私の小説

想い浮かぶまま小説を書いてみました。
一度には掲載できませんので何回かに分けて掲載します。お読みいただけたら幸甚です。

想品「名刺入れ2」

2017-03-31 13:00:44 | Weblog

松本社長は前田君から聞いていた通り、健啖家でお酒も強く、鍋物には日本酒が合ますなーとクイクイ盃を空けながら「山岸さんは名古屋で長く仕事をされておられましたが名古屋や大阪の商売の仕方と博多の商売の仕方はちがっていましてな、博多では名古屋、大阪のように本音と建前の二本だsては通用しないんですしそれをしたら嫌われて相手にされなくなります。博多に限らず九州人は大体において全部本音で商売をします。勿論商売ですから駆け引きは当然ありますが、言うならばイエス・ノーがはっきりしないといけません、腹の探り合いで口で言うことと行動が違うということは一番嫌われます。
もう一つは、一旦約束をしたら、その約束は最優先で守ることです。たとえば山岸さんが私と今日の様に会う約束をした後、他の人から会いたいと申し出があったとします、その時関西では一寸都合が悪いとか、はっきり先約があると言わず言葉を濁して断るでしょう、博多ではそれではだめなのです。はっきり今日は松本さんと会うことになっているので日を改めてお願いしますと言えば相手の人もそれならばと快く承知してくれますが、口を濁しして断っておいて私と会っているところを見られたら、山岸さんは俺が会いたいと言っているのに俺のことを無視して松本さんと会っている、怪しからんと、こちらの言葉で言いますと、腹をかき(腹を立て)そげん人ならば付き合ってもらわんでよか(付き合って貰わなくても良い)と言うことになってしまい、それ以降仕事が出来なくなってしまいますから、その辺もこれから十分注意してください、と、博多での人との付き合い方など話してくださいました。
私は名古屋で長く仕事をしてきましたが、私の性格として本音建前は性に合わず、色々ありましたがずーっと本音でばかり商売をしてきましたので、本音建前を気にせず仕事ができると有って、正直なところ良かったなーと思いました。
「早速のご忠告有り難う御座いました。私はは博多に来たら商売でも、個人的なお付き合いでも、博多の仕来りにしたがって行いたいと思っていますのでこれからも色々ご指導お願いします」と松本社長にお願いしましたら、そろそろお酒がまわってきて博多弁になってきていた松本さんは「それは、よか心がけですたい、早く博多に馴染んで博多に溶け込んでくだっさい。そう言っては申し訳なかですが、前の課長はどうも博多の風習に溶け込めんやったんで
あたき(私)もいっちょん力が入らんとでした、山岸さん、あたきは、あんたが気にいいったとばい、これからも力を合わせてやりまっしょ」と何度も握手をしてお座敷はお開きに成りました。

「山岸さんは単身赴任じゃけん、早く帰っても待っている人はおらっしゃらんから、あたきにもう1軒付き合いんしゃい、部長は前田君とどこかで適当にやりんしゃい」と言って二人だけで松本さんの行きつけと思しき「白苑」というクラブに案内されました。
「ママ、今度大和商事に転勤してこらっしゃった山岸さんたい」「いらっしゃい、ママの和江です、松本さんには何時もお世話になっています。大和商事の前任の課長さんにも時々来ていただいていましたが、今後ともごひいきに、時々足を運んでくださいな」
「いやー、年寄りのホステスばかりですみまっせんが、この店は博多の主みたいなが常連の店で、そんな人たちに山岸さんば紹介するには都合が良か店でしてな、此処で知り合って一緒に飲んだら仕事で会いに行ったときよかもんですもんね」
「よーう、きとりんしゃったか、あんたくさ、こん人は大和商事の後任課長の山岸さんたい。こりらあたきが世話になっている山村商店の社長さんたい」と早速店に来て居られた山村さんを紹介してくださいました。

