恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

作家の想像力

2011年01月31日 | インポート

 高村薫という高名な小説家をご存知の方も多いでしょう。これまで主にミステリーの分野で大作傑作を数多く世に送り出してきた人です。先日、私はついに氏と対談することになりました。

わざわざ「ついに」と言うには、個人的に理由があります。

 高村氏は最近15年ほど、読む側にすれば三部作と見ることのできる、『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』の大著を執筆・発表してきました。

 実は、私はミステリーを読む習慣がないので、これまで氏の作品に触れたことがなかったのですが、『新リア王』が新聞連載され始めた頃から、困惑するような事情が出来するようになりました。

 まず、永平寺で同期だった友人が、当時まだ永平寺にいた私に、新聞連載の切り抜きを大量に送ってよこして、この作品の主人公はお前がモデルだろう、高村氏と知り合いで、ここに出てくる永平寺の修行の様子はお前がネタ元だろうと言うのです。この作品は、主人公が曹洞宗の僧侶で、永平寺の修行や『正法眼蔵』の解釈などが、重要な役割を果たしていたのです。

 私は高村氏と知り合いどころか、そのときまで作品を一行も読んでいませんでした。ただ、以前、『ファンシーダンス』という漫画本が出たときにも、私は登場人物にそっくりだと言われ、情報漏えいの「疑惑」を持たれたことがありました。

 今度も浅はかな誤解だろうと思っていたのですが、読んでみると、驚くべき詳しさと的確さで本山の描写がなされ、なおかつ修行僧の私がいかにも言いそうなセリフが、主人公の言葉になって随所に出てきます。

 なかでも決定的だと、私も思わざるを得なかったのは、主人公のあだ名が、よりによって「黒衣のダースベーダー」だということでした。私自身はその頃はっきり知らなかったのですが、若い修行僧たちは、私のことをひそかに「ダースベーダー」とか「ジェラシックパーク」と呼んでいたのです。 この小説が次第に話題に上りだすと、私は偉い老僧から呼び出されて、

「この小説の主人公は君か? みんなダースベーダーは南さんのあだ名だと言ってるぞ」

 と、追求されたりしました。

 三部作最後の『太陽を曳く馬』が出ると、「疑惑」は決定的になりました。この主人公は永平寺を去ると東京に出て、東京六本木にある大寺院の住職の支援を得て「サンガ」を開きます。そして、そこに集まった修行僧たちに「仏教とは問いだ」というような講釈を行うのです。

 ここまでくると、どう見ても、私の知人、特に永平寺時代の私を知っている僧侶の誰かから取材をしているとしか思えません。

 ことここに及んで、影響はさらに拡大しました。僧侶でもない人物が、あれだけの規模で仏教や『正法眼蔵』を論じているのに、なぜ曹洞宗の僧侶は黙っているのか、特に、どう見てもモデルにしか見えないお前は、何も言うことがないのか!・・・・・と、曹洞宗外の一般の方からも、きつく言われるようになったのです。なかにはレッキとした評論家もいて、メディアも数件、対談を打診してきました。

 そこで、新潮社の『考える人』という雑誌が、4月に2度目の仏教特集をするので、対談をしてみないかと誘ってきたのに、今回意を決して乗ったわけです。

 初対面の高村氏は、とても控えめな、しかし底の知れない奥深さを感じさせる、小柄な女性でした。

 対談冒頭、私は、何を話すにしてもこれが先だと言う調子で、氏に訊きました。

「最初から失礼ですが、高村さんと対談することを知った友人知人から、是非これだけはハッキリさせてこいと言われてきたので、あえて伺いますが、主人公のモデルは私ですか? いくらなんでも、ダースベーダーという私のあだ名が使われるのは・・・・」

 と言ったら、氏は突然、唖然呆然という表情のまま、両手を顔で覆っていいました。

「いえ、・・・何とも・・・どう言えばよいか、私、曹洞宗のお坊様に会うのは、今日、南さんが初めてです」

 なんと! まるまる全部、想像だと言うのです!!

