『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

『悩むこと 生きること』姜尚中(2)

2013年12月03日 | 
「テレビ報道の問題点」(2012年1月27日)

最近のテレビ報道で首を傾げたくなるのは
天気予報の時間の長さだ。
確かに、東日本大震災やゲリラ的な豪雨、
変わりやすい天候の影響などを考えると
天気予報に時間を割くのは、それなりに頷ける。
しかし、海外のテレビ報道を見ると、
たいていは、あっさりとしたものだ。

この点で海外経験の豊富な加藤周一さんが
「日本のテレビ報道の特徴はね、
気象学、動物学、植物学の時間が長いことなんですよ。」と、
皮肉っぽいユーモアを交えて語っていたことが
思い起こされる。

「春一番が吹きました。」
「タマちゃんが現れました。」
「桜前線が北上しています。」
こうした現象は、はたして報道に値する事件なのだろうか。
さらに驚きなのは、海外で重大な事件が起きても
気象学や動物学、植物学的な現象が
テレビ報道の冒頭を飾ることがあることだ。

一年の折々に繰り返される歳時記的な現象の報道の後に
飢餓や内戦、デモや政変などで混乱する
海外のシーンを見せられて、
視聴者はいったいどんな印象を持つことになるのだろうか。
自分たちの住んでいる生活圏はこんなにのどかで平和なのに
なんと海外は、ぶっそうな場所が多いんだろう。
こんな「内外格差」のイメージではないか。

しかし、東日本大震災以後、不幸なことに
私たちの生活圏は決して磐石の
安定した世界ではないことがわかった。
穏やかに移ろいゆく美しい四季折々の恵深い自然ではなく
いつ何時、猛威を振るうかもしれない
凶暴なエネルギーを蓄えた自然は
安定した秩序のイメージと結びついた
気象学や動物学、植物学とは無縁だ。
日常の情緒的なイメージでは捉えきれない
不規則的で逸脱的な自然現象。
これに備えるには、情緒を排した
事実に基づく災害報道が求められている。


言いたいことは、解からないではない。
けれど、
一年の折々に繰り返される歳時記的な現象の報道の後に
飢餓や内戦、デモや政変などで混乱する
海外のシーンを見せられて
 
も、
きちんと、報道は報道として捉えることができる
これは「私的」な考え方かもしれないが、
それはまた「日本人的な」捉え方、なのだと思う。

「春一番」や「タマちゃん出現」「桜前線」は
「報道」というジャンルではないのかもしれないが、
そうした話題が、ニュースの冒頭を飾ったとしても
それを受け入れられるのが
「日本的な感情」のような気がした。
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