ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

クラクフ報告(7) シンドラー工場博物館~“鷲の下薬局”

2013-06-24 22:30:04 | 2013年6月のクラクフ

6月5日(水)の観光の続きです。

 

“ゲットーの英雄広場”北東の隅から東に向かって伸びるこの道(下左)。この先に、シンドラーの元工場があります。幸い、雨が上がりました。

 

道のどんづまりに車が並んでいて、一見行き止まりのように見えますが、大丈夫。歩行者はガード下をそのまま歩き続けられます。

さて、ガード下に入る前にある、トンネル状のもの(下右)。ネットでサーフしていて偶然発見したのですが、これ、ポーランド人モダン・アーティストとして世界的に有名なミロスワフ・バウカ(Miroslaw Balka, l はふたつとも斜め横棒入り、1958- )の作品でした。長さ17m・高さ3m・幅2.5m・重さ3.5トンのこの作品名は、AUSCHWITZWIELICZKA。クラクフから日帰りで行けるアウシュヴィッツと、岩塩坑で有名なヴィエリチカの地名をつなぎ合わせたようです。2009年の芸術祭に出品されたあとクラクフ市に寄贈され、バウカ氏本人が設置場所を選びました。バウカ氏って、私は全く知りませんでしたが、テート・モダンにも作品が展示されたことがあるんですね。

 

AUSCHWITZWIELICZKA の文字の下を歩き、つづけてガード下をくぐります。(日が真上から差すと、AUSCHWITZWIELICZKA と地面に映るのかな?だったらステキ!)

 

古ぼけた大きな建物を横目に、まっすぐ進みます。                     ・・・おっ、前方に大型バスが。これは、もしかして・・・

 

写真を撮りながらゆっくり歩いてきたけれど、それでも広場から8分で着きました。 オスカー・シンドラーの元工場、Fabryka Schindlera (Schindler's Factory) です!

 

パノラマ写真だとこうなってしまいますが、建物は曲がっていません。まっすぐです。

天気のせいか、あまり混んでいませんでした。入場料は19PLN(¥570)。見学を始めたとき、時刻は12時半。この博物館が展示しているのは“Krakow Under Nazi Occupation 1939-1945” (ナチ占領下のクラクフ 1939-1945年)。もちろんシンドラーに関する展示もあります。

下左写真の部屋では、椅子に座って穴からのぞくと、昔の写真が見えました。下右は、ナチ将校の制服でしょうか。

 

下左は、ポーランド軍のミニ戦車。ドイツ戦車の前には、ほとんど歯が立たなかったそうです。

 

立体的な展示方法がとられていて、とても興味深かったです。

 

ドイツ軍によって撤去された、バルバカン近くのグルンヴァルト戦勝記念碑(下左)。 ナチ占領下のポーランドには、さぞかしヒトラーを賛美する出版物が出回ったことでしょう(下右)。

             

ユダヤ人をおとしめるため、路上で髭を剃り落とすドイツ兵。大抵の場合、これに暴行が続いたそうです。

 

ナチ占領下では、知識層が迫害されました。下の写真は、戦前の大学教授たちのもののようです。

 

情報量が多大で、じっくり読んでいたら一日あっても足りなかったと思います。(英語読むの、遅いし!

 

下左写真、右下の出版物のタイトルは、“WARUM WIR DIESEN KRIEG GEWINNEN!” (我々は何故この戦争に勝ったか!) ・・・まだ勝ってないのに、図々しい!! 

ナチスのシンボルが入った陶食器(下右)。

 

ナチ占領下では、クラクフの大広場 Rynek Glowny は最初は Alter Markt (Old Market) に、のちには Adolf Hitler Platz (アドルフ・ヒトラー広場) に改名されたそうです。

 

抑えた照明が、ナチ占領下の時代の心情を身近に感じさせてくれるようでした。

 

FUER JUDEN / NICHIT FUER JUDEN ・・・ ユダヤ人と非ユダヤ人に分かれろ、ということらしいです。下右は、再現された昔の列車?それとも市電?

