実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

白山信仰と本地垂迹説

2012年12月16日 | 日記

実高ふれ愛隊で~す(^^)/

加賀市観光ボランティア大学で勉強した『加賀の白山信仰』についてレポートさせていただいています。

←白山の嶺々

奈良時代にあらわれた「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という考え方は、平安時代に入って、

本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」へと発展していきます。

この本地垂迹説は、律令国家(「律」は人びとが「してはいけないこと」をまとめたきまり、

「令(りょう)」は「人びとがしなくてはならないきまり」、のことで、中国から導入され、7世紀の

終わり頃から8世紀の初めに整えられていきました)と貴族の保護で栄えた平安仏教の

学問的な仏教理論でした。そして、その内容は、「日本の神々は、実は仮の姿(垂迹神)にすぎず、

本当の姿は仏(本地仏)なのだ」という考え方でした。

そのため、「白山」の神々も、その本当の姿は仏であると説明されるようになっていきました。

すなわち、主峰の御前峰にいる神「イザナギ」の本当の姿は、「十一面観音」となり、大汝峰の神である

「オオクニヌシノミコト」は「阿弥陀如来」になりました。また別山の本地仏は、「聖観音菩薩

(しょうかんのんぼさつ)」とされました。

しかし、このような考え方は、あくまでも都にいる貴族や仏教界による考え方ですから、地元でくらす

加賀の人びとは、従来とほとんど変わらない態度で「白山」を信仰していたと考えられます。

この頃の加賀の人びとにとっては、神と仏の優劣など関係なく、また神仏の区別などもなかった

ようです。人びとの心には、普段の農耕生活の中で、今までと変わらぬ「水の神」「農業の神」

として「白山」は写っていたことでしょう。

白山」は、中央の人びとの机の上での解釈とは別に、加賀の人たちにとって、いつも生活に

かかせない大切な存在だったのです。

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