『ハートは心臓にある』 (グリオーマ・脳腫瘍・てんかん発作・へたれ日記)

脳腫瘍(グリオーマ)と共に生き、人生を哲学します。2015年2月に再発・手術、膠芽腫と診断→抗がん剤治療中です。

試行錯誤の毎日

2009年08月31日 23時07分49秒 | たまにはおでかけ


今日は、月に1度の通院日でした。


よく
「お医者さんから止められていることってあるの?」と
訊かれます。


でも、実際、僕の場合、今のところ、主治医の先生から
『これはダメ』と言われたことはありません。


自分でいろいろやってみて、
その結果『ダメ』だったから、自粛する、
その繰り返しで、自ら行動に制限をしていく、
そんな感じで過ごしています。


たぶん、これはダメだろう、ということは、
ひととおりやってみました。


脳腫瘍が発見されたころ、無理にパチスロを打ってみて
気持ちが悪くなり、
お酒も何度も飲んでみて、ライブにも行ってみて、
人とたくさん話をしてみて、集中して勉強してみて、
テレビゲームに熱中してみて、
毎日、どこかへ出かけてみて、
心から笑ってみて、病を悲しんで泣いてみて、
苛々して怒ってみて、
弾き出された結論は、いつも、「発作」でした。

わざわざ苦しい思いをすることも無いな、ということで、
今の狭い行動範囲に落ち着きました。


とはいえ、ストレスが溜まることも事実なので、
何か、気持ちが晴れるようなことはないかなぁ、と
探しています。


僕の場合、ストレスは発作の一番の誘発要因です。


でも、気持ちがすっきりするようなことは
たいてい発作に結び付くので、
仕方なく、静かに暮らしています。


せっかく病院に行くので、先生に訊いてみました。


「運動するっていうのはどうなんでしょうか?」


『いやー、止めといたほうがいいと思うよ…
 散歩くらいなら大丈夫だと思うけど。』


とのお話でした。


実は、からだを鍛えようと思って、
過去に何度も、いろいろな運動に挑戦し、
その度、大きな発作を起こしているので、
今さら訊くのもなぁ、という感じだったのですが、
いちおう訊いてみて、ああやっぱり、と思いました。


先生は、心配してくださって
『交通量の多いところを歩くのは気をつけてね。
 公園とか、そういうところで歩くのがいいよ。』と
アドバイスをくださいました。


今のところ、文章を書く行為と、
本を読む行為と、多少、アルバイトをする、くらいは
大丈夫のようなので、
失ったものを数えるより、今残っているものを大切にして
できる範囲で静かに楽しんでいかなくちゃなぁ、と
思いました。

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再訪

2009年08月30日 22時13分15秒 | たまにはおでかけ


「台風が近づいている」という話を聞いたのは昨日だ。


文章を書こうとしても、
なかなか言葉が浮かばない日が続いている。


「書く」という行為は、日常であり、
僕の楽しみのひとつなので、もどかしい。


せっかくいただいたメールの返信も滞ってしまう。


原因が台風の接近にあるのかどうかは
分からないけれど、今日は、
国民的(?)「大イベント」の日で、
せっかく、
僕も“チケット”をいただいているだから、
どうしても、出かけたかった。


朝から枕に貼り付いて動こうとしない脳みそを
説得して、なんとか家を出る。


“会場”は多くの場合、学校の体育館や
公民館などの場所だと思う。


僕の場合も同様で、
“チケット”の裏面に書かれた場所は、
近所の学校だった。


懐かしい。
僕は数年前、この学校で働いていた。


校庭を眺めながら、
スキー合宿のことを思い出す。


当時は電車で通勤していた。
職員の集合時間が、始発電車よりも早かったので、
タクシーで出勤した記憶がある。


教室、黒板、子どもたちの声、
当時の僕は、まさか、こんな形で、
この場所に戻ってくるとは思わなかった。


体育館以外の場所には鍵がかかっていて、
当然ながら、立ち入ることができない。
仮に、中に入れてもらえたとしても、
僕は校舎の配置を忘れてしまっているから、
きっと迷子になってしまうと思う。


