hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

間 奏  ー 李 賀 と 李 商隱 ー (原田 憲雄 大師 と 吉川 幸次郎 博士)

2019年08月22日 | 随想
【李 商隱 の詩】

李 賀(791-817)小伝を記した 唐の 李 商隱(813-858)に
隆房卿(1148-1209)の 艶詞(つやことば)と よく似た詩がある

吉川 幸次郎 博士(1904-1980)の「この詩人については
この数編を以て もはや語らぬであろう」とされた 名訳を寫(うつ)す
 
他の いくつかの この詩人の作と ともに「無題」題しらず と題する
 

昨夜星辰昨夜風  昨夜の星辰(せいしん) 昨夜の風
畫樓西畔桂堂東  画楼(がろう)の西畔(せいはん) 桂堂(けいどう)の東
身無綵鳳双飛翼  身には 綵鳳(さいほう)の双(なら)び飛ぶ 翼 無く
心有靈犀一點通  心には 霊犀(れいさい)の一点 通ずる 有り
隔座送鉤春酒暖  座を隔(へだ)てて 送鉤(そうこう)は 春の酒 暖かに
分曹射覆蠟燈紅  曹(そう)を分ちての射覆(せきふ)は 蠟燈(ろうとう)の紅(あか)し
嗟余聽鼓應官去  嗟(なげ)く余(われ)は 鼓(つづみ)を聴きて 官(つかえ)に応じて去る
走馬蘭臺類斷蓬  馬を蘭台(らんだい)に走らせ 断蓬(だんぽう)に類(に)たり

事がらは 屈折した印象の かなたに ある けれども
遠い過去の時間の ことでは ない
 
ゆうべの星月夜のもと
そうして かすかに風の流れる ゆうべ
 
場所は 壁画のある 楼閣(ろうかく)の西がわ
木犀(もくせい)の植込(うえこみ)のある 座敷(ざしき)の東
 
そのとき そこで わたしは
はじめて あなたを見た
(おそらく大臣の邸宅(ていたく)である
 詩人は 座敷(ざしき)の宴席(えんせき)を抜け出し
 そこを 彷徨(さまよ)っていたようだ
 彼(か)の女も また そこに いた)
はじめて あう あなた である
 
なかの よい恋人に たとえられる
綵(あやぎぬ)の はねを もつ 鳳凰(ほうおう)が
翼を さしかわしつつ 飛ぶ
という間柄は もとより そこに なかった
 
しかし 何か 通いあう ものが あった
神秘な犀(さい)の角(つの)には
すっと一本 筋が 突きとおっている というが
そのような 不思議な交流が あった
 
多くの言葉を かわしあった わけでは ない
あるいは ただ ほほえみ だけを
かわした のであった けれども
 
私は宴会の席に戻った あなたも そこに いた
やがて 余興(よきょう)が はじまった
 
はじめは 蔵鉤(ぞうこう)の遊びであった
手のひらに ちいさな鉤(かぎ)の
いくつかを 蔵(かく)しもち
相手に その数を あてさせる
 
人数が偶数ならば むこうと こちらと
「座を隔(へだ)てて」二組になり
奇数ならば 余った一人が 遊軍になり
双方の間を往來する
(と 周 処の『風土記』に見える)
 
あなたは 遊軍になって 私のところへ やって來
かわいい こぶしを つきつけた
数を あてそこねた私は 罰杯の酒を のんだ
あなたの ついでくれる 春の酒は 暖かだった
 
つぎには 盆の下に 覆(おお)いかくされた
ものの名を 射(い)あてる遊び
やはり 曹(くみ)を分けて ふた組になった
顔を近づけた二人のそばに
蠟燭(ろうそく)の ともしびが 紅(あか)かった

しかし 私は けっきょく
一介の 内閣事務官に すぎなかった
蘭台(らんだい) すなわち 内閣の記録局へと
馬を走らせねば ならなかった
風に ふきちぎられた 蓬(よもぎ)の まりが
沙漠の上を まろび ころんでゆく ように
 
たった ゆうべの星に きらめいた ひとみ
それも また 忘却の沙漠へと
ふきとばされねば ならない
 
(吉川 幸次郎『続 人間詩話』 その六十 李 商隱 一九五七年十月 岩波新書 278 b)
 

相見時難別亦難 相見(あいみ)るのときは 難(かた)く 別れも亦(ま)た 難(かた)し
東風無力百花殘 東風(はるかぜ)は力なく 百花 殘(くず)る
春蠶到死絲方盡 春の蚕(かいこ)は 死に到(いた)りて 糸 方(はじ)めて尽(つ)き
蠟炬成灰涙始乾 蠟(ろう)の炬(あかし)は 灰と成りて 涙 始めて乾(かわ)く
曉鏡但愁雲鬢改 曉(あかつき)の鏡に 雲なす鬢(びん)の改まらんことを 但(ひと)えに愁(うれ)え
蓬山此去無多路 蓬山(ほうざん)は 此(ここ)を去ること 多き路(みち)のり無し
青鳥殷勤爲探看 青き鳥よ 殷勤(いんぎん)に 爲(た)めに探り看(み)よ

(かつての恋人を 権力者に うばわれ
 それを なげく歌のように 読める)
女性は 詩人の おいそれと 手の届かぬ場所に いまは いる
あうせ(逢瀬)は たいへん むつかしい
しのんで あった あとの 別れは 一そう たえがたい
 
季節は 晩春である
風さえも無力に けだるい
それは もはや 花を さかせる力を うしなった 風であり
すべての花が おもたく よどんだ空気の中で
むざんに くずれ散ってゆく
そして たちきりがたい 恋心の苦しさを うたう
 
蚕(かいこ)は 死ぬまで糸を はきつづけて死ぬ
「糸」は 同じ「シ」という音の 「思」に通ずる
 
また 蠟炬(ろうきょ) すなわち 蠟燭(ろうそく)というものは
もえて 灰となりつくすまで 涙を垂(た)れつづける
 
われわれの恋の心が おたがいの身を
やきつくす までは と もえさかる ように
 
わたしと へだてられた あなたは
朝の化粧の鏡に むかう とき
あなたの容貌の やつれを
雲なす わげ(=髷 まげ)に みとめる であろう
 
夜 そっと わたしの詩の句を くちずさむ とすれば
月の光の寒さを ひしひしと感ずる であろう
 
蓬山(ほうざん)とは 仙人の山 蓬莱(ほうらい)であり
彼(か)の女の いま いる場所に たとえる
それは 道のりと しては すぐ そこに ある
おなじ 長安(ちょうあん)の町の おなじ 町内に あった かも知れない
 
青鳥(せいちょう)とは 恋の使者となる 鳥である
青い鳥よ 殷勤(いんぎん)に こまかに
気を くばりつつ そこへ飛んで行って
彼(か)の女が どうしているか
わたしのために 探ってきておくれ
 
(吉川 幸次郎『続 人間詩話』 その六十一 李 商隱 一九五七年十一月 岩波新書 278 b)
 

來是空言去絶蹤 來る というは 是(こ)れ空(むな)しき言(ことば)にして 去りてより 蹤(あと)絶ゆ
月斜樓上五更鐘 月は楼(ろう)上に斜めなり 五更(ごこう:午前3~5時(夏) 4~6時(冬)頃)の鐘
夢爲遠別啼難喚 夢に 遠き別れを爲(な)せば 啼(な)くも 喚(こえ)となり難(がた)く
書被催成墨未濃 書は 成すを催(うなが)されて 墨も 未(い)まだ濃からず
蠟照半籠金翡翠 蠟(ろう)の照(ひか)りは 半(なか)ば 金の翡翠(ひすい)に籠(こ)もり
麝薫微度繍芙蓉 麝(じゃ)の薫(かお)りは 微(ほの)かに繍(ぬ)いし 芙蓉(はちす)を度(わた)る
劉郎已恨蓬山遠 劉郎(りゅうろう)は 已(すで)に 蓬山(ほうざん)の遠きを恨(うら)めるに
更隔蓬山一萬重 更に 蓬山(ほうざん)より隔(へだ)たること 一万重(ちょう)

おなじ女人を おもって の作と すれば
あうせ(逢瀬)は 一そう むつかしく なっている
劉郎(りゅうろう)とは いろ おとこ を呼ぶ語であって
(詩人 李 商隱)みずからの こと
 
(吉川 幸次郎『続 人間詩話』 その六十一 李 商隱 一九五七年十一月 岩波新書 278 b)
 

【李 賀 蘇小小(そしょうしょう)の歌】
 
若くして不遇のうちに病に斃(たお)れた 李 賀(791-817)の
原田 憲雄 大師(1919-)による 大研究 珠玉の名解説より 抜粋
 
不幸な恋に死んだ女性 蘇小小(そしょうしょう)の魂魄(こんぱく)が
來る筈(はず)のない恋人を 永遠に待ち続ける 歌
 
 
古代 無名氏の同名作「蘇小小(そしょうしょう)歌」によれば
蘇小小(そしょうしょう)は 南朝の斉(479-501)の頃の
銭塘(浙江)の名妓で 一説では 歌の作者だという その歌

我乘油壁車   あたしは 女車に乘って
郎乘青驄馬   あなたは 青馬に乘って
何處結同心   どこで 契りを結びましょう
西陵松柏下   西陵の あの松の下

李 賀 においても 蘇小小(そしょうしょう)は 初期の「七夕」などでは
名妓の代表に過ぎない 無性格な女人だった
 
ところが この「蘇小小(そしょうしょう)歌」における 蘇小小(そしょうしょう)は
名妓であれば 誰でもよい というような 代称では なく
中国の文学の中では いまだ かつて 取り上げられた ことも ない
女性の肖像であって 李 賀 の発見した人格としか 言いようが ない
 
余りにも 独自であり あまりにも 破天荒であるため
多くの読者は この作品から発する 鬼気を感じは しても
鬼気を生みだす 源の深義を理解する ものが ない
 
 
李 賀  蘇小小歌  蘇小小(そしょうしょう)の歌
 
幽蘭露     幽蘭(ゆうらん)の露(つゆ)
如啼眼     啼(な)く眼のよう
無物結同心   同じ心 結ぶものなく
煙花不堪剪   けむる花 切るに忍びぬ
草如茵     草は しとね
松如蓋     松は 傘
風爲裳     風が もすそ
水爲珮     水が 帯玉
油壁車     おんな車は
久相待     じいっと待つ
冷翠燭     冷い やり翠の
勞光彩     つかれた ともし灯
西陵下     西陵は
風吹雨     雨しぶく風
 
〔幽蘭(ゆうらん)の露〕 この句は 短いけれども
蘇小小(そしょうしょう)の「性格」を描いている
古辞や それまでの詩では 見いだせなかった ものである
 
「幽蘭(ゆうらん)」は 人に知られぬ ところで 咲く フジバカマ
孔子 家語に「芝蘭(しらん:レイシ と フジバカマ)は 深林に生えるが
人が いないから といって 芳香を放たぬ ことは ない」と いい
「困窮によって 節操をかえぬ」とも いう
 
蘇小小(そしょうしょう)は 遊郭に住む 遊女である
遊女は もと 祭儀に奉仕する巫女に 起源を もつ
これが 専門の巫女と 娼妓とに分離し
巫女は 神宮で 神に仕え 娼妓は 遊郭で 生の歓楽を売った
表面は ずいぶん違った ものに みえようが
家庭から隔離され 恋愛も 結婚も 禁止されている点で 共通する
 
家庭で 生涯を送るべき もの とされた 女性が
一般社会から 隔絶した 遊郭に 住むのは
深林に生えるものに 類(たぐ)えることが できる
 
遊郭に住みながら 恋愛し 結婚し 家庭を営む
願いを持ち続ける と すれば「節操をかえぬ」もの
「深い林の中で 芳香を放つもの」と いうべきで あろう
 
遊郭は 性の歓楽を売る 市場で そこを訪(おとな)う 客は
彼女を 性の歓楽の道具としか見ず
ひとりの女性 ひとりの人間として 対等に付きあわない のが 常である
そのような場所での 蘇小小の ゆかしさは 場違いのもの
野暮な 田舎女のもの と 笑いものに されたかも知れぬ
 
しかし 多くの客の中には そのような ゆかしさに目を つけ
近づく者も いるだろう うぶな青年も いようが
誘いだして ほかへ売り飛ばそうとする 悪たれも いただろう
 
露は 涼しい眼もとの 暗喩(あんゆ)である
そのように 涼しい眼もとを褒めて 男は 逢引(あいびき)を求め
蘇小小(そしょうしょう)は 初めて恋をし ここで 男と逢ったのであろう
 
「君は この花のようだ」と 女に 幽蘭を 贈ったが
男は 結婚する気は なく あるいは 事情が許さず
それきり 女の前に現れない
 
しかし ここは 蘇小小(そしょうしょう)が 恋人と逢った場所であり
幽蘭は その ゆかりの花である
日が暮れても 受け入れてくれる ものも ない人が
佇(たたず)みつくす とき 手にした花が 幽蘭だった
 
「蘭を結ぶ ことには 離別の意が 含まれる かもしれぬ」という
清の 広群 芳譜は「およそ蘭には 一滴の 露の珠(たま)が
花蘂(かしん:しべ)の間に あって これを 蘭膏(らんこう)という……
多く取ると 花を傷(いた)める」と 説く
男は 蘇小小(そしょうしょう)から 取れるだけの 蘭膏(らんこう)を盗んで
消えてしまったのだ
 
