世界日報ニュース 学校における過激な性教育を考える・授業に浸透する「性」

2006-07-12 21:52:39 | 教育

 「今の学校の授業を見ると、昔の寺子屋で春画を教えているようなもの」――。学校現場で行われる行き過ぎた性教育を止めようと奮闘したある母親はこう言って、ため息をついた。子供たちが悲惨な性犯罪に巻き込まれないようにと学校周辺での見守り活動が熱心に行われているが、肝心な学校の中で子供たちの好奇心をあおる授業が深く浸透している。保護者は、わが子や孫が学んでいる教科書や授業にも強い関心を持つことが大事であろう。
(編集委員・鴨野 守)

授業に浸透する「性」

副読本の監視もっと必要

混乱の元凶は男女混合名簿

小学校でも「男女密着」/体育や性教育、「快楽」誘導の危険も

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小学校高学年の体育授業で行われている男女混合「体ほぐし運動」の一つ、「人間椅子」(光文書院『新版 体育の学習 5』)

 本紙は昨年、中学の体育授業で実施されている「体ほぐしの運動」の問題点をいち早く指摘した。男女が互いに、相手の体を回したりゆすったり、また男女が交互に座って円形をつくり、後ろの人に自分の体を預けて寝そべったり。教科書には「笑うと友だちのおなかが動くのがわかりますか」(大日本図書)などと説明が付いている。

 最も男女が密着する「人間椅子(いす)」は、男女交互で生徒が椅子状に中腰になり、互いに膝(ひざ)の上にお尻を乗せ合い、輪を作るというもの。こうした授業が導入された背景には、他者とのコミュニケーションがうまく図れない、いじめや不登校の増加などへの対応策の一環と文部科学省は説明する。

 しかし、実際に新潟市内の中学で、この「人間椅子」を行ったところ、ある女子生徒が泣きだした。体を触れられて嫌がっているように見えた。立ち会った教師は「適正な異性の距離感を喪失せしめるもので、心ある体育教師なら見向きもしない教育実践」と指摘し、今後このような授業をしないよう申し合わせをした。

 林道義・東京女子大学教授(当時)も三年前の産経新聞コラムで「男女密着強制教育」と斬(き)り捨て、「男らしさ」「女らしさ」を否定するジェンダーフリー教育を批判する。

 ところが、この「人間椅子」は小学校の体育の体ほぐし運動でも行われている。光文書院発行の『体育の学習』(五年)は、人間椅子の写真を掲載。また、男女がペアになって相手の股(また)下をくぐったり、背中合わせでしゃがむ場面、相手の足を踏み合う写真が掲載されている。授業というより、男女がじゃれ合い遊んでいるといった方がピッタリだ。

 大日本図書、学研の小学校五、六年の体育の教科書(副読本)も「体ほぐし運動」を最初にカラーイラストで大きく紹介している。

 現職の小学校校長時代、「男女混合名簿の背景に危険なジェンダーフリー思想あり」として、混合名簿を別名簿に切り替えた新潟県の長谷川清長元校長は、これを「男女混合触りあい運動」と表現した。

 「運動を通した『仲間とのかかわり合い、よさの認め合い』は重要なことですが、ここに『男女に性差はない』とするジェンダーの視点、ジェンダーフリー思想が入っています。本来なら男女性差を認め、男子・女子のグループに分けて『体ほぐしの運動』をやるのが普通であり、副読本のイラストや写真もそのようにすべきです」

 学校がこのような授業を男女別にしないのは男女混合名簿が原因、と指摘する。

 「体育時に混合で整列し、そのまま『体ほぐしの運動』をする組み分けをすれば、おのずと混合グループになります。混合合宿、混合着替え、混合身体検査もすべてここに通じます。『出席簿の順にしてどこが悪い』との理屈です」

なぜか気づかぬ異常性

体ほぐし運動、実は「触り合い」 新潟の中学で問題化、中止に

そして、こうした授業が「性教育」と連動していると長谷川氏は注意を促す。つまり低学年の体育から「相互のかかわり合いを持たせた体育」「跳び箱運動でもかかわり合いをもたせながら」というように、体育の授業で「かかわり合い」つまり男女の体の触れ合いが取り入れられ、異性と触れ合うことに対する抵抗を和らげる。三、四学年の保健授業では「男子のがっしりとした体つき、女子の丸みのある体つき」を、さらに「思春期の初経、精通、変声、発毛、異性への関心の芽生え」などを学習。そして高学年で「体ほぐしの体操」へ。