僕にとっては、特別な場所だけれど、
全然、特別じゃない、ひとりの市民として
再訪を果たした。


それでいいんだ、と思う。


もともと、僕は、世界の一点に過ぎないし、
今だって、これから先だって、
それは変わらない。


夜になって雨が降り出した。
ようやく、少し、気持ちが落ち着いてきた。

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嘘の中のほんとう

2009年08月27日 23時42分43秒 | 本音とか愚痴とか


「頭が良いですね」と褒められた。


脳の病気なのだから、頭が良いも悪いも、
どちらかと言えば、
文字通り悪いほうだと思うのだけど、
嬉しかった。


僕は嘘ばかりついて生きている。


だから、かどうかは分からないけれど、
相手が、ほんとうのことを言っているのか、
それとも嘘をついているのか、
単なる社交辞令なのか、見分けるのが上手くなった。


言葉が発せられる瞬間を見ていた。
「ほんとう」だった。


だから、とても嬉しかった。


以前の僕だったら、褒められて、
たんじゅんに喜ぶことは無かったと思う。


自惚れと、根拠の無い自尊心で、
僕は何度も失敗してきた。


でも、今日は素直に嬉しいと思うことができた。


「たくさん勉強なさったんでしょう?」と訊かれた。


「はい」と答えた。


それは、嘘ではない。
僕は、石ころを積み重ねて、また崩して、を
繰り返しながらも、勉強を続けている。


何のために?