〔啼眼(ていがん)の如し〕 「露しっとり」などと 愛想を いって 近づいた
男が去った あとの 蘇小小(そしょうしょう)の 涼しい眼もとが
どのように変わったかを この三字が語る
 
啼(な)くは 声を放って 泣くこと
啼眼(ていがん)は 放つべき声が禁圧されるために
目から涙となって滴(したた)り出た 感じを誘(いざな)い
「如(ごとし)」という 直喩(ちょくゆ)法で せき止められている ため
その効果が 一層 強まっている
 
〔物として同心を結ぶ無く〕 同心は 心を同じように 合わせる ことで
易経(えき きょう)に「二人 心を同じくすれば その利(するど)きこと 金を断(た)ち
同心の言は その臭(かお)り 蘭(らん)の如(ごと)し」という
 
そのような堅(かた)い交わりを願うところから
「結 同心」という言葉が成長し
やがて「男女の契りを結ぶ」「恋を遂げる」という意に定着した
 
契(ちぎ)りも また さまざまな人間世界の条件によって 引き裂かれる
ただ 引き裂かれても 同心を結び得ている のであれば
待って「老い」には 至(いた)り得る のであろう
 
かりに「老い」に至り得ぬ にしても
古辞(こじ:古謡)の「蘇小小(そしょうしょう)歌」のように
「どこかで 契りを結びましょう」というのなら
契りを結ぶ場所が いくつか ある わけであろう
その一つが 地下である にしても
 
けれども ここでは「無物 結 同心」という
同心を結び得る 頼りになる物が ない
まったく無いのだ 地上は もとより 地下にも
 
〔煙花(えんか) 剪(き)るに堪(た)えず〕 煙(けむり)は 烟(けむり)とも 表記し
霧や 靄(もや)や 霞(かすみ)のように ぼんやりした蒸気一般を さし
煙花(えんか)は その靄(もや)に包まれた花
 
古詩では 蓮(はす)の花を採(と)り 香りの よい草を採(と)り
なぜ採(と)るのか といえば 思う人に贈るため であった
 
楚辞に「素麻(そま)の 瑶華(ようか)を折って
離れている人に贈ろうと するが 老いは ずんずん極(きわ)まり
なかなか近づけず いよいよ遠ざかる」
 
「石蘭(せきらん)を着て 杜衡(とこう)を帯とし
芳馨(ほうけい)を折りとって 思うひとに おくろう」という
 
瑶華(ようか)は 宝玉の花 素麻(そま)は 神聖な麻
杜衡(とこう)は (オオ)カンアオイ 芳馨(ほうけい)は 匂いの よい花
 
芳馨(ほうけい)は 媚(こ)びて 相手の心を ひこう とする ための 贈り物
素麻(そま)は もはや帰ってこない であろう 遠くにいる人への 最後の贈り物
瑶華(ようか)も また「最後の」贈り物 いわば 別れを告げる「しるし」
 
「煙花(えんか) 剪(き)るに堪(た)えず」も
離別の しるしの 煙花(えんか)を切り取って
(帰ってきもせぬ)男に差し出すに
忍びない のである ことが 明白になる
 
求愛の花束が 突っ返される ことに よって 離別の花束と なる ように
違った花である 必要は ない けれども
芳馨(ほうけい)と 素麻(そま) 蘭(らん)の花と 瑶華(ようか)とは
求愛の花と 告別の花に 役割を分けている らしい
 
瑶華(ようか)も それが 離別のしるし である としても
遠くの人が 自分を思ってくれる ことは 歌う者には 確信されている
だから 明確 堅固な 宝玉の花「瑶華(ようか)」として 表現された
プラチナの台に 贈り手 贈り先の名を刻み込んだ
ダイヤの婚約指輪の ような もの
 
ところが 蘇小小(そしょうしょう)の 手にする花は 瑶華(ようか)では ない
霧や靄(もや)に つつまれると 幻のように消える
それが 煙花(えんか)であり 煙花(えんか)は 風が去り 雨が止めば
うつつ よりも 鮮やかに現れる それが 幽蘭(ゆうらん)なのである
 
蘇小小(そしょうしょう)の恋は 無物 結 同心で
完成の可能性は 現在にも 未来にも 無い
しかし 過去においては 愛 あるいは 愛に似た ものを 示され
それが 彼女を恋に導いた のであろう
 
愛 あるいは それに似た ものが消えても ゆかりの花は残っている
それが 幽蘭(ゆうらん)であり 煙花(えんか)である
幽蘭(ゆうらん)も 煙花(えんか)も また 同心を結ぶべき ものでは ない
死んでも死にきれずに さまよう 蘇小小(そしょうしょう)の
魂魄(こんぱく)で さえも が そうである ように
 
彼女は「深林」に住むにしても その深林は 遊郭という性の市場で
幽蘭といっても 身体を しごいて 生きる娼妓
無垢 無知な 処女では ない
醒(さ)めた理性は 女を夢中に させて 逃げた男が
彼を待つ 女のもとに 金輪際 帰ってこない ことを知り尽している
 
にもかかわらず 醒(さ)めた理性なんぞの忠告に 耳を傾けかねる 願いが
万に一つも ありえぬ 彼の やってくる時を待ち
彼の來ぬ のが 天命ならば むごい天に さからって
その理不尽な天命を 功(こう)無きものに させようと までに
物狂おしい 彼女の恋心は ふがいない つれない つまらない男 であっても
その ゆかりの花を切って 離別を示す には 忍びぬ のである
 
〔草は 茵(しとね)の如(ごと)く〕 草は 蘇小小(そしょうしょう)の乗る
幻の車の 中に敷く 布団(=クッション)のよう
〔松は 蓋(かさ)の如(ごと)し〕 松の木が 車につける 傘蓋の よう
〔風を 裳(しょう)と為(な)し〕 風が もすそ(裳裾=スカート)
〔水を 珮(はい)と為(な)す〕 河水の音が 帯を結んだ玉の触れあう音
 
〔油壁(辟)車〕 壁面を油漆(うるし)で彩色した 美しい車
元は 貴妃や夫人 日本で なら 女御(にょうご)や 更衣(こうい)に あたる
尊貴な女性 専用の車だった
〔久しく相待つ〕 待つ時間の 永遠といってもよい 久しさを 歌っている
相は 動詞が対象を持つことを示す接頭語
ここでは「互いに」という意味は持たない
〔冷たる 翠燭(すいしょく)〕 燐火(りんか)とも 鬼火(おにび)とも
現実を超えた火が、冷冷としている
〔勞たる 光彩〕 疲れきった光彩が やがて消える
 
〔風 雨を吹く(風雨吹)〕 煙花(えんか)の煙によって
雨の來ることが予想はされるが 勞 光彩 までは 雨は降っていない
 
幽蘭(ゆうらん)の露は 啼眼(ていがん)の如(ごと)く では あるが
啼眼(ていがん)では なく
蘇小小(そしょうしょう)の 心の内部を象徴する けれども
彼女は 泣いては いない
泣くことを堪(こら)えて 待ち尽(つく)すのである
 
雨が降るのは 勞たる光彩が消え
蘇小小(そしょうしょう)の姿が 見えなくなった
闇黒(あんこく)の 西陵(せいりょう)下に である
 
闇黒(あんこく)のうちに 蘇小小(そしょうしょう)のために
啼哭(ていこく)し 涕泣(ていきゅう)するものが あり
その啼哭(ていこく)するものが 風で
涕泣(ていきゅう)するものが 雨なのだ
 
李 賀 の詩では 闇黒(あんこく)の中で 風が吹き 雨が降る
闇黒(あんこく)は 蘇小小(そしょうしょう)の 沈黙 である
怨恨(えんこん)も 悲愁(ひしゅう)も すべて その内部に吸収する
ブラックホールが エネルギーを吸収する ように
 
風と雨とは 一つになって
蘇小小(そしょうしょう)の沈黙の中に 吹き込むのでは ない
すなわち「風雨吹」では ない
はげしく風が吹き はげしく雨が降るのである
雨が吹き 風が降る といっても よい
 
西陵(せいりょう)下の闇黒(あんこく)
蘇小小(そしょうしょう)の沈黙は
忍従でも あきらめでも おそらく ない
それは 永遠の女性の 永遠の たたかい なのだ
この句は 必ず「風吹雨」でなければ ならない
 
 
李 賀 は かつて「楞伽(りょうが) 案前に堆(うずたか)し」と うたった
楞伽(りょうが)とは 仏教経典の『楞伽 経(りょうが きょう)』である
その楞伽(りょうが)に「大悲(だいひ)闡提(せんだい)」の説がある
 
闡提(せんだい)とは「一闡提(いっせんだい)」のこと
梵語の icchantika を 漢字に写した音訳で
意味は「世間的な欲望に ひたって 法を求めない者」
従って 解脱(げだつ)や 涅槃(ねはん)を 得ることの できない者である
 
一闡提(いっせんだい)に 二種ある
一は 一切の善根を焼きつくした もの
二は 一切衆生を憐愍(れんびん:あわれむ)する者
 
この 第二の者が 菩薩(ぼさつ)であり
楞伽 経(りょうが きょう)によれば「菩薩(ぼさつ)は
方便(ほうべん:衆生(しゅじょう)を導く巧みな手段)もて 願と なす
 
もし もろもろの衆生(しゅじょう:一切の生きとし生けるもの)
涅槃(ねはん:煩悩を滅尽して悟り智慧菩提)を完成した境地)に入らずんば
我も 亦(ま)た 涅槃(ねはん)に入らじ と
この故に 菩薩(ぼさつ:覚りを求める衆生)魔訶薩(まかさつ:偉大な衆生)は
涅槃(ねはん)に入らず」
 
つまり 菩薩は 一切の衆生解脱(げだつ)させ 涅槃(ねはん)に入れる のを
自分の任務とするために すでに仏となる資格を持ちながら
すべての衆生解脱(げだつ)せず 涅槃(ねはん)に入らない間は
自分も解脱(げだつ)せず 涅槃(ねはん)に入らず 仏とならずに
世間の 欲望に満ちた人たちと同じ姿で 世間に とどまり続ける
これを「大悲闡提(だいひ せんだい)」と称する のである
 
さて 蘇小小(そしょうしょう)は 「名妓」とはいえ
性の快楽を売るために 恋愛と結婚を禁じられた 娼婦である
彼女は そのような立場に置かれながら
禁じられた恋愛を成就させようとして
肉体の滅びた後にも 永遠に 人間界に さまよう者である
 
恋愛が禁じられることは 女性であることを 禁じられる ことであり
女性が 女性であることを 禁じられる ことは
人間が 人間であることを 禁じられる ことに 他ならない
性の快楽を売るために 恋愛を禁じられる ような
女性が存在する かぎり 人間の解放は ない
 
李 賀 の「蘇小小(そしょうしょう)の歌」は
すべての人間が解放されない かぎり
永遠に 自分一個の解放を拒否して さまよう
「娼婦の立場に おかれた 女性の魂魄(こんぱく)」としての
蘇小小(そしょうしょう)を 歌っている
これは 大悲闡提(だいひ せんだい)の すぐれた文学化 と いって よい
 
李 賀 の読んだ 十巻本の 楞伽 経(りょうが きょう)も
「諸仏品 第一」が終わると 仏を 楞伽(りょうが)城に招いた
主の 羅婆那 夜叉王は 姿を消す
どうやら 大慧(だいえ)菩薩に 変化した らしい
 
楞伽 経(りょうが きょう)の主題は 多岐に わたる から
それは それで 差支えはない のかもしれぬ
 
しかし「大悲闡提(だいひ せんだい)」に限って いえば
夜叉王の消滅した 楞伽 経(りょうが きょう)は
不徹底 と言わざるを得ない
 
法華経の「提婆達多品(だいばだった ほん) 第一二」は
八歳の龍女が成仏するので 女性救済の経典として有名だが
その成仏は 実は「変成男子」
龍女が 女性の肉体を 男性の肉体に変化して 仏に なる
 
女性が 女性の ままで 仏に なる のでは ない
仏には 男性も女性も ない という論理は あろうが
それなら なおさら「変成男子」は
不可解 不徹底だと 言わざるを得ない
 
李 賀 の「蘇小小(そしょうしょう)」は 変化も 変成も せず
蘇小小(そしょうしょう)のまま 幽蘭(ゆうらん)を手に
永遠に さまよい つづける
大悲闡提(だいひ せんだい) の 趣旨から すれば これこそ
楞伽 経(りょうが きょう)十巻本をも
提婆達多品(だいばだった ほん)をも 突破したもの と いえようか
 
 
李 賀 の「蘇小小(そしょうしょう)歌」は 女性の尽きせぬ悲しみを
女性の立場にたって 歌おうとした もので
この詩の成立する 時間は 強いて名づけるなら
「鬼時」とでも 呼ぶべきもの であろう
 
蘇小小が 來ぬ人を待って 佇(た)ちつくした「西陵下」が
何処(どこ)であるかの 議論が 古來 幾たびか重ねられたが
それは たぶん 地理的空間では なく
鬼時と垂直に交叉する「鬼処」なのだ
 
鬼時と いい 鬼処と いう のは 生き残って 影のように さまよう
存在のほうから する言葉であって
「生は一瞬 死は永遠」という立場からすれば
鬼時と鬼処こそ 生き生きとして 手ごたえの ある
実存的時間 現実的空間 であるのかも しれぬ
 
