今日の一貫

この国の課題 格差社会について

この間「格差」をテーマに政局が作られている。

「格差」にはいろいろあるが、極端な平等社会だった戦後の我が国の状況からすれば、確かに身にしみるのだろう。格差を感じるか否かは、移動可能性と関係があるのかも知れない。つまり選択可能性があるかないかである。


それはともあれ、格差を考えるとき、良く引用されるのがジョン・ロールズの「原初的無知のヴェール」である。
人間の生まれ落ち方は選択できない。もし不幸な生まれ方をした場合、特に極端で避けようのない不幸に関しては保険をかけた社会である必要がある。この様な不幸への保険のかかった社会こそが格差社会への処方箋であるというものである。

格差という場合、国民のわずか数%程度の富裕層が、国の圧倒的富を独占している状況も、公正・平等とは言い難い。明らかな「格差社会」といえよう。
これらに対しては、「結果の平等」が補償されるべきだ。


しかし、我が国でいわれてる「格差社会」の「格差」はこのようなものではなさそうだ。

今般の米価が下がった、兼業農家が大変だ、いや専業農家が大変だ、といった状況が格差の是正の対象として語られる時もある。
大体財政発動されるのは、格差の認識があるときだ。


通常経済に関する格差には、解決策として次のような考え方が与えられている。
「パイを大きくして、その分配は大きくしたパイの中から弱者に手厚く公平に行う」という考えである。

ここで、もし大きいパイを焼くことをあきらめてしまったら、結果は明瞭で、小さなパイのぶんどり合戦が熾烈にならざるをえないというのがこれまでの人類の歴史だったといわれている。

歴史の教えるところは、いずれもパイが小さくなり成長しなくなった社会は、弱者への配分が減り、それどころか公平性が失われ、弱者への弾圧すら生じることがあるというものである。

共同体等での相互扶助が機能したり個人的な慈善事業家が現れ困難に耐え忍んだという事例はあるが、これを国家レベルで行ったたという歴史は寡聞にして聞かない(情報があれば是非)。

課題は、「個人の自由な創意工夫を助長して、個人と社会全体のパイの大きさを拡大し、格差の深刻かを予防すること」ぐらいだろうか。
ところが、「結果の平等」を重視しすぎると、通常「結果的に同水準の生活が保障される。国民の勤労インセンティブの低下、能力や資質を高める自己研鑽投資の減少、技術やアイディアにおける創造性を発揮しようとする意欲の減退などが生じる。」とされている。格差の発生はなくなるが、個人的にも全体にもパイは小さくなってしまうのである。

上記は格差社会における手法・順番の問題で、まず「パイを大きくする」に反対する人はいないのではないだろうか?(例外的に、農業界はこれに大きく反対しているが、、、、、)

手法・順番の問題については、社会的分配の仕方が公正かどうかの議論があるのだろう。
それはパイを大きくする手法とも関わってくるだけにやっかいだ。
我が国の当面の課題に引きつけていえば、パイを大きくするために個人消費を増やす(したがって勤労者への労働分配率を高める)のをメインにするのか、海外輸出を中心とした産業育成をメインにするのかの選択である。

個人消費拡大をメインにした場合の成長確立は、低いが一度定着したら寝ず良いものになる。輸出促進は突破口とはなるが、持続生・継続性が不透明である。
日本は後者から前者へのシフトを目指してるのだから、「後者を衰退させることなく前者へのシフトを早急に」事しかないはずなのだが、、。

我が国に問題なのは、公正さを維持し格差を緩和する装置としてのセーフティネットである、年金・消費財の価格・安全(治安)・医療・地方財政等が全てきしんでることである。

さらに何が格差を助長させるのかの見極めも重要になる。
米価が下がった事がそうなのか、、
兼業農家が追いつめられる?ということがそうなのか?
専業農家が農業として自立できないことがそうなのか?

いずれも格差とは関係ないようにも思うのだが、、、
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