうか。

PS
バパは「そして第五はナフスnafsuではなく清浄さの状態です。」と言いました。
そして「完全な人間の高貴な世界(注:ロハ二rohani レベル)への扉を通り抜けるにはあなた方はそれら4つを一つに結びつけて、バパが言うように、褐色に(第5の存在に)しなくてはなりません。」と言います。

二代目は「五番目もナフスnafsuだ」といいました。
しかしながら「私たちが一たびそれ(5番目)を所有するならば・・・私たちはもはや私たちのナフスnafsuによって操作されないので、私たちはいつでも五番目の兄弟と共に平和でいることができます。」と言います。

そういう訳で、結局のところお二人ともに「五番目を獲得できれば、ナフスnafsuをコントロールすることができ、ジャスマニjasmaniからロハ二rohaniへの上昇が可能になる。」ということであり、実質上は同じ結論に至るのであります。
ちなみに、「五番目を手に入れることが可能である人」というのは、「すでにジャスマニjasmani レベルに到達している事」が前提になる様です。

但し、どのようにしたら5番目の状態になれるのか、5番目のものが手に入るのかはここでは明示されてはいません。
そうではありますが、もちろんラティハンの事をずうっと話してきていますので、それはラティハンに頼る以外に他に方法はないのであります。

そうしてラティハンによる進歩が順調に進んでいる場合は、たとえばバパは以下の様にその状況を説明しています。

現時点では、例えばもし誰かが自分のジワ、自分自身を発達させることができれば、それはジワから発展しているということです。
もちろんそれは、「この世界の影響が消えていく」ということから始まります。

心の働きを誇張し拡大する、そうして心が感じる喜びも誇張する、そのような世的な影響は少しずつなくなっていきますがすぐに消え去るということはありません。
いいえ。
少しずつなくなっていくと言う事は彼らが訓練されているということであり、その結果たぶんそこには限度が存在するようになります。
これらの人々は何も欲しくないようであり、何にも影響されない様であり、お金持ちと言う事はどういうことかをしっていますがお金持ちになることを望まず、おいしいものを知っていますがそれを食べたいとは思いません。

これは始まりです。
あなたはこの世界の影響を後にします。
現時点では、世界が人間に及ぼす影響はかなり大きいものです。
したがって、あなたはこの世界を後にして、これらの影響を後に残すようになります。
そうして、より高いレベルのジワ jiwaへの人間のジワからの発展のためには、この世界に意味がないことをあなたが本当に知って理解するのです。
2月21日1982 - Bapak

これは又同じ状況に至るまでの道すがらでしょうが、二代目の説明ではこうなります。

また、協会のメンバーが、クジワアンkejiwaanや精神的な生活だけを追求するのは正しいことでもありません。
実際には、ラティハンによって私たちは人生のすべてを、それはこの世界で人々が考えていることや人々がやることのすべてを含みますが、それらを経験していく必要があります。
それらのすべてを私たちのジワ jiwaをもってやっていく必要があります。

だから協会においては、私たちのジワ jiwaは、死んだ時にそれによって次の世界に進むことができる何か乗りものの様なものというだけではなく、それはそれと共に生きるためのものでもあります。
だから私たちは全ての事にジワ jiwaを使いながら生きなければなりません。
私たちの毎日の生活の中で、私たちの仕事で、私たちの思考の中で - 私たちがしているすべてのことの中で。
・・・・・
ジワjiwaは私たちの中に特定の場所を持ちません。
それは私たちの中にある全てを貫通します。
そしてあなたのジワ jiwaがあなたの思考に浸透すると、あなたの思考は生きていきます。
つまり、あなたが理解できないことを考えて理解することができるようになるということです。
あるいは、別の言い方をすると、普通の人ができないように考えることができます。
あなたは先験的に知らないことを知ることができるようになりますが、それはあなたのジワjiwaから知ることになります。
・・・・・
それが起こると、それが場所を得ると、あなたの人生で経験したことがある様な事を実際に(今度は)魂が担当するようになります。
言い換えれば - あなたがやってきたこと、あなたが働いてきたこと - あなたが勉強してきた事柄 - それらを徐々に魂soulが理解して使い始め、それらを担当し始めるのです。
・・・・・
1月19日2001 - Ibu
ーーーーーーーーーーーーーーー
・ジワJiwaとスクマSukmaの物語(その2・インド哲学、ヒンドゥー教各派での扱い)にはこちらから入れます。<--リンク

PS
文字サイズはページ右上で変更できます。

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

本記事に対してのコメント、ご感想などは
こちらまでお願いします。
<--リンク
ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ジワ(jiwa),ジーヴァ (jīva)の論 | トップ | バパの魂(jiwa)あるいはロ... »

日記」カテゴリの最新記事