つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

中野区

2019-07-27 23:02:00 | 晴れた日は仕事を休んで
19回。中野区。
 
中野サンプラザとか
サンモール商店街とか
にも寄り道したけど、今回の目的地はここ!
わかりますか?
ちょっと角度を変えてみましょう。
こんな感じ。
さて。
ここは何処でしょう?
 
おそらく日本人なら誰でも知ってるあの場所です。
 
ヒントはねー、
 
まがりかど。
わかりませんか?
もひとつヒント。この記事の冒頭のカバー写真。
 
もうわかったよね。
日本人なら誰でも知ってるあの場所、実は中野区にありました。
 
ちなみに中野区には20代の一時期、3年ほど住んでました。
古いアパートだったけど、2階の窓から見える大家さんの庭の桜がそりゃあ見事で。
今はボロアパートも建て替えられて、私が借景にしていた庭は駐輪場に。
そりゃそうだ。30年以上昔の話だからね。
当時、勤めていたのは市ヶ谷にあった小さな広告制作会社。時代はバブルの直前。
終電で帰ってきて、ダッシュで近所の銭湯に飛び込む毎日だったなー。
今はほとんどのアパートにお風呂が付いてるので(ちなみに30年前は「風呂付きのアパート」なんてかなり贅沢な物件でした)、あの銭湯も廃業しちゃっただろーなーと思ったら、
まだあったー!大和湯!
 
新聞広告で大学の通信教育課程を見つけて、一念発起して慶應大学法学部の通信教育課程に入学したり、
付き合ってた彼女がバイト先のライブハウスのギタリストと浮気して、六畳一間の彼女の部屋で修羅場を演じたり、
別の彼女と部屋にいるときに知らない女から
「私、今から死ぬの!」
とわけのわからない電話かかってきたり、
会社の近くにあった喫茶店の女子大生アルバイトとできちゃったり、
 
この町は懐かしい(恥ずかしい)思い出でいっぱいだ!
 
次回はわが町練馬区。

豊島区

2019-07-15 16:36:00 | 晴れた日は仕事を休んで
18回。豊島区。
 
いつもこの東京日帰りツーリングにFB上でコメントをくださるSさん(元、三越)が生まれ育った場所でもあるそうな。
Sさんからは「次回、楽しみにしてます」と前回の千代田区編にコメントを頂いた。
いや、そんな期待されると・・・
駄文なんですから軽〜い気持ちで読み流して頂く方が・・・
 
いやいや、そんなことないぞ、俺。
プレッシャーに負けちゃダメだ、俺。
というわけで。
満を持しての豊島区でござる。
 
実は豊島区だけはこの東京日帰りツーリングを始めた時から行き先を決めていた。
 
そう。
 
豊島区といえばトキワ荘。
 
言わずと知れた昭和の日本漫画界を牽引した巨匠たちが一つ屋根の下に集っていた伝説のアパートだ。
 
残念ながら建物は老朽化のため1982年に解体。
トキワ荘があった跡地には、現在、日本加除出版株式会社さんの新館社屋が建っている
ただ、同社のご好意とトキワ荘通り協同プロジェクト(現、としま南長崎トキワ荘協同プロジェクト協議会)さん、豊島区さんの協力で新館社屋の前にトキワ荘のミニチュア・モニュメントと説明プレートが設置されていて、当時を偲ぶことができる。
これ
近くにはトキワ荘住人の作品に何度も描かれた中華料理店「松葉」さんが現在も営業を続けておられる。
一説には藤子不二雄先生の作品に登場する「ラーメン好きの小池さん」の設定にも影響を与えたという。
 
松葉さんに着いたのはちょうどお昼どき。
私の食生活は普段は朝晩12食なのだが、せっかくなのでチャーシューメン(850円)を注文してみた。
なるほど、藤子不二雄A先生がおっしゃる通り。
クセがなく旨い。
 
店内に飾られている漫画家の色紙の数がメニューより多いところがスゴイ
 
トキワ荘がなくなってしまったのは残念だが、すぐ近くの南長崎花咲公園に、トキワ荘の外観を復元した「マンガの聖地としまミュージアム」(仮称)を建設しているというので行ってみた。
 
・・・建設中だった。当たり前だ。
開館は2020322日の予定。
この南長崎花咲公園内には他にもトキワ荘にまつわる説明パネルなんかがたくさんある。
いきなり令和からコテコテの昭和に引きずり戻される感覚が楽しい。
 