(李 賀 歌詩編 1 蘇小小の歌 原田 憲雄 訳注 平凡社 東洋文庫 645)
 
 
26歳で亡くなった 李 賀 と 45歳まで生きた 李 商隱 は
百歳を迎えられる 原田 憲雄 大師と 亡き 吉川 幸次郎 博士によって
比類なき 邦訳と 解説を得た
 
李 賀 は 諱(いみな)事件という 亡くなった父の名と 進士の進が
音で通ずるとして 試験を受けることを差し止められ
王族出身者に与えられる 閑職を辞し 故郷に帰り
失意のまま 急な病を得て 亡くなる
 
李 商隱 は 進士試験に合格するも 派閥争いに巻き込まれ
庇護を受けた高官が亡くなると 対立する派閥の庇護を得たことから
執拗に非難され 中央を去ると 職を干され また全うできる職を得られず
故郷に戻り 病を得て 亡くなる
 
李 商隱は 李 賀 の人となりを伝える 李 賀 小伝 を書いている
臨終の場面の 不思議な出來事は 李 賀 の 嫁いだ姉から 聞いた とする
 
 
長吉(李 賀)が死にかけているとき
ふと日中に 一人の緋(ひ:やや黄みのある 鮮やかな赤
日本では 平安時代から用いられ『延喜式(えんぎしき)』では
茜(あかね)と紫根(しこん)で 染めた色を「深扱(こ)き緋」とし
紫に次ぐ 官位に用いた)の衣の人が
赤い(みつち=みづち:想像上の動物 蛇に似て長く 角と四足があり
水中にすみ 毒気を吐いて 人を害する という)に乗って 現われた
 
一枚の書き付けを持っていて 太古の篆書(てんしょ:秦代以前の書体)か
霹靂(へきれき:雷)石文のようだ
「長吉を お召しに なっている」と いうのである
長吉には どうしても読めない
すぐ 寝台から 下り おじぎをして いう
「母さんは年よりで そのうえ病気です
 わたしは 行きたくありません」
緋衣の人が笑って言う「天帝さまが 白玉楼を完成され
 すぐにも君を召して 記念の文章を作らせよう と されるのだ
 天上は まあ楽しい ところ 苦しくは ない」
長吉は ひとり泣いた
まわりの人は みな これを見ていた
 
しばらくして 長吉の息が絶えた
居間の窓から ぼうぼうと煙気が たち
車が動きはじめ 吹奏楽の調子の 早まるのが 聴こえる
老夫人が急に 人々の哭(な)くのを 制止した
五斗の黍(きび)が炊(た)きあがる ほどの 時間の のち
長吉は ついに死んだ
 
王氏に嫁いだ姉は 長吉のために
作り事を言うような ひとでは ない
じっさいに見たのが こうだったのである
 
(李 賀 歌詩編 1 蘇小小の歌 原田 憲雄 訳注 平凡社 東洋文庫 645)
 
 
かつての さまざまな勢力争いの 戦利品であり
いまは また 新たな 幼き無心の美貌に
取って代わられ 忘れ去られようとする 女人が
幼さの消え 傷つき疲れた 微笑で
自らを励まそうと 鏡の中を のぞき込む
 
しかたない わたしだって そうだったんだもの
ここに來たとき ただ そこに いるだけで
見知らぬ 年上の女の人を 泣かせたんだわ
知らなかったのよ ごめんなさいね
もう みんな いないわね
こんどは わたしが泣く番 ひとりぼっち で
みんな そうだったのね
 
鏡の奥を 昏(くら)く 風のすじが横切り
見憶えのある 館の露台 あるいは 城壁の屋上が 斜めに浮んで
そこに だれか 若い男のひとが 風に吹かれている
あの詩人さんだろか かなしい眼をして
幼い わたしが いまの わたし みたいになる って 詩を書いた
 
ちがう あの ひと じゃない もっと昔 もっと若くして死んでしまった
死んでも愛する人を待ち続けた 女のひとの詩を書いた 同じ姓(かばね)の
あっ いなくなってしまった どこへ行ったんだろう
雨が降ってる あの女のひとの ところへ行ったのかしら
土砂降りの中 それは みんな あの女のひとが 流さずに堪(こら)えた涙なの
風が 聲(こゑ)なく叫んでいるわ わたしは ひとりぼっち って
 
待たせてしまったね って言ってる
じゃあ あの女のひとは 彼女を嗤(わら)って捨てた ろくでなしを
待ってたんじゃなくて あの優しい詩人さんを待ってたのね
彼女を初めて よみがえらせた でも あんな ひどい雨の中
いつまでも ずっと立ち尽(つく)し 待ちつづける姿で
 
ああ やっと雨が上がる 少し靄(もや)が残っているだけ
そうか ふたりが 煙花なのね 虹色に耀いてみえる
詩人さんのほうが 年下みたいね
でも ほんとうは 逢えないくらい 年が離れているのよ
同い年でも たぶん会えないのは 同じだけど
 
天帝さまの 白玉楼へ 一緒に行こうね って言ってる
桃色の(みつち)の曳(ひ)く 車に乘って
いいなぁ わたしも だれか 連れてって くれないかな
遠慮がち と言えなくもない 咳払いが聴こえた
えっ どこ 鏡の奥には 室内が戻っていた
鏡に 寄せかけられるように置かれていた ランプの
向う側 ずいぶん年取って見える 彼女が知っている詩人が
壁に凭(もた)れていた あら あなたも死んじゃったの
 
鋭いな 大人になったんだね
あら あなたより若いわよ まだ
そうだね でも そのうち追いつくんじゃないかな
 ぼくは もう年を取らないから
やだ そんなに待てないわよ
おや そうなのかい
そりゃ そうよ あの二人を見た?
 あの女のひと と あの女のひとの ことを書いた詩人さん
李 賀 って 言うんだよ ぼくは 李 商隱
知ってるわよ あの女のひとは?
蘇小小(そしょうしょう)
そうでした 良い名まえよね 良い詩
 
ぼくも きみのことを詩に書いたよ
知ってるわよ でも名まえは なかったでしょ
だって きみは 生きてる人だったし いまも 生きてる
でも 他の人には わからないわ
きみと ぼくの秘密さ
あら わたしは あの詩人さんの詩のほうが いいな
李 賀 かい
名まえが ついてたほうが いいな って思ったの
じゃあ そうしようか 何て名まえだっけ
いやな ひと 帰れば
真面目な話 ぼくが きみの名を呼んだら そうして きみが返事をしたら
 そうして それを三度繰り返したら きみは こっちへ來なくちゃ いけない
あら いいじゃない 白玉楼?
言ってくれるね まぁ その離れ みたいな とこかな
 あれも一応 僕が書いたって 知ってる?
あれって?
まぁ いいか ほんとに 呼んでいいんだね
いいわよ あっ ちょっと待ってね
 最初に逢ったときのドレス まだ あるの
ほんとうかい だってまだ ほんの子どもだったろ
うるさいわね 背が伸びただけよ ほら どう
うん つんつるてん だな いまの ほうが よくないか
いやな ひと 絶対 これが いいと思ったのに
なんだって いいさ きみは きみで
 いつも 清らで 耀いてる 心も 姿も
ふうん そうなのかしらね
 わかったわ このままで行く
そう 來なくちゃ じゃあ 呼ぶよ
まちがえないでね 後生だから
緊張するなぁ
やめてよね
 
 
(続く)   

彷徨(さまよ)ふ花

2019年06月30日 | 随想

【小督(こごう)と仲國(なかくに)(実は おそらく實國(さねくに)】

平安末 二人の貴人 年長の 藤原 隆房
年若き 高倉 天皇 に深く愛された
箏(こと)の名手 小督(こごう)

二人の正室は 共に 平 清盛 の娘
清盛の逆鱗(げきりん)に觸(ふ)るることを畏(おそ)れ
宮中から逃れ 嵯峨に身を隱(かく)す

小督(こごう)を探し出し 密(ひそ)かに
宮中に連れ戻すよう 勅を賜(たまは)った源 仲國
―― と伝えられるが おそらく そうではなく
藤原 實國で 高倉 天皇の笛の師 ―― は
賜(たまは)った駒を駈(か)り 嵯峨野を経廻(へめぐ)る

日も暮れ いましも仲秋の月が
皓皓(こうこう)と昇り來る頃
水際で ふと見事な「想夫恋」の調べが
かすかに聴こえて來る

渡りかけた瀨を戻り 音のする方へ駒を向けると
果たして 片折戸(かたおりど)の苫屋(とまや)に
小督(こごう)が隱(かく)れ住んでいた

清盛を畏(おそ)れ 宮中に帰ることを憚(はばか)る
小督(こごう)に 帝(みかど)よりの文(ふみ)を渡し
久方振りに聴いた 箏(こと)の調べに
帝(みかど)を慕ふ心が 溢(あふ)れていた と
いうと 小督(こごう)は 折れ 御意に添ひ

戻る旨 認(したた)め 仲國(實國)に託す
役を離れ 二人は 打ち解けて かつて御前で
共に奏樂した如(ごと)く 笛と箏(こと)を手にとり
懐(なつ)かしく 奏で合せた後(のち)
駒に うち乗り 帰る仲國(實國) 見送る小督(こごう)

宮中に戻り 程なく懐妊 皇女を生み 出家
庵(いほり)に独居する 小督(こごう)が病床にあった折
歌人 藤原 定家や その姉君が 見舞ったという

九州には 別の伝承 も ある
知合いの僧を賴(たよ)り 大宰府(だざいふ)
観音寺へと向う 尼君(あまぎみ) 小督(こごう)が
昨夜來の雨に逆巻(さかま)く
川を渉(わた)ろうとして

溺(おぼ)れ 助けられるも 弱り臥(ふ)せったまま
間もなく二十五歳で 白鳥成道寺に没した という

香春岳 を望む 白鳥成道寺 には 七重塔が
高倉天皇陵へと続く 京 清閑寺には 宝篋印塔が
それぞれ 小督の墓と伝えられて在る

渡月橋 北詰の橋は 仲國(實國)が
小督(こごう)の奏でる 箏(こと)の音(ね)を聴いた
駒留橋 または 箏聴橋 と 呼ばれている という

法輪寺 参詣 曼荼羅 176.2×166.6cm 16C    

国宝 虚空蔵菩薩像 絹本着色 132.0×84.4cm 12C 平安時代 東京国立博物館

法輪寺 虚空蔵菩薩 降臨の御本誓に
「智恵を得んと慾し」「福徳を得んと慾し」
「種々の芸道に長じ 技芸に上達せんと慾し」
「玄妙の域に達するような 流暢な音声を出し
 歌舞音曲の奥義を極め 栄達を得んと慾し」
「官位 称号 免許を得るよう慾し」
「内外とも 身分に ふさわしい威徳を得るよう慾し」
など祈願するものは わが名(虚空蔵尊名)を 称念せよ とある という
四番目が氣になる

渡月橋 は 法輪寺橋とも いわれ
渡ると程なく 法輪寺 境内に入る
数え十三 春十三日の頃には 十三夜まいり という
法輪寺 虚空蔵菩薩より 智慧を授かる 行事が ある
虚空蔵菩薩の生れ変りである 羊の像の頭に ふれ
お詣りを濟ませての帰り道 渡月橋を渡りきるまで
振り返ってはならぬ とされ 振り返れば
授かった智慧は すべて戻ってしまう という

伝 金春 禅竹 作 四番目能『小督(こごう)』は
嵯峨野の場面を 表す

笛の名手である 仲國(實國)は
小督(こごう)の奏でる 箏(こと)に応えて笛を吹き
捉えた箏(こと)の音を 巧みに途切らすことなく
手繰(たぐ)り寄せ 嵯峨野の原から
小督(こごう)の隠れ住む苫屋(とまや)へ たどり着いた とも
 
能 小督(こごう) 駒ノ段           
小督(こごう)が 高倉天皇に見初められる以前
彼女の恋人として知られた 藤原 隆房(1148-1209)卿は
小督(こごう)が 帝(みかど)に愛されるようになった後(のち)も
小督(こごう)への想いを 断てなかった という
 

隆房卿 艶詞 絵巻 紙本白描 紙本水墨 25.5×685.0cm 13-14C 鎌倉時代 国立歴史民俗博物館


【隆房卿 艶詞 絵巻】

隆房卿 艶詞(つやことば) 絵巻 は 小督(こごう)への想いを 綿々と綴った
隆房卿 傷心の物語で 第一段には 右端の桜の幹にそって 蘆手(あしで)文字で
「のとかに(長閑[のどか]に)」と記され 小督(こごう)と高倉天皇が
清凉殿にて 月を眺めて過ごす場面が描かれる

第二段(冒頭 老松にからまる藤の蔓(つる)が
「木たかき(木高き)」と記され 憂いに沈む女房たちと
隆房卿の居る 部屋の後に)さらに 別棟に
手紙らしき束を傍(かたへ)に置く 小督(こごう)
と思(おぼ)しき人物が居て その直ぐ外の庭には
柳と梅と梅の幹に「としたち(歳経ち)」と記される

第二段 前半は 初夏 第二段 後半は 早春で
間に 時の経過が示される
 (「歴博」第198号 小倉 慈司『隆房卿艶詞絵巻』に見える葦手 ―王朝絵巻のかな文字絵―

最後は 隆房卿が 車で かつて小督(こごう)が住んでいた
邊(あた)りを 通りかかり いまは すっかり人けなく
荒れ果ててしまっているのを 時の霞がおし包み 終る

