嘘の吐き方(うそのつきかた)
人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。
 



行き詰まり。
行き止まり。
壁。
ルール。
権力。
倫理。
道徳。

キューブは、完成してなお、力を与えて回せば
ふたたびバラバラに破壊される。

もう、ほとんどの出来事が
破壊されることを待っているような
気がしてならない。

つまり。

破壊されたがっているのは
俺。
なんだろうな。

もう、特別やりたいことはないよ。
明日に対して期待するようなことも
なにも、ないよ。

あと少しで
赤ん坊を、虐待死させる親の気持ちが
わかりそうな気がする。

生きてることって
ほんとに人のせいで
生まれたってこと自体が
とても受動的で
そしてこの世界に
意志なんかなくて
自分の気に入らないもの
泣きわめくもの
騒がしいもの
邪魔くさいもの
とっとと消えてしまえって思ったら

そりゃぁ、赤ん坊なんて
めんどくさくて、いちいち育ててらんないよなって
同意したくなる。

なんでこんなに荒廃してるんだろう。
景色も汚され続けているけど
水が
濁ってきてるんだろうか?

あと少し
もうあとほんの少しだけ
消化試合のような無駄なあがき方を
試してみるつもり。

希望はないね。
俺の、人生なんだから。


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少しだけ、アンバランスな踏み出し方は
誰しもが土台のない道を踏み固めながら自分らしい道を歩いてること、
と無理をすれば言えなくもない。

否定の連続で斜めに見るやりかたも
頭痛を抱えながらも一心不乱に考える細胞死も
言ってみればそれらは全部、
あんばらんすな直進だと言えなくもない。

言葉に頼って、単語のある道ばっかりを通って
粒子加速器のようにぐるぐるぐるぐる回し続けて一気に発射、
ちゅど~ん!、はい、お終い。
そういう言葉の書き出し方もあるんだけど…

でもなんだか、違うような気がする
体調が悪いと、勘が鈍るとか、思考が重くなるとか、
まぁ、そんな感じのことと一緒なのかもしれないけど、、、
けど、なんか違うような。

足が重いと、踏み出し方はノッシノッシと効果音をつけたくなる。
でも、実際に歩くときにノッシノッシと気が晴れるように
心ん中で叫んでるか?頭ん中で考えてるか?
いや、そりゃあ違うだろう。
すごく平凡に、ノッシノッシという擬音に汚されてしまっているだけだ。
つまり、標準に。
ふつーのこと、それが、当たり前のこと。

けど実際は、
毎日がふつうでも、毎日が平凡でも、
ちょっとだけテリトリーの外へ踏み出せば、
それはもう、吐き気がするほど変な世界ばかりである。
どちらかと言えば、平衡感覚が狂うような、
真っ直ぐさを見失うような、
自分に自信がなくなるような、
自信の根拠すらも記憶喪失と繋がってしまうような、
そんな微々たるきっかけから始まる、
非日常から死の世界へと延びる
とてもまっすぐな、克明にレポートすることも分析することも間に合わない、
自由落下のごとき敗北の自然である。

過酷な現実、と言う方が敗北の自然よりはわかりいいかもしれない。
死の方にあるものを現実と呼ぶよりは
超現実とか、自然とか、崩壊する秩序とか、カオスとか、
まぁそんな呼び方の方が、いくらかいくぶんか適しているような気もするのだけど。

情動の通り、すべるようななめらかな勘のコンパスのごとく、
ただ、なにもかもが存在しないのと同じように
完全なマイペースで進んでゆくならば、
道はいつまでも僕にとって真っ直ぐであるはずだ。

けれどもやっぱり、僕は何かにぶつかることで、
その傷みの中から、何かを発見したり構成したり分析したりして
センサーを敏感にアナフィラキシー、あなふぃらきし~。
って感じにアレルギーぎぎぎ。

どうしよう。
どうしても、まっすぐ進めない。
怖い。
すっごく怖い。
人と会うことも恐ろしいけど、
ただ闇雲に真っ直ぐ進み続ける事が、
今は何故かおそろしい。

出口のないトンネルって人はよく言うけど
未来が他者によってもたらされるなら、
出口のないトンネルは孤独死が一番近いわけで
痛みとかストレスとか混乱とか悩みなんてのに振り回されてる間は、
そりゃもうずいぶんと出口の多いトンネルな気がするし
結局のところ僕は誰の死を見ても自分の死とリンクさせてうまく考える事ができず、
そしてまた身近な老化をジッと見つめる醜さにもめんどくささにも耐えてゆけず、
やっぱりひとりでこっそり死ぬしかないのかな、とか
そんな夢心地なことを。