そこに、目標があったから、
ゴールを定めてくれる人がいたから、
必要としてくれる人がいるから、
僕は、学び続けるのだと思う。


もっと正直に書くなら、
学校のテストで良い点数をとって、
褒めてもらいたい子どもと同じだと思う。


工作が上手くできて、
「すごいのができたよ」と見せびらかしたい
子どもと一緒だと思う。


それは、なんだか、
恥ずかしいことのような気もするけれど、
もう、今さら性格は変えられないし、
このままでいいや、と感じるようになった。


文字を手で書くのは諦めた。
書いていると頭がピリピリして危ない。


メモを取ることはあるけれど、
記号や、マークなどに留め、
あとで、キーボードで打ち直す。


枕元には、ノートパソコン、
机にもパソコン、
とにかく、キーボードを打つことから、
僕はスタートする。


億劫に感じることも多いけれど、
また明日も、キーボードに向かえるよう、
小さな決意表明をして、寝床につこうと思う。

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走る

2009年08月26日 23時27分36秒 | わたしの部屋


突然のことだった。


友だちが走り出した。


もちろん、走るべき理由があった。

ほんとうは、僕も走ろうかと思ったけれど、
もうずいぶん長い間走っていないので、
走ろうとしただけで、足がもつれてしまった。


呆然と、僕は、走っていく友人の背中を見つめた。


素晴らしい走りだった。
胸が熱くなった。


走り出した1歩目、2歩目には、
もう、じゅうぶんなスピードがのっていて、
踏み出すたびに、彼は加速した。


***


自宅へ帰り、ディスプレイの前に座った。


仕上げなくてはいけないレポートがあった。


僕は走ることができない。
「運動が発作の引き金になることがあります」
なんて本に書いてあったけど、
残念ながら、まさに、僕は該当している。


何度も試して、そのたびに強い発作になって、
僕は走ること、心拍数の上がる運動を止めた。


運動不足で、からだは重くなる一方だ。


だから、せめて、キーボードの上で
走りたいと願った。


無心にキーボードを打ち続ける。


完成したレポートを印刷する。
ホチキスで綴じ、冊子の重みを感じる。


今ひとつ、すっきりしないけれど、
すっきりすることが発作の引き金になるのだから、
もう、霧が晴れることはないのだ、と思う。


でも、僕は、僕なりの形で、
今日1日を“完走”することができた。


友だちのおかげだと思う。
ありがとう。

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認識

2009年08月25日 21時34分50秒 | 考えごと


僕は動物園でフラミンゴを見ていた。


檻の中に入れられている動物は、
柵がちらついて、長い間、
見つめることができなかった。


他の理由があったかもしれない。


フラミンゴは、手を伸ばせば触れられる位置に
じっとしていた。


ずっと片足で立ち続けていた。


器用に首を曲げながら、
毛づくろいをしていた。


目の前のフラミンゴは、
自らが置かれている現状を、
どう認識しているんだろう、と思う。


「認識」は人間側の概念だ。
だから、僕は、フラミンゴを通して、
自分自身を認識しようとしているのだと感じる。


人間同士だって、同じ言語を操っていたって、
感じ方は人それぞれだ、とも思った。


「認識」という言葉ひとつにしても、
僕は100%同じ認識を、隣にいる誰かと
分かち合うことはできないだろう、と思う。


自分自身を映し出す鏡が欲しい。
それはきっと、人との齟齬や、軋轢や、
つかの間の連帯の末に、
おぼろげながら見えてくるものなのだろう、と
思う。


毎日、少しずつ、
頭のネジが緩んでくるのが分かる。


顔の周りが、いつも、もやもやしていて、
発作の“二歩手前”の状態になっている。


冷や汗をかくことが多くなった。


発作が起こりそうなときだけではなくて、
人と接しているときに。

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『病識』

2009年08月24日 21時39分30秒 | 考えごと


先日の「グリオーマ・セミナー」以来、
『病識』という言葉が、ずっと頭に残っている。


初めて聞いた言葉だった。


グリオーマの患者さんや、そのご家族のための
セミナーだったから、
「病気のことをきちんと理解すること」という
文脈で、『病識』は用いられているようだった。


動物園で見たフラミンゴは、
くちばしで、何度も、足につけられた認識票を
外そうとしていた。


たぶん、今日も明日も、
外れるはずの無いプラスチックの輪を
外そうとしていると思う。


数日、ひょっとしたら、
数週間、僕は新しく出会ったこの言葉、
概念について、考え続けると思う。


「知る」ことについて、
「知っている」ということについて、
「知ろうとする」ことについて、
しばらく時間を取って、考えようと思う。

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とうもろこし

2009年08月23日 22時04分41秒 | わたしの部屋


遠方から友だちが訪ねて来てくれました。


ちゃこさん(妻)と三人で、
昼食を食べました。


楽しくて、時間があっという間でした。


お土産にいただいた、とうもろこしは
美味しくて、もう2本食べてしまいました。


人の優しさに触れるたび、
僕は、弱くなり、そして強くなっていると思います。


ありがとう。

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再起動!

2009年08月22日 22時49分05秒 | たまにはおでかけ


昨日の夜の記憶が無い。


背中の痛みで目が覚めた。
気が付いたら、朝だった。


ちゃこさん(妻)によると、
夕食後、横になり、口元がけいれんしていたらしい。


そのまま、1時間くらい、
ずっと、静かに動かなくなっていたので、
「頭のなかでは、てんかん発作が起こっているのでは?」
と、ちゃこさんは、ずいぶん心配したそうだ。


