6月4日(火)の観光の続きです。
“アタマ”を鑑賞したあとは、その背後にある市庁舎の塔に登ってみることにしました。高さが70mあるこの塔は、13世紀末に建設されたそうです。
大広場の南西の隅近くにあります。織物会館に面する塔の側壁には、長方形の銘板がふたつはめ込まれていました。
ポーランド語の銘文を、Google Translate に放り込んでみました。
下左: “In this space on 31/10/1918 Polish soldiers made the Austrian garrison disarm. Commander General Boleslaw Roja freed Cracow. Cracow 31/10/1988” 「1918年10月31日にこの場所で、ポーランド軍兵士がオーストリアの駐屯部隊の武装を解かせた。ボレスワフ・ロヤ将軍は、クラクフの自由を宣言した。 クラクフ、1988年10月31日」 ・・・なるほど、私のガイドブックにも、“市庁舎の塔の脇で、1918年にボレスワフ将軍がオーストリアから主権を奪回し、123年ぶりに祖国の独立を取り戻した”と記載があります。
下右: “You have given us faith and hope. You gave soidarity and freedom. Bless the Father every day of our belived city and homeland. Beloved Pope John Paul Ⅱgreat Pole” ・・・ポーランド人として初めてローマ教皇になった故ヨハネ・パウロ2世の名前が最後にありますから、おそらくヨハネ・パウロ2世がクラクフを訪れたのを記念したものではないかと思います。実はヨハネ・パウロ2世、ローマ教皇に選出される前は、ここクラクフで司教、さらには枢機卿を務めておられたそうです。同教皇の2005年の死去の際には、国中が大きな悲しみに包まれ喪に服したということです。
市庁舎の塔には以前は建物が付随していたのですが、というか、先に建物があったところに塔が付け加えられたのですが、19世紀前半に“町の美化”のため、塔以外の建物は取り壊されてしまいました。老朽化していたとはいえ、まだまだ修復可能だったにもかかわらず。塔への入口外に、18世紀の市庁舎のミニチュア・モデルが置かれていました。目が見えない人のため、点字での説明もついていて感心。市庁舎の地下は、拷問室付きの監獄として使われたこともあったそうです。
実はこの塔、55cmほど傾いているそうです。1703年の強風が原因だとか。北北東を向く入口を守る2頭のライオンは、1960年代に35kmほど離れたプワヴォヴィツェのカントリー・ハウスから移転され設置されました。
7PLN(¥210)の入場料を払い、すり減った石の階段を上っていきます。すれ違うことなど不可能な狭さ。一段一段も高く、短足の私にはちょっときつかったです。
転んで頭を打ったら、この場でおダブツかも・・・ 途中の窓から、広場の半分がよく見えました。
時計の機械仕掛けが収容されている最上階は入室禁止。その下の階には昔の写真が何枚か展示されていました。まずは、開かない窓にはめこまれた透明なプラスチック板越しにクラクフの眺望を写真に収めます。
おぉ~、あれが丘の上に建つヴァヴェル城にちがいないっ!
織物会館越しに、聖マリア聖堂。下右写真で大広場の隅にぽつんと建つ建物は、クラクフで最も古く最も小さい教会、聖ヴォイチェフ教会です。その右手を南に向かって伸びるのが、王の道 Royal Route の続きでヴァヴェル城へと達するグロツカ通り。
織物会館の昔の写真です。側面にいろいろとくっついて建てられ、昔はごちゃごちゃしていたんですね。今の方が、すっきりしていていいと思う。
下の階には、昔の衣類の展示がありました。が、床まで降りる階段はなく、バルコニーのような場所から眺められるだけでした。
さらにその下の階には、昔は礼拝堂として、あるいは集会場として使われていたという立派な部屋が。
市庁舎の塔の入口を背にした眺めです。
左から: 市庁舎の塔、織物会館、聖マリア聖堂、聖ヴォイチェフ教会。
今の市庁舎の塔と、塔内に展示されていた昔の塔の写真。
大広場の南の角にぽつんと建つ、様々な建築様式がごちゃまぜになっているという聖ヴォイチェフ教会(=聖アダルベルト教会)。最古の部分は、遅く見積もっても11世紀始めの建造だそうです。広場が確立する前から建っていました。その後できた広場が何度も修復・再舗装されるにつれ、地面の高さが徐々にせり上がった結果、この教会の床は2mも地下にもぐってしまっています。
この教会は、伝統に従い聖アダルベルト(ポーランド語では聖ヴォイチェフ)が説教をした場所に建てられました。
木製のベンチがきつきつに6列並び、その向こうにはもう祭壇。本当に小さくかわいらしい教会でした。(内部の見学は無料。)
地下に続く外の階段を下りていってみたら、教会と大広場の歴史に関する展示がありました。入場料は2PLN(¥60)。
下は、“13世紀半ば以前のクラクフ”。なるほど、市壁があった頃のクラクフは、こんな感じだったんですね。(反射を避けるため、妙な角度での撮影になっていることをお詫びいたします。)
下左: “1875年の舗装工事(広場の北西部分)″ 下右: “撤去される前の、織物会館に付随していた店舗の並び(1867年)″
下左: “1960年以前の歩道”
下右: “広場の北部分の、バディラク井戸とルネサンス様式の地下室” (←?日本語に訳させてみたら、「まあBadylakとルネッサンスプリンセスへーゼルの二乗でオフセット北部にほ」 ・・・)
下右: “ルネッサンス様式の市庁舎の壁とドイツ戦車(北東からの眺め)” ・・・ええっ、戦車?!
下左: “1962年に基礎が除かれた際に発見された、壁や靴職人の店の残骸”
下右: “塔の影と、『並ぶ』ホール” (以前並んで織物会館にくっついて建っていたホールの基礎が発見されたってこと?)
下左: “2004年の再整備前の広場の状態” 下右: “再整備後(2005年)”
上の写真、年代が順になっていないことをお詫びいたします。 それにしても、これだけ広いと、再舗装もた~いへん!!
そう、この大広場の地下では近年大がかりな発掘調査が行われ、多くの発見があったそうです。それらの発見物を展示するため、織物会館の地下に博物館が建造され、2010年9月にオープンしました。 Rynek Underground です。子供も楽しめる気のきいた博物館に仕上がっているみたいです。
今回私は行く機会がありませんでしたが、なるほど、面白そう!
≪ つづく ≫
クラクフ、なかなか見ごたえのある町ですね。
そしてハナママゴンさんの泊まったホテル、可愛い☆
趣があっていいです。
こんなところに一人旅なんてちょっと羨ましい♪
町並みはイギリスに比べてとてもカラフル(パステルカラー?)が多い気がします。
町で売られていた食器や小物、かなり私好みです
重いのを承知で買ってしまうかも!?
イギリスに比べて色が豊かです。
イギリスって街並みの色はわりと地味目だし、教会は石造りでほぼ一色だったりするし。
それはそれで落ち着いて趣があって、またいいんですけどね。
たまにはカラフルも見たくなる。きっとないものねだりなんでしょうね。
ポーランド、“ドイツの素朴版”という感じで、とても居心地よかったです。
チビままさんは音楽家だから、ショパンにゆかりのあるワルシャワなんて、とても気に入られるかもしれませんね
(私はショパンがポーランド人であることさえ、クラクフ/ポーランドの予習を始めるまで知りませんでした・・・