ある日ふと始まった命なら、
ある日ふと、忘れるように死ぬしか道はないのかな。
別に、世界の終わりに人が居なくとも、
人の終わりがあれば、最後の人に手紙を書くことは、
できるような気がするけどさ。

だけどね、宛先の無い手紙、それはやっぱりとても苦しい独り言だと思うよ。
ひとりでも読んでくれる人がいる間は、
まぁなんとか続けられるんだけれども。

さりとてやっぱり、やっぱりぼくは。

怖じ気づいているんだろうな。

土から生まれて土へ還ることが怖いんじゃない。
土へ戻ってなお、バラバラになった僕が生き続ける事が容易に想像できて怖い。
人が一人じゃ生きていけないように、
細胞もまた、一個じゃ生きていけない。
循環して、しきいが出来たり、出来なかったり、
口が開いたり、閉じたり、そんな排泄を繰り返して、
そのたびに、僕らは痛みを。感覚を。呼び覚まそうとする。
そういう行為のいっさいがっさいが、僕にはなんだか怖い。
一人で世界を食べ続けて、何もかもを完全に知り続けて、自分と名付けられた枠を
爆発する風船のように永くながく遠くとおくずっとずっといつまでも
繰り返し繰り返し1ドットずつ大きくしていく行為にも、
ゾッとするほど疲れが来る!

消滅できれば。

本当は、一番それがいいのだけど。
完全な死。
すべてから、忘れられてしまうこと。

僕が死んだとき、誰も泣かなければ
僕が居なくなったとき、誰もが忘れてしまえば
僕が燃えたとき、葬式が行われなければ
あの黒い服の変人たちが、日常の中に、僕の死を埋め込んだりさえしなければ
僕はもっと、安心して死ねたのに。

けれどやっぱり、君たちは、あの黒い服を着て、
僕を君たちの日常の中に、塗り込めて、塗りたくっていくのでしょうね。
いつかは、必ず忘れてしまうくせに。

ひなげしの花、きれいに咲いているでしょうか。
月と土がよせあう大地で
死骸の匂いを吸い取ってきれいに枯れていくでしょうか。
約束も循環も要らない。
ただ、完全な死が欲しい。
誰もが覚えているか、誰もが忘れてしまうような、
そんな完全な死に方が欲しい。
死体のすべてが虫に生まれ変わるような、
種だけが、永遠に氷の中で埋まったままとけていくような、
透明な、そんな死に方が僕は欲しい。
生きたまま、君らに食われていく僕はみじめだ。
はてしなく、いつまでも永遠にみじめだ。
僕は影の記号、それが裏返しであるほどみじめだ。

深い深い、あやめるような眠りについて、
いつまでも、僕が目覚めることが、二度とありませんように。
三月の花と、四月の土の間で。


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一度走り出すと、止まらない癖がある。
誰も走っていない場外コースまで走っていってしまう。
蝉の声が聞こえて、夕方や、黄昏や、夏の終わりが見えても、
僕が夏を終わらせない。

もーいーかい?

と、声が聞こえても、

まぁだ、だよぉ~

とは答えない。
もっと遠くまで。
隠れる作業よりも前に、まずは遠くまで。
誰も追いつけないほどに、遠くまでいく。
かくれんぼのルールも、おいかけっこのルールも知らない。
そしてまた、遊び続ける事の残酷さも、
大人になることのずる賢さもいちいち考えない。

誰かが追いかけてきて、僕にブレーキのことを教える
止まってくれ、とお願いする。
僕は泣き出して、ブレーキオイルに火をつける。

真っ暗なトンネルの中を走って、
夜が来ても、幽霊が来ても、僕は走り続けることをやめない

振り返れば、トンネルの向こうには、いつも夏が見える。
でも僕は、みんなの居る夏の方には歩いていかない。
すぐそこに夏が見えていても、
赤い砂浜と白い砂浜が両方に見えていても、
僕は黙って指をさすだけ。

心臓が壊れて、僕の呼吸が乱れて、
誰かが僕の方に歩いてくれば。
僕の死体を見つけて、かくれんぼのルールと、おいかけっこのルールと、
夏休みの終わりを、教えてくれるのだろうか?

