私の小説

想い浮かぶまま小説を書いてみました。
一度には掲載できませんので何回かに分けて掲載します。お読みいただけたら幸甚です。

美濃屋の客第3部の5

2011-06-16 10:54:19 | Weblog
何時もは月に最低1度は顔を見せてくれる舟越が忙しいのか、何か有ったのか暫らく顔を見せないなーと思っていたら2ヶ月ぶりくらいに「ようっ!ご無沙汰」と言いながら遣ってきた。
「あらーっ珍しい。どうしてたの?顔を見せないばかりか電話も呉れないで、具合でも悪くしてるんじゃないかと心配してたのよ」「そうさよ、何時もなら顔を見せられない時には電話を掛けてくるお前が電話一つ掛けてこないから心配してたんだぞ」
「イヤーすまんすまん、色々と野暮用が重なってしまってあちこち出歩くことが多くてね、電話しなくちゃーと思ってはいたが、電話しかけたら電話が入ってきてそちらの用件に関わっているうちに電話するのを忘れてしまい気が付いたら2ヶ月近く音信普通に成っていたと言うわけだよ」「で、今日は誰かと待ち合わせかい?」「いや、今日は俺一人だ」「へエー珍しいなーお前が来る時は何時も誰かと一緒なのに今日はどういう風のふきまわしだい」「そういわれてて気が付いたがいつもだらかと一緒だったな、今日も誰か誘ってこようかなと思ったが、たまには一人で来て進君やママと話しなどしながらゆっくり飲むのもいいだろうと思ってさ、それに家内が今日から大阪に一泊で高校の同級生会に行って俺一人だから、一人で食事を食べても美味しくないからと言う事もあってさやって来たわけさ」
「そう言う事だったの、まあ、ゆっくり呑んで御飯も食べて帰ったらいいわよ、なんなら明日の朝ごはん代わりにおにぎりでも作ってあげようか」「有難う、おれん所は朝はパン食なのでパンの買い置きがあるから大丈夫、さてっと、ママこのわけぎのぬたとがんもどきの炊いたのと、やっぱり此処に来たらママのおからだな、それに熱燗を頼むよ」「はいよっ、はい、ぬたとおから、がんもは温めなおして熱いのをあげるから一寸待ってね」「ほいっ熱燗」「有難う、進君も一杯付き合えよ」「いいよ、じゃあ一杯貰おうか」「ママも好きなビールを注ぎなよ、3人で乾杯しよう」「乾杯!」「あー美味い、喉素から食道を熱燗が落ちてゆくのが判るよ」「はい、がんももどうぞ」「ママのおからには酢が利かせてあるのがいいよね、家で作るのと同じ味だよ、熱々だねこのがんも、慌てて食べたら口の中を火傷しそう、ふうふう冷ましてと」
「進君もう一杯いこう」と酒を注ぐ舟越に、進は「あのさー、いっぺん聞こうと思っていたけどさー、若松の事だけど、お前が彼を初めて連れて来て若松君だよと紹介してくれたとき、名前を聞くまで誰を連れてきたのかぜんぜん判らなかった。そりゃー高校を卒業していらい40年も会って居なかったからし方が無いがお前から名前を聞いたとき人違いで無いかと思ったよ、高校時代部活も俺は野球部で若松は確かバスケット部だったから一緒に何かしたことないし話しもしたことは無かったが、俺の記憶に残っている若松は背も低くて小柄で丸顔のくりくりしたどちらかと言うと童顔だったのに40年ぶりにあった若松は背も高くなっていたがくりくりした童顔が随分険しい顔付きに変わっていたので余計に判らなかった、お前はずーっと付き合っていたようだから、どうしてああも変身したのか一度聞きたいと思っていんだが40年間の間に若松には何があったんだ」
「若松君の変身振りの訳か、背が高くなったのは大学には行ってから急にぐんぐん伸びて俺も会うたびに背が高くなってくのには驚きだった、高校時代彼と付き合っていた連中は皆驚いてたよ。背丈の方は肉体的な問題だが顔付きが童顔から今の様な厳しい顔付きに変わってしまったのには40年の間に彼に起きた色々の出来事が顔に刻まれたのだと思う」
「俺が知っている限りのことを話してあげよう、でも俺が知っていることは彼が体験した事の一部分くらいだろう、彼から根掘り葉掘り聞いた事はないし、彼も進んで話してくれなかったからな」
「若松と僕が知り合ったのは二人が初めに入学した中学が合併した2年生の2学期からだった、僕達は君も同じだが新制中学になった第1期生で皆それぞれが卒業した小学校の校舎に同居させて貰った併設中学に進学したよな。僕達の中学は2年生の2学期に市内にあった4つの併設中学のうちの3校が合併させられて新しいマンモス中学に変わったんだ、其の時若松君と同じクラスになりそれ以来かれこれ52年の付き合いが続いているんだ」「へぇーそんなに長い付き合いたのか」「そうだよ、君も僕も中学を卒業してからもう50年、半世紀が過ぎたてるんだよ。まっ、それはそうとして
