皆さまお久しぶりです
病院の仕事が週4日のペースで入っていたし余暇時間は内職趣味の花づくりに没頭していたので、
5月は一度もブログを更新しないまま終わってしまいました
更新がないにもかかわらず当ブログを訪れてくださる皆さまには、心から感謝申し上げます
《 終の棲家探し ④ からのつづき 》
「もう庭を自分の思うように手入れできないから、庭仕事の要らない家に越したい!」 と、昨夏から家探しを始めたオットー父。
家の売買市場が停滞していた冬季を忍の一字で耐えぬき、ようやく春が訪れました。
でも春の到来は、イコール庭仕事の到来でもあるわけで。 オットー父は、かなり我慢の限界に近づいていたはず。
そんな4月も末に近いある日、オットー両親の家の買い手(開発業者)を待たせていた不動産屋が、
「ダーズリーの商店街(←死語?)から500mほどの距離にある一戸建ての平屋が売りに出た」 と連絡してきました。
なるほど、オットー両親の引越し先が見つからないとオットー両親の家も売れず、売り上げ計上できませんからね。
不動産屋もしびれを切らせていたと思われ。
早速オットーにも同行を頼んでその家を一緒に見に行ったオットー父・・・ オットー両親。
すごーく狭い家ですが、もうこれ以上待てなかったのでしょうね。 特に懸念事項も見つからなかったため、
オットー父はすぐさま希望売価を受け入れてしまいました。
(普通はやや少なめの額をオファーし、売り手から「それではちょっと・・・○○では?」と返事をもらい、その中間あたりで交渉が成立する。)
で、どんな家かというと、こんな感じです。 実物ではありませんが。 プライバシー保護のため、同じ住宅地にある別のお宅の画像を拝借しています。
あ、でも内部画像は不動産屋の広告ページからの実物です。 平屋で車庫と短い車道つき。
家は住宅地の行き止まりの道に面しているため、静かな環境にあります。
商店街まで500mというのが、脚が弱ってきているオットー母には難しいかもなのでちょっと心配。
間取り図と、居間。 玄関を入っても廊下が伸びておらず、一度居間に入らないと別の部屋に入れないという妙な造り。
居間は奥行き6m、幅は手前3.19m・奥の狭いところでは2.78m。
オットーによるとキッチンは 「すごく狭い(2.99m x 2.39m)ので二人が一度に入るのはムリ」 とのこと。
バスルームにバスタブはなくシャワーのみですが、二人はそれが希望だったので◎。
今住んでいる家も、何年か前にバスタブを撤去してシャワーのみに改装したくらいですから。 高齢になるとバスタブの出入りが
億劫になるのでしょうね、きっと。 転倒のリスクも高まるし。
大きい方の寝室1(下左: 3.57m x 2.74m)と小さい寝室2(下右: 2.85m x 2.8m)。 この家に暮らしていたのは独居の高齢者で、
その方が老人ホームに入居したため息子さんが家を売りに出したそう。 寝室2はダイニング・ルームとして使っていたためベッドはありませんでした。
現在までのところ、何を思ったか 「大きい方の寝室を使っていい」 とオットー母に太っ腹なところを見せているオットー父ですが、この狭さでは
シングルベッドに部屋の半分は占領されそう・・・ 本当にいいのっ?! (注: 寝室は別々というのが両人の希望です。)
家の脇にあとから増築されたらしいポーチ(下左)は奥行きは5.61mあっても幅は84cmぽっちしかなく、非常に無駄な空間に見えます。
下左画像の緑色のフェンスからは隣家の敷地ということに。 ガレージは5.32m x 2.5m。 裏庭は味気ないものですが、
庭仕事を放棄したいオットー父には望むところでしょう。
不便な村外れにいつまでも暮らしてはいられないとはわかっていても、できれば引越したくないオットー母。
次の家が見つかってしまい引越しが現実的になったストレスからでしょうか、じつは5月4日に心筋梗塞を発症し、オットー父が呼んだ
救急車で病院に運ばれました。 ステント治療を施され、たくさんの薬を処方されて7日に退院し帰宅。
でもオットー母には気の毒ですが、引越さないというのはもうオプションではないのです。
ワンマンなオットー父が引越したいと決意している以上は、自分一人でも引越しそうな勢いですから。
実のところ、オットー母の意見も取り入れて、これまで見に行った家をどれも選ばなかったのが不思議なくらい。
あ、でも別居となるとオットー母に現金へのアクセスを許さなければならなくなるから、それが嫌さにあきらめるかな?