詞書(ことばがき)には つぎのような歌で 物語が綴(つづ)られる

 女に つかはしける         女に 送った歌

人知れぬ 憂(う)き身に       人知れず 辛(つら)い我が身には
繁(しげ)き 思ひ草         思い草が生い茂るように 物思いばかりが増えてゆく
想へば君ぞ             どうして こんなことになったのか ご存知であろう
種は蒔(ま)きける          種を蒔(ま)いたのは あなた なのだから

 わかき人々あつまりて       若い人々が集まった折 わたしも彼(か)の女も
 よそなるやうにて         同席していたが 何でもない振りをして
 物がたりなど するほどに       雑談する裡(うち)
 しのびかねたる心中        堪(こら)えきれず 心中の思いが
 色にや出(い)でて見えけん       顔に出てしまったのだろうか
 すずりをひきよせて        彼(か)の女が硯(すずり)を引き寄せ
「ちかのしほがま」と かきて     「千賀(ちか)の塩竈(しほがま)」と書いて
 なげおこせたりし ことの       その紙を投げて寄越(よこ)した ことが思い返され
 おもひ いでられ           心を抑えかね うわの空に なってしまった

思ひかね 心は空に          これでは まるで 遙(はる)か遠くへ追い遣られる
陸奥(みちのく)の          ようなものだ 陸奥(みちのく)の
ちかの塩竈(しほがま)        千賀(ちか⇔近)の塩竈(しほがま)へ
近き甲斐(かひ)なし         本當(ほんたう)に 近くにいる というのに

 なにの舞ひとかやに入りて     何の折の舞楽であったか 舞人の間に入れられ
 はなやかなる ふるまひに       そのように華やかな行事に
 つけても「あはれ 思ふ事なくて    つけても「恋の悩みが なくて
 かかる まじらひをも せば      このような奉公をするのだったら
 いかに まめならまし」        もっと身を入れて 誠心誠意 出來(でき)るものを」
 と おぼえて 又 さしも         と思いながら 見れば 彼(か)の女の態度も
 うらめしく あだなれば        恨めしいほど 不実な様子だったので 目の
 見る事つつましく         遣(や)り場もなく 自分の舞を見られることも 気が引け

ふる袖は             振って舞うはずの袖は
涙に ぬれて 朽ちにしを       涙に濡れ 朽ちてしまったのに
いかに立ち舞ふ 吾が身なるらむ    どうやって 人前で舞うつもりなのか この わたしは

 逢ひ みぬことの          逢えないことが
 後まで 心に かからんことの    いつまでも 堪(たま)らなく残念で
 返す返す あぢきなくて       幾度となく想い返しては 口惜しく

恋ひ死なば            わたしが 恋い死にしたら
浮かれむ魂(たま)よ        せいせいした とばかりに 出てゆくであろう 魂よ
しばし だに             ほんのしばらくの間だけでも
我が思ふ人の           恋しい人の 裳裾(もすそ)の 左右の端を合せた
褄(つま)に 留(とど)まれ       褄(つま)のところに 留(とど)まってくれ

 つくづくと おもひつづくれば    ずっと想い続けて來たが
 この世ひとつに           この世で ただ一途に
 恋し かなし と おもふだに      恋しい 哀しいと想っても
 いかがは くるしかるべき      こんなにも苦しいわけなのだが
 そののちの世に ふかからん     あの世で 罪の深さを悟って
 罪の心憂さに            悔いることになるのかと想うと

あさからぬ            淺くない縁(えにし)の
この世ひとつの なげきかは      この世だけの歎(なげ)きなのだろうか
夢より のちの            夢のように儚(はかな)い この世を去った後に
罪のふかさよ           償(つぐな)うべき 罪の深さを想わずに居れぬ


 Yamma Ensemble - Komitas - Armenian love song           高倉 天皇

   小督(こごう)

隆房卿 艶詞(つやことば)絵巻では 髪に隱(かく)れぬ顔(かんばせ)の
唇に朱を差すほかは 墨の毛描きのみにて
入(い)り組む 宮中の部屋部屋を 棚引(たなび)く霞が
隱(かく)したかと思うと また ふいに披(ひら)く
靜(しづ)かに音の絶えた時と場所が 幾重(いくへ)にも交錯し
離れ隔(へだ)たり 螺旋(らせん)に旋回してゆく

縁にて 月を眺める 帝(みかど)と小督(こごう)
その髪に 桜の花びらが散り紛(まが)ふ

十二世紀の 仏蘭西(フランス)の吟遊詩人 ジャウフレ・リュデル 「彼方からの愛」
ケルト起源で同じ頃 同地に成立した「トリスタンとイゾルデ」に見られるような
恋人たちの間を取持たねばならぬ 使者としての立場にある 實國(仲國)は
小督(こごう)をめぐる男たちの裡(うち)では ひときわ年嵩(としかさ)だが
笛の匠(たくみ)として 心は小督(こごう)に 最も近く在ったのかも知れぬ

小督(こごう)が 心から希(こいねが)う事柄については 誰も知りようもなく
誰も知ろうとしていないようにも見える

小督(こごう)が 心から希(こいねが)ったこと それは音樂では なかったか
誰かに執着されたり 嫉妬されたり 憎まれたりせず
穩やかに 奏樂を匠たちと樂しめる 暮し

小督(こごう)の心に 追いつけず 守ってやることも出來ず
夢の中で 宮中を 嵯峨野を 彷徨(さまよ)ひ
小督(こごう)を探す 隆房卿

探しに行けぬ身を輾転反側 いつしか こと切れ 魂を解き放ち
小督(こごう)を探し 離れまいとする 高倉天皇

小督(こごう)を勞(いたわ)り見守りながら
心の侭(まま)に音樂をさせてやろうとするものは 居らぬようだった

天の川に浮ぶ 星々の影が
蘆(ヨシ)の戰(そよ)ぐ 水面(みなも)の遙(はる)か下
睡(ねむ)る未草(ヒツジグサ)に重なる
風と月光が吹き渡り 水は樂の音に煌(きらめ)く

(続く)   


未草(ヒツジグサ)の睡(ねむ)り

2019年06月13日 | 随想
また ここまで來た
佇(たたず)んだまま 風に吹かれ
鈍色(にびいろ)に 光傾(かし)ぐ 瀨

探していたものに 出會(でくわ)しそうな 夕
探させられなければ 知ることのなかった 心

暮れなずむ水に映る
蘆(ヨシ)の連なり靡(なび)く蔭
散りぼふ 小さき花白く

囁(ささや)き聲(こゑ)で絶え間なく 口誦(くちづさ)む
日暮れとともに止みて 合掌(がっしょう)
仄(ほの)めく灯明包み
泡翳(かげ)鏤(ちりば)む水紋 挿頭(かざ)し 莟(つぼ)む

忘却を希(こひねが)ふ音色 消え果つ 奥つ城(き)
鏡の裡(うち)なる顔(かんばせ)が 渦巻く髪の蔭
泣き崩(くづ)れ

水底(みなそこ)の沙(すな)
昇らぬ日と月 沈み煌(きらめ)く 夢の破片
涙 目覺(めさ)め 風と波 翳(かす)め響(とよ)み
惑(まど)ひつつ辿(たど)る 月へ戻る橋
月より日へ帰る道

水に浸(ひた)ったままの蹄(ひづめ)
廻(めぐ)る白毛が かすかに戰(そよ)ぐ
水面(みなも)に滑り広がる 山の端(は)
透き融(とほ)る月の瞼(まぶた)より伝ふ 陸離 空白の橋

觸(ふ)れている間 流れは限りなく遲(おそ)く 遲(おそ)くなる
蒼き翳(かげ)搖(ゆ)らめく波間
月白(げっぱく)の橋 渡り 古(いにしへ)の夢 消えて還(かへ)る
遙(はる)かに望む 時の螺旋(らせん)の彼方(かなた)
薄光注ぎ 蒼き翳(かげ)差す 同じ心に湧き出(い)で

    Amalgamation Choir - Ksenitia tou Erota(Giorgos Kalogirou)
   Amalgamation Choir - Tis Trihas to Gefyri(Pontos)    DakhaBrakha - Vesna

 【未草(ヒツジグサ)

日本に自生する 唯一の小型の白い睡蓮(スイレン)
花の大きさは四センチ程で スイレン属では世界最小 

寒さに強く 初夏から秋に
山間の小さな池や 湿原の水溜(たま)りなどに生え
水位の安定した 養分の乏しい水域に育つ 多年草

浮き葉と 水中葉を持ち
蓮(ハス)と異なり 浮き葉に露を転がす撥水性はない
楕円で 先の深く切れ込んだ葉の形は 遠くから眺めるとき
羊など偶蹄目の 群れ惑(まど)ふ足跡に似る とも

大きな湖では 魚が水中葉を食べ
絶へてしまうことが多い
浮き葉は紅葉し 冬枯れて 水中葉のみで越冬
初夏から秋まで 花咲く
一つの花が 三日程の間
日が落ちれば 閉ぢて 水中に没し
日が昇れば 水面より浮び出て 開くことから
睡(ねむる)蓮(はす) の名が あてられた という(『大和 本草』)

明治以降に 外来種 water lily が輸入されると
ヒツジグサ と同様 スイレン と呼ばれるようになるが
大和本草』(1709)の刊行された 江戸時代 以前 日本には
ヒツジグサ しか存在せず 睡蓮 といえば ヒツジグサ を指した

この花について詠(よ)まれた歌 纏(まつ)わる物語
伝承は 記紀 万葉集などに 見当らぬようだ
何故(なぜ)だろう

数多(あまた)の別れとともに 忘れ得ぬまま消え果て
遙(はる)かに立ち昇る 霧の螺旋(らせん)の間を漂ひ
探し求める夢の畔(ほとり)を彷徨(さまよ)ふ
胸の底深く 切立ち抉(えぐ)れた山奥 ひたひたと溢(あふ)る
水溜(たま)りへ浮び出(い)で ひっそりと花咲く

「未草」という 花名の由来について『大和本草』には
「京都の方言で呼ばれている」もので「未の刻 すなわち 午後二時頃
(季節により 午後一時~三時)から花が閉じる」ことから と説かれ

   『大和本草』 八 水草  睡蓮(ヒツジグサ)

  ヒツジグサ ハ 京都ノ方言ナリ、此花 ヒツジノ時ヨリ ツボム、
  荇菜(ジュンサイ)ノ葉ニ似タリ、酉陽雜俎本草綱目 萍蓬草ノ下ニ、
  唐ノ段公路 北戸錄ヲ引ケリ、夏秋 花サク、花白クシテ 數重ナリ、
  蓮ニ似テ 小ナリ、其葉ハ (アサザ)ノ如シ、
  其花 夜ハ ツボミテ 水中ニ カクル、晝(ヒル)ハ又 水面ニ ウカブ
  故(ユエ)ニ 睡蓮ト云(イフ)、北戸錄ニ 所云(イフ トコロ)ト
  相同(アヒ オナジ)、他花ニ コトナル物也、蓴菜 荇菜(ジュンサイ)ノ
  類ナリ、畿内 江州 西土 處々(トコロ ドコロ)ニ多シ、他州ニモ多シ、

一方『和漢三才図絵』(1712)や『本草図譜』(1828)では
逆に「未の刻に花が開く」と紹介されているが
実際には 朝から夕方まで咲き
ほぼ平らに全開するのが 正午から未の刻の頃

花は三日程の間 日々開閉を繰り返し
明け方 水中より水面(みなも)に
蕾(つぼみ)を擡(もた)げ 開花
日暮れ 花を閉ぢ 水面下に没する

その後 花のついた茎を螺旋(らせん)に曲げ
水没したままとなり 水中で実を熟成させる (初冠 睡蓮と未草

   Debussy: Prélude à l'après-midi d'un faune / Rattle      water lily スイレン

【ウェールズ民話 銀の牛】

竪琴(たてごと)の音(ね)を愛し 山間(やまあひ)の
池より 六匹の銀の牛の姿で顕(あらわ)れた精霊が
竪琴(たてごと)の沈んだ池に スイレンとなって
花咲くようになった物話が ウェールズに伝わる

「ウェールズの山間(やまあひ)の池に
 water lily(スイレン)が 咲くようになったわけ」

ウェールズの山間(やまあひ)に暮らす 少年が
白い牛と黒い牛を連れ 池の畔(ほとり)の草地で
竪琴(たてごと)を奏(かな)でていた時のこと

池から銀色の牛が六匹浮び出て 岸へと上がり
少年を取り巻いて 楽の音(ね)に耳を傾け
日暮れて家路につく時も 少年についてきた

銀の牛たちは 濃い乳を出し 家族は喜んだが
一頭が乳を出さなくなると 肉屋に売払うことにし
助けてほしいと頼んでも 耳を貸さなかったので
少年は牛たちを連れ 池の畔(ほとり)で曲を奏でる裡(うち)
悲しみのあまり 竪琴(たてごと)を池に投げ入れた

すると六頭の銀の牛は皆 竪琴(たてごと)の後を追い
池に走り込んで ニ度と姿を現わさなかった
やがて その池を埋(う)め尽(つく)すように えもいわれぬ銀色の
water lily(スイレン)が花咲くようになったという
 
