つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

品川区

2019-05-27 00:33:25 | 晴れた日は仕事を休んで
9回は品川区。
 
それにしても、
 
暑い!
 
5月だというのに最高気温34度とか、なんじゃそりゃ。
 
いつものように昼間、出かけようとヘルメットとグローブとジャケット持ってクーラーの効いた自室から一歩出て3秒で断念。
 
バイクって「風を全身に受けてて涼しそう」とか思われがちですが、とんでもない!
股の間に火鉢挟んで走ってるようなもんだから。
しかも乗ってる人間は100%空冷式。
アスファルトの道路の上なんかどう考えても50度位あるわけで、その上、信号待ちとかで動いてないときは風も浴びられず身体冷やす術がないざんすからねぇ。ヘルメットかぶってるし、手袋してるし、安全のために長袖、長ズボンだし。
 
 マヂで命の危険を感じるわ!
 
 
命かけてまで日帰りツーリングに行くほどの根性もないので、今回はナイト・ツーリングにさせていだだきました。
 
うむ。
ナイト・ツーリングというからには、やはり夜景の綺麗なところに行かねばなるまい。
全国1500万の「東京日帰りツーリング」ファンの青年諸君に彼女をオトせるデート・スポットを紹介せねばなるまい。
 
というわけで、やって来ました、潮風公園。
 
品川区の夜景ベスト・スポット上位にランクインする名所ですが、現在は残念ながら護岸工事中で公園内からの夜景はほとんど見えないっす。
こんな感じ(木にしがみついて撮ってみた)
 
でも、ちょっと公園を出れば・・・
ほらっ
ほらっ
ほらぁ〜
 
以上、ニューヨークのブルックリン・ブリッジ・・・じゃなかった、品川区潮風公園からお届けしました。
 
次回は渋谷区。
 

江東区

2019-05-21 13:54:00 | 晴れた日は仕事を休んで
8回目。江東区。
 
江東区といえば、ここ
50歳過ぎて精密な日本地図を作った努力と才能の人、伊能忠敬の住居跡。
 
じゃなくて、この
日本映画界の巨匠、小津安二郎監督誕生の地。
 
でもなくて、こちら
江戸時代の痛快冒険小説、南総里見八犬伝の作者、滝沢馬琴誕生の地。
 
でもなく。
 
ここ。清澄庭園
三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎が作った庭園です。
ラブラブなカップルも。
 
カッコよすぎる鹿威(ししおど)しも。
 
更に清澄庭園の北北西には松尾芭蕉が住んでいた芭蕉庵跡もあるので、庭園内には、「古池や かわずとびこむ 水の音」の石碑まであります。
 
ちょっと足を延ばして芭蕉庵跡まで行ってみました。
芭蕉、いたー!
ここから船に乗って第1回の足立区千住大橋あたりまで行き、奥の細道の旅に出立したわけですな。
船を降りた地は足立区と荒川区で論争になってますが、船に乗った地はここに間違いなく。
 
芭蕉庵には、「川上と この川下や 月の友」という美しい芭蕉の句碑も。
当時、この辺りは小名木川五本松の月見場所として人気があった場所なのだそうです。風流ですなぁ。
ちなみに芭蕉が愛したと言われる石造りのカエルが見つかった辺り(芭蕉庵跡のすぐ近く)は芭蕉稲荷があります。
 
しかし、
 
何故、稲荷?

北区

2019-05-14 10:58:00 | 晴れた日は仕事を休んで
7回は北区でごわす。
 
北区といえば飛鳥山公園。
徳川吉宗が上野寛永寺の他にも江戸に桜の名所を作ろうと命じて作らせた、言わずと知れた都内の桜の名所である。
近年では、日本騎馬軍の父と言われた秋山好古(よしふる)(※日露戦争で「天気晴朗なれど波高し」の名文を起草した名参謀秋山真之(さねゆき)の実兄でもある。)が陸軍士官学校の入学試験で出された「飛鳥山(あすかやま)に遊ぶ」という小論文のテーマを、「飛鳥(ひちょう)、山に遊ぶ」と勘違いして答案を提出し、「自分のような田舎者(※好古は四国松山の出身。正岡子規とも親交が深かった。)はお呼びでない、という意図が見え隠れする意地の悪い出題だ」と落ち込んでいたにもかかわらず、蓋を開けたら合格していた、という曰く付きの江戸・東京の名所である。
 