思い起こせば、昨日はずいぶん荒れていた。


こんなに気持ちが腐った1日は、
たぶん、発症後、初めてだと思う。


怒りが湧いてきて、ベランダの壁を叩き、
そんな自分が悲しくて涙が出て、
何度もけいれん発作を起こした。


コンピュータも調子が悪くて、
そのことでまた、苛々して調子をおかしくしていた。


***


今日は、NPO法人脳腫瘍ネットワークさんが主催する
「グリオーマ・セミナー」に参加させていただいた。


開催地が東京で、時間も長かったので、当初は、
ちゃこさんだけが参加する予定だった。


でも、出かける支度をしているちゃこさんを見ながら、
「僕も行こう」と思った。


発作のリスクが増えることはあっても、
行ったからといって、発作が止まるわけじゃない。


それはよく分かっていたけれど、
僕は、何かを変えたかった。


***


セミナーの内容について、
書くことはしないけれど、とにかく、
ためになった。


お話をしてくださったお医者様や、
主催してくださった法人の皆様や、
参加されていた皆様の気持ち、熱意に触れ、
僕の中で、何かが弾けた。


「再起動だ」と思った。


なんだかよく分からないけれど、
ここで、グリオーマだかなんだかしらないけれど、
そんな意味不明なものに潰されてたまるか、と
思った。


『余命宣告.com』は、しばらく更新していないし、
「第3回の講演会は無いんですか?」と
訊かれても、なんとなく、気乗りがしなかった。


***


でも、それは、今、この瞬間に撤回!


「第3回 余命宣告講演会」やります!!
講演会になるのか、どんな形になるのか
分からないけれど、再び、誰かと誰かをつないで
行けるような、そんなイベントをやります。