認めない。
たぶんずっと、認めない。


僕が止まれば、みんな僕に気付かずに、ずっと先の方へ歩いていって
追い越していくような人ばかりだ。
永遠に繰り返す遊びの中で、
もっと面白い遊びをみんなでしようと、
「缶蹴りだるま」を考案するような人たちばかりではないのだ。

たぶん、宿題はやまほどあって。
それはずっと、僕らが遊んでいる間に、大人たちが直せなかった柱のゆがみで。
そのゆがみを、指さして叫ぶだけで、大人たちは死んでいく。

大人は、真っ直ぐさを語らない。
ゆがみを指摘して、迷惑に叱るだけで、大声をあげて怒鳴るだけで、
その柱をまっすぐにする術を知らない。

僕は知ってる。
まっすぐに、まっすぐに、誰にも見つからないように、
まっすぐに走り続けた者だけが、
ゆがんだものを、まっすぐに治す術を知っている。

ただまっすぐに、走り続けて。
幽霊になるまで、あの夏を走りづけて、
現実を夢に変えてゆく。

まっくらな、いろりの火を、むねに灯しながら。


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手がかりの無い、考え事とか。
別に、特別書きたいことはなくて。
もう少しいうと、書くネタは腐るほどあるんだけど、
ただ、そうしたことのひとつひとつが、
もうなんだか今の僕にとってはどうでもいいんじゃないかと。

生そのものに対する無関心に、だんだんとシフトしてきているような。
別に、特別つらい事はないです。
もちろん、特別おもしろいこともない。
もうなんというか、どうでもいい無気力に近づいてる。

行動してから飽きることは多かったけど
行動する前に飽きるようになると、
もうますますもってタイムリミットが近づいてるような予感がしますね。

飽和状態ってのが、やっぱりあるのかもね。
水蒸気が、冷やされて水になるような。
超臨界流体みたいな。

行き詰まりってのは
誤った選択肢によって発生したり
心を欺いている場合に表面化したり
見えない壁にぶちあたったり、
まぁそんな感じに知覚されるものだと思うけど

そもそもが、
そもそもの、最初の出発点が、
スタートラインが、
間違いに向けて突っ走る選択肢だった場合、
人はどうなるんだろうね。

例えば近親相姦とかさ
例えば人体実験とか
たとえば、ロボトミー手術とか
たとえば、宇宙人との出会いとか。
神の降臨とか、科学万能主義とか。

別に、例にあげるものは、なんだっていいんだけど。

迫害されることが、つらいと思ったことはある
差別とか、偏見とか、押しつけとか、善意とか、説得とか。
そういうものが迷惑だと感じたことはある。
だけど今は、なんだか懐かしいな。
今の僕は、もうあんまりなんだかそういうことに関わりたいと思わないよ。

ほんとうは、もうずいぶんと前から
どうでもよかったんじゃないかと。
多くのことが、僕にとってどうでもいい位置にあったんじゃないかと。
そんな気さえ、してくるよ。

選択肢を選ばないで生きるというのは
とても文化的な流体則で
流されることを美徳とする文化というのは
自殺を決意する文化とは
相容れないものがあるよね。

たとえば継承とか、たとえば変革を偽った防壁とか、
オカルトで張り詰めた空気の中で作った科学とか、
形式だけの他者除霊とか。

真空が、汚されはじめてるのかな?
それとも、純化した水が、精製されはじめてるのかな?
あるいは、死生観を、諦めはじめたのかな?

誕生日が来る前に、胎児を取り出す行為を、
美徳だとは思わないな。
もちろん、沈黙の産声よりも、奇声を発する方が、人間らしいと。

とても、人間らしいと、思うけどね。

そういえば、精神的な去勢を催眠術で行った場合、
男の性別はどうなるのだろうね?
性に対する差別を克服できますかね?
それとも、自殺しますかね?
境界が、曖昧になりますかね?

無気力を、ロボットにプログラムしたら、
どうなりますかね?
逆に行動的になりますかね?
暴力的になりますかね?

それとも。

鉄のフリをしますかね。
砂鉄を飲み続けますかね。
砂鉄を飲み干しますかね。
酸化した鉄の毒液が、ぐるぐるまわりますかね?

いや、いいけどさ。
べつに、なんもなくても。

長い時間をかけて、わかったことよりも
長いシュミレーションの中で、忘れていったことの方が
遙かに多かったんじゃないかと、
今は思っているだけ。

走馬燈のスイッチを切ることは簡単だ。
たぶん、どんなロボットにでも出来るよ。

真実を知らない人間が、
教育なんか、するなよ。

すこしだけ、そう思った。

そしてまた、僕は嘘吐きの砦へと。


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服を脱ごうとして、裸になることにためらいを感じ、靴下だけ脱いだ。
圧迫されていた何かが、少しだけ解放されたようで
晴れてすっきりとした空に近い感情が込み上げた。

うでのすそにあるボタンを外し
やわらかさを想像してみた
リラックスはできなかった。

両手を挙げて、犬のような背のびをしてみた
窮屈そうな、それでいてのびのびとした。
偶然、ボタンが落ちたような気がした。

カーテンを締めて、赤く通り抜けた陽光で部屋を照らした
雲を見ることは出来ないが、今日を見ることができるように思えた。
そういえば、ここに誰もいない。

ほんの少し、いつもよりいっぽよぶんにふみだせば
足が、その足がすくんで、心の中で一歩踏み出す
だけど多分、踏み出したのは頭の中の一歩だった。

青い空を、みぎ目とひだり目でみた
昼の空から受け取った写真なのに
その遠近感には、まるで夜が映し出されているような気がする
上や下の世界で、僕の隣がきりきりと痛んだ。

