農ある暮らしの中で

片田舎で過ごす 静かな農ある暮らしを色々な思いをこめながら日々綴っていきたいと思います。

行け 満蒙の地へ

2012年04月30日 | 日記

今年も空ちゃんを連れて 権現原にある動物病院へ行ってきた。

 ここは八代須野河地の奥、権現原という所。 
義母の高等科の同級生だった人が、満蒙開拓団から帰還しこの地を開墾し牧場を開いた。
戦時色濃い当時の日本 地方の田舎の小学校までも戦時教育は行き渡り 黒板に書かれた
「行け 満蒙の地へ」
を 60名いた中須小の同級生皆が朝に夕に先生と一緒に叫んでいたという。
高等科を卒業し 二名の男子が満蒙開拓団として満洲へと旅立った。
「あの当時は見送りにも行けんかったし 奇跡的に彼が帰って牧場を開いたということは聞いたけれど  どれほどの言われぬ苦労があったことじゃろうか。 そりゃあもう あの当時のことは ○ちゃんにゃあ考えられん時代じゃけえねえ。戦争はいけん。」
と 義母がよく話してくれる。
母を乗せて この牧場へ連れてきたとき
「はあ、ここじゃったんかねえ。」
と立ち尽くしていた母。
今は その同級生も亡くなり その息子夫婦が獣医としてあとを受け継がれている。
 ご主人は牛飼いをしながら獣医(牛) そして中須の棚田で無農薬米の美味くて泣かす米を地域の仲間と作り、
新聞などにも取り上げられ地域活性化 米つくり村つくりとして今や話題の人となられている。
 牛飼いの世話をしながら なん町歩という無農薬米を作る 朝から晩まで働き詰め。
佐伯さんの話を聞きながらいったいどこにそんなバイタリテイが潜んでいるのだろうか・・・と思う。
でも それはきっと歩んだ父の精神性がこの方に受けて継がれているのだと思った。

私は街中のきれいな動物病院へ向かうよりは 同じ時間軽トラを走らせても山中にある権現原向かうこの道が好きだ。
山中の田んぼはもうすっかり水にしつけられ、畔も綺麗に塗られている。
車窓の眺めも最高だし吹き抜ける風が気持ちがいい。
のっぱらが広がる権現原は 我が家の空ちゃんにはピッタリな環境である。


 牛も放牧されていて おまけに犬の大好きなポニーが二頭 放し飼いにされていて自由に暮らしている。
軽トラから降りると早速 ポニーがお出迎え、空ちゃんに近づいてくる。



 この時期になると空ちゃんんを連れてフイラリアの薬をもらいに動物病院へ行かなくてはならない。
 犬を飼っている以上は狂犬病予防接種とフイラリア予防だけは欠かせないのだ。


   空ちゃん  長生きしておくれよ。 ねっ。






    苗代に落ち一塊の畔の土  
高野素十

とんてけとん

2012年04月24日 | 日記



とんてけとん踊り子草の隊列だ


 夕方 犬の散歩をしながら ふと足元を見ると
 道端にはたくさんの草花が咲き乱れている。
 特にこの時期 あちらこちらで目にするのは 薄紫の踊り子草。
 花の名前を言いながら一面に咲くこの花を 坐りこんで眺めていると
 まるで菅傘をかぶったかわいい踊り子さんにも見えてくる。
 お囃子まで聞こえてきそうだ。
 かわいいなあ
 トントンテケテケトンテケトン

 都会のコンクリーやアスファルトの道を歩いては感じることのできない
 夕暮れ時の至福の時間である。
 
 

働かざる者食うべからず

2012年04月23日 | 日記


  土日の二日間 ぐうたらな時間を過ごしたせいか そのつけはすぐに回ってくる。
 今日は それを挽回だ!

