優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

「”火を点けられなかった自分”と”火を点けた後の自分”は、全然別人でしょう!」

2006年05月15日 | Weblog
ボランティア養成トレーニングに出向き、雨の中、野外活動をしてきたのだけど、野外炊飯で火を点けられない若者に、どうにか火を起こさせることができたら、彼らの顔が全然別なものになった。「”火を点けられなかった自分”と”火を点けた後の自分”が、全然別人でしょう!」と伝えると、本当に嬉しそうな顔をして何度も頷いた。単純な話だけど、「できなかったことが1つ、できるようになることの大きさ」を痛感する。

「”火を点けられなかった自分”と”火を点けた後の自分”は、全然別人でしょう!」って、きっと全てに当てはまるわけで、その場、その機会を、少しでも作ってやれるといいなーって思う。何でもいいのだけど、何かができれば、それが自信になっていけばいい。毎日がそんな繰り返しで進んで行けば、いつかは随分違った自分になれるんじゃないかなと思う。
この話は、別なところでは登山の話に流れて、>> 山に登ってみると、何も無かったときの自分を思い出す。社会的身分も収入も要らないと言って、ただ単に、何も考えずに山を歩いて、アルプスを目指してた自分。山に登りたいと思ってるうちは、まだ力が搾り出せるような気がする。「”山に登らなかった自分”と”山に登れた自分”は、全然別人でしょう!」と言えるくらい根底から引っ繰り返された自分がいる。>>

うまく言えないけど、あと少しだけ後押しができれば、つまり体験する機会を用意しておいて、何回かでも経験が積めれば、もう一人でしっかり進んでいける人たちがいっぱいいる。まだ自信がないだけだったり、自分の力に確信が持てなかったりするだけで、十分力を持ってる。
何処よりも厳しい「振り返り」をするけど、誰よりも「甘い」のは自分だろうと自負するところである。誰かが手を出してくれるのは、「今だけ」である。でも、しっかり自分で立ってれば、必ず誰かが力を添えてくれるはずであろう。

さぁ、何を仕掛けていこうか、次は? 素材を探すのが、何よりも至難な課題ではあるのだが、これが無かったら、自分だって何をしてるのか分からないのだからね。