Sさんからも「北区なら飛鳥山公園の桜がおすすめですよ」とコメントを頂いていたが・・・
 
残念。桜の季節に間に合わなかったでござる。
 
というわけで、今の季節は薔薇と庭園で名高い旧古河庭園。
場所も飛鳥山公園のすぐ近くである。
 
 
薔薇が間も無く満開ということもあってなかなかの人出。
 
肝心の薔薇も見事の一言。
 
薔薇も見事だが、古河虎之助男爵の洋館が凄い。
 
ちなみに1階はカフェになっていてお茶も飲めます。
気分はもう男爵様です。
 
洋風・和風の広い庭園にはいろんな種類の灯篭あり。
 
池あり。
 
滝あり。
 
茶室あり。
 
石積みの崖あり。
 
そして庭のいたるところから瀟洒な洋館の姿が垣間見える、という。
 
明治・大正時代の日本のお金持ちのセンスの良さを体感できる。
 
超オススメの日本の名庭園です。
 
次回は江東区に参るぞよ。

葛飾区

2019-05-06 23:19:00 | 晴れた日は仕事を休んで
6回は葛飾区。
 
葛飾区といえば、フーテンの寅さん(男はつらいよ)か両さん(こちら葛飾区亀有公園前派出所)だろう。
この昭和〜平成の2大スーパースターが活躍する舞台がいずれも葛飾区である(寅さんは日本各地を放浪しているわけだけど、妹さくらやおいちゃんたちが暮らしている柴又が毎作、描かれている)。
 
・・・葛飾区って、スゴいかも。
 
年齢的には私は「こち亀」世代である。
んが。しかし。
今回、日帰りツーリングの目的地に選んだのは寅さんがいる柴又だ。
 
4年前に他界した親父は寅さんの大ファンだった。
通夜・葬儀でお世話になったティア新瀬戸のKさんの心遣いで、棺の中の親父は寅さんの歴代の映画ポスターに全身を包まれて旅立って行った。
出棺のときのBGMは「男はつらいよのテーマ」だった。
そして親父は、このブログの更新をいつも楽しみにしていた。
親父、天国でもちゃんとこのブログ読んでるよな。
 
というわけで柴又。
さて、柴又といえば、寅さんが産湯をつかったという柴又帝釈天
 
入るだけなら無料だ。境内にある庭園や文化財を見るのは有料だが、今回はパス。
いや、お金がないんじゃないぞ。山門横に停めといたバイクが心配だったからだ。
それでも見応え十分
 
ちょっと足を延ばすと京成金町線の柴又駅(というより、駅までずっと参道が続いてるのだが)。
 
駅前には旅立つ寅さんと、それを見送る妹さくらの像が
 
それにしても、東京日帰りツーリングでは毎回、バイクを停めておく場所を探すのが一苦労である。
よくあるコインパーキングはほとんどが「バイク駐車不可」
今回もなかなかバイクOKの駐車場・駐輪場が見つからなかったので、柴又駅近くの裏路地にコソッと停めて、ダッシュで駅まで走り、速攻で写メ撮って、ダッシュでバイクに戻る。
 
と、我が愛車ボルティをしげしげと見ている外人さんが。
「やべっ。無断駐車で怒られるかな。」
とビビりまくり、
「すいません、今すぐ動かします!」
と駆け寄ると、
「ブラックモイイデスネ。何年前ノデスカ?」
と外人さん。
私:中古で買ったんですが、型は2014年です。
外人さん:私モ同ジバイク乗ッテマス。色違イ。私ノボルトハグレー。バイクハ、トテモ、楽シイ。
 
あー、ホントだ!
 
写メ撮らせて頂いて、握手してもらって、帰ってきた。
お名前も伺っていないが、もうマブダチだ。
 
おんなじバイクに乗ってて、言葉を交わして握手したら、名前なんかどーでもいい。
 
 
私なんかより遥かにBOLTに似合う方だったのが少し悔しいといえば悔しい。
男はいい年の取り方をして、いいバイクに乗ってると、こういうカッコいいオヤジになるんだろう
 
帰り道、親父の好きだった寅さんのあの懐かしい口上が何処からか聞こえた気がした。
 
「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎。
人呼んでフーテンの寅と発します。」

大田区

2019-05-03 21:05:11 | 晴れた日は仕事を休んで
5回は「あ行」最後の大田区。
 
大田区といえば、羽田、下町、田園調布。
 
「下町ロケットのモデルになった工場」というリクエストも頂いたりしましたが、そもそも私が「下町ロケット」を読んだことも見たこともないのでボツ、ということでm(_ _)m
 
田園調布はなんだかバイクと最も縁遠い場所のような気がするので(※あくまでも個人の感想です)ボツ、ということでm(_ _)m
 
 
 