わすれていた。

誰かと出会うことの喜びさえも

むげにひろげた宇宙は、ただもう闇ばかりが大きくて 黒ばかりが広かった
よこしまな感情を抱きながら、今日の空を眺めようとした。
僕たちと呼んで。それを、ぼくたちとよんで。

君を取り囲む世界は、僕と同じでずっとひとりだった。
ただ激しく、誰かを求めた分だけ、君が代わりに傷ついた。
同じ痛みを持っている気がして、僕は君を手に入れようとした。

それが、最初の間違い。

赤いカーテンは今日も揺れる
風もないのに
僕の部屋で今日を揺らしている
ボクの部屋に、現実を投げかける赤いカーテン
写真と一緒に手紙を届ける、赤いカーテン
ベッドも揺れた。

だけど、なんの音もしなかった。

廊下を挟んで向こう側にある旧校舎は、
ずっとボクが待ち焦がれている記憶で
その記憶の階段を一段ずつのぼって、
ボクは首を吊る場所を君の景色から探す
ありそうもない場所から
茶色く染み渡った閑静な住宅街の夕日の匂いがする

その赤い光が茶色い写真からこぼれてひいて、
ボクのカーテンをゆらす

結局ボクは、この部屋にいる
明日もたぶん泣いている
今日も多分ないていた
それを慰めもしない、僕らの間にある赤いカーテン

せめて、歴史が本当にあったのなら、
僕は君たちの事を忘れられる

それが恋しくて
それが悲しくて
僕は、部屋をどうしても四角く切らずには居られない。

もし、景色が僕の遠くから過ぎ去って
記憶も忘れないほど近くにあって
現実も、触れることができるほど、この世界にあったのなら

僕のこの部屋は、だれのために、存在を許される?
ただ、そのカーテンをゆらすために、ぼくの部屋があるのか?

NOは言わない。YESも言わない。
だれも答えを言わない。

それが、僕らの世界にある約束。

胸の奥で、新しい景色が、今をほしがるように
それにふれたくてあがくように、うごめいていた。

だれもいない部屋からの景色を
なにもない外の風景を
待ち焦がれて、嘘の景色はそこを包んでいた

目が、覚めたのなら
ぼくの部屋で死んでいけ。

赤いカーテン
         赤いカーテン
 ぼくの部屋で

真っ赤に染まれ。


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自分を、人を、見捨ててしまいたいと思ってるのは
常に自分だと思う。
もっと言えば、細胞社会で出来たフレームの中で
自意識が手に届くすべてのものを見捨てたいと思っている。
たぶん、自意識の中にも、標準語や国語を見捨てたいと思ってる何かがあって
もっと探っていけば、結局は知っているもの、
世界の輪郭を形作るもの、それらのすべてを見捨てて切り離してしまいたいと願う
堕落やものぐさの神が居るような感じ。

引力を、起こしたくないと思っている何か
塞ぎ込んでいる壁をすべて取っ払って、自分の原型を無くしてしまいたいと思う心
たぶん、普通は弱さと呼ぶんだと思うけど
僕は、そういう崩壊と放射を結びつける何か、
核分裂のような汚れかけたなにか、
そこにも、オリジンは宿っている気がする。

「諦めない」という現象は
物理的には何を指し示すだろうか。
引力の維持じゃないだろうか。
僕は、自分の引力を保持するために、いったい何をしているだろう?
僕は、自分の力で何かしているだろうか?
たぶん、何もしていない。
ただ、どうしようもなく何もせず、
痛みや失敗や知識に怯えながら暮らしている。

泳ぐ練習さえしていない。
水に飛び込む勇気もない。
それでいて、主張には遠慮を持たせない。
この歪みは、たぶん僕が、生の牢獄の中で、
自由を持たず、意志を持たず、すべてを拒否していく中で、
周り中から圧力を受け取っている波から来ている。

もし、僕が何かを主張することをやめ、
すべてを諦め、何の希望も理想も持たず、
何かを突き崩す事をやめたなら、
僕には、何の圧力も生じなくなるのだろうか?
あらゆる知的な現象は、閉衡し、断絶し、無痛の闇がどんよりと立ちあらわれるだろうか?

僕が光る事をやめたなら、
天空の星々は全部真っ黒に染まり、
ここはブラックホールへと変わるだろうか?