私が小中学生だった昭和40年代から50年代はまぎれもなく「マンガの時代」だった。
親や教師からは、
「マンガばっかり読んでると馬鹿になるぞ」
とさんざん脅されたが、そういう脅しは、
「ピーマン食べたら頭良くなるぞ」
と同じくらい、思春期の私の心には響かなかった。
親に隠れて、夜中、布団を頭からひっかぶり、なけなしの小遣いを貯めて買ったブラック・ジャックを貪り読んだ。
 
今となっては、マンガ一冊読んだらピーマン一個食べとけばよかった
 
と少しだけ後悔しているが。
 
それでも、手塚先生が、藤子先生が、石ノ森先生が、赤塚先生が、マンガを通して教えてくれたことは、学校の教室では学べない、教科書には書いてないことばかりだった。
でも、不思議なことに、大人になって役に立っているのは、教室で学ばなかった、教科書に書いてなかったことばかりだ。
 
トキワ荘がなかったら、鉄腕アトムもブラック・ジャックもおそ松くんもドラえもんも仮面ライダーも生まれていなかったかもしれない。
 
舗装されていない道路の土埃(つちぼこり)の匂い。
しわくちゃの五百円札を握りしめて走った小さな本屋。
21世紀」という言葉が「未来」と同義だったあの頃。
 
トキワ荘は歴史になり、いつのまにか昭和もずいぶん遠くなった。
 
次回は、
 

千代田区

2019-07-13 22:56:00 | 晴れた日は仕事を休んで
17回。
位置的には東京のほぼ中央。
国政機能の中心、霞ヶ関の官庁街もある。
何より「日本国と日本国民統合の象徴」、天皇陛下の居城である皇居(昔の江戸城)もある。
もはや日本の中心だ。
 
だったら「中央区って名前でよくね?」と思うんだが、中央区は別にちゃんとある(前回参照)。
 
なんで「千代田」区?
そもそも「千代田」って何?
 
ウィキとかで調べると、昔々、江戸城が千代田城と呼ばれてたからだそうだが、あんまりたいした理由ではないな。
 
さて。
先週の中央区では道路の起点、日本橋に行ったので、千代田区ではバランス取って鉄道の起点(?)、東京駅に行かねばなるまい。
2012年に赤レンガ駅舎の復元工事も終わり、2017年には丸の内中央広場も整備された。
たぶん、今、日本で最もレトロでモダンで美しい駅だ。
はい。こんな感じ
ちなみに大正時代の写真はこちら
 
東京駅には銀座・京橋側の八重洲口と皇居側の丸の内口があるが、やっぱり正面玄関は丸の内口だろう。
いや、正式にはどっちが正面か知らんけど。
 
今、私が決めました。
 
で、東京駅の正面玄関、丸の内口前の丸の内中央広場で後ろを振り返ると、幸せそうな親子連れが
じゃなくて、皇居が向こうに見えます。
最近、このブログ、地方在住の読者が多くなってきたので、参考までに言うと、東京駅と皇居は目と鼻の先です。普通に歩いて行けます。しかも、東京駅から皇居までの道は綺麗に整備されてて、両側の街路樹の緑が非常に気持ちいいです。
私はバイクでちょちょいっと走りましたが。
はい。こんな感じ
上の写真は内堀通りから皇居桔梗門方向を見たとこです。
皇宮警備のおまわりさんの目が光ってて、路肩にバイク停めてると怒られそうなので、写メ撮ったら速やかに移動。
内堀通りを南下して、祝田橋交差点を右に曲がると、私の仕事の主戦場、東京地方裁判所(奥の建物)
手前の豪華な赤レンガ造りの建物は旧法務省。
1895年竣工なので明治時代の建物ですな。いい雰囲気出してます。
 
その向かいは警視庁。別名、桜田門。
なんで桜田門っていうかっていうと、皇居の桜田門前にあるから。そんだけ。
これ、桜田門
桜田門といえば、今から160年前。1860324日。季節外れの牡丹雪が降りしきる中、大老の井伊直弼はここで暗殺されました。
 
ある意味、幕末はここから始まったともいえる場所。
近代日本史フリークにはたまらん場所です。
 
あと6カ所で東京23区は全走破だぁ!
次回は

中央区

2019-07-07 11:13:00 | 晴れた日は仕事を休んで
16回は、
この季節、とにかく雨の合間を縫ってギャンブルのような日帰りツーリングっす。
 
ピンポイント天気予報と、秘書ちゃんから教えてもらったYahoo天気アプリの雨雲予想は必需品。
 
Google mapで目的地までのルートと往復時間を、Yahoo天気アプリで雨雲の動きを、それぞれ確認して、念押しでピンポイント天気予報で目的地と出発地の天気も確認して、「なんとか降られずに帰って来られるはず」と思ったら速攻で飛び出していく。
 