若松君は知りあった頃は小柄で丸顔な悪戯小僧といった感じで、事実運動神経は抜群で野球も上手く、すばしっこくて良く悪戯してた。あまり勉強しなかったので成績の方はさほど良くなかったが頭のよさの片鱗は所々に現れていて悪戯も知能的な悪戯で先生が思わず頭に来て、後で先生が話してくれたんだが「俺は先生になったら生徒に手を上げるような事はしないと決めていたがあいつの悪戯には、そのことを忘れるほど頭にくる悪戯なので思わずカーッとなってしまってぶん殴ってしまったが本当の悪だったよ」と聞いたが具体的にどんな悪戯をしたのか覚えていないが単純な悪戯でなく可也知的な悪戯だったんで先生も頭にきたんだろう。若松はお祖父さんの代から続く商家の生まれでお父さんも手広く商売をされているお金持ちの家に育ったんだ。お金持ちのやんちゃ坊主と言うわけだ、若松が高校に入学した頃お父さんが商売の時代に乗りそこなって商売がうまくいかなくなり焦って色々の手を出したが悉く裏目に出てしまい挙句倒産してしまい、其の心労から若松が高校3年生の2学期にお父さんは急逝されてしまった。
商売人が倒産するとどう言う事になるか想像がつくと思うが借金のかたに入っていた家屋敷からは追い出され収入は無くなり其の日の生活にも困るような事になってしまうのだが若松の所もそれに近い状態になったようだ。その辺の所は彼の口から何も詳しく聞いていないので良くわからないが、兎に角住んでいたいた立派なお屋敷から出てゆかねばならなくなった、身内を頼るにもお父さんが生前身内にも借金の保証人になってもらっていて倒産した事で迷惑を掛けてしまったので頼ってもいけず困っていた所を昔若松の家で番頭さんをしていた人がとりあえず私の所にいらっしゃいと呼んでくれ露頭をさまようような事だけは何とか避けられたが、家が倒産した事やお父さんが亡くなったことや家屋敷を手放さねばならなくなったこと、これからの生活の事などの重圧がお母さん1人に一気にかかってきたのが原因でお母さんが体調を崩してしまいお父さんの後を追うように亡くなってしまわれた。若松の兄弟は男2人と女3人の5人兄弟姉妹だったがお母さんが亡くなって番頭さんの所で何時までも世話になっているわけにも行かずお母さんの身内が話し合って若松だけを残して後の4人を身内の所や遠縁に養子や養女として引きとってもらうことになり兄弟離散の憂き目に会った。後わずかで高校を卒業する若松君だけは番頭さんの好意で高校を卒業するまでと言う事で番頭さんの家に残った。
高校2年の半ば頃から身を入れて勉強に励みだした若松君は持って生まれた頭のよさでぐんぐん学力を身につけてきていたが、家の倒産などで大学進学が経済的にも難しかったが、何としても大学に行きたいと言う気持ちが強く、若松家では代々菩提寺には過分の寄進をしていて、其の頃世話になっていた寺の和尚さんが出世して田舎のお寺から京都の本山の僧房の庵主になっておられ、其の和尚さんも若松の家の事情を良くご存知だったので、若松に声が掛かり寺の修行僧と同じようにお寺の仕事を手伝う事を条件に和尚の預かっている庵に住みこませ大学にも自分で学費を稼ぐなら行かせてあげると言って頂き若松は京都の大学に入学して禅宗臨済宗の大本山南禅寺の庵に住み込み、お寺の仕事とアルバイトなど苦労しながら大学に通っていた。
僕は東京の大学に来ていたので夏休みや冬休みになると大阪の実家に帰っていたが、休みになっても帰る実家が無くお寺に居る若松君を尋ねて行つた、ある時から私の母方をよく知っている和尚さんに「よかったら寺にに泊まってゆきなさいと」と言っていただき泊り込みで良く遊ばせて貰ったよ。若松君の案内で普通は入れない本山の茶室や、石川五右衛門が楼閣に登り「絶景かな!絶景かな!」歌舞伎で演じられる山門の上に上がらせてもらったり他にも色々貴重な体験もさせてもらったよ、又ある夏には比叡山を越えて琵琶湖に行き二人乗りのヨットに乗り湖上を走らせたりして遊んだ事も有ったよ。若松君のお母さんと私に母が女学校の同級生でよく知っていた間柄だったので若松君には僕が東京に行っていていないときでもお袋の味が恋しくなったら何時でも家においでよと言って有ったので僕が家に居る時は勿論居ない時にも時々来てお袋の手料理の味を楽しんで帰っていたよ。手料理の味といえば何時だったか忘れたがお寺に泊り込みで遊びに行ったら和尚が「今日は美味いものをご馳走してやるよ」といって鶏の炊き込みご飯を若松君に作らせてご馳走してくれたことがあったよ。其の時初めて昔の家庭で使っていた「箱膳」で食事を頂いた。塗り物の蓋のついた箱の中にお茶碗が2個とお皿が1枚とお箸が入った箱膳を「ここに居る間舟越君の使う箱膳だよ」とあてがってもらい、一汁一菜の食事を頂いた。食べ終わると御飯のお茶碗にお茶をついでお箸でお茶碗を洗うように綺麗にしてお茶を飲み干しご馳走様でしたとお箸を両手を合わせた親指の付け根に挟んで食事がいただけたことに感謝して頭を下げるのが今思えば禅の作法だった。
箱膳の食器を自分で洗い所定の位置に収めて改めて和尚さんにご馳走様でしたとお礼を行って食事を終えていた、こう言う経験など今までした事が無かったので若松君に教えてもらいながら作法を守った。和尚も気さくな人で禅の色々な作法やものの考え方など教えてもらいとてもいい経験をしたよ。