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いま、そのとき、かんがえつつあること。

賛美するひまがあったら…

2005-12-03 | 障害学
議論をしていて、どうも違和感をいだいてしまうことがある。

多数派と少数派の話をしているのに、差別されている少数派は、じつはこんなにも魅力的だとか、おしえられるものがあるとか。そんな賛美はどーでも いいでしょうに。それだって結局は多数派による身勝手でご都合的な消費にすぎないじゃないですか。

フェリシモ左きき友の会/大路直哉(おおじ・なおや)編著『左ききでいこう!』をちょっと よんでみてほしい。「左ききカタログ」のアンケートから一部引用。
「左ききの人って器用よね」とよく言ってくださるんですが、あえて声を大にして「器用にならざるを得ないんです」と反論します。(213ページ)
この一文を記憶にとどめておくだけでも、だいぶ ちがうと おもうんですよ。

人の生活は美術館の展示品ではない。他人の生活を消費したり賛美するひまがあったら…。 / あったら、なんだ? / 自分の特権というものをみつめろ。 / なんだそれ。深刻ぶって しかめっつらしてたら問題が解決するのか。 / いや、そんなことは いってないけど。 / あのね。しかめっつら、つまり まじめで真摯な態度というのも制度化されうるんだよ。 / ふうむ。どゆこと? / コピペだよ、コピペ。「まじめに左翼、人権保障のガイドライン」みたいな。 / そんなの どこにあるの? / この社会だよ、いまここにある社会。みえないのか? ちまたに ころがるコピペ集が。 / まぁ、どんな理念も形骸化されうるわね。 / じゃ、形骸化しないようにするには、どうすれば いいのさ? / 自分のあたまで かんがえて、自分のことばで かたる。 / そーゆーと もっともらしいけどな。それって、ごもっともなようでいて、内容ない話だぞ。 / 自分のことばってのも陳腐なのか。そうかもしれない。じゃあ新鮮さをたもつ。 / 鮮度の問題なのかな? そうかもしれんね。 / じゃ、こんなこと いってみようよ。わたしが かたることばを、ふるくさいだの、時代おくれだの いってくれるな。あいもかわらず旧態依然としたこの社会が、わたしに おなじことをいわせるのだと。すきで こんなこと いってるんじゃねーよと。

よし、一貫した自分のことばなんてのを否定してやる。それが とりあえずのオルタナティブ(かわりになるアプローチ)だ。

グーグル:「ライオンは自分 GO 在日」