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安楽死寸前の被爆牛、今も元気に生きています

2018年02月06日 | 社会のニュースを考える

寒さのせいか、一般のニュースを見ればよけいに心が荒む。その中にあっても、人の心の善なる部分を知ると、ありがたくてうれしくて涙が出てくるのは、やっぱり寒さのせいなのか。それとも歳のせいなのか・・。


被ばく牛11頭、感動の再会 大熊町モウモウプロジェクト
東京新聞2018年1月23日

 東京電力福島第一原発事故でいまだ立ち入り制限が続く福島県大熊町で、安楽死処分寸前に追い込まれた7頭の牛たちを生かすために始まったのがモウモウプロジェクト。その牧場に生き別れになっていた4頭の牛が合流し、再会を果たした。11頭の牛たちは気持ちも新たに荒れ地と化した農地を再生する“任務”を遂行中。現地の最新事情を報告する。

 先月13日、大熊町の牧場に四頭の牛がトラックで運ばれてきた。名前はやや年配の雌が六子(むつこ)。若い雄の3頭はたくま、幸太(こうた)、まみという。

 六子は震災前は大熊町で、モウモウプロジェクトの古株の牛たちと一緒に飼われていたが、混乱の中で離れ離れになり、浪江町の牧場に預けられていた。果たして六子は昔の仲間を思い出すのか。



牛に餌をやる谷さん=大熊町で



 「それが覚えていたんですよ。本当に」。牛たちの世話をしている谷咲月(さつき)さん(35)は興奮を隠しきれずに話した。

 「六子たちを柵の中に入れると、古株の牛たちが遠くからモウモウと鳴きながら走り寄ってきました。六子も一目散に走っていく。その後ろに若い牛も従って大集合。お互いに体をなめ合って、無事を喜び合っているようでした」

 モウモウプロジェクトが誕生した経緯については本欄で何度か紹介した。簡単に復習しておきたい。

 原発事故で立ち入りが制限される帰還困難区域に指定された大熊町には、たくさんの牛が取り残された。大部分は牛舎で餓死したが、自力で山に逃げて生き延びた牛もいた。当時、東京に住む会社員だった谷さんは、大熊町の野良牛の存在を知り、助けようと決意する。

 避難指示が解除された近くの楢葉町に移り住み、柵を作って牛を追い込み、牧場をつくった。しかし、被ばく牛は家畜としての価値がない。彼らを生かすにはどうするか。そこで考案したのが、雑草を牛に食べさせ、荒れ果てた被災地を再生するプロジェクトだった。「モウ」は英語で「草を刈る」という意味だ。



牛たちの働きですっかりきれいになった放牧地



 現在の場所に牧場が移ったのは一昨年9月。1年4ヶ月の間に、ヤナギやススキに覆われた元水田が、約4ヘクタールの放牧地に変わった。

 今、谷さんには考えていることがある。「プロジェクトを利益を生むビジネスにすること。地主さんの依頼を受けて牛を派遣し、雑草を食べさせて料金をいただく。つまり『レンタカウ業』です」

 実は被災地で被ばく牛を飼い続けている牧場は五つほどあり、牛の総数は290頭にもなる。だが無償で牛の世話をする牧場主らは無理を続けてきた。牛を飼い続けるためには、生業として成り立つことが重要なのだ。

 谷さんは、他の牧場を助け、プロジェクトを拡大するために、少しずつ牛を引き取りたいという。六子たちの合流は、そんな計画の第一歩だ。

 「レンタカウ」の依頼は、舞い込み始めているという。

 牛のスポンサーを募る計画もある。例えば、六子のスポンサーになった人は、月数千円ほど飼料代を払う。すると飼育リポートや手製のキャラクターグッズが送られてくるという具合。

 朽ち果てた果樹園をよみがえらせ、桜を植えて、動物たちと遊べる公園をつくるのもどうかと夢が膨らむ。

 無人の荒野で、たった一人の女性が始めた挑戦が、驚いたことに形になり始めた。 (福島特別支局長・坂本充孝)



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