今はバイクにスマホを装着できるキットも、走行しながらGoogle mapのナビ音声をBluetoothでイヤホンに飛ばして聞くこともできるけれど、私は使わない。
 
おおよその道順を頭に叩き込んで、それでも走ってるうちに「あれっ?もしかして俺ってば迷ってる?」と思ったら、路肩にバイクを停めてGoogle mapで現在地を確認して、愕然としてルートに修正を加えて再び走る。
 
スマホやナビは確かに便利だし、ちゃんと使えば時間やガソリンの節約にもなるけど、「バイクで走る」って、そういうことの対極にある行為だと思っているから。
 
予想して、計画を立てて、想像して、実際に走り始めたらどんどん想定外のことが起こって、その度にプランを修正して、失敗の中で出会った人や風景や体験にドキドキして、なんとか目的地に辿り着いた時には最初の計画とか予想とは全然、違った結果になってて、頭も身体も疲れ果ててるけど、でも、楽しい。
 
なんだ、バイクに乗ることと、人生はそっくりじゃないか。
 
今はナビもあるし、車に至っては勝手に運転までしてくれるけど、昔(といっても、せいぜい数十年前)までのツーリングとか旅って、そういうものじゃなかった。
 
ナビもない。
地図も適当。
旅の情報といえば宿場で伝え聞く噂話だけ。
そんな江戸時代の旅は、バイクのツーリング以上にスリリングでワクワクでいっぱいだったろう。
 
というわけで、今回は江戸時代に五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)全ての起点となった「お江戸、日本橋」
 
天気予報確認したにもかかわらず、九段下を過ぎたあたりからしっかり雨に降られましてございます(ヘルメットのシールドご参照)。
 
今は上を首都高速が走っているが、昔の日本橋の景色を取り戻そうと首都高速のトンネル化計画があるそうだ。私がバイクに乗っていられる間に是非、実現して頂きたい。
 
五街道の起点だけでなく、日本橋は日本の道路の元点にも指定されている
なのであまり知られていないが、橋の中央、センターラインのど真ん中に道路元標が埋め込まれている
これだ
Google mapにもちゃんと映ってます(写真中央、センターラインの白線と白線の間)
 
ちょっと大げさにいえば、ここは日本の道路の起点。
日本中の道路のアスファルトに愛車のタイヤ跡を刻みつけたいと願うバイク乗りにとっては、すべての旅の出発点であり、聖地だろう。
 
昨年は築地市場から豊洲市場への移転が大きなニュースになったが、実は、築地の前は日本橋こそが江戸の台所だった。
だから古典落語には「築地魚河岸の・・・」なんて台詞(せりふ)は出てこない。魚河岸といえば「日本橋魚河岸の・・・」である。
 
日本橋が魚河岸として栄えていた江戸時代。
伊勢の商人、三井高利は日本橋本町一丁目に「現銀掛け値なし」「反物売り切り」という斬新なアイディアで越後屋呉服店を開いた。
越後屋はその後、両替商にも手を広げ、日本有数の豪商にのし上がる。
越後屋は今の三井グループの前身。
当時、越後屋呉服店があった場所には、今、日本橋三越がある。
三越の「三」は越後屋の創業家三井家の「三」。
三越の「越」は越後屋の「越」だ。
だから今でも日本橋界隈は丸の内界隈の三菱グループに対して、三井村と呼ばれたりする。
 
通りを挟んだ向かいにスターバックスがあるあたりが、江戸と令和を同時に見るようで感慨深い。
 
橋のたもとに目を転じれば、今風のリバーサイドカフェのすぐ横に屋形船が係留されていたりして、これも東京の今昔である。
 
さて、次は
来週は晴れるかな。

台東区

2019-07-06 17:35:00 | 晴れた日は仕事を休んで
15回。
 
金曜日。
梅雨の合間を縫って(仕事サボって)行ったゴルフで今シーズンのベストスコアを叩き出し
15時くらいに家に戻ってバイクに乗り換え、目指すは吉原!
台東区といえば、そりゃあ、吉原でしょ。
 
