恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

「業」について

2016年05月30日 | 日記
 仏教に「輪廻」というアイデアは不要だが「業」は違う。「業」は「自己」の実存理解において、決定的な意味を持つ、というようなことを時々言ったり書いたりしてきたので、ここで私が「業」をどう考えているか、ざっと説明しておこうと思います。

「業」の辞書的理解を紹介しておくと、およそ次のようになります。

 サンスクリット語では「カルマン」と言い、「行為」を意味する。「業」思想とは、ある人間のある行為が彼の実存の仕方を規定し拘束することを、善因善果・悪因悪果という倫理的因果関係において理解する思考様式である。仏教では「自業自得」を主張し、その限りでは実存の「自己責任」論を採用している。多くの場合、「業」思想は「輪廻」思想と結び付けられ、過去・現在・未来の三世にわたる教説(「三時業」)として語られてきた。

 これに対して、現在の私の「業」理解を簡単に提示します。

 現在の「自己」の実存が、その時点での既知未知に関わらず、当人に責任のある行為、あるいは当人に責任のない事柄によって規定・拘束されている事実を自覚し反省して、ついに決断とともにこの事実を「自己」の実存条件として引き受けるとき、「自己」実存は「業」として認識される。すなわち、「業」とは「業」の自覚のことであり、この自覚がない限り、「業」は無意味であり、端的に「無い」。

 こう考えるならば、ある人物の「業」は徹頭徹尾、彼自身の自覚の問題なのであり、第三者が彼の「業」についてアレコレ言うこと(「君が今不幸なのは、前世の悪い行いの報いだよ」)は、極めて僭越かつ無礼であるだけでなく、ただの妄想か悪質な冗談にすぎません。言い換えれば、「自己」を「業的実存」として自覚し理解するとき以外に、「業」は存在の余地がありません。

 しかし、第三者に言われたことを、当人が「確かにそうだな」と納得するなら、それは彼の「業」の認識になります。

「業」の自覚と反省は、「自己」の実存を因果関係において理解しない限り不可能です。この場合、その理解は、「自己」が何を目的として構成されていくのかによって、根拠づけられます。

 つまり、ある行為なり事実の解釈の仕方とその意味は、「ニルヴァーナ」を目指している「自己」と「科学的真理」を知ろうとしている「自己」とでは、まったく違うものになります。

 ということは、仏教の「業」理解は、「実存」の自己理解のことであり、その意味では「自業自得」と言えるでしょう。仏教者として将来に何を志し、その志に照らして過去をどう反省し、反省の上に今いかなる決断をするか。この営為において捉えられる実存においてのみ、「業」は語られなければならないのです。

 しかしながら、私の「業」論においては、「自己」に責任のない事柄も「自己」を規定する以上、「業」として認識されます。では、その事柄とはどんなものか。

 まずは自然環境、社会秩序、宗教文化、政治体制など。そして決定的に重要なのは言語。これらのものは、「自己」の実存を根本的に拘束しますが、「自己」責任とは無関係です。そうではなくて、多くの「自己」が共同で制作したものであって、いわば「共同業」です。

 実は、この「共同業」にあたるものとして、古来仏教に「共業(ぐごう)」の概念があります。ただ、これは「器世間」、すなわち自然環境のみを意味します。私はこの概念を拡張して「共同業」を定義しています。

 以上が、私の「業」理解であり、当面はこれでやっていきます。 
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338 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-05-30 02:23:07
お。
きたじゃん「業」
Unknown (菖蒲)
2016-05-30 02:29:13
和尚さん。
業について、ありがとうございます。

「共同業」ですか。

また、新語(造語)を編み出されたのですね。
私は、それらを「南語」と呼ばせて頂きます。

キーワードは、南ワード。
考察してみます。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 02:29:44
うん。やっときた。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 02:31:26
南ワールド、ともいえますね。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 02:59:44
>「ニルヴァーナ」を目指している「自己」

仏教なら

>「科学的真理」を知ろうとしている「自己」

神教ってことかな?
Unknown (Unknown)
2016-05-30 05:02:57
ですよね~。海外のコミュニティーで生活するとよく分かる。業やリアリティーはコミュニティーによって成立してるし、それぞれ異なるものですよね~。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 09:36:02
業と縁起はどう違うんだろう。
「業生」ではなく、「願生」として生きる。 (イエスちゃん)
2016-05-30 10:51:08


 1.衆生無辺 誓願度 しゅじょうむへんせいがんど
   無数の人が幸せになれるように渡すを願い誓う。
 2.煩悩無尽 誓願断 ぼんのうむじんせいがんだん
  尽きる事のない煩悩を断つを願い誓う。
 3.法門無量 誓願学 ほうもんむりょうせいがんがく
  壮大なお釈迦様の教えをすべて学ぶを願い誓う。
 4.仏道無上 誓願成 ぶつどうむじょうせいがんじょう
 最上の悟りを得て仏に成るを願い誓う。

九拝合掌
本来の仏教から逸脱した概念 (御坊哲)
2016-05-30 11:17:23
親鸞聖人も方便として「宿業」という言葉を使っておられますが、これは「宿業感」というべきものだという学者もいますね。
南さんの「業」の受け止め方に通じるものだと理解しました。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 12:30:12
哲学とは、言語批判か。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 18:55:41
こういう(今回の記事みたいな)のが「世俗を救う」にあたっての「論理的裏付け」みたいなもんなのかしら?
どーしても私「実存」ってのと相性が悪いみたいで、なんのことやら?ってなるわ。
それで。どなたか。
なぜ南さんの仏教には、輪廻とは違って「南的業」が必要なのか教えて下さい。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 20:29:03
だって私流、つまり南流でしょ。

仏教を、自分流に落としていかれてるってことだよね。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 20:33:20
>私「実存」ってのと相性が悪いみたいで

なんか、同感。

でも
「実存」って言葉、なんか格好いい。
リアリティある感じ。
Unknown (ZIP)
2016-05-30 20:51:09
対象を現象学的還元によって超越論的観念として捉える際に、構成要素として
輪廻は全く必要無いものである。
分析するに値しないものである。
業、言い換えるならば、ある行為結果を
自己が引き受ける際に、因果関係に見出し得る、行為とは直接関係のない自覚的要素の事と思えばいい。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:01:28
ZIPくん。
ぜひ日本語でお願いしまする。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:04:03
「実存の仕方」って、なに?
「彼の実存の仕方」
それって、どういうふうにあることなの?
または、どういうふうではないことなの?
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:07:00
えー。
じゃあ「オレについてこい」みたいな感じ?
わかるかわからないかはおいといて、みたいな?
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:07:33
「とりあえずこれでいくわ」
「はあ…」
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:10:44
対象を観念として捉えるとき「輪廻」は必要ない

観念は輪廻しないから?
観念は輪廻しないの?
ぜんぜんわからん。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:13:11
ヒトは観念なの?

ああ、南さん的にはそうなのか。
観念であるところのヒトが「実存」なの?

「実存の仕方」は「どんなふうに観念やってるか」ってこと?
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:15:52
じゃあ、絶対神を信じるところの実存?
は、南さん的実存とは相容れないとか、あるの?

…ぜんぜんわからん。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:22:07
輪廻を、あるとも思わずあるものとしているところの「実存」と
南さん的「実存」が…

めんどうだな。
業のつくタンゴ (Unknown)
2016-05-30 21:24:00

「畢生(ひっせい)の業」

「業績/偉業・学業・功業・事業・実業・授業・修業・所業・卒業・大業・覇業」
「業界・業者・業務/営業・家業・稼業・休業・兼業・作業・産業・残業・失業・就業・商業・職業・生業・操業・農業・廃業・副業・分業・夜業」

「別業」

「業苦・業報/悪業・因業・罪業・宿業・善業・非業」


業だらけ。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:30:24
「実存」なしでも言えそうな気がするんだけど、
「実存」をかませるとどういう良いことがあるんだろう?
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:31:31
「観念」とか「言葉」とかをクローズアップしたいってこと?
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:32:13
でもとりあえず「実存」はわからん。
Unknown (お転馬)
2016-05-30 21:42:26
業ってさ、縁起に毛が生えたようなもんだべか。
自己責任とは? (凡夫)
2016-05-30 21:48:51
仏教の言うところの自業自得。
俗社会で言うところの自己責任…。
父親てしての責任。 母親としての責任。
大人としての責任。 社会人としての責任。
会社での上司、部下としての責任。
仏教の言うところの責任と俗社会での責任の捉え方(道徳観?)の違いは、どういう事になるのでしょうか?
自己責任とは? (凡夫)
2016-05-30 21:48:53
仏教の言うところの自業自得。
俗社会で言うところの自己責任…。
父親てしての責任。 母親としての責任。
大人としての責任。 社会人としての責任。
会社での上司、部下としての責任。
仏教の言うところの責任と俗社会での責任の捉え方(道徳観?)の違いは、どういう事になるのでしょうか?
Unknown (Unknown)
2016-05-30 21:55:01
言葉を言葉で打ち消そうとしてる様に感じるね。新たな言葉を生むだけなのに。
でも、そうするしかない?そうなのかな?
言葉も余分な所を削ぎ落とした方が良いかもね。
Unknown (院代)
2016-05-30 22:00:06
あまりに評判が悪いので、後々の便宜のため、「実存」という語を使う場合の、私なり意味付けを提示しておきます。

私の言う「実存」とは、

「何が存在するのか」という問いへの答えでもなく、
「なぜ存在するのか」という問いへの答えでもなく、
「どのように存在するのか」という問いへの答えとして把握されるような、

〈あるものが、現に存在する、その存在の仕方〉

くらいの意味です。

Unknown (お転馬)
2016-05-30 22:10:06
あ、親分だっぺ。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 22:12:52
要は、「実存」って曖昧なもの、くらいの解釈でよろしいということでしょうか。
Unknown (Unknown)
2016-05-30 22:15:32
存在の仕方か…。。

息をする。考える。
ブログを観る。

というような?
Unknown (お転馬)
2016-05-30 22:17:39
玉ねぎ頭、親分がお出ましだっぺ。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 00:05:34
和尚さん
ご丁寧にコメントありがとうございました。

今日はもう休みます。

お休みなさいませ。
Unknown (お転馬)
2016-05-31 00:10:29
親分の評判は悪くないっぺ。

玉ねぎ頭が、わかんないだけだべ。

アタイもだけどさ。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 00:12:55
「どのように存在するのか」って
それたぶん「自分が」なんだろうなあ。

なんかこう
いけてないダンスみたいだ
敷衍 (K)
2016-05-31 00:18:52
(釈迦時代の古代)インドでは「業」は「行為」の事であって、どんな行為をしたら、この世での社会生活(=共同生活)が上手く運営できるかの社会規範理論として(=道徳・倫理の根拠として)自業自得観(善因善果、悪因悪果、すべては自己責任・・・)という概念が発想された。

しかしこの世には悪事を働く事によって繁栄を享楽している人が多く見受けられるので(=現世での自業自得論が成立しないケースが多々存在するので)、「輪廻転生」論を引き出して、現世の悪行は来世で必ず罰を受けるとせざるを得なかった。

すると今度は、その論理を正当化する為に「ほれ見よ!!、今、不幸にある人は過去世が悪事をなした結果なのだ」という(人の恐怖感を利用した)いましめ(=スケアー・タクティクス)を創らざるを得なかった。

これはどの宗教でも一般的におこる思考の流れである。

「業」は自覚する本人にのみ効力を発揮する概念に過ぎない。絶対普遍の真実・事実・真理として実存している訳でない。
他者の不幸を誹謗する道具に使うな、喝!!!
Unknown (Unknown)
2016-05-31 00:24:01
説明されてもやっぱりわからんわ。
「現に存在するその存在の仕方」っていっても
あるときは現にこういうふうにあるし
別の時には現にこういうふうにあるし
だとすると何なのかしら?

Unknown (Unknown)
2016-05-31 00:31:56
輪廻も。
まるっきり「そういうものだ」って、思うっていうような意識もなくそう思っている人にとっては、「他者の不幸を誹謗する道具」ではなかったりするんでしょ?
それが輪廻の実存の仕方?
ってことになっちゃうんじゃないのか的な。
輪廻的に自分の不幸を自覚しちゃったらさ。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 00:45:36
未だイエスちゃん様と阿弥陀ちゃん様
の違いがわからないので間違えてたらすいません。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 00:49:00
たぶんね
人間は生きて死ぬから
あんまいろいろ考えても日本人形に図工用のりで銀紙はりつけてるようなもんだから
意味はないっす
看取られる寸前になったら、ああそうか!
ってなるだけ
Unknown (Unknown)
2016-05-31 00:57:18
UFOをみたときにプラズマだって証明したくなる感じですよね
しかしプラズマで方程式作ったら
それは変な人じゃなくて天才だから
すごいとおもいます
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:00:03
というか昔の哲学用語は日本語翻訳がおかしいと思うので
難しいのとは違う気がする
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:07:05
↓ここから本記事拝読(えっ)
生きている業というのは、共同体における
社会的役割や責任ってことですか?
わかります、嫌ですよね。
嫌だなあ。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:08:12
>自然環境、社会秩序、宗教文化、政治体制など。そして決定的に重要なのは言語。

これらが、「他者に課された」ことなんだろね。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:09:26
海外に行ったら楽になったのかな
ネルケさんみたいに。
日本は窮屈でしょう
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:10:14
南さんは真面目な方なので
嫌だ!で済ませないぐらい悩んじゃうんだ
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:14:04
も少し楽になったらいいんですよね
趣味を楽しんだり休日はだらだらしたり団欒したり
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:16:08
楽も楽じゃないからね。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:17:59
バランスの問題よ
楽は楽に過ぎない
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:20:50
楽も苦じゃないの?
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:20:52
ドイツと日本はナニが似てるんだろう
家計を占める用途が似ているらしい
物や自然を大事にして、義理堅いところかな
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:21:49
楽も苦
というのは
どういう場面において使われる言葉なのか
わからないので答えられないダス
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:22:28
どんな場面でもそうじゃん。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:24:18
>共同体における社会的役割や責任ってことですか?

