九州に旅行に行っている友人からメールが来た。
嬉しくて、何回も読む。
僕も、行きたいなぁ、と思う。
今ならできる、と思う。
今しかできないのかもしれない。
僕は、人と話すことで疲れてしまう。
それが、家族であっても、妻であっても、
例外なく、疲れてしまう、というのは、
とても悲しい。
楽しい気分で話をすれば、
そのぶんしっぺがえしを喰らってしまう。
だから、たくさんの人に支えられているけれど、
いつも孤独だ。
今、やっている仕事に区切りがついたら、
どこかに出かけたいな、と思う。
ひとりで出かけようと思う。
どこかへ出かけても、何も解決しない。
それはよく分かっている。
危険だということも、
心配をかけてしまう、ということも分かっている。
旅行に行っても、
お店に入って何かを食べることは出来ないし、
観光名所を歩いて回るだけの体力も無い。
楽しいなぁ、とか、嬉しいなぁ、とか、
感じることもとできない。
でも、新しい景色が見たい。
悲しさや、寂しさを感じないために、
僕は、デジタルカメラのシャッターを押すと思う。
どこか、景色のよいところにいって、
リュックサックからパンと野菜ジュースを取り出して、
食後に煙草を一本吸えれば、それでいい。
誰も僕を縛り付けていない。
でも、僕は、自分にたくさんのルールを課さなければ、
現実問題として、生き延びることができない。
休日が怖い。
ほっとしたり、楽しんだり出来ない僕にとって、
休日は恐怖でしかない。
立ち止まることのできない毎日に、
僕はもう、疲れてしまった。
これから先、もっともっとたいへんなことが
待ち受けているのに、僕は既に、
すべてを投げ出したい、という衝動に駆られそうになる。
どこかへ行きたい。
でも、からだが重くて、出かけることができない。
うっかり無理をすれば、
相応のしっぺ返しを喰らう。
義務は心を強くする。
いかなくては、と思うからこそ、僕は、
ネクタイを締めて、出かけることができる。
目標が無くなってしまうと、急に、どうしたらよいのか
分からなくなる。
歩けるのに、話せるのに、笑えるのに、泣けるのに、
発作を避けるために、ひたすら、こらえている。
ベストな過ごし方は、家で頭を冷やして、
ただ、寝ていることだ。
だから、仕事、発作、休息のサイクルを
ひたすら繰り返している。
どこか遠くへ行きたい。
できれば、この重い脳みそは、置いて行きたい。
自分の足で歩くことができなくなる日が
来るのが分かっているのに、
いつか、さらなる苦痛と、
死が訪れることが分かっているのに、
僕は、ひたすら、半径数百メートルの日々を送っている。
そうですね、気がつくと、私もそうでした。
年を重ねるたびに、近づいていることが、身近に感じられます。
いつなんだろう?
どんな風にしてだろう?
離島に一人暮らすとかいうのじゃない限り、私には<孤独>と<孤独じゃない>との境界線が分かりません。そのへんの感度、極めて不良好ナリ!