「初めまして、このたび大和商事に赴任してまいりました山岸で御座います。今後とも宜しくお願い申し上げます」
「山村です、松本さんとは古くからの付き合いでして仲良くしてもらっています、此方こそ宜しく、早速ですが、新しい仕事で御社と取引をしたく思い、松本さんが御社をよく御存じなので一度一緒に御社に行ってもらおうと思っていましたが課長さんが交代されるということだったので、新しい課長さんが落ち着かれたらお邪魔させてもらおうと思っていましたが此処で松本さんに山岸さんを紹介していただきましたので近日ちゅうに伺わせていただきますのでその節は宜しくお願いします」と挨拶をされました。
「わざわざお越し頂かなくても私が山村さんの会社にお伺いさせてもらいます。一日でも早く博多のすべてを知りたいと思っておりますので是非そうさせてください。そのあとで私どもの福岡支店の方にもいらしてください、お願いします」
「山村さん、こん人は、早く博多に溶け込みたいと思っておらすんで、御社に伺わせてもらって博多の商店の雰囲気に馴染みたいということですけん、あたきも一緒に伺いますのでそうさせてあげてくだっさい」
「松本さんからまで、そげん言われたら、申し訳なかとですがどうぞお越しください」
その夜白苑で山村さんのほかにも松本さんの古くからの知己で博多の名士的存在の人に何人か引き合わせて頂、実質的博多仕事始めの一日は午前様になるまで大いに歓談しました。
「あたきはあんたが気にいったとばい」と言ってくれた松本さんはその後も全面的に協力してくださり。お蔭様で赴任3か月後には博多商人の主だった人たちにも「大和商事の山岸さんは名古屋からこらっしゃった他人のは珍しいイエス・ノーをはっきり言いんしゃるけん、よか人ばい、あん人なら取引してもよかねー」と言ってもらえるほどになりました。
松本さんとは仕事や夜の付き合いばかりでなくゴルフにも良く誘って頂きました。
松本さんは年をとっておられてますがスコア―の短縮に研究熱心で、飛距離を1ヤードでも遠くに飛ばしたいとレッスンプロに教えを請うたり、独自で考えた理論を実践したりされ、私も松本社長の理論を聞いて自分なりに咀嚼して良い勉強をしました。
松本さんとゴルフを一緒しだしたころは松本さんに負けてばかりでしたが、若いだけに場数を踏むたびに上達して松本さんを負かすようになり松本さんを悔しがらせるようになりました。
仕事の面では松本さんの協力で大手の取引先とも取引が出来る様になり、私の担当課は私が着任後半年余りで支店内で稼ぎ頭になりました。
松本さんにはご協力頂いたことに報いるため、以前からお願いしていた商品の納入代行の手数料を何倍も増やし、松本さんから「今まで大和商事と長く付き合っていたがこんなに手数料を増やしてもらったことは初めてだ」ととても喜んでいただき、松本さんとの関係はますます密になりました。 

想品「名刺入れ1」

2017-03-25 14:03:30 | Weblog

「もしもし、恐れ入りますが、私山岸と申しますが、昨日お宅に伺ったとき、どうもお宅の店に私の名刺入れを落としてきたようなのですが、お掃除をなさったとき落ちておりおませんでしたでしょうか」
「一寸お待ちくださいませ、係りの者に問あわせてみますから」
「済みません、お手数を煩わせて」
「お待たせしました、係りの者に尋ねましたが、心当たりが無いと申しております」「そうですか、済みませんでした、若し何方かが拾ってお届け下さるような事が御座いましたら、名刺入れの中の私の名刺の裏に福岡支店の住所と電話番号が書いてございますので、ご連絡いただけましたら取りに伺いまsづので宜しくお願いします。名刺入れは黒い革製のありふれたものですが宜しく御願いsぢます」
「いやー、無かったと言っていた、名刺のほかには大切なものは入っていなかったが、無くしたら無くしたで仕方がないけど、上着を脱いだのはあの店だけだったから、落としたとするとあそこしか考えられない、誰かが拾って持って行ったのかも知れないなー」
今朝になって上着の内側の小物入れに入れてあった名刺入れを落としていることに気が付いて、夕べ部下と飲みに行ったビール工場に隣接したビール園のレストランに問合わせしていたのは出張で福岡に来ていた山岸でした。
「うちの会社は名の通った会社ですから、此処福岡の中州では初めて入った店でも名刺を出せばつけにしてくれる店が沢山ありますから、山岸さんの名刺を悪用されると厄介ですねー」
「そうだなー、でも、そこまでする人はあまりいないだろう、大丈夫とは思うけれど覚悟だけはして置くよ」
「所で、今夜は松本社長と小塚部長お二人と会食だったなー、あの人達は気の張らない人達だから何時もの寿司屋の二階に席を取っておいてくれ、あそこで適当に飲んで美味しい寿司を土産に持って帰ってもらおう」と福岡支店の田中課長と話していたとき、でんわがかってきました、
「山岸さんお電話ですよ」「もしもし、大和商事の山岸ですが、はっ?ああAビール園のレストランの方で、はいはい、あっ、有りましたか、有り難うございました。早速頂に伺います、わざわざご連絡下さいまして有り難うございました」
「名刺入れ、有ったそうだ、いやー良かった、無くしたことがなんとなく気持ちの上で引っかかっていたけど、これですっきりした。一寸タクシーを飛ばして取りに行ってくるは」

