優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

やったことが返ってくるのが人生ならば

2006年05月25日 | Weblog
 おはようございます、いつものように無駄話を(笑) 
 昨日は「休み」でした。本当は県外に出向いて、何時間か山を走って来ようとかと思ってた水曜日でしたが、全く想定外のことが起きました。事の始まりは火曜の夜、プロレス観戦招待に遡るのですが、障害のある方を対象にした招待行事の送迎を済ませ、家に戻ってきたのは23時近く。明日はアウトドアライフを満喫して、かつ一番弟子待遇の学生が最後の実習に行くので、夜から壮行会を兼ねて飯でも食う予定でいたのですが、帰って来てところ聞こえて来たのは、50代の遠い親類が老齢が原因で車椅子を利用することになり、それを悲観して首を吊って死んでしまったという話でした。私自身には無関係な方ですが、車椅子利用時に転んで打撲があったようで、一族のところには警察が調べに来たとのことで、そんなこんなで丸1日の休みは通夜の絡みで潰れることとなったのでした。
 何に絶望するかは、人それぞれなのだろうからコメントは残せないのですが、早過ぎる選択に対して・・・しかしそれについても、実も知らないところにいる自分が、何かを言うことはできないのですが、確かに障害を負うこと、高齢になること、多くの喪失感や無力感が伴うことは、人生にとって大きな痛手かもしれません。しかし、そうしたことを除いても、多くのことを負って我々は生きています。軽く言う気はありませんが、生きてることの意味、その重さを、何かの折にでも振り返ってみたいと思った次第です。
 その上で、いつものように言えることは1つだけです、「いつ何時、何があるか分からない」。明日、健康でいられる保証は何処にもないし、寝て起きたら、世界が変わってることだって、無いとは限らない。私と昨年の秋を過ごした方なら、言わんとしていることがお分かりでしょう。何度でも言います、いつ、どうなってもいいように、できれば思い存分、生きて行くための努力をしたいものです。残された者に出来る唯一のこと、それは後悔しないように生きていくこと。後悔してからでは遅いのですから!

  ・・・というわけで、私は昨朝から岩山を2時間走った後、イビチャ・オシム、Jリーグのサッカーチームであるジェフ・ユナイテット千葉の監督の伝記を読み、改めて感銘を受けるわけです。本当にオシム監督の言葉は、全ての活動の根底を支える方々にとって、力になる言葉ばかりです。ワールドカップの近いことですし、“トータルフットボール“の次の概念として、オシムの戦略を皆さんに伝えたいと思ってますので、乞うご期待。
 で、最近言い続けていることを1つだけ。「レベルの低い人と組めば、あっという間にレベルが下がっていき、もう手の施しようが無くなる」、です。レベルの1つの基準は、「誰を見ているか?」です。対「人」に関わっている以上、痛い思いをしても、理解し合えなくても、そんなの当たり前なのです。だけど、「うまく繋がる可能性」は、ちゃんと存在している。だからこそ、痛い思いをしたところから逃げないように。挽回できるチャンスは、逃げない人にしか与えられないのだ。
 何をしたいか、何を目指したいか、何処へ向かいたいか・・・最終的には自分で決めることばかりです。アフリカで医療活動をしたいと思ってる医療系学生も、意思表示をしたからこそ、それに沿った実習先を学校側が配慮してくれてるのだと思います。来週から、実習に臨む方が大勢いると思いますが、私のカレンダーには実習に行く皆さんのスケジュールを全部書き込んでおります。だから、しっかり自分を見据えて実習に臨んでください。何処にいても、多くのものを得られます。だからこそ、しっかりと自分のことを見据えて、日々を送っていきましょう。
 
 さ、今日の教訓ですが、イビチャ・オシムが言っています、「やったことが返ってくるのが人生というもの。もっと走るべきだし、タイトにプレーすべきだ。全てが返ってくるのだからやらなくてはいけない。」、と。それに付け足す言葉は、無い。必ず、全てがいつか返ってきますから、痛い思いも糧に換えて行きましょう!

オシムの言葉