たぶんですが、離島にただ一人で暮らしてない、この歳の自分には大したファクターじゃないのかなあと、<孤独>は。
実際問題、経てきた・重ねてきた・体験してきた年齢は大きいですが… 若さがよけい辛くしますね。でも私はjiveさんと代わってあげれない。
そして、jiveさん、「孤独だ」って思ってたら、ちゃこさんが悲しむよ。
<ちゃこさんを悲しませない>って、目標どうですか?<誰かのために>って、きっとエネルギーを増やします。
弱音もこらえるのも、どっちも大切。
雨の日もありゃ晴れの日もある・・・
でも楽しいこと、嬉しいことのあとには、必ず気持ちの落ち込みがあります。それは「孤独」な感じに似ているようです。誰も傍にいない、友だちとの疎外感など。息子は、それでも楽しいこと、嬉しいことにチャレンジします。jiveさんの発作とは比べものにならないと思いますが・・・。
少しも楽しめないのですか? 新しい景色をチャコさんとふたりで眺めるだけでもいいじゃありませんか? jiveさんとチョコさんなら、会話もほんのわずかで十分に通じあえるのかな~なんて思います。
一人でなんて、寂しいことを言わずに・・・チャコさんと一緒に旅行してください。
ありがとうございます。
死ぬことよりは、身近な苦痛が怖い、
それが僕の本心です。
生きることは、日々死ぬことなのだから、
その間隙を、僕なりの言葉で
埋めていきたいなぁ、と思います。
>リスペクト様
ありがとうございます。
スイートピーは、
とても元気に咲いています。
孤独って、たぶん、離島(?)じゃなくて、
人がたくさんいるところに
あるんじゃないかな、と僕は思っています。
手の届くところに、ありそうで、
でも、つながることのできない
もどかしさ、寂しさが、孤独なんだよなぁ
と思います。
「ちゃこさんを悲しませない」は
僕にとっての『最重要課題』です。
あー、でも、ちゃんと、
課題をクリアできているかなぁ。
難しいなぁ。
>様
ありがとうございます。
ちゃこさんは、僕と結婚してから、
あまり泣かなくなりました。
僕は、人の感情に触れると、
そのことで発作になってしまいます。
だから、彼女も、僕の前では
泣かないのだと思います。
ちゃこさんは、情感豊かに生きる
ことができるのだから、
彼女には、いろいろなことを感じ、
楽しんで、ときには悲しんで、
そういう日々を送ってほしいなぁ、と
願っています。
>まーまま様
ありがとうございます。
僕は、自分と同じように
「感情の揺れ」で発作になってしまう
同病の友だちがいて、
ときどきメールで連絡をとっています。
星になってしまったクロロくんも
そうでした。
話を聴いていると、やっぱり、
結論として、気持ちを抑えて暮らす、
のがベストだ、ということに
皆、自然となっていくようです。
どのあたりまで楽しんだら
発作になるのか、という「基準」が
分からないので、
いつも、おそるおそる、感情の
蛇口をひねっています。
そうすると、だんだん、
別に楽しくなくてもいいや、と
いう気持ちになって、
「表面的には笑っているけれど」
中身は冷静、という
なんだか、イヤなヤツになってしまいます。
もともと、僕は、
よく言えば、情感豊か、
悪く言えば、感情の起伏が激しい性格
なので、
すぐに、感情のボルテージが上がって
しまいます。
遠くへ行かなくても
そこにある景色を美しいと感じる
ことができるのなら、
一緒にそう感じてくれる人が
いるのなら、僕はそれで幸せです。
だから、毎日、
自分の身近な物を写真にとって
ブログに載せています。
おしゃべりなので、ほんとうは、
いろいろ、ちゃこさんと話したいの
ですが、そこは抑えて、
『心で通じる』?夫婦になれたら、
というか、今のところ、たぶん、
そうなっているんじゃないかな?
と思います。
さっき、ちゃこさんに聴いてみたら、
「わたしはマイペースで楽しんでいるから
大丈夫だよー」と言ってくれました。
長いお返事になってしまいました。
発作は、けっこうきついかもしれないので、
ただでさえ、いろいろとたいへんな
まーくんにこれ以上の負担が
かかってしまわないことを、
願っています。
ご無沙汰しています。
遠くへ行きたいけれど、行けない。行けないから遠くへ行きたい。
ほんとうにそうです。
亭主は以前1年に1度の山行を楽しみにしていて、街をあちこち歩きまわるのも好きでした。
でも、この病気になって、他の追随を許さなかった(わたしには神がかりとしか思えなかった!?)地理感覚を失い、昨秋脳梗塞を併発してから、片麻痺も強くなって歩くのがだんだん難しくなってきました。
ほぼ普通に歩けるのですが、無理をするので、疲れてしまうのです。それに、突然脱力するし。
百名山踏破とは言わない。もう一度、なだらかな山道を歩かせてあげたいと思います。積もった落ち葉の上を。くろぐろとした土の上を。
ありがとうございます。
お察しいたします、とは簡単には
言えないほど、マメダさんと
ご主人は、悔しい思いをなさって
おられるのだろうと思います。
僕は、たんじゅんに、あきらめました。
たぶん、本心では、もちろん、
あきらめきれていないと思うけれど、
今、自分にできることをやるんだ、と
思うことで、悲しみを振り払って
います。
マメダさんと、ご主人が、
どこか、山登りとまではいかなくても
自然を感じられる場所にいけると
いいなぁ、と願っています。