「自己」責任とは無関係です。そうではなくて、多くの「自己」が共同で制作したものであって、いわば「共同業」です。

だから、そうかもね。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:25:20
そうじゃんってw言い切る強さ

はあ、そうですよね。
たとえば
激務の代わりに休日をもらっても
家で休めないとか
ハードな肉体の方?
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:27:02
まあ
自分でなにかプロジェクト立ち上げたあとに
なんでこんなめんどくさいこと考えたんだろって
逃げたくなるきもちか?
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:28:45
ドイツとは、職人気質的なとこや、正確さを求めるとこが似てるかもね。

第2次世界大戦では、それらが裏目に出たのかね。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:29:41
>多くの「自己」が共同で制作したものであって、いわば「共同業」です。

もしかして
南さんは本気で「自己」の感覚が薄いのか??

そうだとすると悩むよねそれは
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:31:10
苦の中に入ってる時、集中してる時の方が、実は楽ってことなんじゃない。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:31:36
それはわかる
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:33:58
例えば、原発。
責任者がいない。これは、共同業だよね。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:35:03
はい
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:35:57
もう寝るね。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:36:23
責任をなすりつけあった結果では
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:37:20
もうネルケ

なんつってww
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:37:58
うん
おやすみなさい。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:38:52
責任者の所在がわからないものを、「共同業」っていうのかもね。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:40:55
わいは責任者つうのは
最終判断者と見るから、それとはちがうなー
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:45:55
最終責任者って誰だい?
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:46:48
誰が判断できるというのだろうか。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:48:18
君だ!
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:48:55
裏で操ってるやつがいるはず
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:53:29
寝ている間は輪廻している
知らないのは人間だけ
Unknown (Unknown)
2016-05-31 01:56:18
誰が知ってるの!
Unknown (Unknown)
2016-05-31 03:03:53
釈迦の発見・定義した諸行無常・諸法無我・一切皆苦の「三相」からは「善の根拠」が出て来ない。

そこで(後世の)仏教界が『業』の概念を採用して道徳・倫理の根拠として社会的人間共同体の行動規制を作り上げた。

当然、道徳観・倫理観のない悪人にとっては「業」は実存しえない。実際この世で「業」の罰も受けていない。

「業」が意味を持つのは、それを自覚する自己の意識だけである。

一方「縁起」は神羅万象の作動原理としての宇宙論である。それを信じるかどうかは仏教という宗教の根幹にかかわる。
追加 (Unknown)
2016-05-31 03:56:29
「縁起」は容易に理解できる(=共感できる)一般普遍性のある、トゲのない教義であるが・・・、

「業」は一面の真理を表明しているに過ぎず、トゲだらけで、おおくの反論を巻き起こす・・・けれん味に満ちている・・・・。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 06:19:39
「生きている業というのは、共同体における
社会的役割や責任ってことですか?
わかります、嫌ですよね。
嫌だなあ。」

うん。
やだよねえ。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 08:33:32
ありがとうございます。

トゲだらけですね。
けれん味って何だろう?
けれん味 (Unknown)
2016-05-31 09:49:26
今は昔の江戸時代!!
見世物小屋での呼び込みでェ・・・、

「親の因果が子に報いィィィ~~、
生れた娘が、六ろっ首ィィィ~~、
さあさ、木戸銭たった六も~んnnnnn!!」
Unknown (浅野)
2016-05-31 10:35:05
「業」の理解はフランクルのいう「態度価値」のようなものだと思っていましたが、内実もよく理解できました。
ある目的を立てた人間が、過去を省み、どう志しを起こし、決意するか。
南さんの思想の視点からみると、現代の依存的な犯罪心理が見えてきます。孤立させてはいけないし、実存の自覚の問題が社会であまり理解されてはいないのではないか、と思ったりします。恐らく、多くの人が無意識に、自動的に行なっているため、それだけ日ごろ意識されていないのだと思います。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 18:17:39
南さんのおっしゃる業ってこんな感じですかね。

否応なく現前する、分裂した自己を引き受け、
観念である死の強度に負けないよう、
生の強度を高めていく。
業によって自己は決まるし、業が変われば自己も変わる。

自己を引き受けた以上、自己責任なので、間違ったら自己反省する。
したがって、他者からの批判等は問題にならない、が
参考になることは参考にする。

結局、南さんの言いたいことは、
他者の業に注目し過ぎず、
自己を生きよう。
ということだと思いました。

縁起についても改めて書いてほしいです。
Unknown (木槿)
2016-05-31 19:35:25
Unknown (院代) 2016-05-30 22:00:06

『あまりに評判が悪いので、後々の便宜のため、「実存」という語を使う場合の、私なり意味付けを提示しておきます。』

(こちらが方丈様のコメントだと仮定して)そんなに評判が悪いものなのでしょうか?私にはそうは思われないのですが・・・


オバマ大統領の平和記念公園での演説の一部分

"Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become."

このようなことこそ、「共同業」という言葉でしか言い表せないようなものだと、私には思われるのですが。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 20:32:27
和訳できる方、わかりやすく和訳して頂けないでしょうか。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 20:37:59
業というのは、人工的なもの。

縁起は、人工ではどうにもならないこと、かな。


そうだね。
和尚さんの、現在の縁起説と併せてもらいたいな。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 21:25:29
「生きている業というのは、共同体における
社会的役割や責任ってことですか?
わかります、嫌ですよね。
嫌だなあ。」

そして、確かに、やなんだけど、
かといって、じゃあそういうの全くなしで好きなようにどうぞ~ってなっても途方に暮れる気がする。

というか、そういうの全くなしで、ってならないよね、たぶん。

家を建てるってなったら、大きさとか強度?耐久性?とか決めなくちゃ、家にならないし。
福島原発事故で「想定外」ってよく出てきたけど、そりゃ、何か想定しないと原発建てられないし。

私は、何かを想定してこういうふうってわけでもないところも大いにあると思うんだけど。
例えば「地球の大きさ」みたいなこととかは、私が想定したわけじゃなくて、でも逃れられないんだよね。
人間の嗅覚とか人間の聴覚とか人間の視覚とか、そういうものからも逃れられないんだよね。
複眼的に見るとかいっても、カマキリが捕らえる世界とは違うんだよね。

んで、だ。
そういうのは「業」じゃなくて?
決意するの?
うーん。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 21:27:47
>和尚さんの、現在の縁起説と併せてもらいたいな。

このブログ内で、南さんは2009年に縁起について記載されています。
読んでみますと、??の内容でした。

私も、現在の縁起説をお聞きしたいです。
Unknown (Unknown)
2016-05-31 21:46:47
Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.

彼らの魂は我々に内面を見つめ、我々が何者であるか、これからどのようになっていくのかを考えるように語りかけている。

とりあえずこんなんあった。

「オバマさんのスピーチを日本語訳してみる」人達はそれなりにいるみたいなので
英語部分をコピーして検索かけると日本語もいろいろ出てくるよ。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 00:25:47
なんだか、仏教的な和訳だね。

ありがとう。

コピーを検索したら、色んな和訳がでてくるんだね。
ただそうなると、経典のようでもあるね。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 01:46:40
経典のようというか、言葉ってそういう感じっていうか。

オバマさんのスピーチは、きっと、良いスピーチなんだと思う。
大統領になるきっかけのスピーチ?かなんか有名なのがあるらしい。
いくつものアメリカがあるわけじゃなくて、ひとつのアメリカがあるだけなんだ、とかいうやつ。

ただ、オバマさんが広島を訪問して、感動的なスピーチをして、
それはなにかの役に立ったんだろうけど、
でも、現職大統領っていっても、悪いけど消化試合みたいな時期だし。
いや、もちろん、すごく良いスピーチなんだと思うけど。
「トゲ業」対「トゲ無し縁起」 (「なりすまし」でする)
2016-06-01 02:23:13
ここで私が「業と縁起の違い」をどう考えているか、ざっと説明しておこうと思います!!!。

仏教の根幹をなす「因縁」観とは「因果説」ないし「縁起説」であって、本来「業(自業自得)」も「縁起」も同義語であるが・・・

言葉は一人歩きするので、「業」観は「他人の不幸は蜜の味!!」という人間心理に絡み取られて他者(社会的弱者)をさげすむ差別用語として世間の衆生は用いるようになった。

一方「縁起」観は衆生社会では「縁起が良い」、「縁起が悪い」というコンテキストで一般化した概念となったが、本来の「縁起」観は、

「万物の働きによって自分がいる。自分は決して自立して存在するものではない。自分がいるという実感さえも、他者との関係で現れたものに過ぎない。よって執着するものは何もない。
けれども自分が言ったり、考えたり、したりする全ての物事は自分が責任を持たなければならない。
自分の苦しみは自分が作るものであって、自分の幸せも自分が作るものである。そういう智慧が縁起説によって現れる」。

言い換えれば「縁起」説では、
(縁起の循環の流れの中で)変える事の出来ないものについては、それを受け入れられる心の余裕(心の落ち着き)が出来、

(縁起のなかで)変える事の出来るものについては、それを変える勇気が与えられる。

(縁起を知ると)変える事の出来るものと出来ないものを見分ける智慧があたえられる。
それが縁起というものである。

これが「業と縁起の違い」の私の理解であり、当面これでやっていきます!!!
南ワールド (なりすまし、その2)
2016-06-01 05:16:05
人には誰でも、死ぬ間際に魂の帰っていく風景(心の原風景)というものがあって、ほとんどの場合、子供時代の強烈な想い出から「心の原風景」が構成されている・・・。

とすると南ワールドは、師匠が子供の時、激しい小児喘息から窒息死しそうな状況下で生きて来たという事が「心の原風景」を構成している。よって独特の死生観が芽生え、永平寺で終生終える逃げ場を求めたが、それでは「あんたはダメになるよ!!」と奥さんからさとされて、恐山で衆生の「業」に直に接する機会が与えられ(縁起)、人間として
成熟してきた・・・しかし・・・、
立派過ぎてあまりに出来過ぎて魅力を感じない人物としてでは無く、
未熟者で自信が無い人物でもなく、
いつもどこかの途上に居て迷っている、或る種の危うさをもった人物としての
魅力を漂わせている人物・・・。

私にとって共感できる尚友である。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 07:09:39
スピーチの善し悪しはどうでもよく、何を言われているか、何を感じ取れたか、また、これからどのように生きていくか、どのような社会にしていくか…などなど、これも共同業だよね。
Unknown (おすまし)
2016-06-01 07:11:38
なりすましさん。
まとめて頂き、ありがとうございまっする!