 長谷川氏は、こうした流れを踏まえて「『自分や仲間の体の状態の気づき』のために、『仲間と豊かにかかわる楽しさを体験』『仲間のよさを認め合う』というのであれば、教育という名の『セックス運動』といっても過言ではない」と警鐘を鳴らす。

 氏の表現が過激だと思われる人がいるかもしれない。だが、長谷川氏に限らず、現場の心ある教師は「人間椅子や、輪になっての肩揉(も)みも、接近すれば性行為そのもの。水泳の股くぐりも同様で、これも混合でやれば女の子の股(こ)間に男の子が体ごと触りながらくぐりぬけるということになり、学校の授業で性的な刺激を子供たちに与えている」と言うのだ。

 このような授業が行われ、教科書が使われていることはあまり一般に知られていない。その理由は、小学校の体育の場合、教科書ではなく「副読本」であること、教科書センターに置かれておらず、教科書会社によっては個人に販売しない。こうした事情から、保護者の目に触れにくいのである。

 さて、冒頭で紹介したように「人間椅子」を行って泣きだした女子生徒がいたように、このような男女混合密着授業は、女子生徒だけでなく男子生徒にも不快感または過度の刺激を与えることは明白だ。昨年暮れ、閣議決定した第二次男女共同参画で混乱を引き起こしている「ジェンダー」に関連する説明の中で、男女同室着替え、男女同室宿泊と併せて男女混合騎馬戦等を「極めて非常識」と内閣府は指摘して、学校現場に注意を促した。

picture picture 男女密着の運動を紹介する副読本(教育出版『「体ほぐしの運動」活動アイデア集』)。写真上は「円形触れあいコミュニケーション」、同下は「丸太送り」
 人間椅子をはじめとする男女混合「体ほぐし体操」は、混合騎馬戦よりも一層「非常識」なものだ。文部行政は、これを直ちに是正することが求められよう。体ほぐし体操が良くない、というのではない。長谷川氏も指摘するように、男女別に行えばよいのである。また男女混合による体育、着替え、身体検査など一連の混乱の出発点が「男女混合名簿」にあり、これをテコにして教育現場で性差をなくすジェンダーフリー教育が浸透してきた経緯を考えれば、この混合名簿に対する抜本的見直しも急務である。

    

※   ※

 一方、看過できないのは、体育の授業で行われる「体ほぐし体操」、保健の授業による体の生殖機能に関する知識、そして「快楽の性」を教える性教育の授業の三者が児童生徒の心にどのような“化学反応”を引き起こすか、という点である。

 昨年三月、国会で大阪府吹田市教育委員会発行の性教育副読本が問題となった。子供たちが体ほぐし体操を学ぶ時期と重なる小学校五、六年向け副読本『あなたたちへ』には、次のような記述が出てくる。

 「新しいいのちは、性交によってできることは前に学習しました。しかし、人は、新しいいのちをつくるためだけに性交をするのではないのです。愛し合い信頼し合った二人が、相手を自分と同じように大切に考え、より深くふれ合いたいと思ってすることもあるのです。性交は、人と人のふれ合いの中でもっともすばらしいもののひとつです」

 触れ合いの中でもっとも素晴らしいものが性交、と教える。体育では、触れ合う楽しさを体感している子供たちが、触れ合いの延長線にある「快楽の性」に興味を持っても、不思議ではない。小学生段階ならば、学校で学ぶ授業内容を懐疑的に受け取るよりも、「先生が教えてくれたことは良いこと」と理解する児童もいるだろう。

 中学生向け『きらめく青春』では次のような表現が登場する。

 「男の人のペニスは勃起し、女の人もワギナから分泌液が分泌されます。ペニスをワギナにインサート(挿入)し、男性の性的な興奮が最高に高まると、精液がペニスからワギナの中に放出されます。…性交は二人にとって、とても大切な、とっておきのコミュニケーションなのです」

 このページには、裸の男女が抱擁している絵が描かれており、次のページで、性交には「(子孫を残す)生殖性」「(心の結びつきを強くするための)連帯性」「(とても心地よい、素敵な感覚を楽しむ)快楽性」の三つの目的があるという解説が続く。この『きらめく青春』は昭和六十三年に初版が発行されて以来、十年以上発行されてきた。

性教育 保護者の目に付かぬプリント教材を多用

picture ここまでやるか 男女密着 ある学校の運動会の一場面(インターネットから)
 文部科学省は、高校生で初めて性交と避妊を扱うよう指針を示しており、性器名も「学校で教える必要はない」という見解を出している。