 あなたのことは、著書を読んで知ってはいた。しかし、本山の様子にしても『眼蔵』解釈にしても、関係の本を読んで自分で考えたもの以外は何もない。モデルを作ると、当事者に迷惑をかけるかもしれないので、実在の人物をモデルにしたことはこれまで一度もない。

 僧侶を主人公にしたときも、曹洞宗は偶然で、これまた誰にも迷惑をかけないように、実在の寺といっても、住職のいない寺を小説の舞台にしようと思って捜したら、それがたまたま青森県の曹洞宗の寺だったというだけ。

「ダースベーダー」は、永平寺に参拝したとき、修行僧が墨染めの衣の長い袖を翻して歩く姿を見て、似てるなあとふいに思いついた。我々の世代は「スターウォーズ」の印象が強烈だし、なかでもダースベーダーのインパクトは大きいから。

 本当に恐れ入ってしまいました。驚くべきは一流作家の想像力のすごさです。氏は、過去にも、小説のモデルだと周囲も本人も信じた人物から抗議を受けたことがあるのだそうで、ご本人も、

「この度も、知らぬこととは言いながら、ご迷惑をおかけしました」

 と言いつつ、やはり非常に驚いていました。

 対談の載った雑誌は4月ごろ発売されます。おそるべき知的蓄積を背景にする高村氏の言葉にはすさまじい強度があり、私自身はとても触発され勉強になりました。興味のおありの方には、ご一読願いたく存じます。

 それにしても、思い込みはいけません。そうなる理由はあったとしても、思い込みは恥ずかしいです。自戒、自戒。

 追記:次回「仏教・私流」番外編は、2月21日(月)午後6時半より、東京赤坂の豊川稲荷別院にて、行います。

 


本末転倒

2011年01月20日 | インポート

 転倒して骨折をした顛末を当ブログに書いたところ、多くのお見舞いのコメントやお言葉をいただき、まことにありがとうございました。恐縮に存じます。おかげさまにて、かなり痛みも引き、徐々に回復しているようで、ほっとしております。

 実は、この件で家人に叱られてしまいました。

「そんなことを書いたら、読者の方を心配させるでしょ」

 恥ずかしながら、私は、言われるまで、まったくそのことに気がつきませんでした。実は、救急で行った病院でエックス線撮影されている間、私は、まあひどい目にあったが、次のブログのネタにはなるな、などと考えていたのです。

 だいたい、このブログを書き始めるとき、私は大真面目に考えていたわけではありません。恐山を適宜紹介したり、あるいは、自分が日ごろ漠然と考えていることの輪郭をはっきりできればよい、それが読んでくださる方にとって、まあつまらなくはない程度の小話になっていれば、さほど迷惑もかけまい、くらいにしか思っていませんでした。

 そのレベルの話ならば、10日に1回くらいは書けるだろう、そう自分でペースを設定しなければ、文字通り三日坊主、3回くらいしか続かないだろう、とも考えていました。まあ、いずれにしろ、いやになったり、自分で書いていてつまらなくなったら、すぐやめようと思って始めたのです。

 ところが、意外にもペースを変えぬまま4年をこえ、自分の想定以上の方々に読んでい頂いているらしいことがわかってくると、だんだん様子がちがってきました。

 なんとなく、続けていかなければいけない、という気持ちになってくるのです。読者のどなたもそんなことは望んでいないかもしれないのに、また自分もはっきりそう思っているわけではないはずなのに、続けること自体が自己目的化していく。つまり、何か書くネタがないか、さがすようになるわけです。すると、記事の中には、どう考えても自分が面白いと思えないものを、強引に文章にした、というものが出てきたりします。

 これはまさに本末転倒です。そしてこの本末転倒は、当ブログ程度のことならどうでもよいことかもしれませんが、場合によっては、侮れない「病理」のもとになるように思います。それはつまり、人間が集団や組織をつくる場合です。

 組織や集団の結成は、それなりの目的を持つものです。それが存在根拠となります。ところが、組織が成長し持続すると、集団の内外に利害関係や権力j関係が不可避的に生じてきます。それが組織を作るということなのであって、大なり小なり、不可避の現象です。