Unknown (Unknown)
2016-06-01 10:52:48
原発問題さんへ

あなたの興味の対象からして、
語り合うべきは人ではなく、
経典をながめ複眼的に自分の心を眺めることがよいと思いました。
貴方の視野は現実的すぎて仏教の要素が少ないので、
おいと話しても噛み合わないので意味が無いと思います。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 10:56:41
経典と自己をシンクロさせてくれ。他人ではなく。

なりすましさん、
そうそう。わかるまさにそれ。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 10:58:18
自分にも言い聞かせてるんで。凡夫
南師の十二支縁起 「無明」とは「言葉」 (イエスちゃん)
2016-06-01 12:02:45
「無明」とは「言葉」


1.無明(むみょう、巴: avijjā, 梵: avidyā) - 過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること。
2.行(ぎょう、巴: saṅkhāra, 梵: saṃskāra) - 志向作用。物事がそのようになる力=業
3.識(しき、巴: viññāṇa, 梵: vijñāna) - 識別作用=好き嫌い、選別、差別の元
4.名色(みょうしき、nāma-rūpa) - 物質現象(肉体)と精神現象(心)。実際の形と、その名前
5.六処(ろくしょ、巴: saḷāyatana, 梵: ṣaḍāyatana) - 六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意
6.触(そく、巴: phassa, 梵: sparśa) - 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。外界との接触。
7.受(じゅ、vedanā) - 感受作用。六処、触による感受。
8.愛(あい、巴: taṇhā, 梵: tṛṣṇā) - 渇愛。
9.取(しゅ、upādāna) - 執着。
10.有(う、bhava) - 存在。生存。
11.生(しょう、jāti) - 生まれること。
12.老死(ろうし、jarā-maraṇa) - 老いと死。
Unknown (ZIP)
2016-06-01 12:19:37
やはり人間は生物学的に見ても欠陥品である。正当な自己認識さえままならなず散々苦労して出た結論が自己批判による自己制御。
その自己制御が存続条件の鍵を握っているのだから話しにならない。
生きる過程において細心の注意と警戒を払わねばならない天敵が同種の人間だとは目も当てられない。
言葉の本質は本来、同種である人間が集団を構成し、生存する過程において複雑な外部環境を理解し注意・警告を促す為に用いられた同一の意味を持った共通な道具であった筈である。
それがいつの頃かその向けられるべき対象が外部環境から同種の人間に変わってしまったのである。他者と自己を分け隔て、他者から自己を守る為に、自己の領域を確保する為に、複雑・多様化した社会という人間が作り出した洞窟内において、本来共通の意味であったはずの言葉さえ解体し、自らに即した解釈を施した為に、その本質性を見失わせ、わざわざ自己に現象的解釈を施し、言葉によって生きる意味を見出さないと生きられぬ様になってしまったのである。
まさに言葉を発する人間としての業である。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 12:37:38
仏教あきてきました
難しいし。
みんなは他にナニやってるの?
Unknown (Unknown)
2016-06-01 12:44:35
欠陥品ということは
完成品もあるわけで
欠陥品は安売りをするのかなと
粗探ししてもつまらない
Unknown (Unknown)
2016-06-01 12:45:34
自己制御でやってる場合と計算高い場合があるから要注意だ
Unknown (Unknown)
2016-06-01 12:49:13
よその宗教でも見てくるわ
Unknown (Unknown)
2016-06-01 13:28:56
もし出家したあと還俗したら
根性なしと言われるんだろう
ある程度悟ると修行なんて関係なくなってくるらしい
Unknown (Unknown)
2016-06-01 16:27:53
毎日が、生きることが修行じゃないの?
Unknown (Unknown)
2016-06-01 18:50:11
なりすましさんは、
ニーバーの祈りに縁起を与えたのですね。
良いアイデアをありがとうございます。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 19:24:31
「永平寺で終生終える逃げ場を求めたが」

たぶんある意味そうなんだよね。
でも、永平寺に骨を埋めたいと思って上山して、腕は諦めるから脚はなんとか、って思って病院から生還するとかは、たぶん「決意」なんだよね。
それで、そういう決意も、永平寺的なオトナの事情にあってなし崩しになるのよ。
で、奥さんとなる人に出会う。大店の家付き娘。
今後の展望、今までの反省、新たな決意。なるほど。
でも、それ「成り行きにストーリーを付けた」ってのとどう違うんだろう。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 19:27:33
世俗を救うんだもんな
Unknown (Unknown)
2016-06-01 19:40:41
「現実的すぎて仏教の要素が少ないので」

うーん。

仏教って、現実じゃないところのものなのか。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 19:41:00
あの世?
Unknown (Unknown)
2016-06-01 19:42:41
あ、違わないのか。
自覚したら「業」ってそういうこと?
Unknown (Unknown)
2016-06-01 20:27:28
「おいと話しても噛み合わないので意味が無いと思います」

あなたが誰なのかわからないから、意味があるとかないとかって成立するのかどうかわからないけど。
例えばもしあなたが南さんだったら、例えば、消せばいいのよね。
すると、ここでのあなたにとってのかみ合わない状況が、消える。
そして、例えば「異質のものを受け入れる覚悟」とか言うこともできるのよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 20:41:47
あっ。
でも、腕は諦めるから脚はなんとかって
私、南さんの話でしか知らないから
本当かどうかはわからないんだな。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 20:42:54
そしたらほとんど全部
本当かどうかわかんないね
Unknown (Unknown)
2016-06-01 23:45:22
腕がどうかしたの?
Unknown (Unknown)
2016-06-01 23:52:55
仕方なく生まれてきて、否が応に押し付けられて、で責任とかも負わされちゃうんだよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-01 23:55:43
生きものってホント苦の塊なんだね。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 00:00:11
わいのことがすきなの?
こっちは嫌いでも好きでもないよ
ふつう。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 00:02:49
わいはちょっとある研究がしたくてここにきたんだが
別にお喋りしたかったわけじゃないけど、
社交好きだから、
なんか途中で方向性みうしなった感じだな
学習欲強い人は普段どう工夫してるのか
熱烈に知りたいです
Unknown (Unknown)
2016-06-02 00:09:52
言葉は人を滅ぼす業の根源だ。よって無明とは言葉の事だ。

人間が存在しなければ言葉は発生しない。よって無明とは人間の事だ。

地球がなければ人間は発生しない。よって無明とは地球の事だ。

宇宙が無ければ地球は発生しない。よって無明とは宇宙の事だ。

神がいなければ宇宙は発生しない。よって無明とは神の事だ。

そのあとはmmmmm。「風が吹けば桶屋が儲かる」。よって無明とは桶屋の事だ???
Unknown (Unknown)
2016-06-02 00:16:42
「成り行きにストーリーをつけた」・・・
まさにそれそれ!!!それが縁起って事だと
思うよ。奇跡の連鎖反応だよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 00:24:54
異質のものを受け入れる覚悟」ってかいてあるけどさ
結構似た者同士だとおもうが?w
似た人間でもわもわした会話してても埒が明かないしなー
Unknown (Unknown)
2016-06-02 00:26:17
ロゴス系の方は
言葉が人間を作っているというが
こっちはそうは全く思ってないんで。
言葉なんか意味ねえよ
Unknown (Unknown)
2016-06-02 00:31:02
言葉に頼らず
坐禅しなさいって教義があるのではないのですか?
中道と
なぜ言葉や体どちらかだけに偏るんだ衆生は
Unknown (Unknown)
2016-06-02 00:54:49
この前見たテレビのバライティ番組で日本仏教各宗派のお坊さんたち(5人)が集められて、聴衆者を意識してか、「山の頂上は一つだけど山に登る道は幾らでもある」(=よって「仏教という分裂」はない)と団結顔して見せていたね。

「自己という分裂」も自己とは実体のない幻想ならば「自己という分裂」もないという事かなァ~。
「我」がないんだったら「無我」もないわけで・・・・よって我自己と無我自己間の「自己という分裂」なんて起こりえないじゃん!!
Aとか非Aとか非非Aとかの縁起説も
「縁起という分裂」なのかね・・・。

今の俺の頭が分裂してるっていう事のみがただ一つの真理なのかな、ZIPちゃん
Unknown (Unknown)
2016-06-02 01:36:26
そだね。
結局、言葉の分裂になるんじゃないのかな。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 01:40:57
言葉をもつ自己と、そうでない自己との分裂ってことかな。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 02:24:11
右足・左足の二本足で孤立して立つ動物を「人」と書き、
「人」は社会的動物だから「人間」という字をあてて人格性を再定義した。人と人の間は言葉を通して社会性が保たれる。それによって高度な脳機能が発達する。すべて良くできたシステムじゃん。

今更なんだかんだと「業」論・「言葉悪もの論」持ち出しても意味ないのかもね。

ただただ言葉の無い坐禅世界に這入って孤立した(本来の、ただ一人の)「人」の字に立ち返れ!!はいい事だよね。

(注)「人」の解字を「(自分自身の二本足で立つ故の「人」の字では無く)、(人は一人では生きていけない、二人で支え合っていかねば存在出来ないなどという思考で)他人が互いに寄り添って立っている姿を模した「人」の字だと解釈する開字は思い込みが強すぎると思うよね。
「人」という字を作った作者は単純に人の物理的姿を模したと思うからね。
精神的な人の在り方を抽象化して「人」という字を作ったとは思えないからね。
あはは!! (Unknown)
2016-06-02 04:37:41
「出家の覚悟」47ページ見て
「あはは!!」って笑っちゃたよね。

南師匠の永平寺での2年間の修行の一区切りで実家に帰省する際、母親から「夜帰って来てね、人目に立つとまずいでしょう。隣近所に見られたくないから(ね)」とクギを指された…「別に刑務所から帰ってくるわけではないのに」って、だよね、だよね!!
ZIPさんへ (...)
2016-06-02 07:39:17
>「人間は欠陥品である」(なぜなら)「自己批判による自己制御」・・・

当方からすればそれこそが人間に希望がある証拠と思えますね。自浄力という意味になりますから・・・。

「出家の覚悟」80頁;(注、「組織」という話題を「人」という言葉に置き換えて書きます)。

「自己批判が出来る人というのは、とても強いですね。」
「自己批判が出来ない人は絶対続きません」「(そういう人は)絶対壊れる」、「異なる意見を切り捨てる人は必ずつぶれますね」
「自己批判というのは大切な事です」「だから成長するのです」・・・・

ところで自分自身を嫌いだと思うのは
劣等感のなせる悪業であり、自己を成長させる自己批判とは次元を異にする・・・これが前提での議論ですけどね。
茂木健一郎氏の観察でも「劣等感が人を
創造力豊かにする」と言ってますね。
要は劣等感をバネにしていかに立ち直るかという問題なのでしょう。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 11:59:42
>「自己批判が出来ない人は絶対続きません」

何が続かないの?


>「(そういう人は)絶対壊れる」、「異なる意見を切り捨てる人は必ずつぶれますね」
自己批判し過ぎて、潰れる場合は?


ところで自分自身を嫌いだと思うのは
劣等感のなせる悪業であり、自己を成長させる自己批判とは次元を異にする・・・


どう異なるんだろう?

Unknown (Unknown)
2016-06-02 12:12:55

去年の「笑いという無常」の記事を、思い出しました。


刑務所の刑務官を退職して出家したテンシュウさんが、

「それにしてもなあ、ここは刑務所よりひでえ・・・」

とのこと。


出家は、刑務所以下だったようです。

Unknown (...)
2016-06-02 12:30:17
元ネタの南師の対談本「出家の覚悟」では、組織内(仏教宗派内)での自己批判で自浄作用をなさないと「組織が壊れる」の対話だったのを、私が
「人は」という事にあてはめたものです(本質的には同じだと思うので・・・)

確かに自己批判はもろばの剣の側面がありますね。智慧をもって自己批判(=内省)をしないと、悲観主義者は自滅するかもしれません。でも自分を向上したければ自浄作用は必須で、そのための自己批判はその手段だ・・・という程の意味ですね。
これで回答になっているでしょうか??
Unknown (Unknown)
2016-06-02 16:54:09
自分が嫌いで、劣等感により自分を責めるのとは違うってことかな。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 18:40:57
"「成り行きにストーリーをつけた」・・・
まさにそれそれ!!!それが縁起って事だと
思うよ。奇跡の連鎖反応だよね。"

なんとなく、だけど。
成り行き : 縁起
成り行きにストーリーを付けたもの : 業
かな?と思ったんだけど。
全然わからない当てずっぽうで。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 18:42:28
奇跡の連鎖反応 とかは、ちょっと好みじゃない
だって、全部そうだから。
全部奇跡なら全部普通ってことじゃない?
Unknown (Unknown)
2016-06-02 21:05:27
一巡しそうですね。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 21:57:54
何だかんだ、奇跡の連続で生きてるんだろね。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 22:00:37
縁起の中に業があるんでしょ?
Unknown (Unknown)
2016-06-02 22:40:35
うーん。

やっぱりこれ(今回の記事みたいなの)、南さんにとって必要なストーリーってこと?
当面これでやっていきます、ってことは、そういうことでいいのか?
でも、南さんは例えば「あなたの不幸は前世の行いの報いです」って言われても「そうだったのかぁぁぁ」なんてならないだろうから、
すると、その手の不安を抱えた人救出用のストーリーなのか。
それとも、学問的にというか、仏教の解釈として新説を主張しますってことなのか。
どういう話なんだろう?
Unknown (Unknown)
2016-06-02 22:40:52
>何だかんだ、奇跡の連続で生きてるんだろね。

私もそう思います。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 23:09:56
22:40:35さん

宮崎哲弥氏が言いそうなコメントですね。
確かに・・・考えさせられます。
Unknown (Unknown)
2016-06-02 23:25:56
密教に行きそうなおひとの文やね
なぜ禅なのか
Unknown (Unknown)
2016-06-02 23:30:22
南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ
Unknown (Unknown)
2016-06-03 00:41:47

リアリティを語ってるひとはさ、
原発問題とか重要な未解決な問題に提起できる闘争する才能
があるんだと見ている。
だからさ、仏教みたいな現実に無い抽象論を語る場では才能
持て余しちゃうんじゃないかなー。
そういう活動している現実の勉強会やネット掲示板で討論したほうが、
あなたの良さが生きるとおもうよ。
たぶん有り余るエネルギー持て余してるんだ。
ここは枯れた人間が集まる場所だから…笑
時事ネタは職場や飲み屋で話すから皆飽きてるんだよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 00:57:29
南さんが言いたいことを理解できないときは?

