カテゴリー別目次2016-05-22
この一週間くらいで少し分かったことがある。
彼らは、授業中のいい状態、がどういうものなのか知らないらしい。
知らないのだから、教えなければならない。
彼らにとって当たり前になっている教室は例えばこういうことだ。工事用のモーターがブーンと鳴り続けている感じ。誰かが常に授業と関係ない話をしている。電車の中とまったく同じだ。ザワザワという不快な音が止まないのを不快に感じない。電車の中なら普通のことだ。誰が何をしていても何を話していても、関心がない。見も知らぬ他人が通勤、通学しているような教室が普通で当たり前の状態なのだ。
勉強する気のある生徒はじっと黙って、聞いたり作業したりする。だが、ザワザワ話し続ける数人か、十数人には一切関わらない。電車の中で、他人の会話を止める人などいないのだから当然だ。
全員が、黙って、教師を見て、話を聞く。そうすれば、教室にピーンと張り詰めた緊張や、ホンワリと柔らかな統一感が生まれる。
そういう経験を、彼らはほとんどしてこなかったらしい。だから、集中しなさいとか、黙って書きなさいとか、話しかけないとか、大雑把な表現をしても何も変わらない。知らないのだから当然だ。また、知らないから悪気もまったくない。授業が終わって「今日はしゃべっていてすみませんでした」なんて、ひとコマしゃべり続けていた男子が言いに来た日がある。はぁ、そういう人なのか、と思いましたね。
なぜ、そうなのかもしれないと気付いたかというとだ。「今。今のこの感じ。とてもいい。続けて」とか「今、号令かかってすわったら、全員俺を見る。はい。お願いします。そのまま、そのまま、しゃべらない、俺を見る。そう」 指示を出したらすぐ「今の聞き方、百点」と言う。
そうするとですね。一つのクラスは、五分か十分その「いい状態」が続く。もう一つのクラスは、ひとコマほとんど続く。
別のふたクラスは、「いい状態」を知っている。僕の普通のペースでどんどん授業が進む。
もうひとクラスは、まだどうして良いやらまったくわからない。僕は使えない新採用教員になってしまう。ただ、その生徒たちもまたまったく悪気はない。とても可愛げのある男どもなのだ。