 そうなると、今度は本来の目的とは別に、その利益や権力のために、組織それ自体を維持し続け、できれば膨張させたいという欲望と力が内部に胚胎することになります。そうなると、そもそもの目的は「建前」となり、目的と照らし合わせて組織の在り様を反省したり自己批判する機能は、急速に失われてしまいます。そのような組織は、存在自体が有害でしょう。

 以前、あるボランティア団体の創設者がこう言っていました。

「あのね、南さん。ボランティア運動なんてね、本当は無い方がいいんだよ。そんなことは必要のない世界こそ、我々の理想で目的なんだよね」

 この視点こそが大切です。ある意味で、「初心わするべからず」とはこのことです。いま自分が入れ込んでいることにどれほどの意味があるのか、そう問う醒めた視線を常にどこかに持っていることが、おそらく「暴走」を未然に防ぐ唯一の方法でしょう。

 いや、私もブログのやめ時を間違えないように心しながら、もうしばらく続けさせていただきたいと思います。ご海容のほどを。

 ところでこのネタ、前にどこかで書いたような気がする。ヤバイな。


不運の味

2011年01月10日 | インポート

 遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。読者の皆様の1年のご多幸を祈念申し上げます。

 と、かく言う私は、新年早々、まったく面目ないことになってしまいました。3日午前、近隣寺院に年始廻りをした帰り道、凍結路面で転倒、肋骨を二本折ってしまったのです。びっくり。

 年始年末の雪と冷え込み。そこで外出には必ず長靴を履いて、路面にも注意していたのです。その日は久しぶりの晴れ。私は、陽光に照らされて乾いた部分を選んで歩いていました。

 ところが、自分の寺の参道付近、そこは日当たりであったものの、陽を浴びて時間が浅く、まだ氷が溶けきっていなかったのでした。

 参道入り口近くの家で、ちょうど玄関先の雪掻きをしていたご主人に、新年の挨拶をしながら通り過ぎようとしたその刹那、両足が地面からフワッと浮き、まるでプールに飛び込むが如く、ほぼ水平にアスファルトに落下してしまいました。

 私は虚弱で、運動神経も鈍かったものですから、ずいぶん病気もけがもしましたが、これまで骨折だけはしたことはありませんでした。この先の人生、骨折はせずに死ねるかなと思っていたのですが、甘かったです。

 路面に叩きつけられたときは、しばらく呼吸もできないほどの激痛でしたが、それが過ぎると、痛いことは無論痛いのですが、歩けるし、動けます。病院に行く途中のタクシーで、運転手さんが、

「住職、手首や足を折ることを考えれば、肋骨折ったんならタチのいいほうですよ」

と、妙な慰め方をしてくれました。休日救急の整形外科医も

「まあ、無理をしないようにして、くっつくの待つんですな」

と言うだけ。翌日、私は予定通りJRで福井から移動しました。

 以来今日まで一週間。何が辛かったか。

 まず、ベスト1はくしゃみです。これはフルスイングのバットで殴られたような激痛で、文字通り悶絶してしまいます。そこで情けなくも、猫のように暖かい部屋に引きこもり、温度差にさらされないよう自衛しています。

 2位と3位は僅差で咳とアクビ。咳は風邪を引かないように、喉を刺激しないように気をつけているせいか、いまのところ、あまり大きな被害はありません。

 以外に強烈なのはアクビ。これは要するにまったく油断しているときに出るものなので、防ぎようがないところが辛い。

 ところが、痛みでは上位三つにやや及びませんが、いま私が一番苦しんでいるのは、何をかくそう笑いです。実は、私には笑い上戸の傾向があるのです。

 正月は何気なくテレビをつけても演芸番組があふれている上に、世間もおめでたムードで、どこに笑いの爆弾がかくれているかわかりません。うっかり地雷を踏むと、とんでもない災難になります。まさに泣き笑い。

 今や楽しいことがそのまま苦痛になるという、まるで人生の矛盾を身にしみて体感するような毎日です。

 泣き笑いとは、案外、人生の味なのかしれないなどと、胸をさすりつつ考えています。