 

映画『シンドラーのリスト』にも描かれていましたが、クラクフ中央駅は KRAKOW GLOWNY から KRAKAU Hbf. (=Hauptbahnhof=中央駅)へと標識が掛け替えられました。 Zum Bahnsteig (To the platform)もドイツ語です。

 

下は、ナチス占領下での窮屈な暮らしを描いたものでしょうか。説明板の写真を撮り忘れたようです。スミマセン

 

このあと訪れた“鷲の下薬局”に関する展示もありました。

 

“ゲットーは小さくなるみたい。新しい通りや門が、もう作られ始めている。ゲットーAとゲットーBに分かれるんだけど、Aが働く人たち、Bが働けない人たちのゲットーってことみたい。でもどういう意味なのか、まったくわからないわ。なぜ分ける必要があるの?あんな小さな場所に、全員が入れるわけがない。何かが起こるんだわ。今度はいったい何?みんな不安になって、もう何日も、こういったことをくり返し訊いている。”  ――ステラ・ミュラー(マデイ)、8歳

 

ただ展示物をケースに入れて見せるだけでない“等身大”の展示が多くて、この博物館、個人的にとても気に入りました。ぜひもう一度、今度はたっぷり時間をかけて、訪れてみたいです。

 

 

展示順路の終り近くに、再現されたオスカー・シンドラーの執務室がありました。

 

机の上の写真のうち2枚はシンドラー本人のものですが、あとの2枚は・・・? 部屋の監督係らしい若い女性に訊いてみました。「わからないけど、もしかしたら近親のものかも」とのことです。

 

机の向かい側には、工場で作っていたホーロー容器の展示。その内部は円筒形になっていて、シンドラーのリストに載った名前がびっしり並んでいました。

 

隣の部屋には、ずっと質素で小さい机が。シンドラーの会計士シュターンの机を再現したものと思われます。

 

机の上の旧式のタイプライターが実際にシンドラーのリストをタイプしたものかどうかは、定かではありません。  

 

プワシュフ強制労働キャンプに関する展示スペースです。ナチ親衛隊の制服の複製品が展示され、床には砂利が敷かれています。 

 

 

展示をすべて見て出口を出ると、以前はホーロー容器がいっぱいに積まれていたらしいトロッコがありました。その向こうにある建物は、シンドラーの元工場内の余っている建物を利用して2011年5月にオープンした、『クラクフ現代美術館』(MOCAK=Muzeum Sztuki Wspolczesnej w Krakowie=Museum of Contemporary Art in Krakow)の一部でした。

 

工場の正門を、内側から見たところ。シンドラーの従業員たちを守った門です。展示を見終わって出てきたのは、下左写真のドアでした。下右写真のドアから、博物館の入口付近に戻ります。

 

入ってすぐの窓には、シンドラーに救われたユダヤ人の写真が貼られていました。受付と展示室への入口を右手に見ながらまっすぐ進むと、そこはカフェになっていて、・・・

 

・・・上の方に、映画『シンドラーのリスト』撮影の様子を撮った写真が展示されていました。『シンドラーのリスト』、もう20年も前の映画だなんて・・・信じられない・・・

下左の写真、反射のため写りが悪いことをお詫びいたします。顔は塗りつぶしましたが、変なオバサンも入っちゃってるし この頃時間は、午後3時を回っていました。2時間半も見学してたんだ! もう一度工場の写真を撮って、“ゲットーの英雄広場”に戻りました。

 

途中、昭和の頃に見かけたような、古くさびれた建物が。郷愁をかきたてられます。またガード下をくぐります。上は現在も使われている鉄道線路で、このすぐ右手に駅があります。

 

 

“ゲットーの英雄広場”に戻ってきました。さて、広場の南西の角に面した扉にご注目(↑のついたドア)。ここには昔、“鷲の下薬局”(Pharmacy under the Eagle=Apteka Pod Orlem, l は斜め横棒入り)がありました。

1909年にヨーゼフ・パンキエヴィッチが薬局を開店。1933年に、クラクフのヤギェウォ大学を卒業して薬剤師になった息子のタデウシュ・パンキエヴィッチ(Tadeusz Pankiewicz, 1908-1993)が跡を継ぎました。1939年に第二次世界大戦が勃発し、侵攻してきたドイツ軍にクラクフが占領され、ポッドゴルジェ地区にユダヤ人ゲットーが設立すると、“鷲の下薬局”はゲットー内に取り込まれてしまいます。ゲットー内のポーランド人はすべてゲットー外に出るよう命じられ、パンキエヴィッチはユダヤ人が経営していたゲットー外の別の薬局を与えられます。しかしパンキエヴィッチは、これを拒否。

ユダヤ人のみを客とする薬局だったにもかかわらず、ユダヤ人に店を任せることをよしとしなかったナチスは、パンキエヴィッチが“鷲の下薬局”を続けることを認め、彼と三人の女性アシスタントたちに、ゲットーへの通行許可証を与えます。パンキエヴィッチとアシスタントたちは、ナチ兵に見つからないよう子供を静かにさせるための鎮静剤や、“選別”の際に若く見えるようユダヤ人に与えるヘアダイを、調合し供給しました。閉店後はゲットーの外に出るよう申し渡されていましたが、パンキエヴィッチは闇にまぎれて店に戻り、夜も店の裏手の部屋に隠れて過ごすようになりました。そのうち店はユダヤ人の抵抗組織の情報交換や秘密の会合の場になり、敬虔なカトリック信者だったパンキエヴィッチは、調達した食料を秘かに持ち込んで分け与えたり、店にユダヤ人をかくまって逃亡を助けたりしました。