その最初の花々に 少年は 心の裡(うち)で
竪琴(たてごと)を かき鳴らしつつ 独(ひと)り旅立つ

Silver Cow, written by Susan Cooper, illustrated by Warwick Hutton   
 
見返しから見開きで 夜明けの池が描かれる 最初と最後
汀(みぎは)に咲くスイレン越しに 向う岸から
丘の向うへ見えなくなる その道を ずっと見送るように
 
閉ぢた目を 池のほうへ向けたまま 少年が遠ざかってゆき
やがて見えなくなった後も あちらこちらを向いて
白いスイレンが 静かに群れ咲いている
 
「狭き山間(やまあひ)を抜け 共に奏で響き合ふ
 心に出逢(であ)ふまで 立ち止まらず 行きなさい」
明るく馨(かを)る かすかな聲(こゑ)で
響(とよ)み 頷(うなづ)き 励ますように
「振り返らずに わたしたちは あなたの音楽を忘れぬ
 わたしたちは あなたの音楽に棲(す)む いまも これからも
 いつも ずっと いつまでも 生きとし生けるものの 心に鳴り響く」
 
少年は 竪琴(たてごと)を奏でていたのではなかったか スイレンたちに
ここでも 脇に挟(はさ)んで
 
少年の竪琴(たてごと)は これまで 怠(なま)けているとして
幾度となく 叩(たた)き壊(こは)されてきた
疲れと眠気と闘(たたか)ひ 辛抱(しんぼう)強く 繕(つくろ)ひ
粉々に砕(くだ)かれたものは 一から作り直した
 
身動きのとれぬ 深い夢の底で 少年が
ずっと堰(せ)き止めていた 涙を流し
旅立ちを心に決め 安らかな睡(ねむ)りに落ちた頃
銀の牛たちが 池の底から掬(すく)ひ上げ
潰(つぶ)れた くしゃくしゃの枕元へ届けてくれたのではなかったか
 
本を閉じるとき その音色が 聴こえて來そうになる
清清(すがすが)しき 花の馨(かを)りとともに
 
 
「花に な(鳴)く うぐひす(鶯) 水に す(棲)む かはづ(蛙) の こゑ(聲)を き(聴)けば
 い(生)きとし い(生)ける もの いづれか うた(歌)を よ(詠)まざりける」
                     (古今集 仮名序 紀 貫之 十世紀初頭)
 
 
牧神(パーン)に追はれ 蘆(ヨシ または アシ)になり
 蘆笛(あしぶえ)となった シュリンクス

太古の神々の物語を 次々と取り込んでいった ギリシャ神話に
牧神(パーン)に付き纏(まと)はれ 追ひ詰められた
水辺で 助けを求め 蘆(ヨシ)に変身する物語がある

風に震へ 哀しげに鳴る蘆(ヨシ)牧神(パーン)は手折り
蘆笛(あしぶえ パン・フルート) を作って
乙女の聲(こゑ)と共に在ることを悦びとしたという
 
牧神(パーン)シュリンクスを 自分のものにしたかっただけなのか
そうではない と 蘆笛(あしぶえ) は語る
 
ただ その歌聲(こゑ)に 尽きせぬ天の惠(めぐ)みを感じ
解き放ちたい と感じながら 傳(つた)へることが出來ぬまま
 
月の女神の巫女(みこ)として満足していた 幼きシュリンクス
突如 間近に見(まみ)えた 牧神(パーン)の異性と異形に 恐れ戰(おのの)き
話も聴かず 逃げ惑(まど)ひ 早瀬の深みへ向ったのを 止めようと
伸ばした手が 届かず 觸(ふ)れられまいと その背は捩(よぢ)れ
 
失はれたものに茫然とし 水瀨(みなせ)を通るたび 戰慄し
暗澹たる想ひに駆られ ある夕べ 坐り込んで
その日 何度目かの許しを乞うていたら
風が枯れた蘆(ヨシ)を そっと揺らし かすかに鳴らした
蘆(ヨシ)は歌ふようだった
 
「あなたが わたしの歌聲(こゑ)を好きだったこと
 いまは知っています ありがとう」
「優しい人だと わからなくて 怖がって ごめんなさい」
「ここは靜(しづ)かで とても冷たい わたしが ここに居ることを
 あなたが ずっと悲しんでいると 月の光が 敎(おし)へてくれた」
「わたしは もう 何も出來ないけれど あなたを怖がってはいない
 恨んでもいない あなたは わたしの歌聲(こゑ)が
 好きだったのだから それを想ひ出して 聴かせてほしい
 わたしは もう 歌ふことは出來ないけれど あなたは出來る
 悲しまず その歌聲(こゑ)と 生きてほしい」
 
牧神(パーン)の閉ぢた眼から涙が溢(あふ)れ
耳にシュリンクスの聲(こゑ)が甦(よみがへ)る
 
亡き人の聲(こゑ)を伝へてくれた 枯れた蘆(ヨシ)の一つに
あの日 届かなかった 手を伸ばし 注意深く 折り取って
並べて結び そっと息を吹き込むと それは 歌ってくれた
 
 
李 賀の詩 伶倫(れいりん)の作った 竹の笛】

唐の 李 賀(791-817)の詩に詠(うた)はれる
伶倫(れいりん)黄帝に仕えた 音楽の創成者
竹を切り 二十四の笛を作った とされる
黄帝は 半分の十二を用い
天地を構成する諸物質の運動を調整した

黄帝が天に昇られるとき 二十三管は帝に從(したが)ひ
殘された人類の爲(ため)一管が この地に留(とど)まった
が すでに人に德(とく)なく 誰も手に入れられなかった
黄帝の再来と称(たた)へられ惜(お)しまれた 帝の(びゃう)から
その笛は発見された という


李 賀の詩 天上の謠(うた)】
 
李 賀には 回転する銀河について 歌った詩も ある
 
天上の謠(うた)

天河夜轉漂廻星     天の川 夜 回転し めぐる星を漂わせ
銀浦流雲學水聲     銀の渚(なぎさ)に流れる雲 水聲を模倣する
玉宮桂樹花未落     月宮の桂の樹 花は未(ま)だ落ちず
仙妾採香垂珮纓     仙女らは佩(お)び玉たれて 香る花つむ
秦妃巻簾北牕曉     秦の王女 簾(すだれ)を巻けば 北窓は暁(あかつき)
牕前植桐青鳳小     窓の前に植えた桐には 青い小さな鳳凰(ほうおう)がいて
王子吹笙鵝管長     王子 喬 鵞鳥(がちょう)の首より長い笙(しゃう)を吹き
呼龍耕煙種瑤草     龍を呼び 煙を耕し 瑤草を植えさせている
粉霞紅綬藕絲君     朝焼けの紅綬をおびた 蓮糸のもすそ
青洲歩拾蘭苕春     青洲を散歩して 蘭の花を拾う春
東指義和能走馬     東方を指させば (日輪の御者)義和は巧みに馬走らせ
海塵新生石山下     乾いた海に新しい砂塵(さじん)が上がる 石山のもと
 
(李賀歌詩編1 原田 憲雄 訳注 平凡社 東洋文庫 645)   

二十代半ばで 病に斃(たお)れた 李 賀
生きていたのは ガリレオ の八百年前

初句「天河 夜 転じ 廻星を漂わせ」
地上から遍(あまね)く深く くっきりと銀河を捉(とら)へ
同じ深度 角度で虚空へ身を投げ上げる
 
体内の古き道 仄(ほの)暗く通底する 天体物理の翳(かげ)
記憶の底を うねり流れる 脈打つ波動
耳を傾ける裡(うち) いつしか睡(ねむ)りの底に 投影し されて

魂魄の巴投げ 結び合ったまま
手を放すことはない 螺旋(らせん)を舞ひ上がり
一目一翼 比翼の鳥が 合体せず
一つの呼吸で舞ひながら 翔(かけ)り飛ぶ
 
天の川銀河の 渦巻く腕の一つの一端に
ぶら下がる 明るき炎の瑤(たま)
遠く近く廻(めぐ)る昏(くら)き瑤(たま)
その中に 碧(あを)く仄(ほの)光る地球が見えただろうか
 
続く「銀裏流雲 學水聲」
「銀河も雲も音を立てないが
 銀河の渚を流れる雲が
 観ていると 水音の感じがするのを
「学ぶ」摸倣するといっている
 このような疑似感覚を歌ったものは 空前で
 すぐれた表現として たいへん有名になった」
             (原田 前掲書)という

星々は音を立てているらしい
李 賀には 聴こえたのかも知れぬ
木星は人間の可聴域で 和音の中を
廻(めぐ)る歌聲(こゑ)を響かせている ようだ
そのように

銀河の回転を眺めながら 月の仙宮で笙(しゃう)の笛吹く春
太陽が廻(めぐ)り 忽(たちま)ち悠久の時が過ぎ去って
海底が隆起し 岩山となり屹立する

終盤 二句
「春といえば東だから そちらを指さすと
 日輪の御者の義和が駆け登ってくる
 なかなか うまいじゃないか と思っているうちに
 たちまち何億年かが過ぎ去って
 海が干上がり あらたに生まれた陸地では
 岩石の山のあたりで砂塵が舞い上がっている」
              (原田 前掲書)

近年 地軸のづれと それに伴ふ 生態系の変化を
古来 肉眼で日月星辰の位相から 季節の到来と
気象を読み取ってきた というから

李 賀も 透徹した視力と聴力
天翔(あまかけ)る 斬新 鮮烈な洞察力と想像力で
渦巻き耀(かかや)く天の川銀河の 腕の先の一端に
ぶら下がる 太陽 を廻(めぐ)る 地球 が
天の川銀河の腕に一波 搖(ゆ)られる間の

二億五千年余り前のこと
すべての大陸が衝突し終へ
超大陸パンゲアが形成された頃
地球内部からスーパー・プルームが上昇
あらゆる火山活動が激烈となり
古生代の海生生物種の九割五分以上が絶滅した のを
遠く海塵立ち昇る裡(うち)に 見てとったのだろうか
(続く)   

 


落葉 落ち かさなりて 雨 雨をうつ ―― 半身 補遺

2018年07月07日 | 随想
(俳句)  落葉 落ち かさなりて 雨 雨をうつ
(作者)  久村(加藤) 暁臺(台)(きょうたい)
尾張國 1732年10月19日〔享保17年9月1日〕- 1792年2月12日〔寛政4年1月20日〕)

尾張(をはり)藩士を辞し 諸國を旅して
尾張國(をはりのくに)へ戻り 庵(いほり)を編んで
俳諧に精進 享年59歳

表題の句のほか  木の葉たく けぶりの上の落葉かな  赤椿 咲きし真下へ落ちにけり
         脇ざしの柄 うたれ行く粟穂かな   梅咲て十日もたちぬ 月夜哉
         風おもく 人甘くなりて春くれぬ   海の音 一日遠き小春かな
         秋の水 心の上を流るなり      など


  落葉 落ち かさなりて 雨 雨をうつ (暁 臺)


古(いにしへ)より 言の葉繁り立つ
深き森に絶え間なく 落ち葉散り敷く

「落」と「雨」が
「かさなりて」を境に
鏡に映る 天地の間(あはひ)

落ち葉が ふかふかに重なり合った
地面より 少し上
手を置けば 何處(どこ)までも沈む

ほとんど聴こえぬけれど
しているはずの かすかな音

ついさっき 落ちた葉に
いま また落ちてきた葉が
うち重なってゆく
「かさ」という音

降り落ちたばかりで 丸く
ほんの少し つぶれかけた雨粒に
落ちてきた雨の滴(しづく)が
ふれ 一つになろうとする
「ぽつ」「ぴしゃ」という音

その間にも 落ち葉に落ち葉が
重なり 搖(ゆ)れ動き ずれては
また重なり ずっと下のほうでも
「ぱり」「くしゃ」という音が
かすかに響き 遙(はる)か上では
雨が少しづつ溜(たま)って
そこへさらに「ぴち」と落ち
「つう」と伝い降りる

「さーさー」「しとしと」と
降り已(や)まぬ 音の間(あはひ)に
遙(はる)か下の 小さく広やかな
世界では 乾きかけ 湿ってきた
ものが かすかに押し合い

温かな空気の脇を 雨水が
冷たく流れ伝い 滲(し)み込んで
薄くなり 音のような翳(かげ)や
水のような光になり 微睡(まどろ)む


  木の葉たく けぶりの上の 落葉かな (暁 臺)


焚(た)かれている落ち葉
煙は 落ち葉の灰
そこへ また落ち葉が
身を投ずるように舞い降り

無常でも 輪廻でもある
自然の裡(うち)で 滅びる
のではなく 営々とつづく
憧れのような 望みのような
遊びのような 束の間の
出逢いの裡(うち)に

なにかの 真実や 厚情や
景色が 浮かんでは 残り
消えては くりかえされる
一切は 何處(いづく)にか
映し出され 記憶され

落ち葉の上に雨降る
かすかな音がして 丸く縮れた
落ち葉が あちこちで少しづつ
搖(ゆ)れ動き 下のほうまで
隙間が空くと 息を呑(の)むような
音を立て 雨が落ち

落ち葉の 丸まった背が圧(お)され
幽(かそけ)き吐息が 通り抜け
落ち葉の連なるトンネルの向う端を
過(よぎ)る きらめく雨粒に 小さく
数多(あまた)の落ち葉と雨の
裡(うち)に 映るかもしれぬ

落ち葉は砕け 雨水は滲(にじ)み
一つに包み 包まれ合い かすかに
きらめく息で 歌うように笑い

遙(はる)かな昔に失われし
言の葉の散り敷いた
奥底にある 天空の
雨水の大洋につづく
鏡の向うへ ゆっくりと漂(ただよ)い



(音楽)  Seven Songs for Piano  Six Dances for Piano
(作者)  コミタス KomitasԿոմիտաս Soghomon Soghomonian
(トルコ キュタヒヤ 1869年10月8日 - 1935年10月22日 フランス ヴィルジュイフ)

