癒しの樹日記

身近な情報や日々感じた事を書いていきたいです。

エネルギーの循環について

2014-02-26 13:13:43 | 伝えたいこと

 

さて 前回の祖母の記憶の続きです。

エネルギーの循環とはなんだと思いますか?

どうしたらエネルギーの循環が出来ているのか?を知りたいあなた。

簡単です。

自分の心に聞いてください。

人に何かをしていて しんどいな~とか 何だか嫌だな~と観じたら それは良い循環が出来ていないんです。

しばしば与えすぎの人は 罪悪感や義務感から見返りを考えないようにします。

しかし見返りを気にしちゃダメと思う=見返りが欲しいと思っているんです。

それなら そんな思考がある自分を許して 相手に正直に話すと自分も相手も楽になります。

少しでもあなたが しんどいな~と観じていたら 相手は罪悪感を持ってしまうので 相手も辛いんです。

せっかく自分が我慢して 相手に無償で何かを行っているのに 相手も辛くなるのって バカバカしくないですか?

 

でも 本当にやりたいから無償でやっているのは 相手から物やお金ではない 何かを貰っているんですよ。

そういう時は 楽しくて 楽しくてしかたないという観じになります。

例えば 老人が子供に何かを無償で与えて 喜んでいる時は 子供の若さのエネルギーを受け取っているんです。

そのエネルギーでまた何か楽しい事をしたくなる 良い循環ですね。

 

では逆に もらいすぎの人も注意が必要です。

私は基本与えすぎで怒られる方だったので もらいすぎの人がどんな気持ちか分かりませんが

もらいすぎなので 罪悪感が出てきて 違う事でお金が出て行く事になります。

事故を起こしたり どろぼうに入られたり 詐欺にあったり 無駄な出費がどんどん増えたりと・・・。

色々とあるみたいです。

バランスが大事なんです。

バランス良く循環させるのが。

とは言え中々難しいんです。

でも何事も慣れるまでは同じ だったら慣れるしかない!と私は思ってます。

 

エネルギーは眼に見えないから そんなの無い!と思う方も多いのですが

では愛や慈しみや優しさ または 憎しみや怒り悲しみ などの思いは眼に見えませんがありますよね?

眼に見えるからある 見えないから無い という考えはいかがなものでしょうか?

人を思いやる時 愛する時 眼に見えないけど感じると思います。

それが全てエネルギーなんです。

思考する事がもうエネルギーを動かしているんです。

例えば私が主人を思う時 その思考はエネルギーなので 重力を伴いません。

重力と関係ないステージなので 瞬間に相手に送られます。

送られた思考は相手の無意識の領域である 潜在意識で感知するんです。

なので 私がいつも主人に感謝したり 2人で楽しい行動をとっている事を思い出していると

主人は無意識の領域から 意識する領域の顕在意識にまでそのエネルギーが上がって来て

主人も私に感謝するようになり 私と楽しく遊びに行きたくなるんです。

エネルギーが循環しているんです

 

これと逆の事をしている方もいます。

パートナーや親や子供 または友人の事をいつも心の中で非難している方は

相手も同じような事を思ってしまうんです。

これもエネルギーの循環なんですよ。

 

私はエネルギーの事をよく波動と言っています。

愛や幸せの波動を出す人は 同じように愛や幸せの波動が循環して帰って来ます。

また逆に いつも不満がある人は 不満な波動を出しているので 不満な波動が帰ってきます

なので常に不満な事しか起こりません。

とても単純でシンプルなんです。

 

ここで注意は 常にポジティブでいなきゃいけない!と思っている人。

いけない・・・と思っている時点で違うと思いませんか?

自分の思考を掘り下げると 必ず重くて暗い思考パターンが出てくるんですが

そこは無視しないとネガティブになるから・・・と言われる方もいます。

でも自分のネガティブな部分を観れる人が ポジティブに生きれるようになると思うんです。

常にポジティブで・・・ ではなくて ネガティブな部分も冷静に観て・感じて それでその自分を認めてあげて

初めてその部分が解消されるんですよ。

何かに脅える事なく 平和な状態になるんです。

 

全ては循環するのだから

自分で何を循環させるのかを選べばいいんです。

このやり方を出来る人は よく言う 「運が良い人」になるんです。

 

それでは。


祖母の記憶

2014-02-18 16:25:46 | 伝えたいこと

皆さんお久しぶりです。

中々ブログを更新する気になれず では何事もなかったのか? というと

正月そうそう色々とありました。

でもそんな事は 私の中では大した事がないような・・・

わざわざブログに書くまでもないかな~と。

 

