実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

かつて足軽が住んでいた大聖寺下屋敷町

2012年09月03日 | 日記

実高ふれ愛隊で~す(^^)/

今日からいよいよ2学期が始まります。9月もよろしくお願いしま~す!!

学校を出発して、山ノ下寺院群を歩いていくと、「全昌寺」の少し手前に、

大聖寺下屋敷町についての案内板が立っています。

案内板にしたがって、大聖寺下屋敷町についてご紹介します。

全昌寺」の北東から「実性院」にいたる熊坂道に沿った一帯は、江戸時代、

下級武士が居住していた武家町だったところで、下屋敷と呼ばれていました。

この町の名前は大聖寺藩の家老神谷家の下屋敷がここにあったことに由来しています。

1768(天明6)年の大聖寺絵図によると、「久法寺」をはさんで南北に足軽屋敷が30数軒あって、

山ノ下境に木戸が設けられ、夜間は通行止めになっていたそうです。

久法寺」の裏山付近には「酒井流砲術鉄砲場」「足軽鉄砲稽古場」「弓射場」などがあり、

このあたりは「庄衛兵谷」といわれました。

「庄衛兵谷」の名前は、大聖寺藩初代藩主前田利治の家臣で砲術指南役であった

酒井少衛兵の名前にちなんでいるそうです。

実高生の多くがいつもこの下屋敷を通って、学校に登校しています。

ただなにげなく通っている街並みも、少し歴史を振り返るだけで、全く変わって見えてくるものですね。

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