はづきちさんのはまりもの

まだあったので日記帳になりました

過去は夢、今は現世 1 (千早SS)

2007-03-22 02:38:16 | 千早4畳半(SS)
「アイドルだった時から感じてはいたけど1級品よ、あなたの歌は」
「あの頃は歌しか見えてなかったから」
台所で背中を向けたまま答える
枝豆の土を流しで洗い流す、そうしたら後は茹でるだけだ
鍋一杯の水を火にかける
「そういえばあなたがだんだん丸くなっていった時期でもあったわね」
プシュ!
律子め、またビールの缶を開けたな
目の前で今まさに湯でたてホヤホヤになる枝豆を見たらまた開けるんだろう
そんなに飲んで…丸くなるのは貴方の方よと口に出かけて止める
最近忙しいのだろう
羽を伸ばせる時ぐらい伸ばさせてあげたい
「確かに刺々しかったわね、あの頃の私は」


今日は少し昔を振り返れそうだ
お酒の力か、明るい律子のおかげかわからないけれど

8年前「蒼い鳥」と共に私はメジャーアイドルへと一気に駆け上った
自分で言うのもなんだが国民的アイドルと呼ばれていた時期だ
私の歌う蒼い鳥はダブルミリオンを達成し国内シングルでは驚異的な売上を記録した

国内での成功を収めた私は彼の提案で人気絶頂のまま引退した
私の夢であった海外での活動の為である
私はもちろん彼と共に渡米するつもりだった
ここまでの活躍は彼の手腕によるもの、私は運が良かっただけだ
それでも当時の私の思い込みは
ベストパートナーとして世界の高みに挑戦することに意気揚揚としていた
私を翼と例えてくれた彼、私は彼を翼と考えた
そこには飛び立つ希望があった

だが希望は崩れた
いや、私が勝手に一人で抱いてた幻想が崩れただけ
彼は一緒に行けないと私に告げた
泣いて喚いた気もするし、ただ立ち尽くしてた気もする
今にして思えば当たり前
彼にだって事情が有る
仕事、家族、そして…恋人

気づかなかった
それまでは歌の事にだけ熱心で周りを気遣う余裕がなかった
その重症さに気づかせてくれたのが彼だったのだ
そして一番大事な人の周囲に感心を抱かなかったのは私
彼がそこにいて私を見てくれているだけで良かった
家族の事、辛い仕事も彼と一緒だったから乗り越えられた
一人での活動など既に考えられないぐらいに…私は依存しきっていたのだ
「断られるのを承知で聞きます」
私はそう言ったが断られる事など考えてもいなかったのかもしれない
魂が抜けたような私は…失敗した


「…ちーはーや?」
「あっ!な、なに?」
「どーしたの?ぼけっとしちゃって?」
枝豆を鍋に入れたままぼーっとしていた私に律子が声をかけた
そりゃあ今まで会話してた相手が突然無言になったら驚くだろう
鍋に火をかけたままならなおさらだ
慌てて枝豆を湯から上げ、ざるに盛ってちゃぶ台へ
待ってましたとばかりに塩を構えてる律子に少し呆れる
「少しあの頃の事思い出した」
ポツリと出た私の言葉
「へぇ、大丈夫なんだ?」
ちょっと意外そうな律子
だからこそ少し微笑んで答えた
「ちょっと胸は痛むけどね」


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