でもあきらめた場合は、「お前のせいで引越せなかった!」 と事あるごとに自分が責められ、オットー母には針のムシロとなるわけで。
引越しはストレス、でも引越さなくてもストレス・・・。
現在は、事務弁護士を頼んで契約内容をチェックしてもらい、売買契約書にサインし、引き渡し日の決定を待っている段階です。
たぶん7月中には引越すことになりそうなので、91歳と89歳のオットー両親、所有物の整理を始めました。
が、これがまた大変で・・・ ・・・ ・・・
ワンマンな夫に従ってず~~~っと生きてきたオットー母でしたが、ここにきてとうとう(遅すぎたくらいだけど)堪忍袋の緒が切れたらしく、
オットー父に言い返すようになったそうなんです。 でもオットー母の反撃は、そんな状態に慣れていないオットー父を余計に怒らせるだけ。
怒るとお互いと口をきかなくなるので、片付けもなかなかはかどらず。
なのでオットーと義妹が、週末に両親宅に出向いて二人がまた口をきくようになるまで間を取り持ち、片付けを手伝っています。
過去2週間はオットー、水曜日にも夜に両親宅に行かなければなりませんでした。
週末に取り持った二人の仲が、週半ばにはまた亀裂していたので。
例えば先週はじめの亀裂の原因は、火曜日のランチ時。 オットー母がオットー父の分のパンも切ったところ、
オットー父: 「自分のパンすら自分で切らせてもらえないのか!」
オットー母: 「じゃあ勝手にすればいいでしょ!!」
オットー父は 「そのあと母さんはパンナイフをテーブルに投げつけた」 と言い、一方オットー母は
「投げたりなんてしない、まな板に叩きつけるように置いただけ」。
オットーが両親宅に行くと最初の一時間ほどは、二人がお互いとまた口をきくようにするために費やされるそうです。
それぞれをなだめ、それぞれの言い分を聞き、建設的な提案をするなどして。
そんな二人が、今よりずっと狭い家に引越してこの先も一緒に暮らしていけるのか?
実のところオットーも義妹も、先週末わざわざ3時間半かけてケンブリッジから両親を手伝いに来た独身の義弟②も、
〔一人で次の家に引越したい〕 というのがオットー父の本音だと確信しています。 オットー母とは別居して。
オットー母のことは、独居高齢者用集合住宅なり老人養護施設なりに放り込んで。
でもそれを口にしてしまうと子供たちから総スカンをくらい、誰も訪ねて来なくなるかもしれないからそれはできない。
だから誰かがそういう提案をしてくれるのを待っているんじゃないか? と。
しかしながらオットー母は、この期に及んでも、ケンカし仲裁が入るまで口をきかなくなりつつも、最後まで夫と一緒に暮らすのが希望だそうです。
今さら一人で暮らすことなど想像できないから。 オットーは 「軽度のストックホルム症候群かもしれないね」 などと言っています。
長年抑圧された状態で暮らしてきたためそれに慣れすぎ、抑圧者に依存するようになっているのではないかと。
・・・って! それは言いすぎじゃ? オットー父は犯罪者じゃないし、オットー母も犯罪の被害者ではないんだから。
(オットー両親についての詳細は 義理の家族のこと でお読みください。)
この8月にはダイヤモンド婚(!)を迎えるオットー両親。 その頃にはまず確実に、次の家に引越していることでしょう。
いったいどんな心境で、その日を迎えることになるのかな・・・?
《 終の棲家探し ⑥ に続く 》