恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

去り行く夏

2007年08月31日 | インポート

Photo_67 あまり一般には知られていないかもしれませんが、恐山では8月24日、地蔵菩薩供養の日に、灯篭流しを行っています。

 灯篭流しは、精霊流しとも言われ、お盆の終わりに祖霊を彼岸に送り出す行事として、全国各地で行われています。中にはずいぶん大規模なものもあるようですが、恐山ではお申し込みいただいた約300個の灯篭を、地域の人々ならば直接、全国各地の方々に代わっては我々が、宇曽利湖に流していきます。

Photo_68  特設された桟橋から、次々と送り出される灯篭は、湖面にかすかな蝋燭の火を映しながら、ゆっくりと流れていきます。

 すべての灯篭を流し終わり、人々が家路に着くと、今度は日暮れまでかかって係が灯篭を回収し、翌日お焚き上げとなります。

 この灯篭流しが終わると、短い恐山の夏は足早に去っていき、天高く雲は筋を引き、秋の風が吹いてきます。


好きだから

2007年08月23日 | インポート

 昨日、私が修行していた禅道場に行ってきました。さる方がするはずだった講演のピンチヒッターをつとめたのです。

 この道場時代には、月に1、2度、修行僧に対して講義をしていたのですが、今回は5年ぶりです。私に代打を依頼してきた担当者は、「頼む! 昔の調子でやればいいからさ」と言うのですが、もはや私を知っている修行僧が一人もいないところで、「昔の調子」でやれと言われても・・・・・内心、いささかの当惑と緊張を抱えて、私は出向いたわけです。

 ところが、200人近い修行僧を目の前にして話をはじめたとたん、ほとんど身体感覚として「昔の調子」がもどってきました。私は、昔から変わらず自分が考えていることを、ほとんどそのまま口に出しました。それは現在の教団や修行のあり方に対する、ストレートな批判を含むものです。聞いていた方々には、不愉快な思いをした人も多々あったかもしれません。ただ、私は本心からそう思っていたので、言わないですますことは出来なかったのです。まして、次の時代を託すべき若い修行僧には、ぜひとも言っておきたいことでした。

 講演の終わりに、質問の時間がありました。そのとき、一人の修行僧が私に言いました。

「あなたは、今さまざまな問題を指摘しましたが、そう思っていながら、19年もこの道場にいたのは何故ですか」

 このとき、もっともらしい理由を一つ二つ挙げた直後に、私の口からは、その時その場で、そんなことを口走るとは思いもしなかった言葉が出てきました。

「ここが好きだったからです」

 身体感覚から出る言葉とはこういうものなのでしょう。それは自分に向かって嘘ではないと言いきれる、唯一の言葉ではないでしょうか。


暑い!

2007年08月10日 | インポート

 言うまいと思っても、暑い! 今、お盆で福井に帰っていますが、今日は34℃を超え、明日は36℃になるとか。法要一つで衣は汗でびっしょりです。皆様くれぐれもお体に気をつけられますよう。

 昔、ある修行僧が老師に質問しました。

「寒さや暑さがやって来たら、どこに避けたらいいのでしょう?」

 老師が答えます。

「どうして寒くも暑くもないところに行かないのだ」

「寒くも暑くもないところとは、どんなところなんですか?」

「寒い時は、人を凍るほどひどく寒がらせるな。暑い時は、煮えるほどひどく暑がらせるものだ」

 寒いときには、もうすでに寒いのだから、今更避けようもなく、暑いときも、もう暑いのだから、それを避ける行為はもはや無意味だろう。寒くても暑くても、なんとか修行していく工夫をすることこそ、修行者が寒さ暑さを避けることなのであり、仏道を志す者の正しい態度だ、というわけでしょう。

 クーラーにすぐ頼りたくなる私などは恥じ入るばかりですが、これは寒さ暑さばかりの話ではないはずです。

 生まれてきてしまえば、その時はもう生きることを避けるわけにはいきません。生きる工夫をせざるを得ないのです。自殺できるだろうと言うかもしれませんが、この世で人間が行う自殺は、所詮、愚かな生きる工夫のひとつです(死が何であるか原理的にわからないのに、死ねばこの世の問題が解決するはずだと信じこむのは、愚かとしか言いようがありません)。

 ああ、でも暑いなあ・・・・・

 ところで、読者の方から、恐山を開いたのは弘法大師だと参拝者に教えていた人がいるというお知らせをいただきました。

 実は恐山には全国から、たとえば「巷の神さま」とでも言うべき「霊能者」的人物がやってきたり、「先達さん」とか呼ばれる、寺社仏閣を巡拝するグループを率いる、セミプロ的なりリーダーがお参りに来ます。こういう方々は、必ずしも恐山に関する正確な知識を持っていません。弘法大師恐山開山説を唱えていたのは、おそらくそういう方々でしょう。私どもとしては困るのですが、終日監視しているわけにもいかず、入山時にお渡しするパンフレットをお読みいただくことを願うばかりです。ちなみに、恐山をお開きになったのは、慈覚大師円仁様(比叡山延暦寺第三世座主)です。

 最後にお知らせ。「仏教・私流」は、8月はお休み、次回は9月11日午後6時半からです。


一世紀を生きる

2007年08月01日 | インポート

Photo_63  いささか遅いご報告で恐縮ですが、今年の恐山例大祭は、好天に恵まれ、無事に終了しました。お参りいただいた大勢の方々、まことにお疲れ様でした。ありがとうございました。

 写真は7月24日の例大祭最終日、恐山においでいただいた曹洞宗大本山永平寺貫首宮崎奕保(えきほ)猊下(げいか)です。御年は満106歳。永平寺の貫首就任時はすでに90歳を超えられ、過去最高齢での御就任でした。以後、毎年恐山にお出ましいただき、今回で15回目のご来駕ということになります。

 客観的な記録として確認できる限りでは、以前の清水寺御住職、大西良慶法師様が108歳のご長寿でした。宮崎猊下は現在、僧侶としてはそれに次ぐご長命ということになります。Photo_64

 よくお坊さんは長生きだといいますが、たしかに規則正しい生活を基本とすることは、健康によいでしょう。仄聞するところ、宮崎猊下のご日常も、起床・就寝の時間はもちろん、食事時間もメニューもほとんど決まっていて、とりわけ食事時間を変更するようなスケジュールは、側近が決して組まないのだそうです。100歳を超えられてなお、教えを伝えようと全国を移動なさる力は、そうしたご自身の節制と周囲の人々の努力から生み出されるのでしょう。

 昨今は、長生きを必ずしも喜ばず、「どれだけ生きたかではなく、どのように生きたかだ」という言い方をする人もいます。確かにその通りでしょうが、私は、長生きできたという、そのこと自体にも、同じように大きな意味があると思うのです。

Photo_65  おそらく、心身に負担の少ない、おだやかで無理のない、真面目な生活を続けてこなければ、なかなか長命であることはむずかしいでしょう(だからといって、もちろん、早く亡くなった人は無理で不真面目な生活をしていたのだ、ということではありません)。と同時に、その人が結んできた人々の縁も、彼の長寿を可能にするような、潤いに満ちたものだったということではないでしょうか。

 そう考えると、人が長寿、それも一世紀を超えて生きるということは、それ自体大事業であり、敬意をはらうに値することだと思います。