私は「帯」を残さない人である。
いつのころからか、しかとは覚えてないが、たぶん学生時代にそうし始めたはずだ。
買うとすぐ、本から「帯」を外し、くしゃくしゃっと丸めてゴミ箱へ捨てる。
意匠や工夫を凝らした「帯」であろうとなかろうと、そんなことに斟酌はしない。真っ直ぐにゴミ箱である。
だが今回ばかりは、ちょいと様子が違う。
その「帯」に写っているのは、知り合いが笑っている姿なのである。
「捨てられないではないか」と苦笑いしながら、
『子どもと先生がともに育つ人間力向上の授業』(深美隆司、図書文化社)を読む。
実際のところ、「アサーティブなあり様」の人間になるのは大変なことです。ですが、子どものモデルとなる教員は、「アサーティブなあり様をめざす人間」でありつづけなければなりません。苦手な人、意見の合わない人との接し方や折り合いのつけ方を、まずは私たち自身が学んでいこうとする姿勢が大切だと思います。(P.205~206)
アサーション(assertion)は英語で「主張する、断言する」(assert)という動詞の名詞形ですが、手法としての「アサーション」という言葉には、単に「主張」ということだけではなく、「自分のことを大切にしながら、相手のことを想像し、相手に共感しながら、自分の主張を行う」という意味が込められています。
このような手法をとることができる「あり様」を「アサーティブ」(assertive)といいますが、このあり様と手法を兼ね備えた概念のことを「アサーティブネス」(assertiveness)と表します。
アサーティブなあり様は、「主体的であること」といえます。
主体的なあり様とは、相手の気持ちを想像しながら、自らの考えを主張し、それによって生じる出来事に折り合いをつけ、建設的に発展させることができる姿であり、自らの行動の結果として起こった出来事に対して責任をとろうとする姿です。(P.54)
いっぽう、依存的なあり様とは、相手の気持が想像できず、自らの考えを相手に押しつけたり、納得のいかないことを無理やり自分のなかに取り入れたりします。その結果、自らの行動の結果として起こった出来事に対して、都合のよいことは受け入れ、都合の悪いことは自分以外の責任として処理してしまいます。(P.55)
いやあ、ミミガイタイ。
読んでまた、ますます「帯」を捨てられなくなった私なのである。
深美隆司著
図書文化社
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おかげさまで良い本を読ませてもらいました。
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