しかし ここ最近身体の調子がおかしい事に気づいて 自分の状態を見直す事にしました。

この件はまだ現在進行形なんです。

なんせ気づいたのが最近なので まだまだ探っている状態なんです。

背中がやけに痛い 背中の左側で腰の上なんですが お風呂に入っていても

そこの自己主張がすごくて 腫れているような うずくような・・・。

私は家計的に肝臓が弱いので 肝臓の自己主張かと思ってたんです。

若い頃にも 肝炎になりかけて 1か月間絶対安静にさせられた事もありました。

ちょうど仕事をやめて 新しい会社に入る時の健康診断で発覚して

そのまま会社に入る前に 自宅療養するはめに・・・。

今思い出せば すごく怒っていたんだと思います。

こんな会社は辞めたい! 父親も母親もだれもかれも敵だ!と

色々な事件があり ヘトヘトに疲れていた時の出来事でした。

それから背中がうずく=肝臓だと思っていたんです。

 

今回もまさにそんな感じなのかな~と。

そして自分を自分で分析していきますが 最初はどこに怒りがあるのか?

親に対する怒りが残っているのが 潜在意識の奥底から出てきたのか!

と探ってみても ない・・・ 

う~ん父親に対する何かが残っているのか?と 探ってみても 

「父は確かに未だにどうしようもなく 権威的なのだが それでも好きだな~」と

母は母で面白いほどに 正直な性格なので 「私は子供より自分が大事!」と言える性格を

昔は怒っていたのですが 今では素晴らしい!と尊敬している私。

じゃあいったい何???と色々と自分を探っていたんです。

 

全然わからない~♪ でも背中が~主張しているの~♪と歌ってみても分からない・・・。

 

自分の事って そう簡単に教えてくれないので。

こんな時には たよりになる友人あきちゃん(今はちと不調ですが)!

背中を触ってもらい 何か感じる???と聞いてみたら。

「右側は何も観じないけど 左側からエネルギーが出てるみたいよ」と

なんでも 背中の左側のうずく場所を触ると そこからヒーリングのエネルギーが独自に出てる と。

「レイキでもAIヒーリングでもなくて よくわからないけど 

そのエネルギーを感じると喉が詰まったような 圧迫感があるの・・・。」との事でした。

じゃあ これはいったい何と思う?となると 分からん!と。

それは私が自分で探っていくしかない事でした。

 

そして色々と自分探しの旅ならぬ 自分探しのセッション(自分と自分での)を初めてみたら

小さな事がポロポロと出てきます。

例えば もっと鮮明に色々と観えるようにしようとすると・・・頭が痛くなる。

何で?と探ると これ以上分かるようになると大変になるから というエゴが出てくる。

今でも分かるのに これ以上分かりすぎると 人に言いたくない事まで言わなくてはいけなくなる・・・とか

人が自分でも隠して 気づかないようにしている事まで 言わなくちゃいけなくなる・・・とか出てくるんです。

 

え!今更!?何を無駄に気をつかってんの私は!!!

と自分の隠れた思考に 驚いていました。

でも それで ここ最近 あきちゃんや 他の友人達に合っている時 何か薄曇りな感覚になっていたんです。

頭にうす~く霧がかかったような・・・ 言うべき事を言えないような

仕事ではないから まあいいか~と思ってましたが 私の本心は良くなかったみたいです。

 

そして次に出てきたのが 遊びに出れない自分を作っていたんです。

今は本を書いているんだから 旅行にとか 遊びには行くべきではない!と

もちろん旅行も何か理由があればOKにしている自分がいて・・・。

ただ自由に遊ぶのは不謹慎だ・・・という思考も見つかり・・・

しょうむな~!!!私の人生私の物なのに 何に気を使ってるの? バカじゃないか私。

 

私を知っている人達は 今でもめちゃくちゃ人生楽しんでるように観えると思います。

私もそう思ってましたが まだまだ遠慮していたみたいで。

行きたい所も やりたい事も 自分でセーブしていたんですって・・・私。

もう その段階も終わる時が来たから 何かの理由ずけで 何処かに行くとかも終わりにしようと。

だれかの為に生きるのではなく 自分の為に生きていこうと 

その事が結果 みんなの為になるからと・・・。

それも分かっていたつもりでしたが それにも段階があるようです。

分かって→それに本当に気づいて→行動して まで来てたけど まだ そこからもっと気づく段階があるようです。

今 私はこの行動してから→また次の段階の気づきが来たので 後はまた行動する必要があるんですね。

 