文章だけ読んでも、その人の言いたいことなんだから理解できるわけが無い
貴方が言いたいことを南さんが書いたわけじゃない

その人の生きてる時間を感じて
考えたこと、体験したことに想像し、
想像できないなら、いろんな人の体験を見聞きしたり、色んな人と友達になったり、色んな体験をするしかない

南さんはあなたの中にいる人形じゃないからわかるわけがないだろ

Unknown (Unknown)
2016-06-03 01:06:50
さあ
寝てる場合じゃない
夜の街へとびだそう!
Unknown (Unknown)
2016-06-03 01:46:56
ごめんね、眠いよ。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 01:58:16
全部奇跡だって事と全部普通だって事とは同じ事・・・でいいんじゃないかな。

単に人がどう思うか、どう感じるかの
感受性の問題で、同じ人でも時・状況・心境によって物の見方は変わるしね。

太陽のエネルギーで自分が生かされているのを奇跡とおもうか、日常の普通の事として何とも思わないか、

青い空の下、胸いっぱい空気を吸って、自分が今、生きてるんだな~と実感するのを奇跡だと感覚するか、
息するのは当たり前の普通の事として
気に留めないかは、人それぞれ。

南師の場合は小児喘息窒息疑似死体験が豊富だったから、息をして今此処にいると言う事が不思議(奇跡)だったんじゃないのかな
Unknown (Unknown)
2016-06-03 02:21:48
>日常の普通の事として何とも思わないか、
息するのは当たり前の普通の事として
気に留めないかは、人それぞれ。


全てを当たり前と感じるのは、我が儘の極みになるだろね。
無常なんだし、いつかは当たり前じゃない事に、ぶち当たるんじゃないかな。

Unknown (Unknown)
2016-06-03 03:38:15
(生の不思議や感謝は)俺にとっては当たり前→当たり前じゃないよ知るべき禅の心だよ!
うーん
なんだろ
多数と感動の沸点が違うみたいです
カルトと正当な宗教って違うようでいて
実は同じ構成でできている気がしてきた…
死は赤ん坊のころから考えていた
Unknown (Unknown)
2016-06-03 03:41:44
自分は俺教に入っているから
なにかの宗教を信じている人は
カルトに見えてしまう。一触即発
禅はカルト要素が薄いから仮に属してるけどね
Unknown (Unknown)
2016-06-03 03:46:35
今の僧侶は寺の子に生まれて
運命を受け入れてあえて出家したのだから
昔みたいに理想郷を求めて出家した僧侶よりは
考え方は地に足がついてるはずだから
いまの制度のほうがよいわ
Unknown (Unknown)
2016-06-03 04:04:07
自覚なかったけど
友人とか目上の人に聞いたらこういうタイプはかなり例外っぽい
だから、上の意見はあまり参考にしないでください
Unknown (Unknown)
2016-06-03 06:26:40
「南さんが言いたいことを理解できないときは?
・・・・・
南さんはあなたの中にいる人形じゃないからわかるわけがないだろ」

そりゃそうでしょ。
ここには「南さんはいない」んだよ?
(南さんが書いたらしき)文章があるだけじゃない?
そういう文章を載せた、その行為の跡があるだけじゃない?
そういう行為を行った人の、ある時点での「意志」の跡があるだけじゃない?
それは「人形」みたいなものじゃない?
「写真」みたいなものじゃない?

「南さんが言いたいことを理解できないときは?」
南さんに限らず、誰のことも同じでしょう。
例えばあなたが私(の書いたもの)を理解できない(する気にもなれない)ようなときも、同じ思いになる?
Unknown (Unknown)
2016-06-03 06:28:52
全て奇跡なら全て普通のはずです。
南さんの行為もあなたの行為も私の行為も。
全て奇跡ですか?
全て普通ですか?
Unknown (Unknown)
2016-06-03 06:40:39
こっちが普通であっちは普通じゃないよな

って思ってません?
「全て奇跡」どころか
Unknown (Unknown)
2016-06-03 08:28:19
恐らく
能力に関わらず、狭義が「内」と「外」に存在するケースがある。
世界には共通の意識を組み合わせるための言語である「鍵」が存在する。
「鍵」を使う条件は菩薩のような心?…←現時点でここがちょっと知りたい部分。

Unknown (Unknown)
2016-06-03 08:38:17
南老師は、多感な少年時代を通して、
ある「鍵」を手に入れた、と想定すると。
「鍵」を使う条件は「背中に張り付いた死」?
「鍵」を「保持」したままである状況では出家をすることでしか「鍵」を「放棄」できなくなるのだろうか?
Unknown (Unknown)
2016-06-03 08:42:09
不立文字
仏教の解釈としての新説を主張する?? (…)
2016-06-03 09:10:05
南師対話本『出家の覚悟』から抜粋;

26頁『信じる事と共感する事』で南師曰く、「僕は(仏教を)信じているという言葉の解釈が人とどうも違う。(僕にとってお釈迦さまを信じている、というよりも)激しく共感するという処なのです」。

・・・を受けて、28頁『信仰と信の違い』でS師応答して「まさに先生(南師)のおっしゃる通りですよ。~~。(他宗教では)仮説だから(こそ)信仰するという概念が出るが仏教では(その様な)信仰はダメなのです。仏教が語る信仰とは、先生(南師)がおっしゃった共感(の事なのです)・・・」
南師「ところがどうも日本のお坊さんとしゃべっていると、そこがまったく通じ無いのです」(33頁)。
(57頁)南師「僕が釈尊に共感して、信仰とは共感だと言って、お坊さんでそうだと言ってくれたのはあなた(S長老)だけですからね」
(56頁)「僕の書いた小難しい本がそこそこ人に受け入れられるというのは
異常だとおもうのですよ」「(だから僕自身も日本の伝統教団の中では)アウトサイダーだと思うのです」。

よって南師の言葉は新説発表の部類に属するという事でよいのではないのでしょうか(共感者は必ずどこかにいる筈だとの思いのもとに・・・)。
しかしこれは、精神的自我(自己)がしっかり確立した(自立心のある)強い人でないと出来ない事ですね。他のお坊さんたちの顔色ばかりうかがっていて、長い物には巻かれよ、という(精神的)自我欠損症だったら南さんはノイローゼになって壊れていたんじゃないでしょうかね。

「全て奇跡」か「全て普通」か (…)
2016-06-03 09:42:06
縁起の世界にあって「普通」って何かと考えると、刻々変わる神羅万象が綾(あや)なして今一刻の「普通」と呼ぶ状態が現前するが、そういう今の状態(常=変化しないもの)で存在していられる事の確率は極々少である(=ほぼ皆無、何故なら神羅万象無常だから・・・)。
そういう縁起の現成は「奇跡の連続」と呼ばれるにふさわしい。(と思う!!)。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 10:25:03
見方を変えれば、マイノリティやアウトサイダーと呼ばれる人は、奥深くまで観察されてるということじゃないかな。

ただ、小乗と大乗の区分は、どうかなって感じだけどね。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 10:27:31
…さん興味深い記事ありがとうございます
南老師と始祖は考え方が似ているんだとおもいます。
…でも世間的にはあまり言わないほうがいい気もしますよね。
部屋のほこりやなにげない日本語の書体や発音と寝癖や沸き起こる喜怒哀楽の感情と悲しい過去や嫌いな人間との出会いも奇跡。
なにひとつ珍しくなどない。普通。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 10:29:11
南さんみたいな考え方をしているひとは
沢山いるだろうけど
実際出家しちゃったヒーローは国内では南さんだけ
Unknown (Unknown)
2016-06-03 10:31:27
鍵を、手動から、自動設定に切り替える。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 10:32:34
公平と個性。
変人と常識。
世間と個人。
という「世間」という現実的な対比に興味があるようだね。
わいの課題は、なんだろう?
Unknown (Unknown)
2016-06-03 10:32:56
ヒーローって、そんなにいるもんじゃないよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 10:36:28
鍵は自動化させると
狂うんじゃないかな
Unknown (Unknown)
2016-06-03 10:37:10
一年中悟ってたらやばいよ
Unknown (Unknown)
2016-06-03 10:41:15
菩提心をきっかけにした鍵があるとして
鍵が仮に禅定だとする。
禅定が回転していて、自動化させると
回転しすぎて遠心力で
自分の心が吹っ飛び
まわりもびっくりします。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 10:43:06
遠心力で軸がぶれても
鍵は自動化されてるから、
自己からぶれてることなんかおかまいなしに
回転してたらとにかくよいとおもいすぎて
磨耗していつか尽きる。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 11:39:05
なんか、鍵の意味が変わった?
Unknown (Unknown)
2016-06-03 11:45:16
キーワード。なんちゃって。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 13:42:03
ヒーロー?ある意味、社会不適合気味な御方でしょ。悪い意味ではなくて、、共感する事多いし。。
誤魔化して適合させるのも疲れるしね。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 15:22:38
>社会不適合気味な御方でしょ。

こんなこと言わないの!!

共同業を考えられてるんだし…。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 15:47:47
ごめーん。俺が不適合だったー。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 15:58:50
(;≧艸≦)

まあそれもありだよね。
適合しないものは、仕方ない。
Unknown (お転馬)
2016-06-03 16:00:23
アタイも、不適合みたいだべ。
(笑)

どーすっぺ。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 16:02:36
>一年中悟ってたらやばいよ

どうヤバいんだろ?

一度、悟ってみたいけど。。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 16:07:40
『信仰と信の違い』で、「信仰は共感」というのは、何か共感できました。

それで、「信」はどうなるのでしょう?
小乗と大乗の区別 (Unknown)
2016-06-03 16:25:33
小乗代弁者曰く「無常・無我・一切苦・縁起を真に理解し得たら解脱に達せる。
今(見渡す限り)解脱に達している人をみないから、誰一人として無常・無我・一切苦・縁起を(真に)理解出来ている人は(この世に)存在しない」のだ。「煩悩を滅失しなければ解脱は出来ない」。

大乗代弁者「坐禅すれば即仏性が現成する(=要するに皆解脱者だ)」「煩悩即
菩提なり」
「信仰」と「信」(じる)の違い (…)
2016-06-03 17:06:43
『出家の覚悟』32頁~33頁

「信仰」(の一般的解釈)=「絶対的で特別な何かを一方的にあてにしながらやっていく(事)」。(証拠が無いものを信じきる信念が「信仰」=バクチ)。

南師言;「(これは)仏教においては、根本的に無理だと思うのです」。「仏教の場合、信じるという事を再定義しなおす必要があると思うのです」。

S長老「『信じる』とはどういうことですか?と尋ねられた時、『共感すると言う事です。其れしかないのです』と答える。それが、仏教の言う「信」(じる)という事・・・・『信仰』では無くて『信』なのです」。

南師「私もそれだとわかるのですよ。そうでないと、話が通じないのです」。

mmmmm
どうでしょう、話が通じましたか??
Unknown (Unknown)
2016-06-03 17:29:30
ご説明ありがとうございます!

先程の「信仰と信」は逆に書いてましたね。

小乗と大乗は、
マイノリティ・アウトサイダーかどうか?ということでした。

これは、どうでもいいことですね。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 19:08:16
一年中悟っている人は、禅病ですかね?
Unknown (Unknown)
2016-06-03 19:16:28
禅病っていうんだね。
坐禅の病気だっけ?

まだそこまでいったことない…
Unknown (Unknown)
2016-06-03 19:35:57
2012年10月10日のこのブログで、
禅病という言葉を知りました
悟りに執着すると危険です。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 20:49:46
南病も危険でしょうか。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 21:34:06
危険でもあり、有り難くもあり。
私は南さんによって、自分が見ていた世界や、自己同一化していたものがバラバラに解体されました。

しかし、今回の業の記事で、南さんも実存を懸命に生きておられるように感じました。
南さんには、生きていく上での前提を、散々教えて頂きました。
私も自己を生きなければならないという思いです。
南さんの言葉で自己が分解され、南さんの言葉で自己に戻れたような。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 21:38:59
南さんの言葉は本当に有り難いです。しかし、執着し過ぎると、精神が変になります。
このブログのコメントを読みますと、南さんへの執着が中和されるのでこれも有り難い。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 21:56:14
仏教は他の宗教に比べ実社会に落とし込むのが難しいと思う。宗祖がドロップアウトしてるしね
Unknown (Unknown)
2016-06-03 22:35:38
危険と有り難さの距離感を、ちょうどよいくらいに保つことなんだろね。

教えられたことを、今すぐ役立てなくとも、ひょんな時に効いてくれそうな気がする。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 22:37:12
教祖ね。ってゆーか、ドロップアウトからの~だね
Unknown (Unknown)
2016-06-03 22:39:24
実社会から仏教が、どんどんと引き離されてるような、近づいているような、感じがします。

いつの時代も、そうだったんだろうか。。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 22:42:13
もはや、教祖をあてにせず、自力でどうにか掴んでいくしかないのでしょう。
Unknown (Unknown)
2016-06-03 22:43:32
ん?釈尊もドロップアウトしてたんじゃないの?
Unknown (Unknown)
2016-06-03 22:55:52
>ドロップアウトからの~

そうだと思います。
ドロップアウト (Unknown)
2016-06-03 22:59:33
ふむふむ!!ドロップアウトねェ。
出家は家出人、出世間だから確かにドロップアウトかもね。

でも俗から聖へのドロップアウトだからね。

滅びの世界、欲望の渦巻きのなかから抜け出す事だからね。

一旦ドロップアウトして、そとから溺れた人に手を差し伸べようとするんだから大いにいいんじゃない???

