ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

闇と夜明け

2012-09-05 00:56:16 | 癒し
こちらでは殆ど、更新ができなくて申し訳御座いません。。
早いもので2012年も9月に入り、まだ残暑厳しい毎日ですが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。引き続き熱中症にはどうぞお気を付け下さい。

私も先月、熱中症で倒れた方を搬送されるのを見ました。
全身の震え、うわ言・・・大変な症状です。一時の猛暑は過ぎたとは言え、こまめな水分補給、睡眠や食事など、決してご自身の無理のない生活を心がけて下さい。私も気を付けます^^


さて、今日はここ最近のことで、個人的に感じたことを書きます。

・・・私は、何事も、まず暗い部分にフォーカスする考え方の癖があって。

よって、楽しいこと、嬉しいことを余り考えないんです(苦笑)。今まで人並みに辛い思い、苦しい出来事もありましたが。私はそれについて、非常に大きな被害者意識を持っていたことに気が付いた日がありました。そして、自分を憐憫し、相手を責めるという図式が、私の深層心理に強靭に根を張っていたことも理解しました。

しかし、これらは私の魂の成長のために、私自身が選んだことであって、私がダメだった訳でも、私がそう思うように至った出来事の相手こそ悪かった・・・という訳ではないのですよね。

私に出来ることは、本当に小さいことでしかありませんが、
自分を許す、他者を許す・・・憎しみ、争いのない世界へ・・・まず自分から始めたいと思いました。


私は、自分自身を常に卑下し、常に罪悪感の中に置き、そして、そうするに至った出来事に関係する人々を憎んで、恨み続けてきたようです。どうやら、憎しみや、恨みが私の生きる原動力やガソリンだったようです。ですから、白状してしまうと、愛が何たるか、そして愛し方も知りません・・今まで分っていたようで何も知らなかったのだと思い知りました。

実はこれらの意識のもっと奥底には、出来事の多くは過去世ですが、暴力、略奪、陵辱、殺人・・・などの忌まわしい記憶があります。私は、自分がされた場合もあれば、自分がする側だったときもあります。ある過去世では、自分の身代わりに、大切な人の命が奪われたときもありました。

そのときの恐怖、狂気、人が人であることを捨てた獣の空気。

それらが一斉に蘇り、私自身も気が狂いそうになり、絶望の淵に引き摺りこまれそうなときがありました。永遠に希望がないような・・魂の旅路は永遠です・・しかし、永久に希望がない、喜びがない。これから未来永劫、私に許されるのは孤独と闇のみ。

これからどれだけ生まれ変わり死に変わろうが、私は永遠に孤独で、未来永劫、私には希望がない。そう何者かに宣言されてしまったときがありました。

そのとき、私がいた場所は、紛れもなく「絶望」という真っ暗闇だったように思います。
私の魂の旅路には一片の「希望」も残っていないと底の底に突き落とされたような時間でした。1ヶ月ほど前のことです。何故こんな流れになったのか。。。必要とする経験だったのでしょうが、正直、とても、とても恐ろしかったです。


そしてその日、とても長い時間眠り、目覚めて真っ先に思ったことは、

「もう、これ以上、ここにはいられない」
「明るい場所。安心できる温かい場所。喜び、愉しめる場所へ行きたい」

それは、死に物狂いで手を伸ばすような感覚だったと記憶しています。

まるで生れ落ちたばかりの赤子が、ただただ本能のままに泣き、乳を求める感覚でした。

明るく、安心でき、喜べること、これを求めるのは「人間の本能」なのだと確信できた瞬間です。私がこれらを自分自身に求めることを許せた瞬間でもあったように思います。

私はずっと憎しみ、恨みが原動力だったので、ただ生きてることの素晴らしさや、私がどのような状態であっても、常に慈悲の愛が降り注がれ、生かされ、愛されているのだということに自ら心を閉じていたのだと思います。だから今までは、これを自分に許すことが出来なかったのでしょう。これからは素直に求めていければ・・・と思っています。急には出来ないかもしれないけれど(*^^*)






最後までお読み下さって有り難うございました。

今日も皆さんの全てが輝き、慈しまれる一日でありますように。




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