嘘の吐き方(うそのつきかた)
人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。
 



洗面器に新聞を張る。
鏡の自分を見つめ、耐えられなくなったら洗面器に吐く。
目が回ってきたら、今度は喉に指を突っ込んで吐く。
繰り返せばだんだん頭痛がしてくる。
酸欠なのかもしれない。
水道水をガラスのコップに注ぐ。
氷を入れて少しずつ飲む。
呼吸を整える。
鏡を見る。
肺の空気が無くなるまで息を吐く。
吐き続ける。
咳き込むと今度は胃液と唾液が入り混じったものが止まらなくなる。

ああそうだ、間違い無い。
この世界は腐っている。
人は苦痛と共にある。
世界は壊す為にある。
俺の生が呪われているのは楽しそうに生きる奴らに真実を見せてやる為だ。
俺は生きなければならない。
この世界は真っ暗闇だ。
それが真実だ。
誰も俺を助けてはくれない。
昔からそうだ。
他人が俺の不幸を測れるはずがない。
他人が俺の苦痛を理解できるはずがない。
健康な人間に俺の心の闇が伝わるはずがない。
歪んだ容器には歪んだ物しか入らない。
俺は生きる。
生き抜いてやる。
当たり前の幸せな日々をただただ過ごしてる無能な奴らに、俺が罰をくれてやる。
逆恨みだとののしるがいい。
八当たりだと非難するがいい。
危険思想だと叩くがいい。
誰にも邪魔はさせない。
俺は生きる事を決意した。
弱者と凡人を許していたら時代は前に進めない。

盲目の俺は、手探りで生きる。
何も信じられない。
自分だけを信じて苦痛の中で生きる。


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俺はいつも悩んでいるのに、
俺の心はいつもどこにあるのかわからない。
俺の言葉が発せられる時、
強く何かが発射されるのに、
幻影はいつも消えゆくのみ。
あるいは内なる声が波長だとしても、
やがて弱き叫びは消えゆくのみ。
何かが間違っているのだろうか?
何かが必要なのだろうか?
小さな声で、か細い声で力の限り命を削って叫んでも、
心はどこにも届かない。
絶望の淵で深淵を覗く為の産声が奇跡の光を発するとしても、
心の在りかは確かめられない。
いつになろうとも、
どこへゆこうとも、
不確かな想いだけが、
のろりゆらりどろりと漂うだけ。
五感が鈍る事で内なる確信が得られるならば、
これほど楽な事は無いだろう。
外への働きが内なる声を呼び覚ますなら、
経験は輝きをより強く主張するだろう。
デジタル社会がアナログの壁を蟻のような速さで食い潰していっても、
心の在りかは見つからないだろう。
何故ならそれは最初から有無とは別の境地を漂うものだから。
心の在りかを探るには、
心を研磨して削り出すより他は無い。
他人の心無くして、自分の心など有り得ない。
眠りから目覚める蟲の羽音は、
穏やかなうごめきと共に祈りの中で僕を壊す。
僕はいつもがらんどう。
どこにも居ない。


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