生後間もなく母を亡くし
11歳で父を失い 孤児となる

ともに類稀(たぐいまれ)な
聲(こえ)の持ち主で
数多(あまた)の歌を紡(つむ)ぐ
アルメニア人の
絨毯(じゅうたん)織師の母と
靴屋の父だったという

寄宿神学校から ベルリンの大学へ留学
音楽学博士 司祭として帰国
アルメニア教会音楽を作曲する傍ら
アルメニアやクルドなどの
少数民族の民謡を収集
失われた伝統音楽を西欧の和声や
作曲法の裡(うち)に蘇(よみがえ)らせた

アルメニア人虐殺 の最中(さなか)
逮捕され 収容所に送られる
収集した譜面や録音は 数多失われ
解放後も 重度のPTSDに苦しみ
トルコの軍事病院を経て
パリの精神病院に入院するも
癒(い)えることはなかった 享年66歳

上記の 二つのピアノ曲集 のほか
Apricot Tree(杏の木 Ծիրանի ծառը) Al Aylughs(アル アィラフ Ալ Այլուղս)
Crane(鶴 Կռունկ) The Sky Is Cloudy(空は雲り Երկինքն ամպել է) Oror (子守唄)
など
(演奏)   〔ピアノ〕ハイク・メリクヤン Hayk Melikyan(Հայկ Մելիքեան)
(アルメニア エレバン 1980年11月29日 - ) Balys Dvarionas - Winter Sketches
Aram Khachaturian - Seven Pieces from "Album for Children"
 〔バイオリン〕セルゲイ・ハチャトゥリアン Sergey KhachatryanՍերգեյ Խաչատրյան)(アルメニア エレバン 1985年5月5日 - )〔ピアノ〕ルシーン・ハチャトゥリアン
(同1983年 - セルゲイの姉)Sergey & Lusine Khachatryan - My Armenia
〔ソプラノ〕イザベル・ベイラクダリアン Isabel Bayrakdarian
(アルメニア系カナダ 1974年2月1日 - )



(絵画)  オフィーリア Ophelia
(作者)  オディロン・ルドン Odilon Redon
     (ボルドー 1840年4月20日〔4月22日説も〕 - 1916年7月6日 パリ)

生後二日目より11歳まで 里子に出され
田舎で ひっそりと育つ
青年時代 植物学者と親しみ
顕微鏡下の世界に 魅せられる

印象派の胎動するパリに出
18世紀スペインの画家ゴヤに影響を受けた
モノクロームの版画から始め
生まれたばかりの 長男の死から3年後
次男の誕生を経て 闇から きらめく色彩を見出す

シャガール ローランサンよりも
半世紀 前の世代 ゴッホよりも 年長
同じ1840年生まれのモネより 半年程 年嵩(としかさ)

50歳近くで授かった次男は 第一次大戦に徴兵され
行方不明となり 消息を尋ね歩く裡(うち)
風邪をこじらせ 亡くなった 享年76歳



(絵画)  カントリー・ダイアリー The Country Diary of an Edwardian Lady
      (Nature Notes for 1906 年)
(作者)  イーディス・ホールデン Edith Holden
     (バーミンガム 1871年9月26日 – 1920年3月15日 ロンドン)

ヴィクトリア朝時代の英国に生れ
敬虔な篤志家の両親のもとに育つ
スピリチュアリズムに関心のあった
両親は やがて交霊会などを催すようになった

田園地帯を自転車で訪れ 歩き回っては
四季の植物や 鳥や虫を観察
手描き 挿絵入りの日誌に 綴(つづ)った

女学校教師や挿絵画家として活躍
彫刻家と結婚
ある朝 テムズ川べりを散策中
おそらく栗の花芽を よく見ようとして
足を滑らせて 川に落ち
強く速い流れの淵(ふち)だったため
溺(おぼ)れて亡くなった 享年49歳

没後 発見され 出版された
手描き 挿絵入りの日誌は
世界中で人気を博し 愛されつづけている



(音楽)  Piano Sonata
(作者)  エリッキ=スヴェン・トゥール Erkki-Sven Tüür
     (エストニア 1959年10月16日 - )



(絵画)  自転車に乗って 彼女は出かけた(イーディス・ホールデン)
      she rode her bike(Edith Holden)
(作者)  シンシア・コルゼクヴァ Cynthia Korzekwa

彼女が 実際に 自転車に
乗っていたことは
この絵で 初めて知った
暗色の長い裳裾(もすそ)と
短髪を靡(なび)かせ

夢の中で 彼女が自転車を押して
黄昏の道を歩いていると
古びた庭園の 鉄柵の門が
開きかけていて
彼女は自転車を立てかけ
中へ歩み入る

四半世紀(25年)前 夢見たのは
生い茂ったまま枯れ果てた
草花の間で台座に載ったまま
忘れられて久しい胸像を
ハムレットの父王と 見分け
彼女が呼びかけると 答えた
という情景

王は彼女をオフィーリアと
取り違えていて 彼女に
ある蝸牛(かたつむり)を探すように頼む

それは 毒を注ぎ込まれた王の耳で
ないほうの耳から逃げた 王の魂で
國(くに)を滅ぼそうとする悪意が
毒の霧となって そこら中に忍び込み
人々の心に悪意を植え付ける中
息子を守ろうとしたが 果たせず

殺されてしまった息子ハムレットの
魂を 怨念の餌食とされぬよう
救い出し 父の魂ともども殻に収め
近くに身を潜めている と

國(くに)を滅ぼそうとする悪意は
過去に滅ぼし合った者の怨念
王弟の耳へ 兄王謀殺を
吹き込んだのも 同じもの

胸像は 台座に載ったまま
滑るように位置を変え
庭園を案内しながら語る

ように見えるが それは幻影で
胸像は元の位置から
一歩も動いていない

毒を注ぎ込まれたほうの耳は
王の心と記憶を蝕(むしば)み
もう一方の耳から 魂が避難しつつ
孤軍奮闘する間にも 息子に 復讐するよう
幻影を送ってしまっていた

いま すべてが滅び 忘れ去られ
悪意だけが 依然 はびこる中
王は時折 自らの武骨な老いたる魂と
息子の若き 純粋な魂は
妃と王弟を許し 恐れと恨みからなる
悪意に ともに立ち向かうことが
できるのではないか と想う

彼女が庭園の奥の 壊れた温室で
王と王子の魂が一つになった
蝸牛(かたつむり)を見つけると
悪意が 突然の雹(ひょう)嵐となって 襲いかかる
身を挺(てい)して守ろうとし 果たすが
自らは溺(おぼ)れてしまう

そこに ハムレットは オフィーリアで
オフィーリアは ハムレット だった
という 男女の双子と 性同一性障害の
設定を 新たに取り入れようとしたが
まとまりのない 長文となった
やはり 分離しようと 最初の
情景に立ち返ろう としたところ

庭園の像は 半ば透き通り
懐かしい風景からの色を まとい
伸び伸びと自由な 自らで居られる
家へ帰ろうとした少年と
故郷の湖で 謎の死を遂(と)げた
青年画家との 二重像となって
彷徨(さまよ)っていた

自らであろうとするあまり
死の翳(かげ)の谿(たに)に深く
踏み込んでしまった ハムレットは
幼い先住民の少年に

ふいに生きる道を断ち切られ
懊悩する父王は 不安な光となって
繪(え)の中を彷徨(さまよ)う青年画家に
投影され 二人は一つに重なりながら
何が 自ら(と周囲)の死を
招いたのか 想い悩む

世代を超え オフィーリアの命運を
受け継いだイーディスが
堂堂巡りの渦巻く 呪縛より
二人を 自らとともに解き放ち
助けようと 力を尽くすことで

三つ巴(ともえ)の渦は それぞれ
差し延べた手を 取り合い 自らの
核心から永劫へと 諸共(もろとも)に
貫(ぬ)け出(い)でむ と願う



(絵画)  Darling Magazine
(作者)  ルーシー・ペインズ Lucy Panes

トム・トムソン に 似ていなくもない弟は
ミュージシャン(ルー・ペインズ) 長姉は写真家
姉と弟に挟まれた 中の姉 イラストレーターのルーシー

この作品は 一連の 若き女性像の 一枚だが
一風変わっており 穏やかに鎖(とざ)された目と
衣服に 模様のように浮かび上がる草花が
蝶 諸共(もろとも)に 伸び
その眠りを覆(おほ)はむ とする

恐れと憎しみの渦巻く淵に立ち
それらを収め 救いたいと願い
それらに母が あったことを想い
自らの内に受け入れ
もう なにものも傷つけず 傷つけさせない

それらが いつしか涙と笑いを取り戻し
澄み亘(わた)った幼子として すべての
可能性となって 生まれる日まで 彼女は
何人もの彼女の内に 持ち堪(こた)え 諦めず
願い已(や)めず 励まし ともに居て 待つ

崇高で 静かな 永き眠りは
オフィーリアのもののように 見える


(少年)  チェイニー・ウェンジャック Chanie Wenjack
     (カナダ オンタリオ州 1954年1月19日 – 1966年10月23日 カナダ オンタリオ州)

カナダ オンタリオ州 先住民居留地に
オジブワ(アニシナアベ)族長の母と
父のもとに生れる

9歳で送られた寄宿舎から
3年後の秋 脱走 600km離れた
家に帰ろうとするも 低体温症で
亡くなった 享年12歳

彼の死と その報道により
先住民の幼い子供が 家族から
引き離され 遠い寄宿学校で
差別的に 非先住民文化を
教え込まれることの問題点を
改善しようという
國民的な意識が高まった


(音楽)  The Secret Pass
(作者)  ゴード・ダウニー Gord Downie
     (カナダ オンタリオ州 1964年2月6日 – 2017年10月17日 カナダ オンタリオ州)

カナダのロック・ミュージシャン
ザ・トラジカリー・ヒップ を率い
カナダに潜む問題を問いかけつづけ
とりわけ先住民と非先住民との
和解に努めた

2016年 脳腫瘍を発症するも
チェイニー・ウェンジャックを
詠った歌を作り ゴード・ダウニー&
チェイニー・ウェンジャック基金
を設立

家族に支えられ 友人たちと長らく
音楽活動を続けられた幸運に 感謝しつつ
良き父として息子として 夫として友人として
疲れを知らず 全力で最善を尽くしつづけ
家族に見守られ 逝去 享年53歳

同基金をはじめ 先住民の子どもたちが
親や家族から引き離され 遠くの寄宿学校へ
行かされるのではなく 各居留地に学校が作られ
自宅から通いながら 失われゆく独自の文化を
再発見し 伝承へとつなげてゆく
試みが つづけられている



(絵画)  大地の上のテンマ Temma on Earth
(作者)  ティム・ロウリー Tim Lowly(合衆国 ノースカロライナ州 1958年 - )

脳性麻痺の娘テンマの
身体の内に鎖(とざ)されながら
素直に 懸命に耀(かがや)き
羽搏(はばた)く心を伝えようとしている

1999年 アクリルジェッソを
地塗りした板に描かれた
244×366cm
シアトルの フライ美術館 所蔵

翌2000年秋に結成されたバンド
アナサロ Anathallo の 2008年の
セカンド アルバムのジャケットに用いられた

横たわる子どもの捩(ねじ)れた姿勢から
人知れず迷い込んだ 深い森の中で
独り 事故で身動きが取れなくなって
いる姿を描いたものか と想っていた

大地に斃(たお)れるごとくして 魂を解き放ち
通わせるかのような テンマの様子は
鉄道員に発見された チェイニーの最期と
残された唯一の写真の中の 衣服と靴
また 写真の中で 手にした
釣り針のようなものを見つめる
トム・トムソンの姿勢を 想わせる

埃をかぶり干からびた大地に
ロゼットを拡げる葉のように
明るく温かな光と潤(うるお)いを求め
根差したところから 動けずとも
注意深く 心を込め 精一杯
差し延ばされた姿は 自由
生きること 心からの願い
希求について 考えさせ
已(や)むことがない



(絵画)  カヌー湖 Canoe Lake  西風 The West Wind
(作者)  トム・トムソン Tom Thomson
   (カナダ オンタリオ州 1877年8月5日 – 1917年7月8日 カナダ オンタリオ州 カヌー湖

カナダの画家 独りカヌーに乗り
カヌー・レイク」という湖へ
釣りに出かけたまま 水死体で発見された

カヌーと 釣りの名手として知られ
自らのカヌーで 日を置かず
訪(おとな)っていた湖で
愛用のものとは異なる とされた 釣り糸が
足首に 丁寧に巻きつけられていた とも
頭部に 外傷も見られた とも いわれるが
早々に埋葬されてしまう 享年39歳

数年後 検死のため 墓が暴かれた際
先住民と想われる 遺体が出てきた
とされるなど 突然の死にまつわる
謎は 解明されぬままとなっている

カナダの風土を 独特の
繊細さと 力強さと 憂愁に満ち
くっきりとした陽光と 冷たい風
黒々とした闇に きらめく星々や
オーロラの下に 描き出し
國民的画家として称揚され
愛されつづけている

アルゴンキン國立公園の入口
トム・トムソンが生まれた町
ハンツビルにある トム・トムソン像
傍らにカヌーが伏せられ
岩に腰を落ち着け 繪具(えのぐ)箱を開いている

