わかる目次 |
『Ohana』**学級通信より
「人の言うことは気にするな。『こうすれば、ああいわれるだろう…』、
こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう」
ジョン・レノン
・**を受ける**の授業を見た。
一回目。発問指示がはっきりしない。途中で話すことを忘れてしまう。
「次なんだったかな」
というような余計な言葉が出る。
うまくいかなくて照れ笑いが出る。
最後までできなくて途中で絶句してしまう。
これが初めて**を受ける教師の練習の姿である。
・何回練習をしたかと尋ねると、わずか10回程度だという。
まったく**を舐めている。
私はサークルで同じ授業を少なくとも三回はするように命じた。
また、100回の練習をするようにと言った。
・授業の中には「覚えるべきこと」が入ることがある。
詩文の暗唱…重要な年代…キーワード…
・「覚えるべきこと」がある時、
「家で覚えておくのですよ」
と言うことはない。
・「覚えてくることを、宿題にする」
こともない。
・多くの子どもは、やらないのに決まっているからだ。
・覚えることを、宿題にするなど、授業の放棄と同じだ
―――と、私は新卒の時から思ってきた。
・では、どうするのか。その場で覚えさせるのだ。
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<作文指導について>hyoko記述
先月のサークルで、現在の高校2年生の作文検討をした。
800字で「正義とは何か」を書いた作文が5本提示された。
ある「作文添削会社」に、高校の先生が添削依頼をしたのだ。
作文1点につき1000円である。
結果から言うと、
「作文の内容は、全部ダメ」
「添削の内容は、もっとダメ」
であった。
どれもが、
「とてもこれでは大学合格はありえないだろう」
という内容だった。
一つ目に、五人には「800字」の作文を書く能力が身についていない。
まず、「200字」から始めなければならないだろう、というのがサークルメンバーの意見だった。
二つ目に、五人ともおそらく「作文の書き方」をきちんと教わっていない。
書き方っていうのは・・・省略。
三つ目に、以上のような作文であっても、たぶん大学に合格しちゃうだろう、ってことだ。
大問題だな。
四つ目に、添削会社に作文指導をお願いしても効果はないということだ。
五つ目に、じゃあどうしたらいいかといったら、
「教員が添削し」
「教員自身が、見本となるすぐれた作文を書き」
「添削後に、その見本を生徒にそのまま視写させる」
のである。
六つ目に、つまり、学校の教員ができもしないことを、生徒に教えることはできないということである。
「作文指導」の基本は、「まね」であり「型の習得」である。
中学一年生で、まったく作文のかけない生徒がいた。
はじめは何とか書いたが、やる気がなくなるにつれて何もしなくなった。
だから、
「そのまま写せば努力点!」
と言ったら、400字の見本をそのまま写した。
それで、三年間たった。
その生徒は、600字の「卒業文集」を、
ぼくの手を一切借りずに(もちろん少し手直しはしたけど)書き上げた。