僕はそうは思わない。

やっぱり、そこいら中には迷惑なほどまばゆい光があって、
どうしようもないほど、何かをめがけて痛みは降り注ぐのだと思う。
たとえそれが夢のような淡いかたちで浮かんできたとしても
僕らはやっぱり、夢を苦痛だと感じるほどに消耗すると思うのだ。

今朝、努力できない夢を見た。
烙印を押されるような、生への不合格を差し出されるような夢を見た。
それは押しつけとは少し違って、
まるで僕が望んでいる事を隠しているかのような夢だった。
絶望のバリアで、不可能の障壁で、自分の負けを認めないような夢だった。
悔しさと悲しさと弱さの中間にあるような鈍い痛みに似ていて
触覚の気配とも幽霊の実感とも似ていた。

僕は。
まるで誰かが、不合格を僕に叩きつけてくれるのを
ずっと待っているかのような
そんな無力な牢獄にいると思う。

その、意志の薄弱障害のような奇形さは、
腐敗していく社会の中で、
まるで象徴であるかのようなもてはやされ方をする時も来るだろう。

だけど。
だけど決して。
人は人を救わない。

それだけは、知ってる。

なぜなら。
僕が、人を救わない。
そして、人を救えない。
能力も無いけれど、僕は、人を救う気が無い。
烙印を押す気も無い。
ただ、僕はみつめていると思う。
じっとそれを観察しながら、さらさらと消えゆく砂の数を数えながら
世界の形をみつめると思う。

それは、標準とか普通とか普遍とかいわれる世界からは、
きっと遠くかけ離れていて
きっと誰も触れることのできない宇宙の遙か彼方にある心だと思う。

僕は自分の死を見つめながら
死んでいく宇宙の砂を数える
その砂の残りだけをさらさらと数えながら
僕は、目を閉じてゆく

ゆっくりと、目を閉じてゆく

誰からも、罪が失くなるように。

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もっと悪意について、真剣に考えないといけない。
いや、そういう時期に来ているような気がする。
破壊衝動を、押しつけを、我慢できない思いを、抑圧された願望を、
書き殴ることは、もちろん大事なことで
それをして、初めて気付くこともあるし、
それをやってから反省することもあるし、
とにかく自分を晒け出して脱皮したいって気持ちもあるし、
思ったことをすべて書かないことには気が済まないって思いもあるんだけど
とにもかくにも とにかくとにかく!
もっと自分の悪意について、真剣に考えないとやばいなって思った。
とはいえ、自分の悪意についてずっと一人で黙り込んだまま考えてると
なんか発狂したいような頭皮がむず痒いような
爪を折りたいような最悪な気分とともに吐き気がして
でたらめに目が潰れるほど暴れたいような気分になったりもするけど
なんかそういうことを、無理に押さえ込んで我慢して言語化しようとすると
さらにどうしようもない絶望感が込み上げてくる。

結局は、100%の絶望なんて表現できるわけ無いし
あったとしてもそれを人に伝えることなんてできるはずもなければ、
それをすべきではないってのは一般的なモラルなんだろうし
それを一般性とか普通とか普遍とか
そんなあやしげな観念に照らし合わせて比較する事自体、
矛盾してるし馬鹿げてるしなんの生産性も無いんだろうけど。

だけどやっぱり、僕は自分の奥深くに眠ってる想いを、
腐りかけてる自分の中の真実を、
むき出しの暴力的な想いを、
なんとかしてここに書かなくちゃって思う。

別に、そういうのが共有できなくてもいいけど。
誰かに理解されるとか、伝わるとか、そんなの書く前の発作的な状態には関係のないことだし、
動機があるから書くわけじゃない。
むしろそんなものは無いときの方がほとんどで、
どちらかと言えば暴れ出したい感情が暴発する前に
なんとか書き殴って自分を誤魔化すのが精一杯、ってな感じがいちばんしっくりくるような、
それがとてもとにかく近いような、
まぁ遠いかもしれんけどとにかく書き殴ってやれっていう
むちゃくちゃで衝動的な行為だから、
そこに計画性は要らない。

じっさい、書いたことのすべてがわかってる人なんていないだろうし
それは僕の書いたものに限らず、自分の書いた言葉の意味が理解できてる人なんて
一人もいないんだと思う。きっと。

ただ、それでもそういうひとつひとつの単語とか漢字とか表音文字とかを作った人はやっぱりいて
そこにはなにがしかの歴史的な想いとかいたずら心とか、無関心とか、
へんな考えが色々あったんだと思う。

