私の小説

想い浮かぶまま小説を書いてみました。
一度には掲載できませんので何回かに分けて掲載します。お読みいただけたら幸甚です。

しぐれB-8

2015-02-11 14:18:21 | Weblog

1年があっという間に過ぎた9月の終わり、一回りも二回りも取り引き先を回り取引お関係をより密なものに仕上げることが出来たという感触が伝わってきだし、久しぶりに一息入れていた或る日、里美から「パパお久しぶり、お忙しそうね、2~3回電話したけどいつも出張でお話しできなかったけれどお元気?」と電話がありました。
「いやー、すまんすまん、色々仕事で飛び歩いてばかりいたからね、でもママも結構留守が多かったじゃない?僕が電話しても捉まらなかったことが何度もあったよ」「御免なさい、ほら、例のシリーズもの作りのため、取材であちこち飛び歩いていたからね、ところでパパ未だ忙しいの?お暇ということはないと思うけれど、もしお暇が取れるようなら、シリーズものの最後の取材に付き合ってほしいのだけど」
「ママの頼みとあれば万難を排してお付き合いしますよ、9月の中間決算の数字が出る10月20日以降なら大丈夫だよ、所で何処に行くの?」「10月20日以降なら大丈夫ね、嬉しいー。パパ、もう7年前になるけれどパパが連れて行ってくださって、とても素敵な紅葉が楽しめた、思い出の湯西川温泉にご一緒してほしいの、今回の旅行は私がパパをご招待させていただきますから、お願い、付き合って」「あの時雨模様の紅葉を見てから7年も経ったのか、いいとも、喜んで一緒するよ」「パパの都合のいい日に合わせてホテルを予約しますから教えてちょうだい」と言うことで7年前25年めにして初めて里美と結ばれた奥鬼怒川湯西川温泉に行くことになりました。
今回も前回同様東武線の急行に乗り湯西川温泉駅で下車しバスでホテルに向かいました。
ホテルに着くと7年前と同じ紅葉真っ盛りの楓がライとアップされていて、思わず「わーっ!綺麗」と感嘆の声を上げてしまいました。