というわけで今回は大田区の面積の3分の1を占めるという羽田空港・・・の近くの穴守稲荷(あなもりいなり)神社と、いわくつきの羽田大鳥居に行ってきました。
 
太平洋戦争での敗戦後、米軍が接収した羽田空港の拡張のために穴守稲荷神社とその周辺の民家を強制移転させたとき、原因不明の病人やケガ人が次々と出て、赤い大鳥居だけは移転させられなかったとか。
 
 
この鳥居です
 
 
「穴守稲荷様の祟りだ」などと恐れられましたが、1999年に新B滑走路整備のため現在の地に移転したときには死人も病人もケガ人も出てないので、まぁ、敗戦国民のささやかな抵抗エピソードだったかと。
 
とりあえず大鳥居様に別れを告げて本殿の穴守稲荷神社に。
現在、境内整備工事中ですが参拝はOK
 
 
工事フェンスに囲まれちゃってますが近づけばこんな感じ
なかなかに立派です。
ちゃんとお賽銭入れて二礼二拍手一礼。
 
 
稲荷といえば狐なので境内のあちこちにお狐様が
 
 
しかし、お祀りしてある、というよりひとまとめにして置いてある感満載。
ちょっとぞんざい?
 
 
ここまでくると、もはや、お祀(まつ)してあるんだか、片付けてあるんだか、粗大ゴミ収集待ちなんだか
 
 
ま、そもそも、お狐様自体は「神様」ではなく、「神様の眷属(けんぞく)」という位置付け。
稲荷神社の祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、豊宇気毘売命(とようけびめのみこと)、保食神(うけもちのかみ)、大宣都比売神(おおげつひめのかみ)、若宇迦売神(わかうかのめのかみ)、御饌津神(みけつのかみ)といった穀物・食物の神々様。
それが神仏習合思想で江戸時代以降は「狐に乗っている」とされる荼枳尼天(だきにてん)と同一視されたり、畑の害獣である野ネズミを捕食する狐が尊ばれたりする流れで、「狐は五穀豊饒(ごこくほうじょう)を助けてくれるお稲荷様のお使いだ」となった、といわれている。
 
いや、だとしても、この扱いはいくらなんでもあんまりでは・・・
 
 
 
ところで。
イナリに「稲荷」という漢字をあてたのは空海だと言われているが、それ以前は「伊奈利」と書かれていた。
 
 
「稲荷」と書けば、見て字の如く「稲の荷」だから、なるほど、穀物神とか狐と親和性が高いような気がするが、「伊奈利」となると穀物も狐もぜんぜん関係ない。
穀物神とか狐とかは、空海があてた「稲荷」という漢字を単に説明したにすぎない。
イナリはローマ字表記なら「INARI」。
 
 
いきなり話が飛ぶようだが、しばし我慢してお付き合いください。
 
 
ゴルゴダの丘で磔刑(たっけい)になったイエス・キリストの十字架には、「INRI」という罪状札が打ち付けてあった。
これ
 
IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」(ユダヤ人の王 ナザレのイエス)の略である。
キリスト教で異端とされたネストリウス派では「インリ」と読むのだそうだ。
しかし、「N」は「ナザレの」(NAZARENUS)の「N」だから「NA」と書けば「INARI」となる。
 
 
日本初のスタンプラリー、四国八十八ヵ所巡礼を企画した天才プロデューサー空海が、それまでパッとしなかった「イナリ」信仰を広めるために本来の意味から離れて、農耕民族に受け入れられやすい「稲荷」の文字をあてた、と考えるのは想像力逞(たくま)しすぎっすか?
 
そもそも、日本にイナリ信仰を持ち込んだのは秦氏(はたうじ)らしい。
この秦氏、「秦の始皇帝の末裔(まつえい)」などと自己申告したりしているが、どうもその出自がはっきりしない。
この秦氏が、実はネストリウス派の末裔ではないかとの説まである。
 
ちなみに、日本の氏神の8割近くは八幡神社と稲荷神社だそうだが、大分県にある宇佐八幡(全国に4万社余りある八幡神社の総本宮)もまた秦氏の勧請(かんじょう)によるものとされている。
八幡はかつて「やはた」と読んだ。
イスラエル12部族のひとつ、ユダ族(ユダヤの語源)はヘブライ語で「ヤフダ」である。
 
 
蛇足ながら、空海の開いた教王護国寺の中には八幡社も祭られている。
毎年、4月下旬の最初の日曜日から53日にかけて、教王護国寺の守護神である伏見稲荷と教王護国寺の中の八幡社を神輿(みこし)が往復している。
 
 
あぁ、なんてタメになる雑学ブログだろ(自画自賛)。
 
 
 
さて、次回は「か行」に突入。
葛飾区ですぞよ。