ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

ジェームズ・バルジャーくん殺害事件 ⑩ [罪と罰と]

2013-04-04 12:05:28 | 事件

ジェームズ・バルジャーの遺体発見現場から警察署に戻ったアルバート・カービー捜査官は、連絡係の警官と一緒に署の駐車場を歩いてくるデニーズ・バルジャーに気づいた。

「デニーズの方に足を向けると、彼女は最悪の事態になったと気づいたのだろう。 ・・・・・血が逆流するような悲鳴を上げた。」

 

          

 

20年後の今年2月、カービー元警視はデニーズについて語った。

「彼女は本当に非凡な女性だと思う。あの事件以来、ずっと尊厳を保ってきた。トンプソンとヴェナブルズの“刑期”の短かさに猛然と反対し、抗議運動をした。あれが不適切だったと信じる私は、百パーセント彼女を支持した。彼女は悲劇を乗り越え、彼女が誰かすら知らなかったスチュアート・ファーガスと出会い、結婚した。スチュアートは彼女のよき支持者となり、彼らには三人の立派な、礼儀正しい息子たちがいる。私は警察官としてのキャリア中、デニーズ以上に人生をめちゃめちゃに破壊された人間には出会わなかった。しかしデニーズは、類稀なる女性だ。特に、他の三人の息子たちとの関係において、ジェームズに起こった悲劇を扱ったそのやり方がね。

私は孤児だった。父を4歳、母を7歳のときに失った。両親のことを私に話してくれる人間は、ひとりもいなかった。まるで触れてはいけない話題であるかのように――成長するうえで両親のことを知ることができていたら、と今でもとても残念に思う。しかしデニーズは、息子たちに、ジェームズのことを隠さない。一度息子たちのうちの一人が『ジェームズはどこにいるの?』とデニーズに訊いたことがある。ちょうど外にいた時だった。するとデニーズは言った。『あそこにあるあの星、見える?あれがジェームズよ。空で一番明るく輝く星がジェームズなの。』と答えた。ジェームズの話題は、タブーではなかったのだ。」

 

                            

 

ジェームズを直接知らなかった人々にさえ、ジェームズの拉致と殺害に関する詳細の残忍さを受け入れることは難しかった。カービー元警視は、あの信じられないような事件がどのように、自分を含む捜査官たちの前に全容を表わしていったのかを回想する。「遺体の状況から、加害者は成人だと考えられた。だが次々と目撃情報が入り、遺体発見現場から1kmちょっとの場所でもまだ二人の少年がジェームズと一緒だったとわかって、その時初めて、ジェームズを拉致した人間が彼を殺害したのだろうと気づくに至った。」 二人の逮捕前の打ち合わせでは、被害者が受けた暴行についての詳細はまだ伏せられていた。しかし二人の尋問前には、尋問を担当する捜査官に詳細を話さねばならず――「あれは本当にきつかった。」

その育った家庭環境と録音された尋問中の様子から、トンプソンが主犯と一般的に考えられた。しかしカービーは言う。「あの二人の間には、紙一重の違いしかなかったと思う。両者とも、一人ではやらなかったろう。二人一緒だったからこそ、お互いをサポートできてしまったのだ。」

カービーは、2001年の二人の仮釈放に反対意見を表明していた。彼は、トンプソンとヴェナブルズは成人刑務所でもしばらく過ごすべきだと考えたのだ。

 

1993年の判決後、ヴェナブルズの母親スーザンは主張した。

「私たちが、親として失敗したとは思わない。ジョンはいつも優しく、思いやりがあり、一緒にいて楽しかった。友達もたくさんいたわ。あの子が本当に可哀想。事件の後も、あの子に対する私達の気持ちは変わっていない。あの子はけしかけられたのよ。火の中に指を入れろと言われれば、入れちゃうような子だったから。乗せられやすい、怖がりで意志の弱い子だから。本当はジェームズを傷つけたくはなかったのよ。

『なぜ逃げ出さなかったの?』と訊かれたとき、あの子はただ『怖かったから』と言ったわ。ロバートの兄たちが怖かったのよ。ロバートが『もし誰かに言ったら、兄貴におまえをぶちのめさせるぞ』と言ったから。」

ヴェナブルズの父親ニールも言った。「あの子はまったく、あんな事件を起こすような子じゃなかった。子供を集めてラインアップしたら、あの子は最後に残る子供だったろう。」

ヴェナブルズの両親は、ジェームズを拉致した二人の少年の画像を見ても、あれがまさか我が息子だとは夢にも思わなかったという。逮捕後のヴェナブルズにジェームズのことを何度か話題にしてみたが、彼が取り乱すため、やめなければならなかった。「あの子は悪いことをしたのだから、罰を受けなければならないわ。だけど、あの子の残された子供時代をもう私が育てられない、あの子が子供時代を失うのだということが、本当に悲しい。」

 