さてさて 話は背中の痛みに戻ります。

その気づきの最中に 急にこんな思いが出てきました。

「こんな事もうやりたくない! 自分の生活さえも蝕まれて 苦しくて 痛くて もうこんな力いらん!」

その声は自分の声でないのがすぐに分かり 誰?と探ってみたら

私の母方の祖母でした。

祖母は母が若い時に膵臓癌で無くなってます。

なので私は会った事はありません。

その祖母が 顔をゆがめて泣いていました。

「苦しいよ~辛いよ~ でも子供たちにはこんな顔見せれないし 言えない」 と

そして祖母の思い込み いえ 祖母だけではなく 母もそして世間の人達の古い思考が出てきました。

 

この祖母は癒しの手を持つ家系の人でした。

先祖から代々1世帯に1人だけ力を受け継ぐらしのです。

それも女の子だけ。 

祖母から私の母に受け継いだようなんですが 母はそれを拒否しました。

何故かというと 辛く苦しいだけで 何もお返しをもらえないからと。

それは昔からみんなに 得に日本人にある考え方ではないでしょうか。

 

「天からもらった力で報酬をもらってはいけない」 という固定観念です。

なので この力でお金をもらうことは無かったようです。

でも1回その力を使うと その後が辛くて大変だったようです。

だって 自分にその痛みを移すので そうとうに痛くて辛いはずですよね。

なので 祖母はその事をしたくないので 遠方から来た人も断っていたんです。

でも 中にはツテや権力を使い 断れなくする人もいたとか。

そして仕方なく その力を使うと 数日は動けないくらい しんどくなるみたいで。

なので本業の仕事が出来なくなり お金も入ってこないし それに家事もままならなくなりますよね。

そして 全くお金を受け取らない祖母に お礼として高価な果物や食べ物を置いていってくれたそうです。

でも その当時の祖母からすると そんな効果な果物では腹の足しにもならない

自分が働かなくては(祖父は無くなっていたので) 家族の生活がままならないので

本当はお金を受け取りたかったと思います。

そうしたらどうなるか

それを仕事にして 休み休みに力を使い そして休息する時間も出来たのではないでしょうか。

そしてその力を隠さずに もっと有効に使えたと思います。

お金が無い人には お金の報酬ではなく 労働でエネルギーを返してもららい。

お金がある人には お金とういエネルギーをもらう。

そしてきちんと エネルギーの交換をする。

 

しかし世の中にはまだまだ この考え方を持っている人が多いようです。

良い事にはお金を貰ってはいけない・・・

天からもらった才能は無償で施さないといけない・・・

これを聞いて皆さんはどう思いますか?

良い行いは自己犠牲からしか生まれない という考え方をどう思います?

それなら 全てが天からのギフトなので どんな人も無償で働かなくてはいけなくなります。

手先が器用な人も 頭が良い人も 足が速い人も 何でもギフトなので。

あなたは今の仕事を無償で しかも楽しく 出来ますか?

霞を食べて生活しているの!と。

私は出来る!と 実際にそれを罪悪感なしに(自分自身に) やっている方はすごいと思います。

でも そんな人は会った事がないので 私にはわかりません。

ただ言えるのは 祖母は自分で間違った事をしていたのに それがおかしいと気づいていたのに

それを言えなかったという事でした。

 

私の母でさえ 私がこういう仕事をするの と言うと

「天から貰った才能を使って お金なんてもらっちゃ駄目じゃないの?」と心配してました。

その言葉を鵜呑みにしてたら 私も間違いなく 病気になった死んでいたと思います。

40代になる前に・・・。

我慢したら良い事がある はウソですよ~♪

我慢している時点で駄目なんです。

自分にも相手にも 何の得にもならないんですよ。

我慢している時は ハートは閉じているので 何も良いアイデアも良い状態にもなりません。

なったことある・・・と思っている人は その後がどうだったかを思い出してください。

その場しのぎではなく 本当に我慢して心から幸せになったのか。

 

今私の身体の中のDNAの記憶なのか それとも 受け継がれた力と一緒に祖母の想いが受け継がれたのか

今はまだ解りませんが 私の背中の痛みは祖母の物でした。

調べてみたら 膵臓の叫びでした。

私はこれから どのようにしてこの記憶を浄化すればいいのか 

また 今何をすべきなのかを試行錯誤中です。

これも 焦らず 確実に進めて行くので ご心配なく。

 おかあしゃん 私も応援してるで~♪ 

でもな でもな レイキもしてほしいねん! 

気持ちいいからな それ忘れんといてな♪  by有能な秘書うりまるの心の声

 

さて次回は引き続き エネルギーの循環について話したいと思います。

 

それでは!