駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

スティーブ・フォックス師

2006年02月19日 | ライブレポ
かなり昔のことであり、何年の何月だったか詳細が不明だが15年近く前だと思う。(諸事情により資料が手元にないので)スティーブ・フォックス氏をハワイから招いてライブをやったことがあり、その夜はスティーブ氏をオレの家に招いてもてなし、宿泊してもらった。
スティーブ・フォックス氏はJ-POPの大御所「GODIEGO=ゴダイゴ」のベーシストで、人気絶頂期に突然引退し、かねてから希望していた牧師、宣教師への道に転身してハワイを拠点に信仰生活を始め、日本中のファンを大いに驚かせた。
ゴダイゴは、1970年代終盤から80年台にかけて、最もTVでの露出度が多いロックバンドである。黒柳徹子と久米弘の「ザ・ベストテン」には毎週のように登場し、独特のパフォーマンスとサウンドでオレ達ロック少年~ロック青年は憧れた。すらっと背が高く、イケメンのスティーブ氏は、芸能界から引っ張りだこで、追っかけなどもすごい数だったという。彼はベーシストだったが、サウンドクリエイターとしてもセンスがよくレコーディングのプロデュースもやっていたのは有名な話だ。
当時は、ミュージシャンと言うより芸能人としてのTV用の生活になっていたようで、睡眠時間も殆んどなかったようだ。曲がヒットすると毎日同じ曲を演奏し続けていたので、「ザ・ベストテン」出演中にも寝ながら演奏していたという。体が3つ欲しかったと語っていた。
そんなスティーブとオレとの接点は、教会にある。若かったオレは、ゴスペルという音楽ジャンルについて興味を持っていて、ゴスペルとは何ぞやと、CDやビデオを見たり聞いたり文献を読んだりしていた時期があった。ゴスペル=キリスト=聖書=教会という図式は浮かんでも、なかなか教会に飛び込んで内から勉強する勇気もなく、外からああだこうだと述べる書き物を読んで、分かったような分からないような半端な気分で納得いかないでいた。
そんな時、ある広告にあのスティーブ・フォックスが宣教師として地元にやってくるというのだ。しかも入場無料だ。ここはひとつ、あのスターをただで見てやろう。なぜ芸能界という地位や莫大な収入を捨ててまで、神の言葉を伝えるという道を選んだのか聞いてみてやろう。と思い、少しばかりの勇気を奮って教会という敷居の高い場所に行ってみたのが初めての出会いである。

それから数年後、オレはゴスペルミュージックにどっぷり浸かっていた。形ばかりの音楽ジャンルとしてのゴスペルは興味なかった。技術や見かけではなく本物の泥臭いゴスペル、「心から創造主を礼拝する歌」としてのゴスペルを知った。そして、ドラマーとして、本物のゴスペルを演奏したかった。あちこちへ顔を出して演奏するのもいいが、地元でやってみたかった。
そんな時、スティーブがまたやってくるかもしれないという情報が入り、オレは燃えた。是非とも彼を招聘し、ステージで一緒に本物のゴスペルを演奏したかった。オレは、僭越ながらリーダーシップを取り、演奏に関してのプロデュースをさせてもらった。バンドのメンバーは当時親交のあった実力派のアマチュアミュージシャンにお願いして、バッキングの手伝いをしてもらった。みんな一生懸命練習して、いいバンドが出来上がった。
そして、スティーブは本当にハワイからやってきた。演奏曲は、「モンキー・マジック」「ガンダーラ」そして、「アメイジング・グレイス」等のゴスペルの数々の名曲だった。
演奏は完璧で、コンサートは大成功だった。本当に、神様の加護のもと、信じられないくらいに美しい演奏が出来たと実感させてもらった。
スティーブは、成田から直接やってこられて時差ぼけでフラフラしていた。自分のことを「時差ぼけのボケ師(牧師)です。」と自己紹介していたが、爆笑は取れなかった。だが、演奏はさすがに素晴らしかった。リハーサルの時間も殆んどなかったにも関わらず、バンドは一体化していた。
ステージの模様はビデオにも撮ったし、写真もたくさん撮ってもらったが、今は一枚も手元にない。画像を載せることが出来ないのが残念だ。
決して忘れることのない、遠い昔の素晴らしい出来事だった。

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