定年まで無事に仕事を勤め上げ、さてこれから、地域の活動や趣味に、そして家族に、これまで以上に時間と力を注ごうと思っていた矢先、彼は急な病魔に倒れました。そして1年、懸命なリハビリが功を奏し、彼は自力で歩けるまで、文字通りあと一歩のところまできました。ところが、ここまで回復したのに、再び病が彼を打ち倒しました。
「おとうさんが、お和尚さんに会いたいと言うんです」
家族にそう言われて、私は彼の病室に入りました。
「・・・、本当だね、思ってもみないことになっちゃったね。残念だよね・・・。でも、部屋に入れてくれてありがとう。嬉しいよ」
「そうか・・・。想像することしかできないが、この状態はつらいよね。痛いだろうし、動けないんだからね。ぼくもほんの一時、半身不随になったことがあるけど、それでさえ、切なかったからね」
「さっき、奥さんに聞いたらさ、旦那は、死にたいとか、もう楽になりたいとか言わないんだってね。偉いね。言いたい時だってあるかもしれないのにさ。でもね、それ言われると、実際、家族はつらくてさ。ぼくも亡くなった親父に言われて、切なかったもんだよ。旦那、立派だよ」
それまで手を覆っていたガーゼの手袋を家族に外させて、彼の手が私の手にのびてきました。
「ぼく、坊さんだしさ、旦那との付き合いだから、正直に言うけれど、もう残り時間が多くないって、旦那、思ってるでしょ。だから、言うけれど、これから毎日、丁寧に大事に生きないといけないね」
「それでね、旦那の年頃の人たちにはさ、奥さんに看病されたり世話されることを、当たり前に思ってるところがあったりするんだよね、ときどき。でも、それはダメだと思うよ。いろいろ辛いのをこらえてやってるんだよ、きっと。いたわって、感謝しないとね。ぼく、親父が偉かったと思ったのは、母親にいつも、ありがとうと言ってたよ」
「あとね、長く生きてるとさ、あのとき謝っておけばよかったなと思うことが、一つや二つはあるでしょ。それね、今のうちに謝っておいたほうがいいね」
「旦那がいま、こうやって苦しくても、最期まできちんと生きてることが、とても大切だよ。孫たちさ、毎日呼んで、話しかけて、孫の話も聞けるだけ聞いてやりなよ」
「旦那、これから先、いよいよ、一生の大仕事だぜ。人は面倒でさ、一人で勝手に死んで朽ち果てるわけにはいかないんだよね。ただ死ぬわけにはいかない。死んで見せなきゃいけないんだ」
「旦那、また近いうちに会おう。お互い、会えるようにしよう。話をしよう。ほんと、会ってくれてありがとね、今日」
追記:次回「仏教・私流」は6月28日(木)午後6時半から、東京赤坂・豊川稲荷別院にて、行います。