民話 人形山の残雪ものがたり
昔、むかし、山のふもとに信心深い年老いた母と娘が住んでおりました。
あるとき母は、重い病気になりました。二人の娘は一生懸命看病しましたが、
病は重くなるばかりです。
娘たちは毎朝、山の頂上に祭ってある白山権現様に向かって両手を合わせ
『母の病が早く直りますように』と拝んでおりました。
二人の熱心な願いが通じたのか、
ある夜、権現様が夢枕に立たれ『これこれ娘達よ、病に良く効く湯がある。
谷川を探すが良い。』と告げられました。
夜明けを待って二人の娘は谷川をさかのぼり、
夢のお告げの湯を探しに出かけとうとう探し当てました。
喜んだ娘たちはそれから母を背負っては、毎日その湯へ通い続けました。
不思議にもあれほど重かった病が目に見えて良くなり、やがて母はすっかり元気を取り戻しました。
そこで二人の娘はお礼参りをするため、山頂の権現堂を目指して険しい山を登りました。
ところがこの山は、山伏たち男だけの荒々しい修行の道場で女が登ることは固く禁じられていたのです。
権現堂にお礼をのべ、家へ帰ろうと山を下りかけたところ、急に山が荒れ雪が舞い始めました。
二人の娘は吹雪の中手を取り合い、歩き続けました。
ふもとの家では、母が帰りを今か今かと待っておりましたが、ついに娘たちは戻って来ませんでした。
やがて長い冬がすぎ春を迎えたある朝のこと、母は山肌に2人の娘を見つけたのです。
それは手をつないだ姿に見える残雪でした。
それからは、春になると決まって「ひとかた」が現れるようになり村人たちは、
親孝行な二人の娘が手をつないだ姿だと信じて誰からともなくこの山を「ひとかた」と言い、
今は、人形山(にんぎょうざん)と呼ぶようになりました。
♦♦♦五箇山地域にはこの人形山にまつわる悲しい伝説(昔話)があり、
アニメまんが日本昔ばなしでも「人形山」というエピソードとして制作、放送された♦♦
平成17年に新・日本百名山に選ばれる。
登山塾「無名山塾」(東京都豊島区)の主宰で、
中高年に人気の登山家岩崎元郎氏が 「新・日本百名山」 を選出し、
富山県からは朝日岳・剱岳・立山・人形山が選ばれました。
▼オウレン
▼第二休憩所には富山県一の大きなドウダンツツジの木があります。
まだ全然花が咲いていませんでした。
▼第二休憩所
右上の木が富山県一のドウダンツツジの木
同行者の熟女二人・・・間違いました強者(つわもの)のお嬢様二人です☆
▼午前中の登山道も何か所もぬかるみがありました。
今回は残雪が多く稜線に出るまではぬかるんだ所、滑りやすい所もありかなり注意が必要でした。
▼宮屋敷跡から上に、
残雪が断続的に続き、今年は相当雪が多かったんでしょう。
▼時間があれば登ろうと思っていた「三ヶ辻山」(ミツガツジヤマ)(1764.4m)」
大粒の雨とカミナリが鳴り出したりで計画は変更行くことはできなかった・・・(私だけ)
▼ツバメオモト
▼キクザキイチゲ
▼三ヶ辻山ですが黒い暗雲が立ち込めてきました。
遠くで雷が・・・天候が急変しそうです。
▼雪渓の真ん中が頂上への登山道
▼頂上に近い雪渓ですが雲が覆いかぶさり雷が鳴り始め
そのうち大粒の雨が降り出した。
私は足がつり三人よりも遅れもう10分ぐらいのところで大粒の雨とカミナリで断念。
先を行く三人が頂上に到達してくれたので助かりました☆
・・・下山を急いだ。
人形山物語の、
姉妹の涙がそうさせたのか頂上直前の大粒の雨や、
天候に恵まれず展望を楽しむことができませんでした。
姉妹の怒りにあったのかカミナリまでなり始め写真を撮るどころではなかった。
今回私たちのグループは四名、
下山時は、登りの時よりもはるかにぬかるみが激しくなっており、悪戦苦闘の連続で細心の注意をして下山しました。
そして、まさに山の湯五箇山山荘の天然温泉で汗と悪戦苦闘の苦労を流し帰路に着きました。