新古今和歌集の部屋

唐詩選画本 清明宴司勲劉郞中別業 祖詠

 
  五言排律
  七言 律
 

清明宴

 

司勲劉郞中

  別業

   祖詠




田家復近臣行樂不違

親霽日園林好清明烟

火新以文常會友惟德

自成隣池照窻陰晚杯

香藥味春欄前花覆地


竹外鳥窺人何必桃源

裏深居作隱淪

 南海讃人弦山書


でんかまたきんしん。かうらくしんにたがわず。せいじつゑんりんよし。せいめいゑんくわあらたなり。
ぶんをもつてつねにともをくわいし、これとくおのづからりんをなす。いけてらすそういんのくれ。はいは
あうはしやくみのはる。らんぜんはなちをおゝひ、ちくぐわいとうひとをうかゞふ。なんぞかならずしも
たうげんのうち。しんきよいんりんとなるのみならんや。
劉氏は田舎すまひのやうにしていらるゝけれどもしかもまた天子の近臣である。隠者のやうにしていらるゝが
行楽をしてしたしいものにもたがわず風流な人である。三月ゆへ空もはれきつてゑんりんなども面白い。
清明の日には火をきりかへるゆへ火新といふ。劉氏はおとなしい人で朋友のつき合も文章をもつてし徳も
すぐれた人じゃ。くれがた池のはたの薬草畠のきわで酒もりをするゆへ薬草の匂ひが杯の中へうち入てくる
欄前には花がすきまもなく地をおゝひて咲てあり。竹藪の外の方に鳥が人音のせぬ時はなき音のする時は
なかぬゆへうかぶといふなんぞ桃源のうちへ深くかくれいでもすむ。此やうな所いればやはり桃源おもむ
きにおらぬである。

清明宴司勲劉郞中別業 清明に司勲劉郞中の別業に宴す

   祖詠

田家復近臣 田家復た近臣。

行樂不違親 行楽親に違はず。

霽日園林好 霽日園林に好し。

清明烟火新 清明烟火新たなり。

以文常會友 文を以て常に友を会し、

惟德自成隣 惟徳、自ら隣を成す。

池照窻陰晚 池照らす窓陰(そういん)の晚(くれ)。

杯香藥味春 杯は香し薬味の春。

欄前花覆地 欄前花地を覆ひ、

竹外鳥窺人 竹外鳥人を窺ふ。

何必桃源裏 何ぞ必ず桃源の裏(うち)、

深居作隱淪 深居、隱淪(いんりん)と作(な)るのみならんや。

 

意訳
清明節に、司勲の劉郎中の別荘の宴にて
            祖詠
田舎の別荘とは言え、主人の劉郎中は帝の近臣だ。
行楽して親しさは変わらない。
晴れ渡った日の園林はとても美しい。
寒食が終わり清明節となり、煙火も改まって登っていく気がする。
劉郎中は、文学を愛し、文章を以て常に友人と交わり、
この徳によってみんなが集まってくる。
夕陽が池に反射して暮の窓際を照らしているが、夕暮れの色が濃くなり、
杯は、酒に入れた薬草の味が香って春らしい。
欄の前の花は一面に咲いて地面を覆い、
竹林の外にいる鳥は、人の気配を窺う樣に姿を見せるが、鳴くのを躊躇っている。
この樣な場所にいると、どうしてどこに有るのか分からない遠くの桃源郷まで行って、
深く隠れ住んで、隠者となる必要があろうか。この別荘こそ桃源郷だ。

 

清明 二十四節気の一つ。春分から十五日目。三月節(旧暦2月後半から3月前半)。グレゴリオ暦で4月5日ごろ。中国における清明節は祖先の墓に参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれた。また、春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。

※司勲劉郎中 官吏の勲等に関する事務を司る司勲の郎中(尚書省の六部がそれぞれ四司に分かれ、その各司の長)である劉。人物は不明。

※別業 別荘

祖 詠(そ えい、699年 - 746年?)は、中国・唐の詩人。洛陽の出身。王維と親交があった。開元12年(724年)、進士に及第したが、官職は得られず、汝水(河南府を流れる)のほとりの別荘に引きこもって、農耕生活を送った。

※烟火新たなり 冬至の日から数えて百五日目の日を寒食といい、この日を挟んで三日間は火を断ち、煮たきしないで冷たい物を食べる風習があった。寒食節が終わると清明節になる。そこで各家庭では新しい火を起こし、その煙が上っている。

※文を以て常に友を会し 『論語』顔淵篇に「君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く」による。

※惟徳、自ら隣を成す 『論語』里仁篇に「徳は孤ならず、必ず隣有り」による。

※薬味 酒に薬草を加えた。

※桃源 桃源郷

※隠淪 隠遁

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