誰でも、がんじがらめの自分から一旦ドロップアウトして新しい真の自分を取り戻すとかはど~よ!!!
やっぱり坐禅しましょうよ、ってなちゃうんじゃない??、
まあ固定観念の打破という事だよね。
それでいいんじゃない??
全てが普通!! (Unknown)
2016-06-03 23:39:48
「全てが普通!!」って脳が老化現象を起こしているようだね。

自己嫌悪に陥っているのかな???
それともこの世に飽(う)いちゃったのかな??
眼がナマコになっちゃったのかな??
または単に平和ボケなのかな??

「常」(つね)はないよ。退化まっしぐらだよ。

赤子・子供は満身好奇心だからね。眼が輝いているよね!!
老人も終生、努力目標を持つ事、学び続けることによって、生き生きした命を生き切れるしね!!。

「全てが普通」と思いたいなら、
せめて「いつもの通りの今日一日を無事に暮らせて有難う!!」って感謝するなら救いがあるけどね・・・。
Unknown (Unknown)
2016-06-04 00:25:51
そうだね。

全てが普通って思考は、思い上がりかもね。

というか、普通の基準がどうか?にもよるかと思うけどね。

まずは
「身心脱落せよ!」
かな。

Unknown (Unknown)
2016-06-04 00:28:19
全てが奇跡!!!
のが響きもよい感じ。
Unknown (Unknown)
2016-06-04 00:56:05
あ~、そ~だ!!
「全てが普通」さんは、今日一日に起こった&感じた&発見した&学んだ&考え得る「奇跡」は何だったかを発見する事を、日々の「努力目標」としたらいいよね(こじつけOK,You are OK!!)

むりにでも「一日一喜」「一日一笑」
「一日一奇跡」を努力目標として自分に課していくと、人は変わっていくものだよね。
ほら奇跡が起こるじゃない、自分が変われるんだから!!!
Unknown (Unknown)
2016-06-04 01:26:07
ダメよダメダメ。
(゜×゜)

全ては不通産は、ひねくれてる感じだから、押し付けられるようなことは、嫌がるんじゃない。

Unknown (Unknown)
2016-06-04 01:29:17
あんまり興奮すると、平常心やこころ穏やかなるものから、離れてしまわないかな。
Unknown (Unknown)
2016-06-04 01:32:08
適合は適合を、不適合は不適合を生きればいいんだね。うん。
仏教は現実から離れて行く?? (…)
2016-06-04 02:19:22
南さんの考える(大乗)仏教の最大テーマは、「此の生きにくい世の中で如何に勇気をもって生き切るか??」だから(多分??)、
彼の仏教が現実から離れて行くという事ではないよね。
彼の「小難しい」本は「如何に生き切るか」の論理的いしずえを創る為の思考と言った処だと思うよ。

その答えを(自分の疑問の答えを)経典を捜したけどフィットするものが無くて、西洋哲学まで手をのばしたらそっちの方にフィットするものを見つけた・・

つまり仏教と西洋哲学の融合の中から
(中道なる)答えを見つけるというのは普通の凡人には出来ない事だからね。

南さんの論理の整合性は十分現実世界に応用出来ると思うよね。楽しみだね!!
えええええ、新発見!!! (…)
2016-06-04 08:36:47
(今は古き)2009年発刊の『出家の覚悟』109頁から突然きな臭くなってまいりそうろう!!(遅まきの思考の大転換を強いられそうだという意味で・・・あくまでS長老の知識の披露上からですが・・・ホンマかいな??と半信半疑!!)。
では何故南さんは今回それに触れなかったのか???

中村元氏の勘違いで、バラモン教の聖典であるウパニシャッドは釈迦時代より古いとの思い込みで(実際には釈迦時代のあと2~300年後に書かれた物なのに)、そのウパニシャッドに輪廻や業の思想が堂々と書かれていたので・・・、

バラモン教では(釈迦以前から)個人が死後の輪廻転生で来世を六道的に永遠に輪廻するとかいう論理が在って、釈迦もそれを聞いていた(知っていた、もしかして信じていて待機説法に利用した)筈という前提がねつ造されてしまった(のだのだ野田元首相!!、)。日本仏教もそのウパニシャッド的発想を踏襲してしまった。

しかし釈迦仏教に於いては「我=実体の或る個」の思想は無い(=無我)ので(故人としての個人の)「死後の輪廻転生」も当然発生し得無い。

釈迦のオリジナル発想である「輪廻」の概念とは釈迦が発見した「因縁」(=因果、業、縁起)の発見から派生している言葉(のあや)にすぎない。「因縁」を正しく理解しないから、概念という泥沼から抜けられず堂々巡りをしている=
輪廻転生している・・・という程の意味だった(113頁参照)。
無我説を説いた釈迦が輪廻という言葉を作ったのだから、その本当の意味は解脱に達した時に理解出来る。無常が解れば輪廻はわかる。
輪廻は言ってみれば(縁起と同根の)「永遠の川の流れ」みたいな概念だ、今の現象は瞬時に消えて新たな現象が生れる。限りなく続く輪廻とは『変化し続ける』という意味の言葉として釈迦が発明した言葉なのだ、とかとか・・

mmmmmだからして、南師匠が「輪廻」は仏教に不要だと言い切ってしまったのか!!!・・・・。なるほど日本伝統仏教のお坊さんたちには理解されんよな~~、納得!!!

吾輩の頭が分裂しかかっておるからしてヘンチョコリン文章おゆるしあれよ!!


Unknown (Unknown)
2016-06-04 14:00:51
ああ。そんな話してましたね。
なんかむにゃむにゃとスルーしてました。
そういうことだったんですか。
わかりやすくありがとう。
Unknown (Unknown)
2016-06-04 14:06:12
あれ?でも。中村元てわりと最近ていうか、昭和の人じゃないですか?
生まれ変わりとかいいところにいけるとか、もっと前からある気がする。
Unknown (Unknown)
2016-06-04 14:32:24
あ、スリランカの人が言ってたのは
学問的に言うと、だっけ?

ああでも。
バラモン教的輪廻を誰がいつ言い出して釈迦がそれを知ってたとしても知ってなかったとしても
結構どうでもいいな。
Unknown (Unknown)
2016-06-04 14:56:17
たぶん。
業と輪廻では南さんの扱いが違うのはなぜだろう、とも思うし。
業にしたって、「前世の報い」も「そうだったのか」と思われれば「業」なら、そのとき「輪廻」も成立でしょ?
結論(「そうだったのか」と思うか思わないか)は先にはこないんだから、何とも言えないよね、と思うんだな。
Unknown (Unknown)
2016-06-04 16:00:51
あやふやなことと、事実に基づいた解釈とでは違うよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-04 16:09:14
>生まれ変わりとかいいところにいけるとか、もっと前からある気がする。

こんな人間の都合のよい解釈思考を、批判されてるわけだよね。

信仰して幸せなら、それはそれでよいのかもしれないけど、変な期待をしてるのなら、裏切られた感が必ず出てくるはずだよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 00:35:45
ちょっと一晩考えたんだけどさ、
全員に言ってるわけではないけど、

「外にあるなにかにすがりすぎと期待がはずれたときに、精神の危機が訪れる」
傾向があると思う。

禅とかは突き放す宗教だから、うまく生活に活用して、
あとは日本人特有の無宗教観どおりに、距離をおいたほうがいい。

基本的な生き方としては
「外にあるモデルや権威を自己に取り込む」よりは、
「内にある自分の弱さを認め、如何に自信をつけていくか」が大事なのではないかにゃ。

できることとしては、原因は怖さやコンプレックスや親との関係やら、トラウマやら色々あるでしょう?

でも何かに一回依存しないで、
自分の人生を自分で褒めて一人で高めていくこともいつかは必要なんじゃないかな。
道元さんや釈尊もそれを望んでいるかもしれんぞよ。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 00:44:03
言っとくがおいらのは依存じゃないぞ
一人で演習場まで歩くタイプだからな
Unknown (Unknown)
2016-06-05 00:48:49
ポジティブの裏面はネガティブです
どちらかに偏るとどちらかにもどります
ブッタはそういうことを言いたかったんじゃないかな?しらんけど

孤独が怖いのかもしれないけど
孤独は楽しいよ。
わからないとおもうから実験的に
一度友達や家族とゼロ距離感覚で過ごしてみなよ。
孤独の楽しさがわかるから。
これは個性の問題だから無理かもしれないけど。

悪口じゃないからな
改善案でした。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 00:50:25
あと意味無く俺に絡むのはやめてくれ。
綺麗なお姉さんならOK。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 00:51:27
口が悪いけど
恐らく見目麗しくお上品なお姉さまにののしられたい。。
Unknown (…)
2016-06-05 01:04:33
バラモン教的輪廻思想を釈迦が知っていたのかどうかは釈迦の思考プロセスを理解しようとする時には大きな問題だと思うよね。
因果律を過去・未来に持ち込むかどうかの瀬戸際思想となるからね。釈迦が輪廻的勧善懲悪思想に毒されていたのかどうかという意味だからね。

釈迦の修行の目的(永遠的苦の完全滅失)が、
(個)人が輪廻転生してそのたびそのたび輪廻先でおこる永遠の「苦」のサイクルをも滅失したいが故に出家に世を捨てさせた(人間性の否定をさせた)と考えると、釈迦の出家への要求が納得できる事にもなるし・・・
つまり、出家の人間性否定は輪廻の輪から抜けるための「(現在の)苦と、未来の)楽」の交換条件だ、的な発想が出るし・・・

待機説法で出家出来ない「なまくら衆生」でも「善行を施せば、良い輪廻が出来るからね」という言葉(釈迦がそうしたと言われている・・)の理由付けも出来るしね。

これをイスラム原理主義者の自爆テロパシリで対比して考えると、
(この世に於いて)貧乏で妻をめとる力のない青年男子に、「聖なる自爆テロ」すれば、あの世では50人の美女にかしずかれて欲望の向くままに男の想いを実現出来るぜ(酒池肉林!!)とそそのかした・・・の類型となるからね。

Unknown (Unknown)
2016-06-05 01:25:31
そだね。輪廻は、仏教と対比させる分には参考資料にはなるだろけど、結局、不要なんだよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 01:27:57
綺麗なお姉さんと絡みたいなら、場所をお間違えでは?
Unknown (Unknown)
2016-06-05 01:31:43
みんなキレイなお姉さんだよ!!

それでOKだよね。
(...論)追加 (...)
2016-06-05 02:08:05
釈迦の道理が、この世のみでの「苦」の(完全)滅失(四諦)であって、その達成方法としての大前提が、
「出家しなければならない!!・・・」

で出家したら・・・、
世を捨てなければならない、
職業に就いてはならない、
結婚してはならない、
性欲は禁止じゃぞ!!!
おいしい物も食べたらあかんぜよ!!!
人と交わって心を動揺すべからず!!!

これこそがこの世での「苦」の滅失処方箋じゃ・・・

と言ったとしたら、「苦」の滅失の存在意義はなんなのかという新たなる疑問が発生する・・・。釈迦の道理はどこに在るのかが分からなくなる・・・

(と思う!!!、まあ衆生は関係ないけど)
Unknown (Unknown)
2016-06-05 02:28:33
苦の存在意義か~。
勝手にプログラミングされて、苦を組み込まれて生まれてくるからね。

衆生はとりあえず、少欲知足なのかな~。
縁起って一元論?二元論? (…)
2016-06-05 07:47:42
>かってにプログラミングされて、苦を組み込まれて生まれてくる・・・、

って、縁起神様がかってにプログラムして、苦を誰か(人)に組み込んだ、って意味なのですかね??これって二元論だよね。


縁起が一元論である為の条件は、

赤子が(赤子の脳が・・・いやもっと以前の受精卵分裂以前の状態で)DNAの遺伝子情報で、人の運命の半分は決まってしまう(ジノタイプと呼ぶ)・・・、
であとの半分がフィノタイプといって育った環境に影響されて変化する部分。

これだと縁起の流れという考え方嵌って、しかも『縁起』という実体的な神様もいなくて済むから一元論で通せるのかも???