ラップトップ型の繪具(えのぐ)箱に
パレットを キーボードのように中蓋(ふた)にして載せ
外蓋(ふた)の内側に 木材パルプのボードを嵌(は)め込み
携えてカヌーで出かけ 数多(あまた)の風景を オイル スケッチした

像が描いているのは
「西風」のためのスケッチ
1916年春に 木材パルプのボードに 油彩で描かれた
大きさは 21.4×26.8cm
眩(まばゆ)い光と 爽やかな風
かすめる浪飛沫(なみしぶき)が捉えられ

翌年にかけての冬に
カンヴァスに 油彩で仕上げられた
「西風」 大きさは 120.7×137.9cm
澄んだガラスで隔てられたように
静けさの中 くっきりと
つぎつぎ 打ち寄せる波
青空を覆(おほ)ひ尽くし
進み來る雲が 描き込まれ
風に撓(たわ)んだ枝を
帆のように広げた 松が
風の歌に和している
ともに アート・ギャラリー・オブ・オンタリオ 所蔵



(音楽)  Hamlet Gonashvili - Orovela(オーロラ)
(歌手)  ハムレット・ゴナシュヴィリ Hamlet Gonashvili
     (ジョージア 1928年6月20日 - 1985年7月25日 ジョージア)

庭の林檎の木から 落下する事故で亡くなった
享年56歳
ジョージアの聲(こえ) 國民的歌手として
称揚され愛されつづけている

オーロラの歌は とくに アメリカ先住民の
救いと癒(いや)しを希(こいねが)う歌と
通底しているように想われる

(音楽)  Navajo Healing Song by the Navajo & the Sioux

聲 ―― オフィーリア 異聞 ―― 補遺 (承前)

2018年02月20日 | 随想
神話や伝説や それらに基づく物語を読んでいると
結末や それへと向かう展開がどうにも釈然とせず
ほんとうは まったく違う話が隠れているのでは
と想われてくることがある

移動や征服に伴い 新たに出逢い 占有して獲得するに到った土地に
もともとあった地形や風土に根づいていた 神話や故事伝説は
さまざまな時点で征服した側の視点や伝統が幾重にも覆い被せられてゆき
当初の眞實や意図の片鱗すら伺い知れぬ
破壊や改変 逆行や転向からの統合の途を辿る

【女ハムレット】
昨春『女ハムレット(原題:Hamlet)』という 北欧の無声映画を観た
そこでは 国から離れた戦地で深手を負い
死に瀕している王の 自国の城で 妃が女児を出産
そこへ王 危篤の報せに 世継ぎなきまま王 逝去となれば
忽ち征服や騒乱を招くと 男児出産との使者を放ち 身の安全を図ろうとする

と その報せに 王が奇蹟的に回復
敵味方とも疲弊した戦いを中断 無事帰国の途につく
帰還の喜びに沸く民を前に 城では赤子は男児として育てられ
隠し続けられるも年頃となり
そのうち妃は 王にとってかわろうとする弟に巧みに唆され
王は亡きものに と 実際にそうだったとしても不思議はない展開に

想い起こされるのは 現代でも とりわけ紛争地域では
女性には生きるうえでの選択権がほとんどなく
男性の戦利品として意思尊厳を踏みにじられ
幼い頃から危険な妊娠出産で 命を落とされることも数知れず

【性同一性障害】
第二次世界大戦中 胎児だった男性に戦後多く性同一性障害が発症した
ドイツにおける研究の概要を読んだ記憶がある

そこでは母体が生命の危険の強い不安に曝されると 胎児と自らの生命維持のため
より安定性の高い女性へと胎児の性を変更し なんとか保持しようとする
ホルモンが大量に分泌され すでに男性としての身体が出來てきているのに
女性としての脳が形成されてしまう とあったことが印象に残っている

これは男児と定まった胎児を妊娠中の母体が
絶体絶命ともいうべき 大きな危機的状況下に置かれた場合に発動される
胎児を維持しようとし また そのために我が身を生かそうとする
体内の必死の救急救命活動であり

いつ止むとも知れぬ 空爆などの差し迫った危機を回避するには辛抱と運しかないが
それ以外には胎児も母体も問題がなく流産できず する理由もないうえに
その時点での流産は母子ともに死する危険が極端に高いためである

人類の危機と苦難に満ちた挑戦と闘争の歴史が 厳しい氷河期から
さまざまな迫害や戦争を経る中で ほとんど何の選択権もないまま
踏みにじられながらも生き延びた女性の体内で
そのような胎児期を過ごした男性は数多居たのではなかろうか

しかしながら そのことに光が投じられたのは ごく最近のことに過ぎない
差別と迫害の歴史の中で 男性であったとしても
もしも性同一性障害を負って生まれたなら
心と身体を引き裂かれたまま さらに自らを引き裂いて
隠しつづけるしか 生きる術がなかった

生きるとは 自らが自らであること 自由であることだとすれば
自らを自らでなくさなくば生きられぬ という選択は
もはや選択ではなく 死の宣告に等しい

しかも生まれる前に遡っての たれが選んだわけでもない その性に
生まれたことへの 歴史的社会的な否定であり 拒絶ではないか

【ハムレットと母】
おそらく十二 三才で両親に命ぜられるままに嫁入りし子を生んだ
ひとりぼっちの幼い母親が 戦地へ行ったきりの夫より少し若く
身近で機嫌を取る男に頼るようになり 言うがままにしていたら
いつの間にか夫は亡きものとされ 自分はその男の妻にされていた

そのような顛末を辿らされただけの母に対し
父を殺した叔父の片棒を担いだ不義不貞の極み
と罵るハムレットの眞意は いかなるものだったか

過剰に吐露されているかに見えて
言われなかったこと 隠されていること
ハムレットとともに 自らの心を深く覗き込み
見出さねばならぬ 眞實は なにか

自らも亡き父も己が関心事で手一杯で 母を放ったらかしにし
母の孤独や不安に想いを致すこともなく なんの愛情も関心も覺えなかった
ことへの 痛恨の自責の念

生まれながらに女性という 男性への捧げものとして育てられ
それゆえに叔父の言うなりになってしまった母の愚かさ 寄る辺なさ 哀れさ
に対する 自らをも含む男性一般への憤懣

かような社会を存続させ そこに君臨するため
父王を亡き者とされた 世継ぎの王子として
母を改心させ 叔父に復讐を遂げ 王国を取戻し 安泰なものとして維持する
という社会的 歴史的要求に屈する ことへの怒り

なによりも そのために いまだ形成されつつある 不確かだが
芸術と友と自然を愛する 自分自身であることを放擲しなければならぬこと

それ以外の選択肢がない
あるとしても 唯一の選択肢を進んで選び取り 遂行する
ことができず または失敗して
社会的 歴史的 また実際に 抹殺されるしかないことへの絶望

【アムレート】
ハムレットの元になったアイスランドを含む北欧の伝説に
「アムレート」という史実からの物語がある(Wikipedia アムレート

シェイクスピアが作り上げた物語と決定的に違うのが
アムレートは狂気を装い 亡き父の復讐を周到に計画 怪我一つせず容赦なく執行
後 機会を設けては人々の前でその顛末を逐一話して聴かせ
その正当性について 賛同と称賛を集める

さらにその最中 仇たる叔父の朋友ブリタニア王のもとで その王女と結婚
その後ブリタニア王その人の結婚申込みのため遣わされたスコットランド女王から
結婚を申込まれ これを受けてブリタニア王と戦うことになるも二人の妻を大切にし
最初の妻 王女との間には子を設けた

彼の死はその直後 デンマーク王(アムレートは その配下のユトランド総督の息子)亡きあと
その世継ぎとなった新王が亡き王の娘であるアムレートの母の財産を召し上げるなど
勝手放題に郷里を搾取侵害していたのを知り 急ぎ帰国して戦うも敗れ 命を落とす

アムレートの妻スコットランド女王は(夫アムレートのもう一人の妻ブリタニア王女の
息子を守るためか)進んで自らを戦利品として新デンマーク王のもとへ下った

かなり違う 違えている
アムレートは王子ではないが賢く 復讐は遂げ 賢妻二人に恵まれるも
故国で戦となれば運も尽き 妻子を遺し斃れ

アムレートの伴侶たる女性もシェイクスピア版との違いは著しく
まず二人居て それぞれに意気軒昂

かたや父ブリタニア王を裏切り 自分と結婚しているにもかかわらず
スコットランド女王の申込みを受け 伴侶とした夫アムレートに従い子を守り育てながら
夫やそのもう一人の妻である女王とともに生きようとするブリタニア王女

かたやアムレートの物語に絆され並み居る求婚者を撥ね退けながら
自らアムレートに結婚を申込み 彼の死後ブリタニア王女とその息子を守り
新デンマーク王に身を捧ぐため単身そのもとへ下るスコットランド女王

一方のシェイクスピア版では 主な女性は
ハムレットの母と 許嫁のような大臣の娘オフィーリア

マクベス夫人の前身かと想われるような
冷酷かと想えば情緒不安定 短慮で移り気な母と

ハムレットの錯乱の振りの影響を一身に受け
まるで感染する如く錯乱死を遂げる 幼き娘御オフィーリア

【タミフル】
まるでインフルエンザに罹って 処方されたタミフルによって
背後からの数を数える恐ろしい幻聴から逃れるため
高層階から飛び降り 亡くなられた子供たちのように

ほんとうに ご冥福を祈りつつ
この薬が日本ではまだ処方されていることに驚きを禁じ得ぬ
薬効よりも 強い精神および神経作用が見られることから
欧米ではすぐに全面禁止されたという

【山月記】
錯乱から虎になる『山月記』にしても 科挙に受かり詩人として生きようとした
男性が錯乱して虎となる理由
もとになった中国の故事伝説と中島 敦では全く異なっている

【水辺の樹木からの墜落からの溺死という事故】
アムレートとは明らかに違うハムレットの 若く過剰な独白に埋蔵された
自責の念と憤怒 怒りと絶望を想う裡

ハムレットは性同一性障害だったのではないか
と想われてくる一方で 同時に
オフィーリアとして亡くなったのは彼だったのではないか
と想われてくるのは

性同一性障害という
母体に迫る重大な危機から胎児を守ろうとする
懸命の努力から生じた後遺症が
心と身体の性別が異なるという
引き裂かれた自己に他ならぬからだろう

自らとして自由に生きたい と切に願い
どうしたらそうできるのか わからず苦しみ抜いた はずではないか

叔父に復讐するとかが問題なのではなく
そうした世間体やしがらみの中で 男子として 息子として 王子として
社会が望むように生きねばならぬ ハムレットとして あること 生きること が
自分に可能なのか 可能だとして それを ほんとうに自分は望むのか

しかしながら それを望まぬとしても ハムレットとして あらざるならば
それは 歴史的 社会的 身体的 死への道を独り歩むことに他ならぬのではないか

ハムレットとしてではなく自分自身としてありつづけ かつ生きるためには
どうすればよいのか 身分と名と性に拘束される ハムレットではなく

名もなき胎児であったとき 世界であった母とともに恐るべき危機を乗り越え
るために分裂せざるを得なかった自分自身として 生き抜き
いままた 母がその身を置いていた世界で この身に襲いかかる大いなる苦難を
もうひとりの自分自身と手を取り合い 乗り越えたい と願ったはずではないか

ただその時代と社会において それはどう考えても不可能で
その答えが 枝が折れる 問の重みで支えとなるものが耐え切れず
身の置き所が失われ 奈落の底へ墜ち 漸く安らぎを得る という
神ならぬ運命ならぬ あのとき 胎児の心と身体を引き裂いた
同じ自然の摂理であり恩寵であり慈悲だったのではないか

【ハムレットとオフィーリアの取違え】
シェイクスピアには 取違えによる紆余曲折の果てに
再発見し元に戻るという喜劇がある
想いもよらぬ体験が二人の縁 絆を深く結びつける

もしもここにも取違えに似たものが隠されていたら

男女の一卵性双生児に母体における重大な不安が引き金となる
先述の胎内危機管理が発動されたら
その後遺症を被るのは男児だけなのだ

知らぬままに寄り添いつつも すれ違う
互いの数奇な命運を一身に受けながら 鏡に映る鏡のように
いつの間にか 互いに互いの身代りとなり
相手の後ろ姿の向うに 自分自身が見えるような氣がするのだが
どちらもしかとは見てとれず 邊りは暗く鎖されてゆき
逃れる術もなく 別れゆくような 悲劇の取違えの狭間に
存在し得ぬ女性の心が 身体も失くし幽霊のように行き場なく 漂う

アムレートの ともに愛情深いが やや対照的ともいえる
二人の妻のどちらとも似ていないオフィーリアは
まるで彼女らの影のようで なんのために居るのか判然としない
つまり彼女は そこに居場所のない 存在し得ぬ者として
存在し 死に追いやられたのかも知れぬ

ゆえに ハムレットは 引き裂かれたもう一人の自分である彼女として 死に
彼女 オフィーリアもまた 引き裂かれたもう一人の自分であるハムレットとして
死ななくてはならなかったのではないか

彼女は それゆえ彼女の兄ではない男レアーティーズの妹ではなくなり
妹つまり彼女の死を悼む 実は彼女の兄ではない男レアーティーズは
彼女として死んだ 彼女の引き裂かれたもう一人の自分であり
彼女を死に追いやった男ハムレットと命を遣り取りしようとし
生きていた彼女を死に追いやった

