実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

実性院・日露戦争にまつわる2つのモニュメント

2012年09月01日 | 日記

実高ふれ愛隊で~す(^o^)

実性院」の境内に、日露戦争(1904~1905年)にまつわる2つのモニュメントがあります。

その一つが、1912(明治45)年5月建立の故陸軍上等兵水島太三郎氏の奥さんである

水島セツ子さんの記念塔です。

記念塔の裏側には「日露戦忠死者英霊乃為メ此塔ヲ建立シ以テ永遠ニ冥福ヲ祈ル」と刻まれています。

1898(明治31)年、金沢に第九師団がつくられたこともあり、北陸に本籍を持つ若者の多くが

日露戦争最大の激戦、旅順や奉天の戦いに赴きました。その結果、北陸の日露戦争戦没者の数は非常に多く、

石川2837人(戦死者比率は全国第3位)、富山2509人、福井2195人を数えます。

また今の加賀市(旧江沼郡)出身の戦没者は211人といわれています。

日本は日露戦争で勝つことができましたが、この戦争に投じた費用のほとんどが外国債・内国債など

多額の借金によるもので、当時の国民は大増税の負担に苦しめられていたのです。

とくに働き手を戦争によってうばわれた農村は非常に深刻な状況に陥っていたことでしょう

もう一つのモニュメントは、「日韓併合記念」の碑です。

日露戦後の窮状を打開するために、日本は大陸への政治的・経済的進出をいっそう進めました。

そして、1910年日韓併合条約を成立させ、朝鮮の植民地支配をはじめたのです。

日韓併合記念」の碑が実性院に建てられたのは、今から102年前のことです。

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