恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

雲水はつらいよ

2023年10月02日 | 日記
 禅の修行道場には、夏冬の2回、「安居(あんご)」と呼ばれる、言わば修行強化期間があります。期間中は境内から出ることを禁じ(禁足)、修行に集中するわけです。この修行は、ゴータマ・ブッダの在世時代からの伝統です。当時は「雨季の定住」という意味でした。。

 ゴータマ・ブッダの指導する最初期教団は、一か所に止まらず、行脚して修行していました。ただ、雨季は移動が困難な上、土中の虫や新芽を踏みつぶして殺生することを避けるため、一時的に定住して修行したわけです。

 初期経典には、ブッダがこの雨季の定住について語るものがあります。当時、ブッダは、ヴェーサーリ市郊外のベールヴァガーマカ村に滞在している最中に雨季を迎え、弟子たち次のように語りかけます。

「修行者らよ、あなたたちは皆、ヴェーサーリ市において、親友、知己、知り合いを頼って、雨季の定住に入りなさい。わたしは、ベールヴァマーカ村で雨季の定住に入る」

 初めてこの一文を見たときに驚いたのは、修行僧全員が一か所に定住して修行するのではないということです。私はこれを見るまで、自分の経験を前提に、当然全員一緒だ思い込んでいました。ブッダの信者である大商人あたりから提供された屋敷などで、集住したのだろうと。

 ところが、調べてみると、当時の教団は「知り合いを頼って」定住する者と、森の中に入って、仲間と野宿同然の「定住」をする者がいたようなのです。

 考えてみれば、最初期教団の最初期などには、まだ富豪の信者などいなかったでしょうから、定住も大変だったのでしょう。しかし、それにしても、「親友、知己、知り合いを頼って」とはキツいなあと、これを読んだ時にはつくづく思いました。いくら修行者に布施することが功徳として習慣化している時代と地域だとしても、ことは「定住」です。

 この「知り合い」が、出家後の仲ならまだよいとして、仮に出家以前の人なら、彼らに「定住」を頼み込むには相当の覚悟がいるでしょう。要は、一時期とはいえ純然たる「居候」です。修行僧が一切労働に関わらない以上、そうなります。

 自分の幼児期や、出家前の行状をよく知っている人たちに、「純粋居候」を依頼するには、修行僧としてのそれなりの態度や振る舞いで、「彼を世話してよかった」と思わせる決意と自信が必要でしょう。これを支える自律と自制の努力は、生半可ではないはずです。

 映画「男はつらいよ」の寅さんは、いつもは旅の空にあって、盆暮れに柴又に舞い戻ってきます。そこで血縁の無い「家族」に甘え、ほとんど好き放題の振る舞いをするのですが、彼は一時の「定住」の後、必ずそこを去って旅に出ます。無論、映画の上での話ですが、私にはそれが、まるで彼の厳然たる戒律のように見えます。

 寅さんは、「必ず去る」を前提に帰って来る。別れるために会いに来る。そして、死ぬために生きる。

「寅さん」という存在の哀愁と、その昔の修行僧の覚悟と自制には、何か相通じるものがあるような気が、私はしてならないのです。