今日という1日と、新しい出会いに
感謝します。


ありがとうございます。

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クールダウン

2009年08月20日 22時26分10秒 | わたしの部屋


家に帰ると、まず、エアコンのスイッチを入れる。


冷凍庫で冷やしておいたアイス枕を
設置して、いつでも寝られるようにする。


でも、ここで、
いきなり休んでしまうのは危険だ。


体育の授業で長距離走の練習をすると、
走り終えた後、先生がいつも、
「急に止まっちゃダメだぞー」とおっしゃっていた。


そのことを思い出す。


脳の使い方にも、似ている部分があるのかな、と思う。


まず、コンピュータを起動して、
今日のアルバイトの内容を確認する。


次回にやるべきことがあれば、キーボードを使って、
メモしておく。


余裕があれば、コンピュータを使って、
ゲームをする。


10分で終わるゲームを、2試合くらい楽しむ。


ストレッチをして、部屋の中を歩き回って、
緩やかに気持ちを鎮めていく。


室内用のジャージに着替えて
布団に横になる。


静かに目を閉じると、
顔と、左半身が強張ってくるのが分かる。


でも、もう、抗わない。


けいれん発作に発展しようがどうしようが、
関係無い、と思う。


流れに身を任せると、案外、
上手く休息を取ることができる。


経験的に身につけてきたことだ。


長くて浅い眠りは、
僕の中の時間軸を狂わせていく。


靴下を履いたまま、
横になってしまったような気がして、
靴下を脱ごうと思うのだけど、
からだは、もう、動かない。


でも、夢の中で、僕は靴下を脱いでいる。
そして、夢の中で、それが夢であったことに気づく。
そんなことの繰り返しだ。

いつ終わるともしれない、
果てしない往還の中で、
僕は、自分が落ち着くべき場所への
軟着陸を試みる。


さまざまな印象が、浮かんでは消えていく。
自分の輪郭が限りなく、ぼやけている、と感じる。


ちゃこさん(妻)が、仕事から戻り、
部屋のドアを開ける音で、覚醒する。


今日は、上手く、着陸することができた。


今日1日にあったことを、
それぞれ話し、食事を摂り、
テレビでバレーボールの試合を途中から観た。


「アイデンティティ」という言葉があるけれど、
自分自身を維持し続けるのは、
けっこう骨の折れる作業なのかもしれない、と
最近は、思うようになった。


顔の周辺に、いつも、発作の気配が漂っている。


いちいち気にしていたら、暮らしていけない。


それは、それ、ぼんやりしていることも、
自分自身なのだ、と
僕は、毎日、自分に課すハードルを少しずつ下げている。

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付箋を追いかけて

2009年08月19日 21時52分44秒 | わたしの部屋


友だちから借りた本を読む。


デザインに関する本だ。
僕が自分から読む分野の本では無いので、
とても勉強になった。


***


学ぶことが怖い。


「勉強が好きです」と言ったら、
嫌みに聞こえてしまうかもしれないけれど、
僕は、学ぶことが好きだった。


経験すること、すべてが学びだと思っていた。

きっと“将来”役に立つ、と信じていたし、
実際、学び続けていたことで、ずいぶん助けられた。


でも、今は、怖い。

先がどうなるか分からないのに、
何かを勉強することに、何の意味がある?
かといって、このまま、
坐して時の過ぎるのを待つのもつまらない。


本を読めば、頭を使えば、発作になる。
今の僕にとって、「趣味」の領域であったとしても、
『学び』は、危険を伴う行為だ。


それでも、僕は、本を読み続けている。


外に出るのがつらくなってきてから、
読む量がどんどん増えている。


今日も、布団の上で、本を読んでいたら、
発作の前兆を感じた。


けいれんが広がるまで、若干時間があるので、
その隙にしおりを挟む。


発作が終わって、少し休んだら、
また、読む。


***


友だちが貸してくれた本には、
ときどき、ページに付箋が貼ってあった。


僕自身も、読んでいて、
これはどういう意味なんだろう、と
思ったところに貼ってあったので、
可笑しかった。


どんぐりの背比べかもしれないけれど、
少しでも先へ行こう、先へ行こう、としていた。


でも、今は、みんなの背中を追いかけている。


友だちが残した付箋を辿りながら、
一冊の本を読み終えることができた。


ありがとう。

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2009年08月18日 22時12分17秒 | てんかん・けいれん発作の記録・考察


ぐらっと揺れを感じ、慌てて布団に退避する。
伏せながら、顔面のけいれんに耐える。


今日は火曜日なのだけれど、
僕にとっては、“月曜日”、すなわち新しい一週間の始まりだ。


でも、結局は、布団にうずくまったまま
午前の時間が流れていく。


発作の前後は、なぜか、お腹が痛くなる。
トイレと布団と机と、の移動を試みるが、
あきらめて、布団に戻る。


枕元にパソコンを置いて、
読書をしては、軽いけいれんを起こし、
インターネットで調べものをしては、
また、体調を崩してしまう。


朝起きたら、散歩をするつもりだった。
だから、靴下を履き、ジーンズに着替えて
いたのだけれど、裸足と、室内用のジャージに
逆戻りする。


気持ちだけは前に向いている。
頭を冷やしながら、とにかく、本を読み、辞書を引く。


たった3時間でも、気分良く過ごすことができると、
なんだか、もう、病から解放されたような気持ちになる。
実際は、からだは重いのだけど、
解き放たれたいという願望が、叶わぬ夢を見せる。


少し気分が良いな、と思って過ごしていると、
ちゃんと現実が追いかけてくる。
けいれん発作を起こしながら、
僕はまた、自分が置かれている状況を思い出し、
暗澹たる心持ちになる。