名刺入れは今流行の欧州ブランドのカルティエとかルイビトン等と言うようなブランド品ではなくありふれた国産の黒革製のものですが、この名刺入れは山岸が八年に亘る福岡の単身勤務を終えて本社に転勤するとき、中州の小料理屋「良枝」の女将さんが選別にと言ってくれた物で、思い出の品でした。

山岸が名古屋から福岡支店の課長に転勤してきたのは第一次オイルショックのほとぼりがやっと冷めかけた昭和49年の4月でした。
妻の康子が実家の寝具商の経理を手伝っており、一人娘の由香が名門私立女子中学に合格したばかりと言うことも有って、山岸は単身で福岡に転勤してきました。
小さい冷蔵庫や炊飯器、掃除機、鍋皿など必要最小限の品を取り揃え、康子が由香と福岡に遊びに来ても一緒に生活できる様に準備をしました。
名古屋から送った布団と衣類などの荷物を解いて備え付けの箪笥や押入れにざっと収め転勤翌日には出社して前任課長との引継ぎを始めました。支店の取引エリアが九州一円に渡っていたので、北九州、大分、鹿児島、熊本、佐賀、長崎を超特急の5日間で廻り、帰ってきた週末の土曜日と日曜日には前任課長と山岸の歓送迎会のゴルフ会と言う超過密な引継ぎでした。転勤挨拶に行く先ざきで夜は歓送迎会の酒宴につぐ二次会三次会の付き合いが有り、ゴルフの後も中州に流れてゆき夜遅くまでつき合わされ名古屋では経験した事がないのでびっくりすると同時にこれでは体が続くかしらと思うほどでした。
一週間の引継ぎを終え、前任課長を送り出しやれやれと思う間もなく「課長、松本商店の社長が今夜是非お付き合い願いたいと言ってこられておりますが、松本商店は当社の古くからのお得意さんで取引自体はそんなに大きくありませんが、社長の松本さんは地元の生え抜きで修猷館、九州大学と言う名門校の出身で地元の名士に知己が多く、何かとわが社はお力を借りているんですよ。前任課長は松本社長とどうも肌が合わなかったようでした、その上任期が2年でしたのでお互いに理解できないうちに転勤してしまわれたましおた。
課長もお疲れでしょうが今日他に予定がなかったらお誘いを受けられたほうが良いと思います、私も一緒にと言っていただいていますから宜しいでしょう、課長ご自身で松本社長にお付き合いさせていただきますと返事をしてあげてください」と係長の前田君から言われました。
「判った、すぐ電話するよ、ところで松本さんはお酒は強いのか?」
「強いですよ、若いころは石炭を扱っておられ、炭鉱屋との付き合いで鍛えられたそうですから、私など足元にも及びませんよ、課長はどうですか?強いほうですか?」
「弱いほうでは無いと思うけれど、そこそこかな?」
前任課長との引継ぎで各地を廻られて九州人の酒の強さは判られたと思いますが、今夜もそのつもりで付き合われたら良いですよ」

