松本社長は前田君から聞いていた通り、健啖家でお酒も強く、鍋物には日本酒が合ますなーとクイクイ盃を空けながら「山岸さんは名古屋で長く仕事をされておられましたが名古屋や大阪の商売の仕方と博多の商売の仕方はちがっていましてな、博多では名古屋、大阪のように本音と建前の二本だsては通用しないんですしそれをしたら嫌われて相手にされなくなります。博多に限らず九州人は大体において全部本音で商売をします。勿論商売ですから駆け引きは当然ありますが、言うならばイエス・ノーがはっきりしないといけません、腹の探り合いで口で言うことと行動が違うということは一番嫌われます。
もう一つは、一旦約束をしたら、その約束は最優先で守ることです。たとえば山岸さんが私と今日の様に会う約束をした後、他の人から会いたいと申し出があったとします、その時関西では一寸都合が悪いとか、はっきり先約があると言わず言葉を濁して断るでしょう、博多ではそれではだめなのです。はっきり今日は松本さんと会うことになっているので日を改めてお願いしますと言えば相手の人もそれならばと快く承知してくれますが、口を濁しして断っておいて私と会っているところを見られたら、山岸さんは俺が会いたいと言っているのに俺のことを無視して松本さんと会っている、怪しからんと、こちらの言葉で言いますと、腹をかき(腹を立て)そげん人ならば付き合ってもらわんでよか(付き合って貰わなくても良い)と言うことになってしまい、それ以降仕事が出来なくなってしまいますから、その辺もこれから十分注意してください、と、博多での人との付き合い方など話してくださいました。
私は名古屋で長く仕事をしてきましたが、私の性格として本音建前は性に合わず、色々ありましたがずーっと本音でばかり商売をしてきましたので、本音建前を気にせず仕事ができると有って、正直なところ良かったなーと思いました。
「早速のご忠告有り難う御座いました。私はは博多に来たら商売でも、個人的なお付き合いでも、博多の仕来りにしたがって行いたいと思っていますのでこれからも色々ご指導お願いします」と松本社長にお願いしましたら、そろそろお酒がまわってきて博多弁になってきていた松本さんは「それは、よか心がけですたい、早く博多に馴染んで博多に溶け込んでくだっさい。そう言っては申し訳なかですが、前の課長はどうも博多の風習に溶け込めんやったんで
あたき(私)もいっちょん力が入らんとでした、山岸さん、あたきは、あんたが気にいいったとばい、これからも力を合わせてやりまっしょ」と何度も握手をしてお座敷はお開きに成りました。
「山岸さんは単身赴任じゃけん、早く帰っても待っている人はおらっしゃらんから、あたきにもう1軒付き合いんしゃい、部長は前田君とどこかで適当にやりんしゃい」と言って二人だけで松本さんの行きつけと思しき「白苑」というクラブに案内されました。
「ママ、今度大和商事に転勤してこらっしゃった山岸さんたい」「いらっしゃい、ママの和江です、松本さんには何時もお世話になっています。大和商事の前任の課長さんにも時々来ていただいていましたが、今後ともごひいきに、時々足を運んでくださいな」
「いやー、年寄りのホステスばかりですみまっせんが、この店は博多の主みたいなが常連の店で、そんな人たちに山岸さんば紹介するには都合が良か店でしてな、此処で知り合って一緒に飲んだら仕事で会いに行ったときよかもんですもんね」
「よーう、きとりんしゃったか、あんたくさ、こん人は大和商事の後任課長の山岸さんたい。こりらあたきが世話になっている山村商店の社長さんたい」と早速店に来て居られた山村さんを紹介してくださいました。
「初めまして、このたび大和商事に赴任してまいりました山岸で御座います。今後とも宜しくお願い申し上げます」
「山村です、松本さんとは古くからの付き合いでして仲良くしてもらっています、此方こそ宜しく、早速ですが、新しい仕事で御社と取引をしたく思い、松本さんが御社をよく御存じなので一度一緒に御社に行ってもらおうと思っていましたが課長さんが交代されるということだったので、新しい課長さんが落ち着かれたらお邪魔させてもらおうと思っていましたが此処で松本さんに山岸さんを紹介していただきましたので近日ちゅうに伺わせていただきますのでその節は宜しくお願いします」と挨拶をされました。
「わざわざお越し頂かなくても私が山村さんの会社にお伺いさせてもらいます。一日でも早く博多のすべてを知りたいと思っておりますので是非そうさせてください。そのあとで私どもの福岡支店の方にもいらしてください、お願いします」
「山村さん、こん人は、早く博多に溶け込みたいと思っておらすんで、御社に伺わせてもらって博多の商店の雰囲気に馴染みたいということですけん、あたきも一緒に伺いますのでそうさせてあげてくだっさい」
「松本さんからまで、そげん言われたら、申し訳なかとですがどうぞお越しください」
その夜白苑で山村さんのほかにも松本さんの古くからの知己で博多の名士的存在の人に何人か引き合わせて頂、実質的博多仕事始めの一日は午前様になるまで大いに歓談しました。
「あたきはあんたが気にいったとばい」と言ってくれた松本さんはその後も全面的に協力してくださり。お蔭様で赴任3か月後には博多商人の主だった人たちにも「大和商事の山岸さんは名古屋からこらっしゃった他人のは珍しいイエス・ノーをはっきり言いんしゃるけん、よか人ばい、あん人なら取引してもよかねー」と言ってもらえるほどになりました。
松本さんとは仕事や夜の付き合いばかりでなくゴルフにも良く誘って頂きました。
松本さんは年をとっておられてますがスコア―の短縮に研究熱心で、飛距離を1ヤードでも遠くに飛ばしたいとレッスンプロに教えを請うたり、独自で考えた理論を実践したりされ、私も松本社長の理論を聞いて自分なりに咀嚼して良い勉強をしました。
松本さんとゴルフを一緒しだしたころは松本さんに負けてばかりでしたが、若いだけに場数を踏むたびに上達して松本さんを負かすようになり松本さんを悔しがらせるようになりました。
仕事の面では松本さんの協力で大手の取引先とも取引が出来る様になり、私の担当課は私が着任後半年余りで支店内で稼ぎ頭になりました。
松本さんにはご協力頂いたことに報いるため、以前からお願いしていた商品の納入代行の手数料を何倍も増やし、松本さんから「今まで大和商事と長く付き合っていたがこんなに手数料を増やしてもらったことは初めてだ」ととても喜んでいただき、松本さんとの関係はますます密になりました。