『当面はこれでやっていきます』かな!
「悟り」の構造学 (…)
2016-06-05 08:41:13
人は体で考えるとかの言い方があるけれど(例・・只管打座とか小乗的瞑想法)、やはり最終は全情報が脳に送られ、脳で処理され記憶して蓄えられ、その範囲内で(新事態に対して)演算処理をおこなっている・・・とすると、

突然ググッと沸き起こる「悟り」とは、
全くの「無」から「有(この場合は悟り)」が沸き起こったと言う事は出来ない。なぜならそれだと二元論となって、神から与えられた啓示としなければならないからだ・・・。

悟りが一元論で在る為の論理学は、
「悟り」とは、人の脳の潜在意識下にあったものが或る時表面化した一つ意識である、
またはばらばらに散らばっていた(個々では意味のない)情報群がその時脳内で合成して、或る一つの姿を形成した意識(情報の合成)として出現したものである、
としなければいけない(これは「空」が「色」として目に見える即ち知覚出来るように姿を表したものという表現も出来る)。
一元論では(悟りだとて)「無」から「有」は生じないのだ。

これも『当面はこれでやっていきます!!』といたします。
Unknown (ZIP)
2016-06-05 08:42:58
苦がプログラミングされて生まれてくるとするならば、生まれてくる事自体
運が悪いという事になる訳で、そこから導き出される結論は出生否定となってしまう。仏陀もこの事は当然理解していたはずで、人間を現象学的還元によって
「一切は苦である」との結論を出すに至ったわけである。いわゆる「業」としての人間のありようである。
しかし、運悪く生まれてきた仏陀は
「一切は苦である」と同時に「一切の苦厄を度したもうた」境地に達している。
どういう事か?
南師は釈尊を越える。だからこそ、原発に反対する! (イエスちゃん)
2016-06-05 08:56:52
原発被害に対して、自己責任を認める!

「共同の業」を変えるべく責任を負っていると、
自分が認めて引き受ける!


『この「共同業」にあたるものとして、古来仏教に「共業(ぐごう)」の概念があります。ただ、これは「器世間」、すなわち<自然環境のみ>を意味します。』

『私はこの概念を<<拡張して>>「共同業」を定義しています。』

要は、単なる心の世界の議論は「戯論」である。
「空論」である。

他方、原発は「実論」であり、人を殺す。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 10:14:52
Zip さん、「どういう事か??」って言ったって、釈迦の意味した「苦」という言葉は原語でドゥワッカの事だから、本来はガタピシ車輪のことで、そこから「不満足なモノ、満たされないもの(満たされない世界)、不完全な世界」という意味で釈迦が使ったなわけだから、ジップさんのいう「出生拒否」にはならんでしょう??

イエスちゃんさんの「タイトル」は言い過ぎがあるみたいだけど、良い点を突いているのかもしれません。悟りを開いた(解脱した)とか言う個人的な体験が個人内で閉鎖的に留まっている限りでは何の価値も生み出さないとおっしゃりたいのでしょう。共感します。
Unknown (ZIP)
2016-06-05 11:33:44
翻訳についてあれこれ言うつもりはないが、刺さる言葉として捉える場合において「思い通りにならない」と訳すよりは「一切は苦である」と訳す方が妥当だと思われる。漢訳者が仏教徒であった事を考えれば なおさらである。
クワインの翻訳の不確定性を参考にしてはいかがだろうか?
言葉の解釈として、院代が言われている「刺さる」という意味がわかるはずである。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 11:43:01
エネルギー有り余って感情的になるのは
若くて元気な証拠だから、
手当たりしだい喧嘩して人間関係悪くするよりも、スポーツ等で発散したほうがいい。
ストレス発散の方法わかってない人が最近多いらしい。
あと坐禅や日常的な作務は根性が身につくので、なるべくやったほうがよい。
骨折した足の指をテープで止めて固定して、病院に行けないお役目を数日間乗り切った院代さんを見習いたい。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 11:51:25
プログラミングも、主語が神様やブラフマンになると、二元論になるけど、やはり仏教的には、無我アナートマンになるよね。

生まれてる以前のことは不明だけど、生まれてきたら、苦のない人は誰もいないはずだしね。

だから釈尊は、生まれてきた者に対しては、出生拒否をしたわけでなく、苦を減らす方法や道を示されていたんだと思うよ。

また、神様にすがって天国に行きたいとかいう方法ではなく、自分で解決していかないといけないよ、という方法だよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 12:00:51
漢訳も人伝なわけだし、ニュアンスが微妙に違ってるはずだよね。

「苦」を解体すると、やはり思い通りにならないとか、無常とか縁起とかでの説明になってくるよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 12:09:31
>ストレス発散の方法わかってない人が最近多いらしい。


昨今は、ネット社会で、今や小学生クラスからネットを使用しているので、それも影響してるだろうね。


人により向き不向きがあるから、何かしら打ち込む何かを見つけることだよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 12:21:56
業とはなんなのかは
南さんが洗礼を受けるべきか悩んでる話に繋がるとおもうわ
Unknown (Unknown)
2016-06-05 12:25:49
自分の知り合いも修造ぐらい元気だったけど
実はどこか悩んでたらしくて、無暗に働きすぎてヘルニアとかで体壊してしまった。
いくら人一倍の気力があっても体は限界があるから、気力のコントロールは欠かさないでほしい。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 13:44:20
修造のあのテンションは、どこから来るのかなww

一見、熱苦しいけど、あそこまで突き抜けて元気だと、見ていて何か気持ちいいよね。

どんな調整してるんだろ。
しつけ? (Unknown)
2016-06-05 13:46:56
北海道の山奥で置き去りにされた大和君、見つかってよかった!

助かったのが奇跡かも。

これも業なのか。。
大和君 (Unknown)
2016-06-05 13:56:07
『VIPPERな俺 : 昨日発見された大和君のすごいところで打線組んだ ...』

blog.livedoor.jp/../5058324.html


何か凄い内容になってる!?

Unknown (Unknown)
2016-06-05 13:59:51

あっ。

第三者が、彼の「業」についてアレコレ言うことは、極めて僭越かつ無礼であるだけでなく、ただの妄想か悪質な冗談にすぎなかった…。

Unknown (Unknown)
2016-06-05 14:02:56
>南さんが洗礼を受けるべきか悩んでる話に繋がるとおもうわ


他人がアレコレ言っちゃいけないみたいよ。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 14:15:34
仏教みたいな抽象概念は
生きていく心構えをつける若輩者養成所みたいなもので、
場合によるけれど、現実的に深刻なトラブルに直接対処するパッチではないような気がする。
大昔の人の説法だし。
使い方間違うと誰も責任取れないからね。
持論だから間違ってるかもしれないけど。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 14:25:22
なんかトランス状態っぽいな
血潮震える。
こういうアーティストに感化されると若者はやばい。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 14:28:17
臨戦態勢になると、観客がダイブするけど
周りが覚めてると頭から落ちる。
高名な僧侶が説法するとき、体からこんな威圧感というか興奮がでてたのかな。
仏陀は冷めてそう。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 14:48:52
>現実的に深刻なトラブルに直接対処するパッチではない

其れで南さんは仏教が今生きている自分にとって何を意味するか、仏教と真正面から対峙しているんじゃないのかな??

僧侶の既得権の上にあぐらをかいて惰眠をむさぼっている人ではないよね。

滅びゆく組織となるかどうかは自浄作用が働いているかどうかなんだろうね。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 14:51:41
滅ばないとおもうよ~

滅ぶときはその程度だったんだよ
Unknown (Unknown)
2016-06-05 14:55:48
仏教は寺にあるんじゃないよ
生まれ消え行く人の心のなかにあるんだよ
昔の人の心のかけらが集まっていくつもの宗教を作ったんだよ
焦ったらだめよ~
Unknown (Unknown)
2016-06-05 14:57:37
お坊さんが特別視野が広くて、偉いから立て直すんじゃないよ
衆生に必要とされるかどうかが問題じゃないよ
すべては衆生の生の流れに沿ってるだけだよ~
ZIPさんの「翻訳の不確実性」 (Unknown)
2016-06-05 15:05:26
誰かの言った言葉を、センセーショナルに改造して(=真意・元意を捻じ曲げて)「刺さる」言葉にしたてあげる・・・
何故ならそれが時代の要請だから・・・。

これはどこでも見られる現象なのでしょう。
釈迦は草葉の陰で「おれはそんなつもりで
言ったんじゃ~ね~よォ~」って歯ぎしりしているのかも知れませんね。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 15:12:59
えらいネガティブだな。
養成所の部分をスルーしないでくださいよ。
ポジティブなふりして、実はネガティブな人だな。
考えてる経営戦略はわからないけれど、
人間は何年経っても変わらないから、まあ大体の部分はあってるとおもうけど、
問題は理解以前に、座学が嫌いな人への対処だ。
Unknown (ZIP)
2016-06-05 17:04:11
確かに仏陀はそんなつもりではなかったかもしれない。
が、漢訳者はあえて意図的に訳したはずである。専門書の翻訳者がその専門分野に関わっていないれば当然まともな翻訳にはならない訳で、刺さりもしなければ、効きもしない。
仏陀の生存していた時点での「思い通りにならない」という言葉の意味と漢訳者が翻訳した時点での「思い通りにならない」という言葉の意味が同じであるとするならば、何故「苦」と訳したのか?
苦と訳す事に意味がある訳で、苦と訳す事で伝えたい事があったと解釈すべきではないだろうか?
翻訳の不確定性の理解がその程度であるならば大変残念な事である。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 18:13:02
洗礼の話 よく覚えてないけど
神父さんが「神は民の罪を背負っています」
みたいな答え方に、南さんが考える話。
自分はあまり意味わからなかった。
誠実な子供にカルマ云々の説教はトラウマになる。
少しひねくれてる子供にはちょうどいいかもしれんが。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 18:16:26
南さんではなくネルケさんの体験談だったかもしれないです。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 18:23:18
臨済宗の人だったかも
すいません。
テーマの輪廻があるかどうかは、そのぶんお布施が増えるかどうかなのだとすると、
それは、否定するしかないですよね。
どっちでもいい派です。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 20:19:26
日本の仏教がこんな風になったのは、玄奘せいだ!ってタモリがいってたらしい。。
Unknown (Unknown)
2016-06-05 22:23:49
>何故「苦」と訳したのか?

それが漢訳で、適当な言葉だったからじゃないかな。

だけど、これによって、解釈が様々だよね。
苦しむしかないのか?みたいな。
Unknown (Unknown)
2016-06-06 00:06:54
肉体派のお姉さま、ホント色々言い方きつかったですねごめん。
試しにじゃれあってみたけど、隠してる真意は他の人も大体同じだとおもう。
色々ままならない様子だから、
とりあえず自分の事だけに集中します。
Unknown (Unknown)
2016-06-06 00:10:12
ああ月曜だるいな
皆さんお疲れ様でした。
Unknown (…)
2016-06-06 02:28:08
「翻訳の不確実性」って翻訳だけでなく
「言葉」の伝播では必ず起こりますよね。言葉が時代を経て独り歩きをするからなのでしょう。結局「言葉」は各人それぞれに都合がいいように歪曲されていく運命な訳です。そして「言った、言わない」の論争や「そう言ったじゃないか、いやそんな意味で言ったのではない」の論争になっていく訳です。

「苦」観だけでなく「無常」観、「無我」観みなおなじみたいですね。

それに気付けばこそ疑問を感じた人は、最初に言った本人が本当は何を意図して言ったのだろうかが知りたいと思う訳です。

南さんみたいな勇気のある人が輪廻は不要といって、伝統的日本仏教観に反旗を翻したのはそういう事なのだと思います。
Unknown (…)
2016-06-06 03:24:33
漢訳にしろ和訳にしろ、発言者の言語文化に全くぴったりフィットする当地の言葉が無いと近似値的にそれらしき「ご当地言葉」を採用せざるを得ない・・・>これが元の意味を変質させていく、という事ですね。

日本では『宗教』という言葉の元の意味は宗(=あるグループ)の教へ(=それぞれのグループの主義・教義・趣旨の主張・考え方を説く)という程の意味だったのが、
キリスト教が日本に入って来た時、キリスト教に対し「宗教」という言葉のなかにくくり込んだ・・・
それ以来、「宗教」というと、何か超自然的なものを『信仰』する事という新概念に変節して行った・・・。そゆことです。

「苦」=ダッカについて言えば、
(古代インドが戦争に負けて滅ぼされた元凶でもある低技術戦闘力の)圧倒的にガタピシの車輪(=車軸のずれ)のイメージのもとで釈迦が「この世の全てはダッカである」と言った。・・・>
でも2~300年後乃至さらにそれ以後の世界では適当な訳語がなかったので今様の「苦」という言葉を当てはめた、が真相のようです。
因みに英語圏でのダッカの英語訳では
(不満足なモノ、満たされないものという意味の)unsatisfactoryという言葉があてがわれているそうですね。painとか
agony系の英訳語は使ってないそうです。(『仏教のゼロポイント』からの引用)
 (Unknown)
2016-06-06 10:42:57
>不満足なモノ、満たされないものという意味の

英訳はこうなるんですね。
それはそれで、意味深いというか、言葉って不思議。

「完璧でないもの。不完全なもの。」とも言い換えられますかね。
Unknown (Unknown)
2016-06-06 10:49:52
とにかく、ドゥッカを、人間のもっとも嫌がる表現にしないといけないでしょうね。
Unknown (Unknown)
2016-06-06 10:59:21
現実的には、人間自体が完璧なものであれば、それはそれで、悲惨なことというか、この世界はまず、成り立たっていないでしょうね。


ただ、不完全だからといって、本当に成り立っているのかどうか?

