恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

捨てると持つ

2016年11月10日 | 日記
 いわゆる「ダイエット依存症」とボクサーの減量とは、何が違うのでしょうか?

 後者は試合への出場という目的があり、それが果たされれば終了します。つまり、減量は純然たる手段です。ところが、「依存症」は減量自体が目的なので、終わりがありません。

 私はこの「依存症的」な印象を、最近の「捨てる」ブームに持つのです。必要のなくなったものを捨てるというなら当たり前の話ですが、「捨てる技術」「断捨離」などの、捨てること自体に価値があるかのように語るフレーズを頻繁に耳にするようになり、その象徴的なイメージとして、例のスティーブ・ジョブズのほとんど何も無い部屋の写真を見せられたりすると、私はここにある錯覚を感じるのです。

 以前、「ゴミ屋敷」の記事を書きましたが、あれは言うなれば「所有依存症」です。

 しかし、よく考えてみれば、「所有」という行為の実質は、対象を「思い通りにできること」であり、ならば「思い通り」の中に「捨てる」ことが含まれます。すなわち、「捨てる」と「持つ」は同じ「所有」行為の両側面なのです。

「何でも持つ」行為そのものによって「思い通りにできる」自我をを幻想的に仮設し、自己の存在感を補強している「所有依存症」者に対して、「捨てる」行為も同じ作用を自我に与えているわけです。

 したがって、スティーブ・ジョブズのあの部屋も、実は所有の欲望を反照的に表現していると思います。つまり、彼の部屋のイメージが我々を誘惑するのは、ほとんど何もないあの状態が、反照的に「何でも入る空間」「何でも持てる場所」として現前しているからです。所有の欲望を正面ではなく背後から強烈に刺激するのです。

「思い通りにする」欲望とは「自己コントロール」の欲望であり、それはすなわち自己の実存の無根拠性を、幻想的に補填しようとするものです。

 釈尊の教えが、その最初から所有に批判的だったのは、闇雲な「禁欲」礼讃でも、ましてや「断捨離」誇示が目的だったのでもありません。その眼目は、所有行為が「自己」それ自体の実体的存在を錯覚させるメカニズムを、徹底的に暴露することにあるのです。

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290 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
本来無一物 (Unknown)
2016-11-10 01:21:25
自分のモノなど、
何一つない、
ということでしょうか。
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Unknown (外れ者)
2016-11-10 01:47:43
捨てないと容れられない。

My comment has got 2nd finally...
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美意識も? (Unknown)
2016-11-10 02:19:52
空間又はモノへの美意識も働いているように思います。
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空の概念 (Unknown)
2016-11-10 02:24:28
有るようで無い。
無いようで有るような。

どちらも実体はない。
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依存性 (Unknown)
2016-11-10 02:28:19
依存性は、欲の塊。

ネットも、
気をつけなくっちゃ。。
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スカとドゥッカ (Unknown)
2016-11-10 02:50:31
スッタニパータには、
「他の人々が『安楽(スカ)』であると称するものを、諸々の聖者は『苦悩(ドゥッカ)』であると言う。

他の人々が『苦悩』であると称するものを、諸々の聖者は『安楽』(スカ)であると知る。」

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Unknown (Unknown)
2016-11-10 03:39:46
どうっすかー
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>実存の無根拠性 (Unknown)
2016-11-10 05:12:22
実存の無根拠性が釈迦の思想???

道元師の言う「仏性」は実存の「根拠性」ではないのか???
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「実存は無根拠」 (Unknown)
2016-11-10 05:30:20
「捨てる」も「持つ」も全て【無根拠】、

人の存在、人の想い、人の言葉、何かを成すのも、仏性がど~たらこ~たらも、空がど~たらこ~たらも、南師の言葉も、道元師の言葉も、仏教自体も、全てがすべて徹底的に「無根拠、無根拠、無根拠、無根拠・・・!!」。

これが厳然たる真理なのである??
・・・いや、無い??
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Unknown (Unknown)
2016-11-10 05:46:14
あなたが今此処にいる、私が今ここにいる・・・
これこそが実存の根拠性ではないのか??

何かの摂理が働いた。
相依性縁起がいま此処に、あなたを現成させた、私を現成させた。
これこそが実存の根拠性ではないのか???

相依性縁起も又、神である!!神の摂理である!!実存の根拠である。

父がいて母がいたから私が今此処にいる。これも又、私が実存する根拠ではないか。実に父と母は神である。創造主である…私にとっては!!
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