ホテルに着いた里美はチェックインもそこそこに写生帳に絵の具、カメラを持ちだして早速ライトアップされた楓や、ロビーから眺められる矢張りライトアップされた谷川を隔てた裏山の紅葉を写しにかかりました。そういう取材をしている里美からはプロの雰囲気がにじみ出ていて頼もしいく思えました。
取材を終えた里美は「パパお待ちどうさま、と部屋に落ち着き、まだ続いていたホテルのお好み浴衣サービスのパッと明るい里美好みの浴衣に着替え「ちょっと派手かなー、でも7年前に化けなくちゃならないからね」と言いながら「あっ、この窓からの風景も素敵だからざっと写生するからパパはお茶でも飲んでいて頂戴、お風呂に入ったら描く気が無くなってしまうから」と言って一心に写生に取り掛かりました。
「僕も浴衣に着替えゆっくりしているから、未だ時間も早いからじっくり写生したらいいよ」と声をかけ、浴衣に着替えお茶を飲みながら里美の仕事ぶりを眺めていました。
3~40分で下絵を描きあげカメラにも収めた里美は「パパお待ち同様、ホテルを予約するとき、あらかじめ貸切風呂を予約してあるからフロントでお風呂の鍵をもらって入りに行きましょう」とお風呂に向かいました。貸切の浴場は前回同様ライトアップされた紅葉が湯面に映えて金銀綾錦と言った風情でした。
「パパ、私すっかりお婆ちゃんになってしまって恥ずかしいなー、でも仕方がないものね、醜くって御免ね」「お互い様だよ、僕だってオジン体型になって格好悪くなってるんだから」と言いながらお湯に入りました。
「あーいい湯だね、こんなにゆったり温泉に入るのはママと以前来た時以来じゃないかな」「私もよ、気持ちいいねー体がほぐれて疲れが抜けていくわ」「ママもこの1年本当に良く頑張ったねー、さっきからママの仕事ぶりを見ていて本当にプロになったと感心していたよ」「あら、そうー、自分では気が付かないけれど、仕事のことが先ず優先と自然に意識が働いてしまうの」「それでいいんだよ、でも、いつも仕事のことばかり考えていては、そのうち息が詰まってそまうから、時々は仕事のことを頭から除外して、無になるようにしないといけないよ、僕たちの仕事でも同じことが言える、仕事、仕事と四十六時中思っていると、考えが偏ってしまってやることがだんだん貧弱になってしまうんだ、だから時々仕事のことを忘れて自分のしたいことに没頭するとリラックスでき
る、すると又仕事にかかると良い考えが浮かんでくるんだ、だからママもそいうする様に心がけなくてはいけないよ、先は長いんだから慌てないことよ」「ぱぱいい事を言ってくださるねー、千切り絵の世界で一応認められて嬉しくて、つい仕事がすべてみたいになりかかっていたことに気が付かなかった、パパに言われて、はっと気が付いた、有り難う」
「パパ背中の流しっこしましょうか、パパ先に流してあげる」「相変わらずパパの背中は広いなー、パパもお肉がついてきたみたいねー」「シルバー肥りかなー、このごろ肥って来てしまった、有り難う、いい気持だったよ、今度はママの背中を流してあげよう」「「パパ7年前とずいぶん変わったでしょう、オッパイの張りもなくなったし、お腹の辺から腰に掛けてむっちりお肉がついてきてしまって少々のことでは取れなくなっちゃった」「7年前と比べたら年相応にママもシルバー肥りかなと思うけどまだまだ十分魅力的なボディですよ」「それ本当?嬉しがらそうと無理しないでね」「無理して言っているわけじゃないよ肌もきれいだしオッパイも
むっちりしているし、吸い付きたくなっちゃうよ」「ひやー、嬉しいパパにそんな風に言ってもらえて」
「さあ、お湯を掛けるよ」「気持ちがいーい、最高よ良く温まったから出ようか、寝る前にもう一度入りに来ればいいから、そろそろ食事の準備もできているだろう」

しぐれA-8

2015-02-05 13:05:10 | Weblog

長女の嫁入り支度を見て頂き、気が付かなかった2~3の不足しているものを教えて頂いたりし「これで良し「立派な支度ができたねー」とおばあちゃまに喜んでいただき、挙式の日を迎えました。
結婚式場で花嫁姿の娘が、まずおばあちゃまに「長々お世話になりました・・・・」と挨拶すると、おばあちゃまは感極まって
言葉が出ず、只々娘の手を両に手で包み何度も何度も頭を下げられるばかりでした。両の眼からは嬉し涙がとどめなく流、娘ももらい泣きであふれ出てくる涙で両のほほを濡らしていました。そのあと私達にも挨拶し二人そろって神前に向かい厳かに結婚の神事を執り行い、晴れの披露宴に臨みました。披露宴に入る前に彼のご両親からおばちゃまに丁重なご挨拶があり、細やかな気遣いを頂いたおばあちゃまは流石彼のご両親だとご両親をすっかり気に入ってしまわれたようでした。
幸せいっぱいの孫娘の晴れ姿におばあちゃまは何度も何度も「私は世界一幸せ者よ、息子、娘に孫まで授かり、こうして馬子の晴れ姿を目の当たりにできるなんて」と大喜びでした。式を終えた後おばあちゃまは「あなたたちも何かとお疲れでしょうからと山に帰りますと」仰り「持っといてくださいと引き留めたのですが」「帰って近所の人たちに話をしたいから」とおっしゃって次女に送ってもらいに帰られました。
「今、帰りましたよ、色々有り難う」と到着を報せる電話があった後4~5日してご近所の方たちにお土産を持って行って、素晴らしかった結婚式の様子など話して回った、皆さんも長女のことはよく御存じだったので、おめでとう、おばあちゃん、あんたは幸せ者だねーと自分のことのように皆さん喜んでくださったよ」嬉しそうな様子でお電話を下さいました。