間違いを侵しながら、どうにか成り立っているということなんでしょうね。

因縁説(因果説+縁起説) (…)
2016-06-06 15:04:37
今回記事のコメに紹介されていた南さんの2009年での縁起説記事を探して読みましたが、(コメされた方と同様に)???で、じっくり読むのを諦めました。Aだ、非Aだ、非非Aだ(もしかして非非非非Aだ迄行ってたか??)。

で今日、佐倉哲氏の記事経由で、
釈迦の説いた縁起説は(一方通行の)因果性の事であり、龍樹の説いた縁起説は(相方向通行の)相依性の事である、
両者は完全に違う思想だと言う学者もいれば、いや結局同じだという人もいる、とかなんとか・・・

で、龍樹がまさにA,非A,非非A、~~的な理論戦を繰り広げている事を知りました。
南さんと龍樹は同根の論理学を使って縁起を説明しようとしていたのだとガッテンいたしました。

で、龍樹さんは、ある事柄B(結果B)には、必ず原因Aがある(即ち、一方向の因果関係がある《A・・>B》、を理論拡張して、B(結果)が無ければA(原因)も無いんだ、という論理を打ち出した(これがAとBとの相依性らしい…たぶん???)

つまり、
①「ある出来事が起こるについては必ず原因と呼べるものが存在する」という事は、
②「もしその出来事(結果)が実際に存在(発生)しなければ、原因となる出来事も存在しないのだ」と議論を進めたわけです。

しかしこれは私的にはYesでもあり
Noでもあると思います(=絶対真理ではない)。

何故ならある結果としての一つの出来事は実に多くの種々の原因が偶然的に重なった時に起きるモノ(縁起といえる)であるが、
その結果としての出来事が無い(現成していない)としても、原因とみなされた種々の出来事は既に実存していると考えてもよい(ただし異なるベクトルとして個別に存在している)。その個々の原因群に何かの機運(縁起の風??)が加わった時(偶有的)に、結果が実在として合成されて来るのである(=風が吹いてくる)・・・という解釈が成り立つからです。
「マーフィーの法則」的な考え方ですが、龍樹の論理ではカバーしきれない要素が存在する・・・(ように思う、当面の処は・・・)。





因果説追加 (...)
2016-06-06 15:25:21
実例で言うと、

福島の原発事故という結果は、さまざまな
原因が重なって起きた出来事であるが、

もし原発事故が起きなかったとしたら、様々な原因も存在しないのだとは言えない、
原因としての要因はずっと前から存在していたのである・・・
Unknown (ZIP)
2016-06-06 22:35:45
原因から結果に至るルートが多数あるとするならば、意図を証明する為には、
因果関係では説明が不充分である。
言い換えれば、理由と行為が因果関係でつながりさえすれば意図的だとは判定できない。
Unknown (Unknown)
2016-06-06 22:36:19
風が吹いてくる

理屈で説明できない何かがある。

(…)さん、ありがとうございます。
あなたが書かれたことをじっくり読みます。
Unknown (Unknown)
2016-06-06 22:41:00
風は、どこからきてどこへゆく。

正に生のようだ。
追加;因果の相依性 (...)
2016-06-06 23:06:46
結果Bと原因Aの相依性サイドから代弁するならば(Yesの側面)、

結果Bとは今一瞬に現成している「色」であり、原因群は過去となった「空」である。「色」=「空」は「空」=「色」であるから「相依性」が成り立っているのだと話を持ってちゃう遣り方ですね。

この論法の疑問点は結果Bは「色」なのか、原因Aは「空」なのか、という事でしょうか。両方とも「空」だから「相依性」なんだとこじつける事も可能だけど、不確定性原理観でこの世を切って捨てる的な意味のない概念論戦であるようにも思えます。

ところで不確定性原理は2012~3年とかに
既に破れていたようですね(不確定性原理を否定する実験が成功した??)。
Unknown (Unknown)
2016-06-07 07:39:39
色即是空
空即是色

AもBも、つまりは同じことなんじゃないのかな?

Unknown (ZIP)
2016-06-07 12:47:42
因果とは、ある行為がある結果を生じさせた場合に、結果を招くと考えられる
複数の可能性のうちから、ある一つの
ルートを選んでその作用因を説明するという事であり、それを因果関係があるとして通常理解する。
結果を生じさせた主体が持つ意図を、
因果関係で説明し、主体の合理性を問う際に判断の根拠となるものである。

院代が言われている縁起を勝手に解釈すれば、それは主体の合理性を認めないことである。
結果を生じさせた主体とは、因果関係
などで回収できてしまう存在ではない
という事である。
因果と縁起はセットで語られることが多いので勘違いしやすい。縁起は因果とは別次元である。
因果という視点からは、行為主体が意図的に、自覚的に振舞っているという前提のうちにあって主体の意思や権利は尊重され、それと引き換えに責任を課せられそれを受容する。
しかし、縁起という視点から眺めた場合
行為主体の意図や自覚は、主体と接する
多数の事象から受ける様々な作用を、
主体が意識する事なく、盲目的に、無自覚に受容している状態を見ている訳で、行為主体が意図的に、自覚的に振舞っていると思い込んでいる態度を否定する立場である。
これはある意味において反社会的な概念である。どう言う事か?
勘違い。 (Unknown)
2016-06-07 13:42:45
縁起と因果関係は別次元。

ZIPさん。
説明ありがとう。

Unknown (Unknown)
2016-06-07 14:24:31
Yahoo!何かトラブってるの?

イエスちゃんとこ見れないよ~(泣)
縁起説敷衍(ふえん) (…)
2016-06-07 17:32:28
龍樹の『縁起』の概念は「相互依存」を意味する為に現代の仏教学者は彼の『縁起』を「相依性」「相互依存」「相関関係」などと意訳して初期の「縁起説」と区別します。

中村元『原始仏教の思想・下』も初期の縁起の概念における項目の関係は「一方的」であり、龍樹の概念の様に「可逆的」でない事を指摘して、龍樹の縁起は初期の縁起説とは「まったく異なった意味」を持つものであると主張されます。

初期の縁起観は因果関係である。此の為
現代仏教学者Kalupahana著の"Buddhist Philosophy"において「縁起」をずばり[casuality](=因果関係)と現代語訳をしている。
(出典;佐倉哲、第二章「縁起論」)。


元来「縁起」というは「縁りて起こる事」という意味で、文字通り「原因(条件)があって生起するもの(果)、
つまり、因があって果がでる=因果関係という事であり、釈迦の縁起説は「原因が滅失出来れば「果」も起きない」と「一方向的」に縁起を延べたものである・・・・
Unknown (Unknown)
2016-06-07 22:35:53
「空(そら)の声を聞きたくて」と、歌っているCMを見ました。
ああ…、私も空(くう)の声を聞きたい、と思いました。

空は私にとって、新しい視座を与えてくれました。そこからは自力でやっていくのだと思いますが、なかなかしんどい。宙づりです。
空さん、その先を発言してください、と思うのですが…
ここから先は業や縁起で耐えないといけないのかな。
仏教とは・・・ (…)
2016-06-07 22:55:32
仏教とは森羅万象の在り様を哲学的に考察したもの。人それぞれ別の考え方が出るのが自然であろう。

人は自分が共感する考え方に依拠するしかない!!
自分で創り出すしかない、とも言える。

何故それが必要であるか??それは自分の存在に理論的根拠を感じると、人は安心するからであろう。生きている意味を見出すからであろう。

どの考え方に共感するかは自由であり、
個人の権利であり、処世術であり、心の支えであろう。

かくして風はどこかへ吹いて行くのである。『風と共に去りぬ!!』
風の又三郎 (…)
2016-06-07 23:17:28
空(くう)は宇宙のことではないだろうか。
自分が宇宙の中に存在している、漂っている事を感じる事ではないだろうか。
宇宙の中に唯我独尊で輝いている事を知る事ではないだろうか・・・。

そして其の為には、一旦そしてたびたび、この世相から抜け出て見る、
宇宙から此の世界の事、自分の事、自分の周りの事を客観的に眺め直してみるのが良いのである!!!

ノンちゃん雲に乗る!!!
青い空の白い雲こそあなただ!!!
天駆け巡るペガサスこそあなただ!!!
夜空に輝く星はあなただ!!!
Unknown (Unknown)
2016-06-08 09:37:56
自分自身も宇宙なんだろからね。


>「ニルヴァーナ」を目指している「自己」

>「科学的真理」を知ろうとしている「自己」


これは、自己によって自己を観じて…
「真の自己」と「自我」と解釈してよいのかな。
南師の(当面の)「業」論 (...)
2016-06-08 10:04:58
「業」とは「業の自覚」の事である。[自覚]という主観的な概念に過ぎない。その意味に於いて「業の他人覚」「業の世間覚」「業の普遍的存在覚」「業の客観覚」等々は成立しない(存在しない)。

「業」は自分が因果の世界で生きていると自覚した時のみ生きた意味(自業自得観)を持つ。「共同業」も自分が「共同業」に関わって責任を負っていると自覚した時初めてその「業」観が現成する。

縁起の因果性を理解しなければ「業」は存在の余地が無い。
つまり「業」とは自分が自分の「行為(存在)」に因果性を認める時にのみ機能する概念であるのだ。

?????、
という事は、全ての行為には普遍的に因果性がある、
即ち森羅万象において結果(としての行為)Bが実在する時には、
原因(としての行為)Aが必ず実在するものである、という普遍的な一般相対性理論は存在しないのだ・・・、

という事に成って仕舞うのでしょうか?
追加 (...)
2016-06-08 11:07:59
今回の記事に関連してのもう一つの疑問は
「業」論においては「自業自得」が実在するのかという事でしょうか。

この世に於いては「悪は栄える」という現象が多く存在しますが、此の事から考えるに「自業自得」の法則を成立させる為には、どうしても輪廻説(もしくは地獄に落ちる)という来世での懲罰を導入しなければ「自業自得」説が完成しないのではないかという事です。
輪廻説を捨てる時には同時に「業」論(=因果説)も書き直さなければならない筈・・・今回の南師の「業」論はそういう事なのでしょうか。
要するに「業」は実在しない架空の概念ということなのか????それはつまり因果律も実在しないと言わざるを得なくなるという事なのか???
Unknown (ZIP)
2016-06-08 12:29:34
あなたが思っている自業自得と
院代の言われている自業自得とは
別のもの。
Unknown (Unknown)
2016-06-08 12:40:59
縁起と俗にいう因果関係の様に

自業自得にも、土俵の違いがあるってこと?
Unknown (ZIP)
2016-06-08 13:39:10
自己における本質観取
Unknown (Unknown)
2016-06-08 13:51:23
も少し詳しく説明してちょ。
Unknown (ZIP)
2016-06-08 14:26:09
それはあなたの為にならない。
劣等感を生じさせるだけである。
そもそも私が正しいことを言っているという保証はない。
Unknown (Unknown)
2016-06-08 16:27:35
私のためか誰かのためかは、わかんないよね。
そもそも。

そんなにヤバい内容なの?
Unknown (Unknown)
2016-06-08 16:50:04
一般的な自業自得論は、自分への戒めのようなものかな。

自分で蒔いた種は、どうなったか。
Unknown (Unknown)
2016-06-08 19:01:52
南さんが自己の実存を理解するにあたり「南流『業』」は決定的な意味を持つ。

あとは、南さんが自己の実存を理解するにあたり意味があるように構成された論理?ってことになるのだろうな。

自己の実存ってのがやっぱりわからないけど、南さんが「俺は自己を『斯様なもの』として理解している」というその「斯様なもの」が何なのかわからないから、その論理が正しいのか間違ってるのか検証しようがない、みたいなことはないんだろうか。
んで、「南さんにとっての南さんの実存」を、南さんの言説から理解するってことになれば、あああわかんないな。

「当面これでやっていきます」を、なんだかいっぱい言葉を使って書いただけっていうか。
やっぱり「はあ、さようで」が正解って感じ。でしょ?
Unknown (Unknown)
2016-06-08 19:04:57
ただ「仏教には不要」っていう言葉遣いは正しくないと思うよ。
南さんにとっては不要なんでしょ。
それならそれで「はあ、さようか」で済むから。
Unknown (Unknown)
2016-06-08 19:14:56
あ、南さんが「仏教には不要だ」と思ってるのに、赤の他人の第三者の名前もない私が「南さんにとっては、でしょ」っていうなんて、
極めて僭越かつ無礼であるだけでなく、ただの妄想か悪質な冗談
かもしれない。

それぞれの思惑って、こんな感じ、よくあるけどね。
Unknown (Unknown)
2016-06-08 19:17:56
つまり、言葉って、
「言ったもん勝ち」みたいなもん?
Unknown (Unknown)
2016-06-08 19:36:47
原発は事故らなくても「ヤバい原因があった」ことは変わらない

これは、ひとつには「とにかく動かしちゃった原発がある」ってことが、「ヤバい原因」ってことになるのかな。
地震も津波もなくても「安全に完全無害化する最終処分法」がないから。
だれでも生まれてなければ死ぬことがないようなもので。
でも、たしか、「事故の原因は地震じゃなくて津波です!」って通さなきゃいけないらしいみたいなこともあった気がする。
それは「どういう事故(揺れによる?津波による?)が起きたのか」が
「何がヤバかったのか」を決めるからじゃないか。
または「絶対安全」と言っている手前、「安全対策」はできない、とか。

え、リュージュって、役人ぽい?
Unknown (Unknown)
2016-06-08 19:50:34
原発は作る以前からヤバかったんじゃないの?
放射能が絡むんだしね。
Unknown (Unknown)
2016-06-08 19:53:57
人間も生まれたらヤバいなら、生まれる前からヤバいってことかな。
Unknown (Unknown)
2016-06-08 20:27:37
うん。放射能って、手に余るっていうか。
でも、理論だけなら、理論だけじゃない?
爆弾をつくる理論だけがあって爆弾がなければ、爆弾が爆発したときのヤバさは発現しないじゃない?
Unknown (Unknown)
2016-06-08 20:32:04
生まれたらヤバいの?

