実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

白山は1600年前から神々の棲む山だったのです!

2012年12月12日 | 日記

実高ふれ愛隊で~す(^^)/

12月6日(木)の加賀市観光ボランティア大学第17回講座で、

『加賀の白山信仰』をテーマに、江沼地方史研究会の伊林永幸先生からいろいろと、

お話しを伺いました。

←大聖寺からながめる「白山」

科学技術が発達した現代でも、わたしたちは美しい「白山」を眺めていると、白山にはひょっとして

神々が宿っているのではないかしらと、ついつい思ってしまいます。

実際、江戸時代以降、「白山」は「富士山」・「立山」とならんで天下の三霊山と言われてきましたし、

それ以前からも「白山」は加賀の人びとの心の拠(よ)り所となる山だったようです。

そもそも「白山」のような高い山をさして名山とし、そこに神が鎮座(ちんざ)するという考え方は

中国の山岳思想にもとづくもので、こうした考え方は4世紀頃、日本に伝わったといいます。

古代の日本人はふつう、自分たちの生活を守ってくれる神様は、生活をしている村の近くにある森か

丘、そして高い木や大きな石に宿っていると考えたようです。

ですから最初から、今の加賀市にあたる地域に住んでいた人びとが、自分たちが生活している

エリアから遠く離れた「白山」を、共通の神として信じていたわけではないのです

それでは、加賀の人びとが共通して、「白山」を神の山だと考えるようになったのはいつからだったの

でしょうか。

伊林先生は、「白山」の神が加賀江沼全体の神として認識されるようになるためには、この地方全体を支配

する、ある程度統一された社会の形成が必要であったろうと説明されました。

すなわちそれは、5世紀に入って、のちの手取川以南を治めた江沼臣(えぬまのおみ)

手取川以北を治めた道君(みちのきみ)のような権力者の出現する時期以降だということを意味します。

江沼臣一族が眠っているとされる江沼地域最大の前方後円墳・「狐山(きつねやま)古墳」からは、

「S字形蛇行状鉄剣」というベゴベゴな形をした珍しい鉄剣が出ています(現在は東京国立博物館に

あるそうです)。これはおそらく呪術的な宝器だったと思われ、このベゴベゴな形は川の蛇行を

あらわし、「水の神=農業の神」に関係すると考えられるのです。

この地域にあって「水の神」といえば、「白山」の神に間違いありません。ということは、江沼臣が支配した

5世紀頃には、この地域の人びとが、白山」を水の神として信仰していた証拠になるのです。

江沼臣は、当然大和朝廷の後ろ盾をもって、力を持っていたのでしょうが、同時に水の神=「白山」の神

をまつる実力者として、人びとからあがめられていたということになります。

白山」は、なんと今から1600年も前から、ずっと加賀の人たちの守護神として信仰されてきた山だった

のですね。1600年前の「白山」も、さぞかしきれいだったことでしょうね。

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