  朝から 家の中を行ったり来たり、いつものようにお弁当三つ水筒三つそろえて
 軽トラに乗り込んで仕事へいざ出発。
 算数 生活 図工 図工 体育
 支援学級 一年 四年の教室を、今日もまた駆け回る。
 仕事を終え帰宅すると、軽トラをそのまま倉庫へつけて 米30キロを荷台へ積み込む。
 郵便局へ運び入れ 名古屋の知人に送る。
 家へ帰ると カバンを放り投げて 帽子をかぶって手袋と草取り鎌を持って畑や庭の草を取る。
 暖かくなっての雨は 畑物と一緒に草の伸びる勢いをぐんぐんと旺盛にしてくれる。
 これから 草との戦いだ。
 6時過ぎまで頑張って 夕食の支度 作り終えたころにみな帰宅してきた。
 「腹減った~。もうたべれる~?」
 と、夫。
 「あ~ 疲れた~。」
 と 次女。
 
 
  今日 次女はスーツは着ずに作業着で私の青いボロカッパも持参していった。
 一日中苗運びやら職員の方々や地元の方々と一緒に作業をしたらしい。
「お母さん、苗箱って重たいんじゃね。」
「そうそう、百姓は大変なんよ。頑張りさんよ~」

  身を粉にして働くということのなんと美しきかな
  土を耕し種を撒く
  娘よ働く喜びを知りなさい

    

   長いこと楽しませてくれた畑の水仙たちももうそろそろ終わりです。
   今年もよう咲いてくれました。ありがとさん。」

  

山里の唄

2012年04月22日 | 読書


          


  雨の降る一日は 誰にも遠慮せずに 一人部屋で静かに過ごすことが出来るとても贅沢な一日。
 私のお気に入りの本を集めた本棚に向かい 好きな本をパラパラとめくってみる。
 お気に入りの本たちは 私にとっての大切な宝物。
 時には カサカサとした気持ちを優しく包み込んでくれ
 時には忘れかけていたことを もう一度思い起こしてくれ
 そして時には 傲慢になりかけた気持をハッと我に返させてくれる。 
 
 
  山里の唄・・・
 今日はこの本を久しぶりに手にとってみた。
 どのページをめくってみても挿絵と共にそこに描かれているものが、
 読んでいるとまるで母の懐に入ったように じんわりと気持があったかくなる。
 今はもうあまり使われなくなった方言のまた懐かしいことといったら。
 
  この本は
「なんちゅうても山奥でのんたあ 酒屋へ三里、豆腐屋へ二里という処でありますけえ、
 何にもありませんがのんたあ。」
 と前置きをしながら 食事の膳を客人へすすめていたほどの山間僻地の山里に生まれ育った 周南市鹿野の倉富良枝さんの
 子供の頃の生活の思い出話を書かれた本である。
 山口新聞に連載され一冊の本となった。

 暮らしの中の何一つとて無駄にしやしない。
すべてが循環し 人と自然が溶け合っている暮らし
 なんと豊かな時代であろうか。
 もうあの時代はもどってはこない。
 私たちは 便利さばかりを求めるがゆえに、心の豊かさという大きな落し物をしてしまったようだ。
 

菜種梅雨

2012年04月20日 | 日記


    菜種梅雨かなたの母は丸くなり              



  軽トラで通い始めて 朝はラジオを聞くようになった。
 入りが悪く 時々ブイ~ンと大きな雑音が入る。
 歌のない歌謡曲で この句を紹介しながら 
 六月の梅雨ほどは激しく長く降らず菜の花を濡らす雨、菜種梅雨や
 芽吹きを助ける穀雨の話にちなんで、週末は雨模様となる天気を知らせてくれた。
 その前の鈴木杏樹の番組では 突然視力を失った夫へのメッセージ 
 養護施設へ入所させられていた自分を、母と共に迎えに来てくれ育ててくれた義父へのメッセージが読まれた。
 面と向かってはなかなか言えない言葉もこうして手紙に書いて切々と述べる思いのこもった感謝の言葉は聴く者の胸を打ち 
 運転しながら、つい目頭が熱くなってしまう。

 学校へ着いて 毎日の学級での朝の会で 最後の項目の中に先生の話がある。
 担任の先生のご配慮で、支援員の私にも 毎日朝と帰りに話す機会を与えてくださる。
 姿勢を正してまっすぐな眼差しを向ける子供たちに
 今日は何を話そうかなと 上がり症の私はいつも考える。
 でも ちょっとこうしてラジオを聞けばラジオから 自然に目を向ければ自然から 
 私が感じたメッセージを子供たちへ届けることができる。
 そしてまた話すことの責任において 私もまたさらにもう一度調べて見たり確認してみたりする。

 この作業は私にとってはとってもプラスになっているような気がする。

   いつもクリアーな気持ちでいたいなあと思う。