《先月のオンライン・ニュース記事から》

10歳の息子を持つセーラ・フィン(36歳)は2007年3月、別人として生活していたジョン・ヴェナブルズとインターネットを通じて知り合った。「ハンサムでチャーミングで親切で気さくで、話し易かったわ。」ロック音楽、フェスティバル、パーティー好きと興味も共通していた。定期的にチャットするようになり、Facebook で友人になり、電話番号を交換し、ウェブカメラを通じて話すようになった。彼はセーラの容貌についてお世辞を言った。二人はやがて、どこかで会うことも話題にするようになった。しかしセーラは、ジョンが折にふれて妙なことを言うため、心の奥底で警報が鳴っているのを感じた。2007年5月にウェブカメラで会話中だったジョンの様子は、「酔ったか麻薬でもやっているように普通じゃなかった。やがて眠ってしまったわ。」ヴェナブルズのメッセージは徐々に性的な内容になっていった。ヴェナブルズが自分のペニスの写真を送ってきたとき、セーラは彼との友情もチャットも終りにすることにした。

ヴェナブルズの再収監後に“犯罪研究家”のアシスタントと名乗る女性から連絡を受けて初めて、セーラは彼があの悪名高い殺人者であることを知った。「本当にショックだったわ。彼と会う一歩手前まで行っていたんだもの。ひょっとしたら、息子も一緒に。実際に彼と会っていたらどうなっていたかと考えると、怖ろしいわ。」

≪敬称略≫

 

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私の父は、1998年に二度目の脳溢血で亡くなった(享年66歳)。その父が、1990年に、最初の脳溢血で突然倒れた時。救急病院に駆けつけた私は、意識不明の父を見ながら、本気で思った。(今すぐ全面核戦争が起こって、人類が滅亡すればいいのに。) 当時28歳で、未婚で、大切な人もいなかった私は、心の底からそう思った。 辛かった。 自分の父親がこんな目に遭っているのに、いつも通りに回っている世界が、憎らしかった。 今思うと、本当に勝手極まりない考えだ。 オットーを殺してしまうところだった。ムスメの生まれるチャンスも奪ってしまうところだった。何より、そのとき傍らにいた父以外の家族親族や、友達を殺してしまうところだった。

 

病気や自然災害など、恨む相手のない理由によってですら、愛する者を失うのは辛い。 それなのに、もし愛する者が、悪意ある犯罪の犠牲になって命を奪われたとしたら・・・?

 

凶悪犯罪について読むたび、被害者の無念を、遺族の峻烈であろう被害感情を、想像していた。そしてこの、ジェームズくん殺害事件。親にとって悪夢中の悪夢、最悪の悪夢だ。愛する我が子、まだ幼い息子をこの上なく残忍な方法で殺害されたデニーズさんとラルフさん。一体どうやって、事件後の一刻一刻を生き延びているのだろう?と思った。あまりの辛さゆえ、できることならその記憶を抹消してしまいたいと、私なら思うだろう。でもそれは無理。かといって、その途方もない悲嘆・憤怒・無念といった感情を抱えたまま残りの人生を生きてゆくのは、あまりにも辛く、苦しすぎる。悲しみから逃れるため、自分を辛さから解放するため、私がそんな立場に立たされたら、死を選んでしまうかもしれない。

 

     

 

今回ジェームズくんの事件を記事にするにあたり、いろいろとネットで読んだおかげで、デニーズさんのその後が詳しくわかって良かったです。新しい伴侶を得、三人の息子さんも立派に成長している様子。今でも正義を求めて闘い、その一方でジェームズくんの名において、ポジティブなことも成し遂げようと頑張っておられるのですね。カービー元警視の言葉通り、本当に類稀なる、強く、賢明な、素晴らしい女性です。

 

            

 

犯人が二人の10歳の少年だったとわかった時、大衆の憤りはものすごいものでした。私も、犯人が成人だった場合以上の憤りを感じていました。そしてふと、(犯人が少年たちだったからといって、なぜ余計怒るのかな?)と考えてみました。それは多分、大人は子供には、罪のない無垢な存在であることを常に期待しているから。だから子供がこんな残忍な事件を起こしたことで、裏切られたように感じ、怒りが倍増する。子供の分際で、よくもこんなひどいことが。このまま成長したら、どんな恐ろしいことをしでかす大人になることか。・・・ でも考えてみたら、どんなに凶悪な成人の殺人犯人も、一度は子供だったんですよね。だから悪名高い凶悪犯たちも、十分な動機と機会さえあったら、トンプソンとヴェナブルズより若い時点で凶悪事件を起こしていた可能性があるのでは。

 

    

 

私はカービー元警視が言う通り、この事件はトンプソンとヴェナブルズが二人だったから起きてしまったのだと思います。多分一人だったら、両名のどちらにも、あそこまで残酷なことをする度胸はなかったのでは。拉致することだって怪しいものです。たとえ拉致したって、一人だったら、どこかにジェームズくんを置き去りにして家に逃げ帰っていたのではないでしょうか。でも二人だったから。お互いがお互いに弱気を見せたくなくて、見栄から「もうこの辺でやめとこう」と言い出せなくて、きっかけを見つけられないまま、エスカレートしていく暴力を止められなかったのではないでしょうか。