まぁグレイって言葉と似てるような似てないような。
うん、たぶん似てない。

別にいいけど。誤解されても。消されても。
そういえば、僕の書いた文章って、これまでにかなり削除されてきた。
よっぽどむかつく言葉が多いんだろうなって思ったりはする。
けど、別にそこに後悔は無い。
なんで消すんだよ
アホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
って叫びたい気持ちとかはあるけど。
いや、あったけど(笑)

けど、書いていると不思議と気分が落ち着いてくる事が多い。
呼吸がだんだん整ってくると言うか。

だけど。

不思議なことに。

書く前は冷静だったのに
書いてる最中にだんだん苦しくなって、切なくなって、どうしようもなくなって、
泣き出したこともなんどかある。

いや、何度もある。

べつに、それもいい。
僕がこの白い空間で暴れたり怒ったり楽しんだり泣いたりする
そういうリアルタイム性って、なんだか新鮮な驚きとか大事な興奮とかにつながってるきもするから。
いや、気持ち悪いだけかも、だけどさ。

いいよ、別にそういうのは読まなくて。
むしろ、もっと読んで俺の気持ち悪さを味わって君も気持ち悪くなって欲しいけどね。

書いてる最中の馬鹿さ加減ってのはこれまた不思議なもので
理解とか能力とか感情とかそんなこととは別な法則で作られていて
いわゆるカオス的な状態なんだと思うけど、
とにかくそれってある種のランダマイズな何かだと思うから
僕はそういう無秩序なでたらめさの中で、
泳いでるうちに落ち着いていく行為系って、なんか大事なおもしろさじゃないか?
と思ったりする。

原点に、帰りたくて還れない迷子なのかもしれない。
もっと、原始の言葉と出会って、共鳴が起きるくらいに深く潜れるといいんだけどね。
ま、無理かな。
やってみる価値は、それなりに、あるんだろうけど。

僕はたぶん、そのうちここを閉鎖に追い込まれると思う。
過激さが勝つのか、メタリックな気分になるのか、
それとも飽きるのか、間違えて消すのか、
よくわからんけどさ。

まぁ、いずれにせよ、終わりは近い気がしてる。

だらだら続けて悪いけど、
どんだけ長くても無理してもあと一年ちょいなんだから、
もうちょい読んでくれると嬉しい。

まぁ、そんなことを、今ちょっと思った。

じゃ、またね。


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こんなところに来るな。
見るな。
読むな。


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絶望的。
すごい早さで理性が失われていくような
思考力がゼロになるような
どうしようもない、ひとりっきりの悪意のような
暗い気持ち。

なにかを壊したくてたまらない気持ちになるけど
なにも壊すものなんかないし
何かを壊して自分に跳ね返ってくるのも嫌だし
いやむしろそんなことどうでもよくて
ただ、もう明日が来なければいいなって思う。

信じていたものに裏切られたときの気持ちに似ているけれど
最近特に何かを信じたりはしていなかったはずだから
これは似ているだけで別な何かなんだと思う。

あえて言うなら。
無理に例えるなら。
家族なんかみんな全部死んじゃえばいいなって思う。
いや、思った、のか?

別に、人に興味なんか、元々無いけど…
だけどなんでこんな退廃的な気持ちを、
誰かにぶつけたくてたまらないのか、
すごくわからない。
誰かに、何かを知って欲しくて、それが拒絶されたんだろうか。
たぶん、それも違う。

元々、孤独だったはずなんだ。
誰かに頼ったり、誰かにぶつけたり、誰かのせいにしたり、
そんなこと、ひとりの世界でやったってなんにもならない。
もちろん、壊すことは構築することと同じくらい、バカバカしい行為だって、
ずっと前から知ってるけれど…

僕は、何がしたかったんだろう。
僕は、誰かに何かを伝えたかったんだろうか。
僕は、君に会いたかったんだろうか

わからないよ。

今は、もうどうでもいいことについて、
いちいち考えたくも思い出したくもない

けど、失われた約束って
失われたとき、記憶も失われるから
それ、約束だったのかどうかも、
よく、わかんないままだよね。

たぶん、言語化しちゃいけない気持ちを抱えてるんだと思う。
例えば人を殺したいとか、家に火をつけたいとか、
そんな感じの、もっと奥深い何か。
僕は今日、何を知って 何を失ったんだろう。
泣きたくはないけれど、死にたいな、とは思った。

なんの動機も理由も、そこにはなかったのに。
人と会話することさえ、おっくうないちにちだったのに。

なにかが、喉や腹や頭のあたりで、
ぐちゃぐちゃにねじ曲がっている気がする。

真っ直ぐさを、壊したい衝動なのかもしれない。

世界を手に入れたい強欲が生まれる予兆が来たら、
誰にも忘れないように自殺しよう。


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情報を、フィルタリングする能力について
もうすこしまともに考え直さないといけないかもしれない。
真剣に、要る情報と要らない情報を識別する事を考えるというか。
イヤな事を「イヤだ!」ときちんと答える能力とでも言おうか。

