実高ふれ愛隊で~す(^^)/
これまで『加賀の白山信仰』について、レポートさせていただきましたが、今回が最終回です。
さて、旧城下町・大聖寺町には、かつての「白山五院」の一つ「大聖寺」があったといいます。
「白山五院」とは、いまの加賀市にあったとされる柏野寺・温泉寺・極楽寺・小野坂寺・大聖寺の五つ
お寺のことですが、白山信仰がもっとも色濃く社会に繁栄された平安時代から室町時代にかけて、
加賀江沼の人びとの白山信仰の中心になっていました。
大聖寺という地名はきっと「白山五院」の一つ「大聖寺」にちなんでいるとは思いますが、
現在大聖寺の町には「大聖寺」というお寺は存在していません。白山信仰の拠点であった
福井県勝山市の平泉寺町や岐阜県郡上八幡の長滝寺町にもその名をもつお寺がないのと、
符合しているのかもしれません。
もともと「白山五院」の一つ「大聖寺」は錦城山にありました。平安味代、この加賀の地に仏教が伝来したころ、
白山の白き神々を仰ぎ見る聖地として、錦城山には「大聖寺」という立派なお寺が建てられたのでしょう。
しかし、この「大聖寺」というお寺は、鎌倉時代になって、この地域に親鸞の浄土真宗、道元の曹洞宗、
日蓮の法華宗などの新興宗教が伝わると、衰えていきます。
そして16世紀になると、蓮如によって力を増した浄土真宗門徒と越前の朝倉義景との戦いに巻き込まれ、
「大聖寺」は完全に焼けてなくなってしまいました。
その「大聖寺」の後身は、現在の大聖寺寺町近辺にあった大聖寺慈光院であったと思われます。
この慈光院は、江戸時代になって、前田利治が大聖寺藩を治めるようになると、城下町を整備するため、
大聖寺の南西にある「山の下」に移され、神明宮山下神社と神仏習合されることになりました。
現在、神明宮山下神社の鳥居をくぐり、左側の石段をしばらく登っていくと、そこには白山神社があります。
かつて今の加賀市にあった「白山五院」と「三箇寺」(那谷寺・温谷寺・栄谷寺)のうち、現在でも残っているのは、
那谷寺と山代薬王院温泉寺だけです。「大聖寺」が白山信仰と深くかかわっていた証拠としては、
もともと慈光院にあった木造十一面観音立像が、明治期の廃仏毀釈によって、同じく「白山五院」の一つ
であった山代温泉にある薬王院温泉寺に伝えられていることがあげられます。
今も大聖寺からながめる白山はとても美しいのですが、「大聖寺」が存在していた頃の白山は今以上に美しく、
「白山五院」の一つ「大聖寺」は、当時の加賀江沼の人たちにとって、白山を信仰する上での、
象徴的な空間だったと思われます。