 

      

 

ジェームズくんが味わったであろう不安、恐怖、悲しみ、苦痛などを思うと、言葉もありません。そして私、普段は死刑制度には大賛成です。それでも、この事件の犯人の二人は、死刑が相当とは思いません。理由はやはり、当時10歳だったから。10歳という年齢では、精神的にまだ成熟していなかった、成長途中にあったと考えるからです。ただ、8年の更生期間を経て「もはや社会への脅威ではないと判断された」からと仮釈放、というのは早すぎたと思います。本人たちのためにも良くなかった。10歳から収監されて、18歳で社会復帰・・・ 18歳って、自分を振り返ってみると、まだ成長期でしたよ。しかもあの二人は、ずっと実社会から隔離されていた。ニュース記事を読んだ限りでは、更生施設での生活は満ち足りて快適で、いうなれば“自由がないだけの寮生活”だったように私は感じました。あれで本当に更生になっていたのか、私には大いに疑問です。そんな場所での最低刑期8年というのは短かすぎた。せめて15年はあってよかったんじゃないか。カービー元警視の言うように、成人用の真の刑務所生活もちゃんと体験して、25歳になった頃に出所・社会復帰していたら、ヴェナブルズの再犯の可能性はもっと低くなっていたのでは?

ちなみに先日、ふと気づいたのですが、トンプソンとヴェナブルズが仮釈放され社会復帰した18歳という年齢は、私が死刑が妥当と信じる『光市母子殺害事件』の犯人が犯行を犯した年齢と一緒なんですよね・・・

更生期間中に改悛の情を見せたヴェナブルズと、少なくとも表面上は、全然見せなかったトンプソン。ところが再犯を犯したのは、トンプソンでなくヴェナブルズだった、というところが意外です。ヴェナブルズの両親は、息子の再犯を知ってどう思ったのでしょう。今回は単独犯で、誰かにそそのかされたわけでも取り込まれたわけでもないですからね。私が想像するに、トンプソンは利口だし計算高いので、自己保身から二度と犯罪は犯さないのでは。そしてもし犯すなら、頭をフル回転させて、絶対に捕まらないよう慎重にやってのけるのでは。もしかしたらトンプソンはもう再犯を犯しているけれど、犯行自体が発覚しないような、または自分は決して疑われないようなやり方で、やってのけたのかもしれません。想像すると怖いですが。

 

  20年前、サッカーの試合前にジェームズくんのため捧げられた黙祷。        20年後の今年のジェームズくんの命日に、あのショッピング・センターにて。

     

 

まったく別の人間として社会復帰しているトンプソンと、将来また釈放されるであろうヴェナブルズ。保護観察は24時間監視体制ではないから、二人が女性と親密な関係になってもそれを止めることはできないでしょう。トンプソンかヴェナブルズか、もしくは両名が、もし自分の本当の正体を隠したまま誰かを妊娠させてしまったら?保護観察局は、相手の女性に正体を教えるのでしょうか。我が子の父親が犯罪史に残る悪名高い『年若き幼児殺害犯』と知ったら、相手の女性はどう思うでしょう?相手の正体を知っていたら、深い関係にはならなかったのでは?女性は、自分を守ってくれなかった司法制度を告発するかもしれません。それは、トンプソンとヴェナブルズの更生と社会復帰に重きをおくあまり、一般市民を犠牲にしてしまったとはいえませんか?

残念ながら、今後、子供の犯罪は凶悪化していくことでしょう。若い、それどころか幼い犯人を、どう裁き、どう更生させ、どう社会復帰させるのか。社会の対応が犯罪の低年齢化のスピードについていけず、後手後手になっている気がします。

だからこそ、事件の詳細を知って一人一人が考え、意見を交換し、共に最善の方法を模索すること。それが大事なのではと思います。

(って、ド素人が、偉そうにすみません。

 

≪ おわり ≫

 

付記: あとがきもどき

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2 コメント

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Unknown (persimmon)
2013-04-05 06:04:01
今回の記事、大変興味深く読ませて頂きました。

私がイギリスに来た頃に起こった事件で、特に印象に残っている事件ですが、今回読ませて頂いた中で、知らない事も沢山あり、思う事も沢山ありました。
特にジェームズのお母さん、凄い人ですね。

ハナママゴンさんも、お忙しい中、頻繁なブログのUP、凄いな~と思います。何時も楽しみに読ませてもらってます。
ありがとうございます! (ハナママゴン)
2013-04-06 07:55:08
私がイギリスに来たのは事件の前年だったので、じゃあpersimmonさんと私、在英歴はほぼ同じですね。
本当にショッキングな事件でした。私も今回知らなかったことをいろいろ学べて、もっとはしょるつもりがしつこい性格のため?結局ダラダラと長い連載になってしまいました。
疲れた・・・ 

だから、お褒めの言葉をいただけてと~っても嬉しいです!苦労が報われました。
コメントありがとうございました。

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