目の前に壁がある。
日に日に、壁が、迫ってくる。


上を見て、統計学に基づいた壁の高さを
確認する気持ちにはなれない。


知識としては分かっているようでいて、
実感としてはよく分からない。


不確定要素を多分に含んでいて、
希望もその成分に混じっているのかもしれないけれど、
とても、はじめから考え直す気にはなれない。


ただ、壁がだんだん、
自分のほうに近づいてくるような気がする。


壁の一点を長い間見つめていると、焦点がぼやけて、
視野が全て覆い尽くされてしまう。


明日は水曜日だけど、今度こそ、
僕にとっての“月曜日”になって欲しいと切に願う。

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刃の手入れが趣味です。

2009年08月17日 22時44分41秒 | わたしの部屋


毎日が“夏休み”の僕は、
お盆休みが終わるとか、そういうことを
なかなか、実感することができない。


週2日だけど、今はまだ、アルバイトもしているから、
気持ちを切り替えなくちゃ、と思う。


気分を変えたいとき、僕は、髪の毛を切る。
バリカンを使って、丸坊主だから、
正確には、「刈る」かもしれない。


自分でも、刈れないことはないけれど、
最近は、ちゃこさん(妻)が覚えてくれたので、
もっぱら、頼っている。


バリカンの刃に油を差し、
首のまわりに、円盤状のフードを付ける。
これで、髪の毛が床に落ちない。


鏡で、きれいに刈られた坊主頭を見たら、
少し、気持ちが、すっきりした。


久しぶりに『やることリスト』を引っ張り出して、
また、ディスプレイに向かおうと思う。

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日傘越しの空

2009年08月16日 21時26分09秒 | たまにはおでかけ


ちゃこさん(妻)と道を歩いていると、
晴れている日なのに、彼女が傘を差すので、驚く。


傘は雨が降っているときに差すもの、と
思っている僕にとって、
彼女が使う「日傘」の存在はとても新鮮だ。


ちゃこさんの“お盆休み”を利用して、
近場ではあるけれど、
いろいろなところに出かけている。


外に出るのは、たしかに負担ではあるけれど、
いつも、
一定の区域でしか生活していない僕にとっては、
街を歩く人の服装や、貼られたポスターなど、
ひとつひとつが、とても興味深い。


新しい情報が入ってくると、
脳が活性化して、想像力が広がるのが分かる。

“重い腰”が、少し、軽くなったような気がする。


今日も、午前中、近くのお店に買い物に行って、
午後はぐっすり眠った。


このままだと、夜、眠れなくなってしまうので、
ちゃこさんに頼んで、近所へのドライブに連れて行って
もらうことにした。


彼女の日傘と空との境目が、地平線のように見える。


その向こうに行ってみたい、そう感じた。

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帰る

2009年08月15日 23時00分10秒 | たまにはおでかけ


日帰りで実家に帰る。


弟と話をして、母が作ってくれたコロッケを食べて、
父と一緒に、テレビでサッカーの試合を観た。


楽しかった。


自宅から、そう離れた場所ではないのだけれど、
空気が美味しいな、と感じる。
星もよく見える。


帰り道の車の中、助手席で眠りに就く。
ふだんは、車に乗ると、目が冴えてしまうのだけど、
今日は、疲れて、一気に眠りに落ちた。


幸せな眠りだった。


ちゃこさん(妻)が、
『もうそろそろ家に着くよ』と起こしてくれた。


もう少し、このまま眠っていたいな、と思った。

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土のある風景

2009年08月14日 23時20分38秒 | たまにはおでかけ


自宅のエアコンから、車のエアコンへと乗り継いで
近くの公園に向かう。


助手席で涼しい風にあたりながら、
車に乗って公園に行くなんて、ぜいたくだよなぁ、と思う。


駐車場に車を停め、舗装された道を歩くと、
土のある風景が広がっていた。


視線を落とすと、まず、「まつぼっくり(松かさ)」が
目に入った。


嬉しくなって、ひとつ、拾う。


もうひとつ、と思って見まわしたら、
探すまでもなく、そこらじゅうに、まつぼっくりが
転がっている。


また嬉しくなって、どんどん拾う。


まつぼっくりを手のひらに乗せたら、
懐かしい気持ちになった。


拾った次は、「投げる」だ。


近くに、切り株を見つける。
中央が、すり鉢状になっている。


木の枝でラインを決めて、
ちゃこさん(妻)と、投擲大会を開催する。


形状の不安定なまつぼっくりは、
手を離れた途端失速し、なかなか、シュートが決まらない。


ちゃこさんに至っては、そもそも、
ほんとうに狙っているのか分からない方向へ飛ばしている。


プリンを賭けた戦いは、僕の一投により勝負が決まった。


帰り道、ちゃこさんが、プリンを買ってくれた。


どちらが勝っても、プリンは2つ、それぞれ食べるので、
結局は、同じことなのだけど、
根っこがギャンブラーな僕としては、
とても楽しいひとときだった。


些細なことかもしれない。
でも、僕とちゃこさんにとっては、
この夏、一番の思い出になると思う。

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