べつにヤバくないでしょ?
Unknown (Unknown)
2016-06-08 20:45:47
なるように、なっただけでしょ?
Unknown (Unknown)
2016-06-08 21:50:07
南さんが理解する「南さんの実存」()と
私が理解する「南さんの実存」()では
()が正しい?

南さんが理解する「私の実存」()と
私か理解する「私の実存」()では
…どっち?
Unknown (Unknown)
2016-06-08 21:51:08
あ。
実存を理解しない私には、実存がない?
Unknown (Unknown)
2016-06-08 21:51:51
実存はあったりなかったりする?
Unknown (Unknown)
2016-06-08 21:55:55
面識がない人間だとめんどうかな

南さんが理解する「奥さんの実存」と
奥さんが理解する「奥さんの実存」では?
Unknown (Unknown)
2016-06-08 21:58:23
あ。
どういうふうにヤバいかをわかっとくために爆弾を爆発させてみる
つう持っていき方が、あるわけね。
Unknown (Unknown)
2016-06-08 23:06:31
「草原の実験」は怖かった。
核は良くない。
Unknown (Unknown)
2016-06-08 23:18:29
海もヤバいと思うよ。
よくもあんなもの何発も、実験してくれたもんだ(怒)
Unknown (Unknown)
2016-06-08 23:21:15
実存がわからないなら、すぐにわかろうとしなくていいんじゃない。
わからないんだし。
Unknown (Unknown)
2016-06-08 23:23:40
だってさ、人間がヤバいことしてるんでしょ?
Unknown (Unknown)
2016-06-09 00:19:21
> 南さんが「俺は自己を『斯様なもの』として理解している」というその「斯様なもの」が何なのかわからないから、その論理が正しいのか間違ってるのか検証しようがない

そうですね。
南さんの縁起の中で起こった実存を述べて頂きたい。
ぜひ聞きたいです。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 02:06:59
すぐにわかりたいわけでもないけど。
だって、わかんないし。

でも「今後のために」って「実存の説明」があるあたり、
南さんが書いたものを読みこなすには避けて通れないみたいじゃない?
「今後のために」が「バカがわからんわからんてうるさいからだまらせるために」の婉曲表現だとしても
このバカは結局うるさいし。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 02:32:57
「南さんの縁起の中で起こった実存」

書いてくれるかな。
っていうか、今まで書いてくれたことってなかったのかな。

今回の記事を何回か読み返してみて、南さんが南さんの実存を、とにかく「斯様なもの」として「業」ごと引き受けちゃったからには、第三者が何か言うことに意味はない、って話なのかな?と思ったんだけどね。「検証には及ばず」って書いてあるのかな、って。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 02:42:43
なので、南さんの実存は南さんの考え方にのみ依る のかな?って思ってとかとかやってたのよ。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 02:43:56
「検証に及ばず」かもしれない話を読んで
さらに検証してるバカw
「共感」の構造学(自説) (...)
2016-06-09 03:12:39
「仏教を信じる」と言う事は「共感する」と言う事である…が南師の持論。
日本伝統仏教のお坊さんたちはそれを「共感」してくれない(くれなかった)、S長老のみ共感してくれた(@2009年1月の対談時点)。

衆生の立場からすると僧侶間の教義論争は関係無いから、発言者に対しては「共感(=直観、感覚)」で判断する部分が大きい。

「共感」(=sympathy)は自然発生的(=自発的)なものであり、自分を強制的に「共感」させる事は出来ない。

人は感情を司る右脳で「共感」反応をおこす。それは「主観的な共振・共鳴」という事であろう。

人は「共感」すると脳が幸福ホルモンのオキシトシンを分泌し、オキシトシンがセロトニン分泌をうながすから、「共感」に共鳴するわけである。安心感がでる訳である。幸福感が出る訳である。

で、今回の記事においても(南師としては)共感者を募ったけれど、共感反応は五分五分か??、半分以下か??でもそこそこいる事は異常とも言える???

なぜなら「共感」とは、自分の知性レベルが発信者と同調(強振)していないと発生しないからである。
「知性がある」とは「答えのない問に対してして問い続けていける能力・忍耐力」の事である。
南師の「知性」レベルに追いついていける人はあまりいないようである。賢者はつねに孤独である。

「共感」するには、知性以外にも、「知能」(=理解出来る力・教育背景)も求められる。
即ち、自己知能レベルが発信者の知能レベルに、ある程度以上に同調されていなければならない。
この点に於いても南師は先をつっぱしりすぎている。
結局南師は独り「孤高」を駆け抜ける運命にある。
道元和尚とは、無縁な人!恥を知る!発菩提心! (イエスちゃん)
2016-06-09 03:45:05
『今の僧侶は寺の子に生まれて
運命を受け入れてあえて出家したのだから

☆☆☆昔みたいに
理想郷を求めて出家した僧侶よりは☆☆☆


考え方は地に足がついてるはずだから
☆☆☆いまの制度のほうがよいわ☆☆☆』

ここには、道元和尚はいない!
「釈尊の仏教」には不要!という事は「真の仏教」には不要!「偽仏教」には必要かも… (イエスちゃん)
2016-06-09 04:03:56
『ただ「仏教には不要」っていう言葉遣いは正しくないと思うよ。
南さんにとっては不要なんでしょ。』

なぜ、人間は、「輪廻という妄想」にしがみつくのか?
妄想と知れば、最初から縛りがなかったことが、明確に解る。

他方「業」は、「修行をすれば、結果がそれについて来る事」を保証する。
修行しようとする動機づけになる。

馬の鼻先にぶら下がったニンジンである。

生まれの階級ではなく、輪廻ではなく、
決まっている運命ではなく、
現在の行為だけで、その人が決まる。

これも「業」の重視が根底にある。
釈尊の仏教には「業」は必要であり、
根本でもある。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 04:16:07
「輪廻が妄想」でもなんでも
そういう「業」を引き受けちゃった人にとっては「それはそういうもの」じゃない?

それに、なんつうか、永平寺を下りざるをえなくなった南さんが「恐山」の人になるってことは
「輪廻(という妄想)」が南さんを引き受けてくれたってことでもあるんじゃない?
Unknown (Unknown)
2016-06-09 04:19:08
だから、南さんにとって輪廻は不要でも
南さんがいる場所では輪廻は流通している
そして南さんはそこがあるから今がある
Unknown (Unknown)
2016-06-09 04:19:23
じゃないのかなあ、って思う。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 04:40:41
でも。
「輪廻なんて言ってるやつぁ仏教徒じゃねえ」って展開も、まあ、あるよね。
ポア?とか。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 04:47:59
もしかしたら、南さんのところに相談に来る人に、少なくない割合で「輪廻なんて発想がなければこんな思いをせずに済んでいただろうに」と思える人がいて、それが「輪廻不要説」の推進力になってるのかな。
でも、南さんに相談する人にそういう人が多くなるのは、なりゆきとして当然、て感じがするかな。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 04:50:05
あれ?
ポアって輪廻ありの理屈?
Unknown (Unknown)
2016-06-09 04:57:01
縛りは、なにがしか、ないわけにはいかないと思うんだ。
輪廻の考え方の中で、「来世にもっとよいところに生まれることができるように、今生でよいことを行おう」って、よい行いをするとしたら、その行いがその人を決める。
それならそれでいいんじゃないのかな。
だめなの?
Unknown (Unknown)
2016-06-09 05:10:30
書いてるときも書いてからも
「ところで『よい行い」ってなんだろうな」と思うわ。
これが結論か??? (…)
2016-06-09 06:36:21
業(=カルマ)即ち『行為』が自分の現在、および将来の自分の姿を決めるのだという思想は釈迦が作った。釈迦としては「努力する者は誰でもこの世で報われるのである」、という程の考え方であった。

それは特権階級的権利を世襲的に享受して、あぐらをかいているバラモン教の教えに強く反発する為に、反旗をひるがえす為に、敢えて強く言う必要があったからだ。

それ以上でもそれ以下でも無く、単に現世での正しい処世術(生き方)を教えたものであった。釈迦の時代には輪廻転生の思考法なども無かったのだ。

(にも関わらず)現在流通している悪業悪果の懲罰論に発展させた(変質させた)因果説を作り出し、それに輪廻転生をリンクさせて人々の心に脅迫観念を植え付けたのは、釈迦よりずっと後世の経典ライター達であった。時代の要請であったのかもしれないが、後世の人がそれを悪用し他者(弱者)を誹謗する道具に使ったのだ・・・・。

それ故にこそ、いまこそ教義の再考が必要なのだ。
「よい行い」の定義 (...)
2016-06-09 06:54:23
人は社会的動物なるが故に、(結果的に見て)他者(社会)の為になる行為が「よい行い」であろう。自分の行為が他者に影響を及ぼすからである。

人(他者)を(一時的に)傷つけても、結果としてその人の為に成れば「よい行い」と言えるのかもしれない。

仏教的には本来他者と自己の区別が無いから、自利が利他と相克を起こさない時は(自分に対する)「よい行い」といえるであろう。

よって他者(含む自己)を不可逆的に害する行為が「悪」という事となる・・・
Unknown (Unknown)
2016-06-09 06:55:32
でね。
"衆生の立場からすると僧侶間の教義論争は関係無いから、発言者に対しては「共感(=直観、感覚)」で判断する部分が大きい"
とすると、
教義を再考するだけじゃ、きっとだめよね。
少なくとも「話が遅い」よね。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 07:08:38
そして、ここを、南さん自身が
「院代(住職代理)が書いてます」
としているの。

初対面の人に差し出す名刺のその肩書に
「恐山院代」って載せることにしてるの。

きっと、そのほうが「話が早い」から。

共同業ってこんな感じ?
「共感」の構造学、補足 (...)
2016-06-09 07:59:23
「共感」の英語訳を捜すと「sympathy」となる。「sympathy」の和訳を引くと「同情」と出て来る。
要は共感とは情感の一つである。
よって発言者の体験から生まれた言葉で、読者が同じ体験をしていれば容易に共感が発生する。
発言者の苦悩と読者の苦悩がフィットすれば容易に共感が生れてくる。

この形で南師に共感する人は必ず存在する。かれの言葉は同じ悩みを感じている人への救いとなる。

sym=共に、
pathy=feeling(感じる)。

因みに反感はantipathyである。anti=反


Unknown (お転馬)
2016-06-09 12:40:53
テレパシーとは違うんだべか。

親分は、前置きを省いてるだけだっぺな。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 18:59:14
南流がいいっていう人ももちろんいる。
「共感」するって人。

それは、棺の中の遺体に「いいところに行きな」って言いながらお花を飾ることを良しとする人と、違わないと思う。

「次の世で良いところに生まれるためによいことを行おう」と思って行った「良いこと」が、
「輪廻とか、仏教と関係ないし、不要だし」って「良いこと」として扱われないなら、
生まれによって差別はしないけど、思想信条によっては差別して良いってことにならない?
そして、なんであれ「良いことなら良い」っていうなら、輪廻の要不要なんてどうでもいいと思う。

ていうか、南さん自身、恐山開きとかのときに「ここのご本尊の地蔵菩薩は六つの世界を経巡って人々を救うといわれてて」ってやらなきゃ場が収まらないんだよ?
南さんの現実が南さんの論理を裏切ってるじゃない。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 19:10:30
もちろん、南さんは「当面これでやっていきます」って言ってるんだから
「ああそうですか」だけどね。
「へんな話だな」と思う。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 21:49:37
>南さんの現実が南さんの論理を裏切ってるじゃない。


これも分裂になるんかな。
Unknown (Unknown)
2016-06-09 23:01:09
>南さんの現実が今までの論理を裏切っている

その辺りを南さんに発言して頂きたいです。参考にしたい。
Unknown (Unknown)
2016-06-10 00:06:29
そうだよね。
わかってるつもりでいるだけで、実はわかっていないことばかりなんだよね。
Unknown (Unknown)
2016-06-11 11:34:41
新しく何か勉強したんじゃないの?
Unknown (Unknown)
2016-06-18 07:46:51
いたこさんたちを大切にしてあげて下さい。
Unknown (三酔人)
2016-08-01 05:21:35
>>当面はこれでやっていきます。

上記の締めくくりの言葉に、なにか知らないけれど、救われました。
僕も頑張ります。
ありがとう

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