1 先頃,私は裁判官,弁護士生活を通じて初めて勾留理由開示請求事件を担当し,いろいろと驚いてしまった。かねてから刑事事件の捜査や法廷での審理のあり方(特に刑事控訴事件),判決の結果など,わが国の刑事司法の現状は刑事訴訟法その他の刑事関係の法体系が求める精神に甚だ反しているとの思いが強い。かつて平野竜一元東大教授が「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である。」(「現行刑事訴訟の診断」団藤重光古希記念論文集1985年所収)と嘆かれた状況は,裁判員裁判の開始により一部改善されたと考えてはいるし,平野元教授が嘆かれている内容とも全く同じというわけでもないが,「絶望的な状況」は,一般的にはさして改善されてはいないという思いも強く,「何ひとつ変わっていない」と評する人もいる状況にある。
2 今回私が担当した事件については,議論に影響がない程度で省略や曖昧な表現にすることにした。事件が発生したのは,このたびの被疑者逮捕から約2年3か月前のことである。当時被疑者が勤務していた会社の車を,何者かが深夜運転し,会社の他の車の真後ろから故意にぶつけて,両方の車両に修理代合計で100万円を超える損害を与えたという器物損壊被疑事件である。法定刑は3年以下の懲役または30万円以下の罰金刑であり,親告罪であって,被害者の告訴がなければ公訴提起ができず,比較的軽微な犯罪とされているものである。
3 事件発生の翌朝には事件が発覚しており,その後間もなく被疑者は所轄警察の任意の取調べを受けて犯行を否認した。予備のキーの管理の状況から,他の多くの従業員にも犯行の可能性はあったし,被疑者には会社に対する不満もなく,会社との間にトラブルもなく,被疑者には格別犯行の動機はなかったということであった。
4 その後の警察による捜査がどのように進展したかは不明であるが,少なくともその後長期間被疑者に対する新たな接触は全くなく,事件発生から約2年3か月が経過した。その頃には被疑者は既に他の会社に勤務していたが,ある日の勤務を終えて帰宅したところ,逮捕状を所持じた警察官に,何の予告もなく突然逮捕されたのである。
5 私は,以前ちょっとした民事事件で被疑者を知っていたことから,この逮捕事件についてその被疑者の依頼を受けて,日弁連の委託法律援助事件として,私選弁護人となったのである。
6 被疑者を逮捕した後で,警察は被疑者を犯人とする新たで有力な証拠を示すことができず,被疑者がなぜ突如逮捕されたのか不可解であった。また被疑者は逮捕の半年ほど前に心臓にペースメーカーを埋め込む手術を受けており,健康上重大な不安があったし,被疑者は定職に就いており,妻と小学4年生の子と同居していた。また本件は軽微な事件であり,被疑者には前科もなく,事件から逮捕までに既に約2年3か月が経過していたことなどからすると,被疑者が逃亡したり,罪証を隠滅するおそれが相当程度に存在したとは考えられず,逮捕の理由も必要性もなかったというべきであり,少なくとも警察はいきなり被疑者を逮捕するのではなく,その後の警察の捜査の進展を踏まえて,改めて被疑者を任意で取り調べ,新たな証拠も示して被疑者の弁解を聞き,逮捕の理由と必要性の有無について,慎重に検討すべきであったというべきである。(ムサシ)
警察は、事件に拘ってるのではなく被疑者本人に別の拘りがあるのではないか