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犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

読売新聞連載「死刑」 第2部・かえらぬ命・(7)より

2008-12-22 00:05:26 | 国家・政治・刑罰
12月18日朝刊より

2001年12月27日、長谷川敏彦死刑囚(当時51歳)の刑が執行され、2日後、名古屋市内の教会で葬儀が営まれた。70人以上の参列者の中に、弟の命を長谷川死刑囚に奪われた原田正治さん(61)の姿があった。トラック運転手だった弟の明男さん(当時30歳)は1983年1月、雇い主の長谷川死刑囚らに保険金をかけられたうえ、殺された。「極刑以外考えられません」。原田さんは1審の証言台でそう求めた。

刑が確定する前の93年夏、思い切って名古屋拘置所を訪ねた。「まさか来てくださるなんて」と、全身に喜びをにじませて訪問への感謝を口にする姿を見て、怒る気が失せていった。原田さんは、死刑確定後も、拘置所の特別の許可を得て、3回ほど長谷川死刑囚と面会している。長谷川死刑囚が悔い改め、遺族のことを気にかけていることが、実感として伝わってきた。

「彼のことを許したわけではない。でも、もっと生きて、償いの気持ちを伝え続けてもらいたかった。死刑からは何も生まれないと思うようになった」。原田さんの手元には、100通以上の手紙と、ボールペンで描いた絵が残る。原田さんは昨年、被害者と加害者の対話を進める団体を設立。ある事件で死刑判決を受けた被告に面会し、被害者に心から謝罪するよう助言している。


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世の中の人間の考え方が一人一人違うのであれば、被害者遺族の考え方も一人一人異なる。これはある意味当たり前のことである。民主主義、思想・良心の自由、価値観の多様化、価値相対主義のもとでは、死刑存置論と死刑廃止論は同じだけの正当性を持っており、相互に他者を否定することができない。ところが、「被害者遺族」という肩書きを付した抽象的な集団を想定するや否や、一方では「感情的に厳罰を望む被害者像」が無条件で想定され、他方では「理想的な赦す被害者像」が一人歩きし、事態は神学論争の様相を呈してしまう。人間の生死は法律論を超えた宗教的・哲学的な問題であるため、どうしても一神教の原理主義的な考え方が浮上してしまうからである。実際のところ、世界には死刑廃止国もあれば存置国もあり、しかも時代によって変わっているのだから、法制度は相対的なものにすぎない。そして、人の数だけ哲学があるのだから、遺族にとっての最善の解答もそれぞれ異なる。

一神教的な表現の中で、死刑廃止論から死刑存置論に対して最もインパクトを持つのが、「死刑からは何も生まれない」「憎しみに縛られていては幸せになれない」との言い回しである。この表現は、これまでのところ、問題の核心を見えにくくする効果ばかりを生んできた。多くの死刑存置論は、「国家による殺人」である死刑制度を自己目的化しているのではなく、本当は新たな殺人など人為的に行いたくない。これは人間としてごく当たり前のことである。但しその死は、人を殺した償いとしての死、理不尽な殺人の結果としての死、罪を償うものとしての死という定義において、通常の殺人罪とは一回転している。どうすれば死刑を廃止できるかと問われたならば、それは死刑に値する犯罪が起きない社会が実現した時であると答えるのが論理の筋である。大多数の人が死刑など必要のない社会が来てほしいと願っており、二度と悲しい思いをする人がいなくなるように、犯罪のない世の中が実現してほしい。多くの死刑存置論はこのような筋道を述べているのであって、殺人行為が消滅すれば自然と死刑が不要になる点においては、死刑廃止論と一致している。

そもそも、死刑制度の条文を論じる以前に、この世に殺人罪などという条文はないほうがいい。人間が誰しも「悪いことをしてはならない」との個人の内的な倫理で行動できるのであれば、刑法など不要である。その意味で、死刑が廃止できないのはこの世に未だ殺人行為が存在するからであり、死刑を廃止したければ殺人行為を消滅させることが論理的に先である。これは性善説の発想である。ここでは、誤判の可能性などといった次元の議論は超越している。いかに非現実的であっても、人間は凶悪事件を目の前にして、「二度と悲しい思いをする人がいなくなってほしい」「犯罪のない世の中が実現してほしい」と願わずにはいられない。ゆえに、この性善説に基づいた世の中が非現実的である限りは、死刑を廃止することはできない。これに対して、罪刑法定主義は「この世から犯罪はなくならないものだ」との現実的な性悪説を前提とし、刑法の存在に必要悪以上の積極的な意味を付与した。その結果として、誤判の可能性から死刑を廃止すべきだといった意見が主流となり、噛み合わない論争が起きている。これは、「現実に社会から犯罪はなくならない」との命題と、「理論的に犯罪のない社会は実現できる」との命題のせめぎ合いである。

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