ユダヤ人の生命線となって大勢の命を救った薬局は、1943年3月にゲットーが解体されると閉店せざるを得なくなりましたが、店はその後も秘密の会合の場、密輸された薬品や食糧の蓄積・配給の場、公的書類の偽造の場、ユダヤ人の隠れ家として機能を続けました。戦後の1951年に店が国有化されると、パンキエヴィッチは店を離れました。自らの命を懸けてユダヤ人を救った彼は、1983年にヤド・ヴァシェムによって『諸国民の中の正義の人』と認められ讃えられました。

パンキエヴィッチと女性アシスタントたち(下左)、彼が命を救ったイレーナさんと1957年テル・アヴィヴにて(下中)、イレーナさん・彼女の夫と1991年ポーランドにて(下右)。

  

店は戦後は国有化され、1967年に家具や内装はすべて撤去され、あろうことか、レストラン・バーに転身されてしまいました。1983年に『クラクフ歴史博物館』のひとつとして復元され、オープン。2002年にはロマン・ポランスキー、2004年にはスティーヴン・スピルバーグから寄付を受けたそうです。

入ってみました(入場料10PLN=¥300)が・・・ ほとんどがピカピカの新品だったせいか、残念ながら私の心には触れてくるものがなく、英語を読むのも疲れるので、短時間で出ました。スミマセン シンドラーの工場博物館でかなり力の入った展示を見た後だったので、タイミングも悪かったかもしれません。

内部には第二次大戦前のユダヤ人の生活、ゲットーのユダヤ人の生活や運命、パンキエヴィッチとアシスタントたちがいかにユダヤ人を助けたか、などの情報が展示されているようです。戦後パンキエヴィッチが受け取った、彼に救われたユダヤ人たちからの感謝の手紙も。

  

1993年11月5日にクラクフで亡くなったパンキエヴィッチの葬列には、彼に命を救われたユダヤ人やその家族が、イスラエルから40人も参列したそうです。

 

≪ つづく ≫

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4 コメント

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クラクフとアウシュビッツ (C6244)
2016-01-26 18:45:23
今年の4月にドレスデンに行くので、帰りは友人とクラクフのシンドラーミュージアムとアウシュビッツ収容所をほんのさわりだけ見て来たいと思っています。映画も見ましたし、これらの写真は大変参考になりました。私はもういい年ですので無理しない範囲で、友人と見て回りますが、是非おススメ、または絶必で見るべきところがあったら教えて下さい。
よく、シンドラーは享楽的人間であったと書かれていますが、数千人のユダヤ人の命を救ったことは事実ですから素直に見て回りたいと思っています。
英語は片言ですが、ベルリン在住の友人がいますので思い出に残る旅にしたいと思って、宿泊もクラクフにしました。
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ドレスデン (ハナママゴン)
2016-01-29 03:24:37
ドレスデンに行かれるんですか、いいですね!私はまだ行ったことがありません。
ドレスデンもクラクフのように歴史ある古都ですよね。
その後再建されたとはいえ、大戦中の爆撃で大部分が破壊されてしまったのがとても残念です。

クラクフの旧市街はただそぞろ歩いているだけでも幸せな気分になれますので、シンドラーの元工場博物館とアウシュヴィッツに行かれるなら、それで十分ではと思います。
ひとつだけ加えるなら、ヴィスワ川対岸からのヴァヴェルの丘の眺めでしょうか。時間が許せばの場合ですが。
良い旅になりますようお祈りしています。
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O・シンドラーの住んで居た家 (マックス)
2021-08-10 12:29:26
・・が、ヴァベル城のすぐ傍にあります(今ごろ、言っても遅いですが・・)。「コピーサービス」の看板かなにかが上がっていました。この情報は、知らなかったのですが、馬車屋の兄ちゃんが教えてくれました。
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馬車屋の! (ハナママゴン)
2021-08-12 05:52:55
ということは、マックスさんもクラクフを訪れられたのですね。
シンドラー氏が住んでいた家・・・貴重な地元情報を得られて、ラッキーでしたね!
クラクフ、ぜひもう一度、行きたくなってきました・・・
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