 吹田市のある中学では、出産ビデオを生徒に見せて問題になった学校もある。広島・呉市でも昨年三月はじめ、小学校三年生の授業参観日に出産ビデオが上映され、「学習指導要領からも逸脱し、児童の発達段階を全く無視したもの」と問題となった。

 吹田市の副読本は地元の保護者が猛烈に抗議したこともあり、教育委員会はこの副読本を数万冊印刷していたが、学校での児童生徒への配布をやめている。

 吹田市の副読本はきちんとした本の体裁を取っていたので、保護者の目に触れたのだが、同様の過激な性教育用のプリントは、多くの学校で用いられているとみて間違いない。同じく大阪府豊中市の中学で配布された性教育のプリントには、犬、牛、鳥、コオロギの交尾のイラストとともに男女のセックス場面のイラストを掲載。「こうして交合した後、二人がお互いの刺激で気持ちよくなると男性のペニスから射精がおこります」と、快楽の性を強調する説明がなされている。

 「勃起が起こるしくみ」のところでは、「自分の性欲をコントロールするためにマスターベーションはとてもいいセルフ・ヘルプの方法」「女の子でも男の子にとっても、おとなや子ども、高齢者や赤ちゃんにとっても自分のからだをつかって、自分のからだや心が気持ちよくなることは自然のことですし、どんなことが気持ちいいのかを、自分の体を通じて発見していくことはとてもステキなことです」と、ここでも「快楽に目覚めよ」と勧める。

 また、「二人の関係をそだてる…性交」と題したプリントでは、「性は、毎日食事をしたり眠ったりするのと同じように、人間の生活の中では、とても自然な行為です」とか「いつ性の体験をもつかは、あなた自身がきめることです」などと性の自己決定権を教える。また、ウッラ・アンデション著『わたしとあなた』の文章の一部を抜粋した、「いろいろなふれあい」と題したプリントでは、好きな人とセックスするのは当たり前のこと、セックスについて結婚前にしてはいけないと思っている人もいれば、好きであればよい、友だちなら構わない、たくさんの人とでも(セックスは)構わないと思っている人もいると書いたあとで、「セックスについてはどれがよいかわるいかいえません」と、子供を混乱させる無責任な文章が紹介されている。

 このプリントには、「安心しあうふれあい」が、「子どもと親きょうだい、友だちどうし、女と女、男と男、女と男……の関係などいろいろあります。また気持ちを伝える方法も手をにぎりあったり、だきあったり、キスをしたり、セックスをするなど、いろいろあります」とあり、どう読んでも同性愛を容認していると解釈せざるを得ない記述となっている。

 このような内容は、過激な性教育で知られる“人間と性”教育研究協議会(性教協)をつくった山本直英氏(故人)の著書『性教育ノススメ―“下半身症候群”からの脱出』の次の一節とオーバーラップする。

 「世の中に男と女がいるかぎり、さまざまな組み合わせとなって恋が生まれる。恋があれば、触れ合いとだき合いもあるだろうし、だき合えば性交もあるだろう。性交があれば当然妊娠も起こるだろう。生殖年齢に達した男と女が愛し合えば、愛の証が生まれることも当然考えられる。この男と女とは、たとえ結婚に結びつかなくても、婚前でも、婚外でも、たとえ親子の不倫でも、子弟でも、まさに階級や身分や制度を越えて愛し合うことが可能なのである」

 今の若い保護者の中には、「わが子への性教育は、話しづらい。学校で教えてもらえれば助かる」と学校任せにする親もいる。だが、近親相姦(そうかん)も容認する団体に所属する教師に、わが子が“洗脳”されて果たして平気でいられるのか。

 性教育推進論者たちは、今の生徒たちは性情報に囲まれており、性衝動をコントロールすることができないので望まぬ妊娠・出産、性感染症を避けるために性知識を幼いうちから教えるべきだ、との立場に立つ。しかし、そのような教育を推し進めた結果、十代の性感染症や中絶が蔓延(まんえん)している現実がある。根本的な見直しが求められる時に来ているのではないだろうか。

 日本各地で教育関係者や保護者は、学校外部の変質者から子供を守れと安全マップを作り、登下校の見守りを続けている。だが、学校内部で子供たちが「異常な授業」を受けている危険性もあるのだ。この点も警戒することを忘れないでほしい。

(サンデー世界日報7月9日号掲載)

http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/s060709/01.html



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