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大森町界隈あれこれ(L33) 大森町の社寺 大森神社(寄来神社)

2006年09月28日 | 大森町界隈あれこれ 社寺
大森神社(大田区大森北6-32-12 地図航空写真参照)は、京浜急行電鉄平和島駅から第一京浜国道沿いを北に約2分ほどのところに鎮座しております。境内は、第一京浜国道に面し、裏は京浜急行電鉄に挟まれた奥行きの狭い神社で、鉄道と国道の敷設工事の時に削られたのではと思われます。
大森神社は、大森村の旧東海道三原通り(「大森町界隈あれこれ(N31) 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)の鎮守様で、昔は寄来大明神 寄来神社と称し、1886に現在の大森神社に変わりました。御祭神は、久久能智命(くくのちのみこと)が祀られておりす。


大森神社は、第一京浜国道に面して大小の鳥居が二つ並んで建立しており、向かって右側が本殿で、左側は末社です。大鳥居の左には手水舎があり、その脇には百度石が置いてあります。本殿脇には、御神木が植えられており、狛犬はないが大森魚市場から寄進された立派な青銅の燈籠があります。

大森魚市場
「東京市史稿」によると、江戸時代に付近の漁師が魚貝類を持ち寄り商売したのが始まりといわれ、1880年(明治13年)9月4日に大森魚市場の開設が許可されるたと記録が残っております。
慶長年間、江戸八辻ヶ原(今の神田須田町あたり)に始まった青果市場をもととして発展した神田市場。昭和11年蒲田配給所(蒲田分場)とともに開場した荏原市場と共に、平成元年に、この3市場1分場が統合され、新たに東京都中央卸売大田市場として生まれ変わりました。
大森魚市場のあったところは、現在は大森スポーツセンター(大森本町2-2-5 地図参照)となり、大田区の公共施設として利用されています。

大森神社例祭
大森神社の例祭日は、隔年の9月14日(神社式典)に近い土日に執り行われ、本祭りの時は美原通りの氏子町会毎(「大森町界隈あれこれ(M31) 大森町商店街 ミハラ通り夜店フェスティバル」参照)に神輿の渡御りや山車が繰り出され賑やかなお祭りが行われますが、今年は陰祭りに当たり、9月17日の日曜日に大森本町二丁目仲町町会だけの、美原通りを交通止めして子供神輿山車だけでの質素な仲町会祭が行われました。大元の大森神社は、ひっそりとして、お祭りの雰囲気は何もありませんでした。
仲町会祭風景1

・本祭り
平成17年の本祭りは、盛大に行われ、その祭り風景をWebで覗いて見ました。
大森本町北町会には、昭和初期に製作された一尺八寸の総彫神輿と平成14年に旧大森魚市場から奉納された二尺三寸の神輿があります。子供神輿は中神輿と小神輿があります。
また、昭和八年製作の北町の太鼓山車があり、天狗様が上に乗り彫刻が立派な城南地区でも有数の山車で、大祭時に子供連が曳きます。

由緒
旧東大森村三原の鎮守で寄来大明神と称していた。創建年代は不詳だが、1720年(享保5年)再建時の棟札に、1616年(元和2年)に社殿を改築したとの記述がある。
社伝によれば、ある時、黄金色に輝く御神体がこの地の浜に流れ着いた。里人は非常に畏れて沖へと流したが、再び浜に帰ってきた。これを三度繰り返して、三度戻ってきたため、神意がこの地にあることを悟り、寄来大明神として祀ったという。
1868年(明治元年)神祇伯・白川資訓王より「大森神社」の社号と額面を賜る。1932年(昭和7年)東京市への編入にあたり、寄来神社の社号を正式に大森神社と改めた。1945年(昭和20年)米軍の無差別爆撃により社殿焼失。1963年(昭和38年)再建された。

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