実高ふれ愛隊で~す(^^)/
大聖寺の曹洞宗熊谷山全昌寺といえば、何といっても、「五百羅漢」ですよね。
「五百羅漢」とは、お釈迦様が亡くなられた後、その正しい教えをずっと広め、伝えていこうと集まった
阿羅漢(あらかん)たちのことです。
ご住職のお話によれば、日本や中国では仏の教えを守ることを誓った16人の弟子は十六羅漢、
第1回の仏典編集に集まった500人の弟子は「五百羅漢」とよばれ昔からとても尊敬されていました。
とくに全昌寺のような禅宗のお寺では、阿羅漢が修行僧の理想の姿とされ、五百羅漢図や
羅漢像が作られることが多いそうです。
全昌寺の「五百羅漢」は1867(慶応3)年に完成したもので、京都の仏工山本茂祐が制作者です。
京都で作った羅漢を大阪へ送り、橋立の北前船主西出孫左衛門が北前船で運んだといわれています。
全昌寺には、釈迦三尊・四天王・十大弟子・五百羅漢のすべてが完全に残り、一体一体の寄進者の
名前が分かる台帳も現存します。このように、造立年代・願主・寄進者などが正確に分かっている
「五百羅漢」は、全国的に見ても珍しいそうです。
五百の阿羅漢(あらかん)たちは表情がとても豊かで、なにかコミカルな感じもして、見ていて楽しいです。
注目したいのが、金沢藩や大聖寺藩の殿様のすぐ近くに仕えていた奥女中たちが第弐番から第二十二番
までを寄進していることです。
もちろん藩の上席家老をつとめた家柄や儒学者など士族のそうそうたる方々も羅漢を寄進していますが、
実は「五百羅漢」の多くを藩邸に出入りしていた浄土真宗門徒であるはずの商人たちが寄進しています。
きっと奥女中たちが寄進をすすめたものと考えられています。
517体もの羅漢は奥女中をつとめていた女性たちの熱意で完成したのですね。
また羅漢の中には、富塚村・黒瀬村・深田村・福田村など、大聖寺周辺の村全体や村の有志が
寄進したものもたくさんあるそうですよ。