母から譲り受けた「漬物日記」
平成8年、
母がまだ70代になったばかりの頃
当時の高齢者教室の
健康講座や歴史講座などのメモと一緒に
漬物のレシピが書いてある。
当時は、沢庵漬けは35キロ
野沢菜漬けは
醤油漬け28キロ
本漬け47キロ
3月用23キロ
そして、嫁いだ娘用22キロ
とある。
なんとまあ、120キロもの野沢菜を漬けていた
ということになる。
この頃は、まだ子どもたちも
小学生から高校生で
家族8人が食べる分としては
普通だったのかもしれない。
それをピークに、漬ける量は減ってはいるが
80の声を聴くまで
中心になってやってくれていた様子が
伝わってくる。
5年前からは、そのメモ書きは私の文字になっている。
調味料の分量の下に、
「ちょっと塩が強かった」とか
「おいしく出来た」とかのメモを参考に
私も、たまり醤油を入れたり
味噌を塗ってみたりして、
母の味に近づこうと思う。
平成8年、
母がまだ70代になったばかりの頃
当時の高齢者教室の
健康講座や歴史講座などのメモと一緒に
漬物のレシピが書いてある。
当時は、沢庵漬けは35キロ
野沢菜漬けは
醤油漬け28キロ
本漬け47キロ
3月用23キロ
そして、嫁いだ娘用22キロ
とある。
なんとまあ、120キロもの野沢菜を漬けていた
ということになる。
この頃は、まだ子どもたちも
小学生から高校生で
家族8人が食べる分としては
普通だったのかもしれない。
それをピークに、漬ける量は減ってはいるが
80の声を聴くまで
中心になってやってくれていた様子が
伝わってくる。
5年前からは、そのメモ書きは私の文字になっている。
調味料の分量の下に、
「ちょっと塩が強かった」とか
「おいしく出来た」とかのメモを参考に
私も、たまり醤油を入れたり
味噌を塗ってみたりして、
母の味に近づこうと思う。