潜在的な言葉がきちんと言語化されずに胸の奥でとぐろを巻いて
ぐるぐる吐き気が回ったりしてるのは
ある意味でそのフィルタリングと関係あるのかもしれない、と思った。

多くの情報を収集する能力と
ほっといても受け取り続けてしまう情報の中で
ただ自分を押し殺してすべてを流し続けてしまえば
言葉の価値はしだいに下がっていくし
丁寧に作られた輪郭も巨大な竜巻に飲まれて砂になる。
そこに繊細さや切実さがあったとしても、
それはマクロの中では踏みつぶされる蟻の嘆きで
蟻がどれだけ叫んでも象に踏みつぶされてお終いという、
そんなちっぽけさだけが目立ってしまう。

逃げる事も戦う事も必要ないけれど
痛みを忘れようともがくことよりは
最初から知る事を拒否する能力が、問われるのかもしれない。

勘だけで生きる、というアンテナに頼ったような生き方は
とても怖いことだけれど…
何かを体験する前に、何かを壊す前に
サイコロを投げる前に、
もしもそこに想像されるほんのかすかな宇宙人のアナトミーが見えるなら
それはきっと時計台の雷のような一瞬の奇跡のはじまりで
より多くの困難と共に受け取れる情動やパトスの憤りが
生き甲斐という名前で押し固められることを避けて

叫ばない宇宙を、
開ききらない直線を、
貝のような堅い丸さを、
そのやわらかさのなかに包含する必要があるのかもしれない。

めざとく叫んでキリキリ言う針の一点よりも、
割れない風船の丸さのような柔らかさが、
超越に繋がるときが、来るんだろうか。


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テキストを、書いている最中に体験したものだけが
書くことのできる心の動きで
書いている最中に思い出せなかったもの、
書いている最中は動かなかったもの、
書く前に計算されていたもの、
そうしたものは、すべて記録することはできないような気がした。

ずっと未体験であるために浮かんでくる妄想や
ずっと解決できるあてのない重い問題だけが
ずっと心の奥深くでうごめいていて
その洞窟で暴れている自分の様相だけが
まるで見にくい迷路を造り出す呪文のように
僕たちのいる世界を、僕の居る世界を形どる格子であるかのように
その堅く湿った骨を突き破る感動だけが、
僕を照らす灯りのありかを示すように
ずっと灯籠の中をたたずんでいる呪縛に似ていた。

火のついた迷路は、燃え落ちる廃屋と似ていて
僕らを支えてる世界の動きとか、
じっとすべてに耐えている永遠の苦痛や奴隷のうめき声が
僕らに届かないように、
すべての世界の裏側を支えているようで
なにも満ち足りたものがないという崩壊の序曲だけが、
いつも僕の背中よりずっと後ろの方で、
僕が見ている背景のずっと奥の裏側で
リアリティを暴くための現実音を、丹念に丹念に準備していた。

体の内側で感じられない世界は
脳に届く前に消されてしまった痛みは
やがて手の届かない宇宙へと生まれ変わる奇跡に似ていて
そしてそれは僕が感じない限り、
誰も手の届かない痛みと同じような気がして
僕が見ることのできなかったもの、
僕が触れることのできなかったもの、
僕が嗅ぐことのできなかったもの、
僕が知ることのできなかったもの、
それらはずっと、生まれずに死んでゆくひよ子の可愛さに似ていた。

好きであることや 嫌いであることは
まだずっと知る事に近い分救われていて、
それらは可能性が僕らを抑えている間だけ直線的で
僕らが諦めた時に丸くなる扉に似た宇宙で
斜め前に手を伸ばすと体がよじれるような奇跡だけを求めて
ずっと僕は考えることから逃げているような気がした。

不思議と、涙の出ない海だった。
暖かくもなく、冷たくもなく、ただずっと夢を見ているような日常だった。
あんのんとした羊水の中で、
死んでいくことに気付かない死体の幽霊に似ていた。
眠りこけたゴーストが体に収まらず、ただただ溢れてるような毎日だった。
欲しがるものもなく、満たされるものもない輪郭と器だけが現実と呼び捨てにされた。

羊水と一緒に飲んだ水は、
しょっぱい他人の味がして、飲んだ分だけ僕は吐いた。
誰かを傷つけることで手に入れた居場所も、
誰かを壊すことで手に入れた想像力も、
その神の息吹のような創作性は無いと思った。

