先日、また一つ対談本が出ました。今回はスリランカから来日され、いま多くの人の帰依を受けている、テーラワーダ仏教(上座部仏教)の長老、スマナサーラ師とお話させていただきました。
私としては昔から聞きたかったことが聞けて、大変ありがたい対談だったのですが、その最中、何よりも強烈な印象を受けたのは、実は対談の内容ではなく、目の前の長老から滲み出る、深い孤独の影でした。
それを私が最初に感じたのは、対談初日に信者の方々の集まりに出席し、作法にのっとった食事の供養を受けた時です。そこには、信者の方々が手作りした、私にはスリランカ風に見える食材と味付けの料理が、沢山並べられていました。それを、私は長老のお弟子さんや日本で活動しているスリランカの僧侶の方と一緒にいただいたのです。
ところが、肝心の長老が召し上がりません。給仕役を務め、あとは傍らで見守るように立っておられました。私は申し訳ないような気持ちがして、つい言ってしまいました。
「長老は、召し上がらないのですか?」
「ええ、私は食べません。それは私の食べるものとは違うのです」
この食事の直後に、長老が体調を崩していたことを知ったので、あるいは召し上がらなかった主な原因は、そちらの方だったかもしれません。が、私の質問への答えは、あくまで「私の食べるものとは違う」ということだったのです。
いま察するに、長老の答えは「自分が食べなれているスリランカの料理とは一見似ているが違う」という意味なのでしょう。そして「一見似ている」からこそ「食べられない」ということなのではないでしょうか。
私はここに、まったく歴史と文化の異なる場所に、ある宗教的実践を伝道する困難が象徴的に現れていると思いました。
思想的理念や言説、つまり言語化可能な部分は、解決すべき多くの誤解を孕みながらも、伝える側と伝えられる側の間に、ある程度、共通の了解を得ることができます。
ところが、宗教の場合、思想的言説のリアリティを基礎付け、担保しているのは日常の実践であり、生活そのものです。だとすると、この部分には、実践する者が具体的に生きている場の有り様、つまり文化や歴史、民族性などが強く浸透します。
すると、ある宗教指導者が、民族や歴史、文化を越えて伝道しようとすると、彼の内部に、ほとんど埋めがたい断絶が意識されることになります。そして指導者が優秀で誠実であればあるほど、この断絶に敏感で、ために悩み疲弊するでしょう。私は長老の「違う」の一言に、その断絶を感じたのです。
1950年代に単身アメリカに渡り、禅の教えを伝えた第一世代の禅僧を、私は数人知っていますが、彼らの苦しさもまさにそこにありました。
「典座(てんぞ・禅寺の食事係)がよい修行になるといくら言ってもねえ。こっちの人間は本当にはわかっていないと思うねえ。日本人なら、感覚的にわかるはずだけどねえ」
しかし、この老師はけっして「日本流」のやり方を変えませんでした。いま、彼らにわからなくてもよい。矛盾を感じ、苦悩しながら、「日本流」を妥協することなく真剣に学んだ者だけが、断絶を糧とし、それを乗り越えて、彼ら自身の生活や文化に根付く「アメリカの禅」を創造するだろう、それが老師の結論でした。
ある別の指導者が言いました。
「最初から白身の無い黄身はない。白身ごと卵を掴まぬ限り、黄身は得られない」
スマナサーラ長老のまさに身を削る努力に応えるとしたら、学ぶ者も白身ごと卵を掴む志を持たねばならないのでしょう。
追記: 次回「仏教・私流」は6月16日(火)午後6時半より、東京・赤坂の豊川稲荷別院にて行います。