九州支店の取引先に松本商店と言うところが有って、社長の松本さんには支店が有形無形の恩義にあずかっているということは話に聞いていたが、松本さんにお会いするのは今日が初めてでした。
前田君に案内してもらい松本社長に設営していただいた店に伺いました。
その店は中州の真ん中にある古い料亭で鶏の水炊きで有名なお店でした。
「今晩は、今日は御招き頂き有り難うございます、お言葉に甘えて参上しました」と挨拶しながら座敷にに入ると、年のころなら60歳くらいで白髪に精悍な顔つきの紳士とその部下と思しき方が居られ「まあ、固い挨拶は抜きにして、どうぞ、どうぞ」と上座に招かれました。
「有り難うございます。お初にお目にかかります、このたび福岡支店に参りました山岸でございます。松本社長には日ごろ一方ならぬお世話になっており有り難うございます、本社でもお噂は伺っておりました、若輩者ですが今後ともよろしくお願いします」と挨拶すると「松本でございます、此方こそ御社には色々お世話になっております、
山岸さんの事はかねてより伊東本部長から伺っており、おいでになるのをお待ちいたしておりました、これからも色々お世話になると思いますが宜しくお願いします」と丁重な挨拶を返していただきました。
「ま、遠慮せず、上も下もなしで、此方にどうぞ」と上座を示され」「では、遠慮なく」と言って席に着き、先ずビールでのどを潤しましょうやと中井さんの注いでくれたビールで乾杯をして宴に入りました。
山岸さん、今日はゆっくり遣りましょう位、九州の鶏の水炊きは初めてでしょう?名古屋にも昔から名古屋コーチンと言う肉鶏がいて鶏料理が結構有名と聞いていますが、名古屋の水炊きとは一寸違っていますから、まあ、召し上がってみてください」と言われました。前菜に出てきたお刺身の盛り合わせで飲み始めていましたら、大木は砲金製のパイロセラムの蓋が付いた鍋に白濁したスープが入ったものが出てきてガスコンロに掛けられました。
仲居さんが「博多の水炊きは先ずこのスープから飲んでいただきます」とスープに薬味の紅葉おろしと博多葱、そして塩で味付けした物を出してくれました。
このスープは鶏の骨付き肉を何時間も煮込んで出したスープでコクが有ってとても美味しい物でした。
スープのお代わりをした後、次にスープから取り出してあった鶏肉をスープで再び温め薬味で頂くのですが、骨から身がぽろっと取れて、これも美味しかった。鶏肉を食べ終わった後、春菊や葱シイタケなどの野菜とうどんで仕上げでした。

何か良い事ないかなー

2017-03-20 13:04:21 | Weblog

何か良い事(楽しい事)ないかなー。
我が家ではもう3年位前から私が主夫をしています。毎日洗濯、掃除、炊事、家庭のこまごまとした用事をこなしながら過ごしています。
主夫業をする前は下手くそですが絵を描いたり、エッセーを書いたり、ゴルフの練習をしたりと結構楽しんでいましたが、一昨年硬膜下血腫で失神し、救急車で病院に搬送してもらい手術をうけ左脳の下にたまった血液を抜いてもらいましたが家の風呂場で倒れた際,家内が倒れたことに気付かず長時間左手を下に敷いたままでいたため左腕のひじから先が圧迫神経まひになりその後遺症で左手が麻痺硬直してしまいリハビリをしてもらいましたが回復できず左手が実質使えなくなってしまいました。
それでも家内が病のため何もできなくなってしまったので左手が不自由ですが料理も3度3度作っています。
朝目を覚ますと先ず考えることは今日の昼は何を作って食べようか?夜は何を食べようか?冷蔵庫には何が入っているかを考え、買い物は何を買ってくるのか?と考えます。
朝食は毎日パン食ですので、コーヒーか紅茶を淹れパンを焼けばよいので楽ですが前の晩のうちにテーブルセットが欠かせません。朝食を終えると後片付けは家内がすると言うので任せ選択に罹り、洗濯が済むとⅠ日置きに掃除をします。そうこうしているうちに11時過ぎになるとお湯を沸かしてお昼の準備に掛かり大体麺類主体の昼食を作って食べます。昼食後はPCに向かいメールをチェックしたりインターネットで調べ物をします。
買い物が有る日は3時ころから買い物に行きます。そして5時半から6時ころ夕食の準備に掛かり、毎日違った料理を作って食べています。唯一の楽しみは毎晩飲む焼酎の晩酌です。
日々こんな生活をしていますと絵を書いたりエッセイを書いたりする気になれず、せいぜいウおーくマンの音楽を聴くからいです。
朝から寝るまで家内の介助をしていますと精神的にも肉体的にも疲れてしまい、夜床に就くと、やれやれ今日も何とか過ごせたなーと言う安ど感直ぐ眠ってしまいます。
無為な生活をして勿体ないとは思いますが仕方が有りません。
人間80才を過ぎると生産性が無くなり生きる目標も定かではなくなり、惰性で生きおているような気がします。
何かいいことは無いかなー。ヒントが有ったら教えてください。