ただ、ずっと痛みの数だけ増えすぎた現実があって
何も知ることのできない者だけが夢を見る権利を保持していて
戦うことを諦めた勇者だけが、子供のフリをして遊んでいられるような世界は、
もうほとほと嫌気がさしていて、
ただその嫌気が百人分たまることもなく
ただその嫌気が、ひとりぶんの孤独を埋めることもなく
ねつ造された明日だけが、僕に残された生の夢だった。

もう来ない明日
そこから、目をそらした者だけに与えられる勲章のような現実
目隠しして、暗闇に突っ走ることだけを褒め称える勇気
誰にも触れず、何も知ることができない従順な牢獄にだけ与えられる道徳
そうしたものに、僕はずいぶんと悩まされた。

ほどなく死体は腐る。
死してなお、形をとどめるミイラを目指すつもりはない。
破壊よりも今は腐食が進んでいく時で
その腐りかけた人間性にこそ、人は意味を求める。

選ばれることに意味はない。
選ぶことにも意味はない。
運命に、あらがうことも、運気を使い果たすことも、
機械仕掛けの心臓に科学のメスを刺し込むことにも終わりはない。
ただ、価値のない未来に明日と名付けて夢見る者だけに時間は宿る。
出会うことのない他者に、人間性を見いだす強い意志だけに、涙の雫は垂れる。

今日もずっとこうべをうなだれて生きたフリをする死体の山。
道徳と善悪の檻を蔑んでみたくてねじまげた鍵穴に、
僕の精子が突き刺さったまま死んでいるのを見た。

やがてくる、意志のない時代を生きるための箱庭宇宙の中で
僕らは終わりだけを夢見た。
ずっと、世界が終わることだけを期待して眺めている
星空をみて、夢と名付けた絶望のキリマンジャロをみている
走馬燈も、万華鏡も今はもうここに無い。

ただ、死していく昨日と明日に囲まれて今日が腐る。
そして今日、僕はたぶん死ぬ。
それが怖いとすら感じなくなってしまったのは なぜなんだろうか?


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夢の中にある、現実も、細部も、緻密な完成度も、構造も、輪郭も、
僕だけが感じる痛みさえも、やがては薄れて痺れて灰色へと変わる
曖昧で、ピンク色に似た肌色も、
暖かい触覚も、
二等辺三角形の痛覚も、
神の意識も、
やがては崩壊と共に否定される。

にわかには信じがたい現実も、
人が存在するかもしれないという恐怖も、
世界が変わるかもしれない怯えも、

やがて、明日から射し込む光とともに、
すべては粉々に砕け散る。

死をおそれることも、
現実を肯定することも、
生の時間を得ることも、
曖昧な鈍痛の中でもがき苦しむことも、
やがては、透明にとけて無くなる。

痛みを、忘れてしまうときが来る。
どんな感覚の痛みも、もはや心が感動しなくなれば
それは罪のバリアの崩壊で
奴隷が神へと変わる瞬間で
世界を壊すのに、何の遠慮も、躊躇も要らない。

守るものを失えば、攻める必要も、得る必要もないのだから、
世界は透明な色へと暴力を失う。
形の無い欲望は、この世界からはみだすゴーストのようなもので
もはやどんな器にも入らず、
世界を超えて溢れ続ける。

我慢する万有引力が忘れられるとき、
存在は形を失ってなお、溢れ続ける。

たぶん、そのとき次の世界が産まれる
宇宙の外側を、「自覚」するときがくる。

まだ僕は目覚めない。
まだ僕は死んでいる。

いつまでも、知を拾うかぎり、
僕はここで死んでいる。


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蝉の声が聞こえる
ときどき、セミの声が聴こえる

耳から入っているのではなくて、
耳から聴こえているのだと思う。

夏が鳴いているのではなくて
夏から聴こえているのだと思うから
それはたぶん、悲しげな僕が思い出す限りにおいては
夏が泣いているというんだろう。

どうしてセミの声が聴こえるのかはわからない。
けれどたぶん、僕があの暑い夏の日を忘れたくなくて
虫かごに閉じこめたモンシロチョウが死んでしまった夏を忘れたくなくて
むしろもっともっと僕はあの夏の中に居たくて
ずっと夏の声を聴いてるんだと思う。

耳鳴りに似ている
みみ鳴りに似ているけれど、
みみなりと少し違う。

あのピーンと音がするような耳鳴りは、
むしろ空気の閉じこまった澱みと似ていて、
それは圧力を変えたりすることで消えるけれど、
セミの声は忘れない限り消えない。

現実に汚されて、フッと消えてしまうようなセミの声は
淡くて儚い命と似ていて、
100年で燃え尽きる猿の皮膚と似ていて
その淡い灯籠の中に居る限り、
僕は宇宙の虫かごから出られない

モンシロチョウを殺した夏、
僕は大人になることをやめた。


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