今頃のシーズンになると、おばあちゃまの所では晴れているかと思うと俄かに雲がわき出てきて冷たい時雨がさーっと降ってくる頃です。
時雨に振り込まれたのが縁でおばあちゃまと知り合い、こうして親子、孫のご縁ができてから早12年の年月が流れました。
おばあちゃまには何時までも元気でいてほしいんですが、神様の思し召し次第で計り知ることはできません、幸い今はお元気なのですが、もし具合が悪くなったらすかさず救急車で病院に入れてください、お知らせを頂きましたらすぐに駆けつけますから、とおばあちゃまjには内緒でお近所の方にはお願いをしました。お元気と言ってもおばあちゃまも82歳になられたので万一の用心のため有紀子と相談の上ご近所の方々にお願いしました。
翌年の夏は異常に熱く元気な私達も可なり堪えましたが、年を取っておられるおばあちゃまには相当こたえたようで、涼風がやっと吹き出したころ、おばあちゃまは体調を崩されてしまわれました。ご近所の方は一はやく気づいてくださり病院に入院させ報せてくださいました。
私は仕事の関係でどうしてもすぐ駆けつけることができず有紀子に直ぐ行ってもらいました。病院に駆け付けたところ、おばあちゃまは手当の結果少し元気を取り戻されていて、有紀子に「心配かけて済まないねー、東京から遠いところをわざわざ来てくれて申し訳ないねー、有紀子さんの顔を見たら元気が戻ってきたような気がする」とたいそう喜んでくださいました。お医者様の見立ては「お歳なので回復まで少し時間が掛かると思いますが、今すぐどうこう言うことはないと思います、安全のため暫く入院していただくことになりますよ」ということでした。その報告を有紀子から聞き、一段落したらそちらに行くから、おばあちゃまのそばについていてあげてと頼みました。次女もビックリしてかぇつけたかったようでしたが学校の期末試験に重なり身動きが取れず心配していましたが有紀子の話を聞いて一安心したようでした。
週末仕事を終えおばあちゃまの見舞いに行きました。おばあちゃまは比較的元気そうに見えましたが、何だか一回り小さくなられたように見受けられました。
「繁さんまで来てくださり済まないわねー、暑さにやられてしまったんだねー、やっぱり年だわ、繁さんと有紀子さんが揃った所で貴方達に話しておきたいことが有るから聞いて頂戴。私も歳だし、体力も落ちてきているので何時お迎えが来ても不思議ではないと思っている、思えば13年前繁さんと知り合ってからずーっと幸せな日々を過ごさせていただき、思い残すことは何もありません、あなた方のお蔭で私の人生の終末は幸せいっぱいで終わりそうよ。私が亡くなったら、此処に書いてあるお爺さんの友人の息子さんの弁護士さんの所に行って私が預けてあるものを弁護士さん立会いの上見てください。貴方方と知合ってからの私は、生きる喜び、生きている楽しさを十分に味あわせて頂け嬉しかった、それまでは私が死んだあとのことなど、どうにでもなれ位に思って、弁護士さんから色々アドバイスをいらだいたけれどほっておいた、だけど息子や娘、それに孫まで授かり私が死んだあとのこと託す人が出来たとなって、考えを変え弁護士さんに相談して、亡くなった後のお願いを文章にしたの、だから必ず弁護士さんの所に行って見て頂戴ね、これがお願いなの」
「わかりました、必ずそうさせてもらいますが、おばあちゃま米寿のお祝いを忘れないで下さいよ」「ああそうだったわねー、米寿まであと5年か、一寸先だわね」「すぐですよ、早く良くなって、又盛大にお祝いしましょうね」「有り難う、嬉しいことを言っくれるねー」「おばあちゃまの孫たちも来週はお見舞いに来ると言ってましたから楽しみに待っていてくださいよ」「まあまあ、あの子たちも来てくれるって、嬉しいねー、元気を出さなくっちゃ」「そうそう、その意気ですよ」と励まして、有紀子に後を頼んで私は帰京しました。