それでもレアーティーズは その時代と歴史を体現した一人の男として
おそらく面目躍如 自己満足し絶命したように見える
まるで家族の約した夫のもとから逃げ出した姉妹を殺す兄弟のように
(殺せず その途中別な少女を絆されて助けたために裏切り行為で殺される弟
遺された幼い妹が姉の身代りとなり嫁ぐ やるせない映画を同じときに観た
Hisham Zaman ヒシャーム・ザマーン監督 雪が降る前に Before Snow Fall

【木からの墜落や水辺の事故で亡くなられた 歌手や画家のかたがた】
絵画や音楽を挙げた幾人かのかたがたは 水辺や木から墜ちるという
想いがけず不可思議な事故死を遂げられている

Hamlet Gonashvili(20 June 1928 - 25 July 1985) "the voice of Georgia"
といわれた名テナー 充溢した壮年期に自宅の庭の林檎の木より墜ち亡くなる

Thomas John "Tom" Thomson (5 August 1877 – 8 July 1917) カナダの画家
独りでカヌーを漕いで カヌー湖(四枚目の絵)をめぐる旅に出かけ
行方不明となり八日後 遺体が発見される

イーディス・ホールデン(Edith Blackwell Holden 1871 – 1920年 3月15日)
英国の動・植物画および挿絵画家
キューガーデンの遊歩道近く テムズ川の澱みで溺れているところを発見される
テムズ川沿いへ大学のボート部の練習を見に行く と夫に話していたという
死因調査の結果 花芽をつけた栗の木の枝へ 手を伸ばそうとしていたのではないか
枝に手が届かず 傘で引き寄せて折ろうとして川に落ち 溺れたのではないかとされた

【最初のイメージ】
あまりにもオフィーリアと重なる 場所と仕草の裡に突然の死を迎えた
最後に挙げた植物画家の女性が 黄泉の国へ向かう途上
自転車に乗って廃墟の庭園を通りかかる
そこで なにかを想い出そうとするように草花を探しながら
耳に毒を流し込まれて死んだ ハムレットの父ハムレット王の霊魂の宿る彫像の聲をきく
というシーンが 四半世紀も昔 心をよぎったのが 始まり

【蝸牛管】
耳に毒を流し込まれたというのが 記憶違いか 確かめていないが
毒に覆われ死に瀕しながら もう一つの耳(の蝸牛管)に逃げるように伝える 蝸牛管
というイメージも 最初のイメージと同時にあり

蝸牛管については まだ謎の部分が多く
外側は硬い殻に覆われ 内側はリンパ液で満たされていること
蝸牛管自体が音を出している ことは

松果体が 目と同様に最初期には二つあり
そのうちの一つが頭頂の第三の目だった
という進化の過程の記憶を再現した後 消滅するのと同様

非常な驚きで いつか その話を書きたかった

Wikipedia 蝸牛 より)
蝸牛管の内部は、リンパ液で満たされている。
鼓膜そして耳小骨を経た振動はこのリンパを介して
蝸牛管内部にある基底膜 (basilar membrane) に伝わり、
最終的に蝸牛神経を通じて中枢神経に情報を送る。
解剖学的な知見に基づいた蝸牛の仕組みについての説明は19世紀から行われてきたが、
蝸牛が硬い殻に覆われているため実験的な検証は困難であった。
1980年代ごろよりようやく生体外での実験が本格化したものの、
その詳細な機構や機能については依然謎に包まれた部分がある。

ヒトの蝸牛はおよそ 2 巻半ほどに渦巻いた骨で覆われた
閉じた管を形成しており、管を伸ばせば長さはおよそ 3 cm ほど、
中耳側の基部の太さはおよそ 2mm ほどである。
蝸牛内部は渦巻く方向に沿って膜で仕切られた 3 つの区画、前庭階 (scala vestibuli)、
中央階 (scala media)、鼓室階 (scala tympani) からなっている。
このうち、前庭階と鼓室階は蝸牛管の先端にあたる頂部でつながっており、
共に外リンパ (perilymph) で満たされている。
対して、中央階はイオンの能動輸送 (active transport) によって
カリウム・イオンに富んだ内リンパ (endolymph) で満たされている。
そのうえ、中央階は外リンパよりも相対的に 80 mV ほど高い電位を保っている。

内有毛細胞が振動の情報を神経パルスへと変換する一次感覚受容器である。
蝸牛のラセン状の中心軸である蝸牛軸 (modiolus) には数多くの蝸牛神経節
(ラセン神経節、spiral ganglion)があって、内有毛細胞とシナプス結合を形成している。
これらの神経細胞の軸索は蝸牛神経 (cochlear nerve) を形成し
延髄と橋にまたがるいくつかの蝸牛核 (cochlear nuclei) へと投射する。
興味深いことに、内有毛細胞より数の上ではるかに勝る外有毛細胞は
逆に延髄のオリーブ (olive) から遠心性の神経繊維を受け取っている。

[耳音響放射]
通常、感覚器官とは外界の刺激を受動的に受け取り中枢神経へと伝達するものであるが、
蝸牛増幅器の概念はこの見方を覆すものであった。
実際、1978年にイギリスのケンプによって蝸牛が音を受動的に知覚するだけでなく、
自ら小さな音をたてていることが明らかとなっていた。
これは何の刺激がないときにも、外部からの刺激への反応としても現れ、
耳音響放射 (じおんきょうほうしゃ、otoacoustic emission, OAE) と呼ばれている。
適切な周波数の違いを持つ 2 種の純音を重ね合わせた刺激に対しては、
それらとは別の周波数に非線形の効果による反応が表れることも明らかになっており、
これは特に新生児に対する聴覚検査として臨床上も有用である。
この耳音響放射も蝸牛増幅器の活動によるものであると考えられている。

【松果体】
脳の断面図における 松果体を表す とされる ホルスの目
絶対収束する幾何級数 を表しているとされる

ホルスは オシリスの息子で
オシリスの弟セトに殺されたオシリスの復讐を遂げる
際 左目を失う

この目は世界を旅して あらゆるものを見 叡智を貯え
月に癒やされ ホルスの左の眼窩に戻り
オシリスに捧げられた

Wikipedia 松果体 より)
[動物の進化における松果体]
発生過程を見れば、松果体は頭頂眼と源を一にする器官である。
まず頭頂眼について説明する。

脊椎動物の祖先は水中を生息圏として中枢神経系を源とする視覚を得る感覚器に
外側眼と頭頂眼を備えていた。
外側眼は頭部左右の2つであり現在の通常の脊椎動物の両眼にあたる。
頭頂眼は頭部の上部に位置していた。初期の脊椎動物の祖先は頭部の中枢神経系で、
つまり今では脳に相当する部分に隣接して存在したこれら左右と頂部の視覚器官を用いて
皮膚などを透かして外界を感知していたが、皮膚の透明度が失われたり
強固な頭骨が発達するのに応じて外側眼は体表面側へと移動した。
また、外側眼が明暗を感知するだけの原始的なものから鮮明な像を感知できるまで
次第に高度化したのに対して、頭頂眼はほとんど大きな変化を起こさず、
明暗を感知する程度の能力にとどまり、位置も大脳に付随したままでいた。
やがて原因は不明ながら三畳紀を境にこの頭頂眼は退化して
ほとんどの種では消失してしまった。
現在の脊椎動物ではヤツメウナギ類やカナヘビといったトカゲ類の一部でのみ
この頭頂眼の存在が見出せる。

受精後に胚から成長する過程である動物の発生過程では、動物共通の形態の変化が見られるが、
この過程で頭頂眼となる眼の元は間脳胞から上方へと伸び上がる。
この「眼の元」は元々は左右2つが並んで存在するが、狭い間脳胞に生じたこれらは
やがて前後に並んで成長する。2つあるうちの片方が松果体となり、
残る片方はある種の爬虫類では頭頂眼となるかまたはほとんどの種では消失してしまう。

[機能]
松果体は虫垂のように、大きな器官の痕跡器官と考えられていた。
松果体にメラトニンの生成機能があり、概日リズムを制御していることを
科学者が発見したのは1960年代である。
メラトニンはアミノ酸の1種トリプトファンから合成されるもので、
中枢神経系では概日リズム以外の機能もある。
メラトニンの生産は、光の暗さによって刺激され、明るさによって抑制される。
網膜は光を検出し、視交叉上核(SCN)に直接信号を伝える。
神経線維はSCNから室傍核(PVN)に信号を伝え、室傍核は周期的な信号を脊髄に伝え、
交感システムを経由して上頚神経節(SCG)に伝える。そこから松果体に信号が伝わる。

松果体は子供では大きいのに対して、思春期になると縮小し、メラトニンの生合成量も減少する。
性機能の発達の調節、冬眠、新陳代謝、季節による繁殖に大きな役割を果たしているようである。
子供の豊富なメラトニンの量は性成熟を抑制していると考えられ、
小児に発生した松果体腫瘍は性的な早熟をもたらす。

【イアン・マキューアン 『未成年』】
イアン・マキューアンは すばらしい
とくに これは

女性の判事が出てくるが 彼女の年齢はいまの私とほぼ同じだ
彼女はピアニストでもある 声もすばらしいことが後でわかる

片方が片方に依存しており 脳も臓器もなく 依存されている方に負担がかかり
死に瀕したシャム双生児の 脳と臓器のある方を分離することで
何もせず双方を死なすよりも 一方を救い生かす手術に
信仰の篤い両親が反対しているため 医療機関が緊急提訴した
裁判を担当し 見事な判決で 分離手術を成功させ 一命を救ったが
その失われた命の 脳も臓器もない腫れ上がった顔が
物言わず悲しげに見つめる夢を しばらくの間見ていた
が 誰にも言わず 黙々と優れた判決を出しつづけ
多くの子どもを救いながら 人知れず立ち直ってゆく のが
出だしで語られる

彼女がいましも担当するのが エホバの証人の夫婦の一人息子で
急性の白血病にかかり 抗がん剤四種を使えば ほぼ間違いなく寛解できるが
それには輸血が必要であり これに まもなく成人に達する本人と 両親が反対し
二種の抗がん剤のみの治療でも貧血が生命を脅かす状況となり 医療機関が緊急提訴したもので
このとき彼女は 双方の言い分を聴いて 本人が若年ながら正しく情報を認識したうえで
医療行為を拒否する権利を備えていることを確認するため 病院へ赴き少年と話した後
深夜 ほんとうに深く優れた判決を下し 輸血による治療を認め 少年は完治する

彼女はその信仰に敬意を払い 少年の知性を認めながらも その信仰を持つ両親のもとで
育てられ その影響を受けざるを得ず その考えが 彼自身の考えであるということに
疑問を抱かざるを得ないこと そしてなによりも少年の福利が最優先されねばならないこと
少年の福利とは 生きて いま興味を抱いているすべてのことを すること
彼の信仰は 彼の福利に敵対するものとなっていること この信仰から輸血による治療を
拒む権利は 少年の福利が最優先されねばならぬゆえに 認められない
少年の福利は 彼自身からも 守られねばならない と明言する

この判決で 治療は粛々と行われ エホバの証人は 本人たちの決死の覚悟を以て
一家を破門することなく 両親は愛する息子を罪なくして救えることに涙にむせび
完治した息子は自分の愚かさと信仰のあまりの手前勝手さに悲憤慷慨し 判事に心酔する

まだ読み終わっておらず いつまでも読んでいたいが
この少年は詩を書いており ヴァイオリンも習い始めていて
判事は 自分もピアノでよく弾く民謡を 少年が弾くのを聴き
その調を正しつつ 歌詞があることを知っているか と言って
少年の伴奏で唄う 楽に生きてほしいと彼女は言った
だが私は若く愚かだった いま私は後悔している と

その少し前 判事は自分も若い頃に書いた詩があるのを想い出す
それは 水の中を草花と一緒にまわりながら溺れてゆくというもので
少女の頃 学校でテート・ギャラリーに行き あの有名なオフィーリアの
絵に魅せられて書いた と


ジョン・エヴァレット・ミレー John Everett Millais オフィーリア Ophelia 1851-1852
油彩 キャンバス Oil on Canvas 76.2×111.8cm テート・ブリテン ロンドン Tate Britain

これは 私が最善を尽くしていない ということだと想える

マキューアンの判事は 一瞬で本質を見抜き 必要最小限のわかりやすい言葉で
最も大切なことを端的かつ丁寧に伝えている
時間内に 短く
それでいて何もおろそかにせず 感情に流されることなく

それは心を打ち 美しく いつまでも残り 支えてくれる
最善の翻訳を引き出し あらゆる言語で正しく理解される

伝えたいことがあるならば 相応しい表現があるはずだ
一生かかっても そういうものを目指したい

判事の草稿は 膨大な資料と判例集が頭の中で整理され
完成したものとほとんど変わらないようにみえる

絵画には ほとんどの場合 数多の草稿 構想 素描がある
構想を練るにはそれらが必要だが
それらをただ並べただけでは絵画にならぬ

伝えたいことがあり
構想を練ったなら それに基づいて新たに描く
それをしない臆病な怠け者になって
人様に不出来なものを見ていただいて あるべき姿を読み取ってもらい
自分は人様のすぐれた本を読み 絵画や映画を観て楽しんでいる
そんな資格はないはずだ

まずこれから書き直します
ほんとうにありがとうございました
どうか御力を御貸しいただけますよう希い上げ奉ります