「スコアも良かったことだし、今日は19番ホール目指しちゃいますか、部長」
「ふっふっふっ。平岩くんも元気だねぇ」
「いやいや、部長にはかないませんよ。げっへっへっ」
 
などとバブル期の接待サラリーマンの如く、煩悩いっぱいの心を抱え、やって来ました吉原大門!
手前には、その昔、吉原遊郭で遊んだ客が、帰りがけに名残を惜しんで振り返ったという「見返り柳」(現在は六代目)も。
 
「吉原遊郭なんて、人身売買で売られて来た女性が売春してた場所じゃないか」と草食男子っぽくフェミニストを気取って切り捨てるのはあまりに浅薄だ。
 
確かにかつての吉原の遊女は借金や口減(べ)らしで売られて来た女性が多かった。
あらかじめ定められた年季明けまで働くか、現在のお金で数百万〜1億円以上の高額の身請け金を店に払えば自由の身になれたけれど、多くの遊女は年季明けまで体がもたず、蔓延(まんえん)していた性病などに罹患(りかん)すると店からも追い出された。
江戸時代は、遊女たちの脱走を防ぐために吉原遊郭に出入りできる道は五十間道(ごじゅっけんみち)一本のみとされ、夜になると吉原の入り口にあった大門は閉じられた。
何度かあった江戸の大火では多くの吉原の遊女が焼死した。もともと、狭い店の中で軟禁に近い状態で集団生活をさせられていた上、吉原から逃げる道がたった一つしかなかったからだ。
焼死した遊女たちの遺体は葬式すらあげてもらえず、近所の浄閑寺(@荒川区)という寺に犬猫の死骸のように投げ込まれた。
だから、浄閑寺の通称は投げ込み寺という。
 
生まれては
苦界、死しては
浄閑寺
と詠まれたあの浄閑寺である。
 
それでも吉原は江戸時代の文化や流行の発信地であり、豪商や大名などの上流階級の社交場としても栄えた。
吉原を舞台に人情の機微を描いた廓話(くるわばなし)といわれる落語のファンは多い。
最高位の花魁(おいらん)は、美貌だけでなく和歌、茶道、舞踊など最高の教養と芸技を身につけていた。
「遊女」=「売春婦」「風俗嬢」などと括(くく)れるものではない。
 
たしかに吉原の文化は数えきれない女性の犠牲の上に栄えたものだったけれど、エジプトのピラミッド、イギリスの産業革命、「24時間、働けますか」と煽(おだ)てられて過労死するまで働かされたバブル期のサラリーマン。
人類史において、犠牲のない栄華などなくはないか?
 
人の苦しみがあるところ、必ず、救いを願う祈りの対象もある。
これは吉原神社
神社の地中にいる神様のお名前は、なんと「お穴様」
いや、いくらなんでもストレート過ぎなくないっすか?
 
お穴様の氏子(うじこ)になろうと決意した私を誘いまくる現代の吉原
さて、どこのお穴様・・・じゃなかったお店に行こうかしらん、とワクワクしていたところに、照明デザインの会社を立ち上げて頑張っている北出君(実名だ!)から電話が。
 
北出君: 平岩先生、今、どちらですか?
煩悩平岩: え、あ、俺? 俺、今・・・よしわ・・・千束。
(「吉原」という住所はない。住居表示上の住所は千束3丁目〜4丁目である。)
北出君: 洗足ですか(「せんぞく」違いだ、北出!お前の言ってるのは目黒区の洗足だろー)。実はこれから白井会長と義親師匠と南千住で飲むんですよー。よかったら来てください。
(白井会長はネクスト法律事務所を作ってくれた白井建装の前社長で、義親は私と北出君のサーフィンの師匠だ。いずれも実名だ。)
氏子平岩: え、これから? いや、俺は、ちょっと今から・・・
北出君: 今、白井会長に代わりますね。
白井会長: おぅ、先生か?飲むぞ。すぐ来い。南千住着いたら連絡。以上。
(がちゃ)一方的に電話切られた音。
 
もちろん、すぐに行きましたよ、南千住。
だって吉原から直線距離で1kmもないし。
金瓶梅も角海老も多恋人も秘書室もクラブ華も全部、諦めて。
 
ノンアルコールビール5杯飲んで完全シラフなのに腹だけカポカポになったところで、空模様が怪しくなって来たので一足先に帰途についたが、案の定、途中から雨に降られたざんす。
 
遊女の祟りか?
 
次回は